シカゴと金融工学

 

シカゴ(Chicago)はアメリカ中西部イリノイ州の大都市。ミシガン湖に沿って位置し、南には広大なコーンベルトがひろがる。フリードマンなど数多くのノーベル経済学賞を生んだシカゴ大学は有名である。

シカゴにはChicago Board of Trade(CBOT)Chicago Mercantile Exchange(CME)などの先物取引所がある。

1972年5月、CMEにおいて通貨の先物取引がスタート。

1973年にCBOTが個別株オプション取引所を設立、今日のシカゴ・オプション取引所(Chicago Board Options Exchange: CBOE)に成長した。1997年3月からは、ニューヨーク証券取引所での個別株オプション取引はCBOEに移管された。

デリバティブの中核的存在である先物とオプション取引において、シカゴは世界最大のシェアを占める。

1970年代には、もうひとつ大切なことがシカゴから起こった。シカゴ大学教授・フィッシャー・ブラック(Fischer Black)とマイロン・ショールズ(Myron Scholes)Journal of Political Economy誌に、オプションの理論価格を求めるための概念と数式を発表したのである。

この数式は後にブラック・ショールズ・モデル(Black-Scholes model)として知られ、金融工学発展の礎となった。

また、1970年代はアメリカでの金融規制緩和が進み市場金利などの変動が激しくなった時期だけではなく、ブレトン・ウッズ体制の崩壊によって主要国通貨のほとんどが変動相場制に移行した時期でもある。

さらに、ニクソン政権は医療と情報産業をテコにアメリカ経済の活性化を図った。NASA(米航空宇宙局)に投じられていた資金がNIH(米国立衛生研究所)などへと流れたため、宇宙開発に従事していた科学者・技術者の多くが金融界に転職した。高度な数学とコンピュータを駆使して資産担保証券などの新しいデリバティブ商品を創造し、不動産などの資産が流動化するきっかけとなった。

このように資産や商品などの価格変動に対するリスク管理と投機の役割を担いながらデリバティブ市場は発達したのである。

オプション理論の基盤というべきブラック・ショールズ・モデルは1997年経済学におけるノーベル賞受賞理由となった。

残念ながらブラック博士は1995年に他界したが、国際金融エンジニア学会(IAFE)はその業績を讚え「フィッシャー・ブラック記念基金」を設立したのである。

 

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