ふるさと山科の里トップ

           ふるさと
       山科の里

                           ● 山科 文化・歴史 <勉強・構想中>
                           ● 山科 名所・旧跡 <順次制作しています>
                           ● 山科 地名の言われ
                           ● 山科 あれこれ  <順次制作しています>
                           ● 山科 歳時記
                           ● 山科 交通の変遷 <草稿中
                           ● 山科 区民誇りの木 <撮影中>
                           ● ちょっと足をのばして <ゆっくり制作します>
                           
                           
 鉄道写真やましな
 さよなら山科を通過する銀河・日本海2号

Last Updated :13 ,Apr.,'11

 旧・音羽川の桜
  (きゅう・おとわがわのさくら)
   <撮影:2011(平成23)年4月13日>


 昨年の4月8日、ここから撮影した写真をUPしました。「ゴルフ道(みち)」の桜橋から東を仰いだ桜です。結果的には、同じアングルからの撮影となりました。理由は、川べりにマンションや住宅が建ったので避けると、こうなりました。

 昔むかし、山階小学校付近から続く「音羽川」の堤防には、桜並木が音羽集落まで、ずぅ〜と続いていましたが、今は数本残すのみとなりました。残った桜は強いですね。四ノ宮川と音羽川の合流点の桜をはじめこれらは大樹で残っています。
 六地蔵までの山科川流域には、「
山科川遊歩道」が整備されつつあり、桜の幼木がすくすくと育ちつつあります。

 桜の手前に見える鉄製の物は、田畑への用水路の開閉カンです。

 また、写真左上に見える白い物体(ボケている。三脚をたててしっかり絞って写せばいいのに手を抜いた・・・))は、月齢9.5のおっ月さんです。

 山科、桜びより
  (やましな、さくらびより)
    <撮影:2011(平成23)年4月12日>


 ただいま「山科の里」は、桜びより。京街の喧騒を避けて、山科へどうぞ。私(邦ちゃん)は、小学校の友人N氏お薦めの御坊に行ってきました。

 写真は、「
西本願寺山科別院」の桜です。
 こちらの写真は、「東本願寺山科別院」の枝垂桜です。鐘楼を前に艶やかな色ですね。
 この写真は、お馴染みの「隨心院」です。午後4時半に「薬医門」が閉まりました。

 その下の写真は、「毘沙門堂」の樹齢150年といわれる枝垂桜です。

 凛と咲く桜、隨心院
  (りんとさくさくら、ずいしんいん)
   <撮影:2011(平成23)年4月10日>


 遅咲きの隨心院・はねず梅ののあと、薬医門参道に咲く桜が実に美しい。日の出前、花弁が青く染まっていました。

隨心院爛漫
 (ずいしんいんらんまん)
   <撮影:2011(平成23)年4月6日>

 4月9日、小野・隨心院の桜は満開です。この写真は、快晴の4月6日朝に撮影しましたので、まだ七部咲きでした。

 大石桜咲く大石神社
  (おおいしざくらさくおおいしじんじゃ)
   <撮影:2011(平成23)年4月6日>


 大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が山科に隠棲(いんせい)した岩屋寺(いわやじ)の北に、神木「大石神社」があります。昭和10年の創建ですから、この「大石桜」は一代目ですね。
 ここ西野山の「大石神社」は、静寂そのものです。午前9時前は、桜もピンク色に染まっていました。
 

 隨心院さんの小町手づくり市
  (ずいしんいんさんのこまちてづくりいち)
   <撮影:2011(平成23)年4月2日>


 小野・隨心院の「
はねず踊り」が快晴のもと、3月27日、多くの観客が楽しまれました。にわかの喧騒の後、遅咲きの「はねず梅」は今が盛りです。

 写真は、「
名勝小野梅園」ではなく「大乗院」の門前を仰ぐ梅です。

 この写真は、京都の写真家“
永野一晃”氏のブログを参考に、そっくりレイアウトをいただきました。写真勉強中ですのでお許し下さい。
 背景の電柱を如何に隠すか難しいですね。ジャマ臭がり屋ですが、三脚を使い気合いを入れました。午前中の快晴が決め手です。4月1日撮影です。


 隨心院さんの小町手づくり市」は、春から秋までの第一土曜日に開催されているあれこれ「手づくり市」です。
 5月は7日、6月は4日、7月は2日です。
 名勝・小野梅園」の背に咲く桜です。
上の写真は、「隨心院さんの小町手づくり市」の模様です。何十軒かの出展です。門前のお店はいいですね。絵になります。
下の写真は、「あぶらとり紙」のお店です。京のスケッチを表紙に印刷された珍しい「あぶらり紙」です。ご主人の奥様「美知子さん」書です。

隨心院の梅はもう少し
 (ずいしんいんのうめはもうすこし)
  <撮影:2011(平成23)年3月15日>

 隨心院の梅は「薄墨」で、通年、開花は3月中旬〜下旬と遅咲きです。今年は寒い日が続いていますので、そうとう遅れそう。しかし、3月27日(日)の「はねず踊りと今様」の頃は満開になりそうです。
 写真は、「名勝・
小野梅園」の梅と、桜の「目吹」状況です。桜のつぼみは、少し膨らんだ様に思えました。

 立春・隨心院の“冬至梅”
  (りっしゅん・ずいしんいんのとうじうめ)
    <撮影:2011(平成23)年2月4日>


 今日は「
立春」です。隨心院の梅を訪ねましたが、ここの梅は遅咲きです。“はねず踊り”も3月の最終日曜日に開かれます。
 立春の今日、かろうじて竹林の片隅に咲いていた小さな白い梅を撮影してきました。まだまだ、「ちらほら咲き」ですね。この梅は、「
野梅系(やばいけい)」の「野梅性(やばいしょう)」の様ですね。つまり、山野や庭先でごく普通に見られる、ごく普通の梅のようです。
 書籍によりますと、品種は「
冬至(とうじ)」のようです。花期が早く、冬至の12月から1月に、白い一重の花が咲くそうです。
 この写真は、今日現在の開花状況です。竹林の影に、風強い隅にゆらゆらと揺られて咲いていました。暗〜い片隅に咲き、揺れる写真撮影は(アマチュア写真家にとっては)難しいですね。

 下の写真は、山風に揺られる可憐な花です。花は15o程の小さな可憐な花です。
 その右の写真は、3月から公開される庭園「
名勝・小野梅園」の公開を前に、忙しく手入れされてる職人さんです。
 
 「
立春(りっしゅん)」とは、節月(せつげつ)の数え方で一年の始まる日。太陽暦では2月4日頃。春に入る日の意味です。この立春の前日が「節分」で、「八十八夜」や「二百十日」などの起算日です。
 

隨心院の門松
 
(ずいしんいんのかどまつ)
   <撮影:2011(平成23)年1月11日>


 
肌寒い今日、隨心院(ずいしんいん)をスナップしてきましたが、椿や梅はまだまだ「蕾かたし」でした。
無料駐車場には、福岡・奈良・山口など、遠方の車が多く、地元の京都ナンバーは2台でした。寺院内を一周しましたが、撮るべきトコはありません。しかし、TVや映画・時代劇によく登場する嵯峨野の大覚寺のほか、密かな撮影場所がここ「隨心院」ですよ。静寂ですので、同録可能です。TV・映画のクレジットに、「撮影協力:隨心院」がよくでていますよ。
 写真は、隨心院の庫裡(くり)の門松。扁額の“隨心”や小野小町の屏風が印象的です。
右の写真は、庫裡の鬼瓦の上に、月齢6.7のお月さんがでていました。

新年、あけましておめでとうございます。

本年も “ふるさと山科の里 ”へのご訪問、お待ちしています。
干支(えと)の兎ちゃんは、「京都・
龍虎」の作品です、陶器に布張り、柔らかく、ほっこりした兎ちゃんですね。
芸術品です。
下の写真は、カナダ・オンタリオ州 Waterlooのあるお宅へ勝手にお邪魔した時、裏庭に現れたウサギとリスです。動物園では見られない光景ですね。街中のどこでも、厳寒を生き延びた動物たちが、せっせと冬に備えて準備しています。

 山科義士まつり
  (やましなぎしまつり)
   <撮影:2010(平成22)年12月14日>


 快晴の山科、京都「山科義士まつり」が開催されました。義士祭と言えば、播州赤穂が有名ですが、「山科義士まつり」も36回を数えます。また、地元幼稚園児による「山科こども歌舞伎」も開催されます。

 主催は「山科義士まつり実行委員会」ですが、主に区民のカンパに負うところが多く、協賛会社や「東映太秦映画村」等の協力によって運営されています。
 
 写真は、岩屋寺(いわやじ)へ討ち入りの報告をおえた大石内蔵助・大石主税・おりくです。
 今年の主役、大石内蔵助は、山本嘉輝氏です。写真は、表門隊の凱旋です。
 討ち入り凱旋で、吉良氏の首をかかげる「間十次郎」役の古武家士氏です。

 雨上がりの毘沙門堂
  (あめあがりのびしゃもんどう)
   <撮影:2010(平成22)年11月23日>


 紅葉の毘沙門堂、強風一過の勅使門参道です。早朝にもかかわらず、参拝者やカメラマンの姿がありました。このお立ち台からの撮影は、数分ずつの順番です。

 勧修寺のライトアップ
  (かじゅうじのらいとあっぷ)
    <撮影:2010(平成22)年11月19日>


 「第2回 京都やましな観光ウォーク」の一環として、勧修寺のライトアップがありました。夕方5時の開門ですので、日没後のブルーの空をかろうじて撮影する事ができました。
 観音堂の鳳凰と、桜の紅葉です。ライトアップの光に委ね、30秒露出で撮影しました。


 下の写真は、ライトアップの紅葉と宸殿です。
 重要文化財の「近江八景図」です。<土佐光起筆>

 隨心院(ずいしんいん)
  <撮影:2010(平成22)年11月16日>

 隨心院、薬医門のイチョウです。駐車場から見えるイチョウとも、山科区“区民の誇る木”に選定されています。
 紅葉は少し早そうですが、先週からライトアップ(午後6時〜9時)されています。


 

山科盆地を横断した ドクターイエロー
 (やましなぼんちをおうだんした どくたーいえろー)
  <撮影:2010(平成22)年10月8日>


 ドクターイエロー(新幹線電気軌道総合試験車・検測車)が、山科盆地を横断しました。写真は、新幹線と国鉄時代の貨物コンテナのアンバランスに花を添えるコスモスです。
 今日は稲刈りですのでコンテナの扉が開きます。ドクターイエローの運行の日です。晴れました。コスモスも咲きました。準備万端。あとは、カメラマンの腕(汗)。

椥辻保育園の案山子
 
(なぎつじほいくえんのかかし)
  <撮影:2010(平成22)年10月1日>


 椥辻保育園(なぎつじほいくえん)の案山子(かかし)です。理事長・園長は、椥辻西浦町の片岡敬之(かたおかよしゆき)氏ですが、稲や野菜の生育を子供達に教えるために、毎年、色々と企画されたいます。
 今年は、せっかく、稲穂が頭を垂れた時期、スズメ達への警告「かかし」を作りました。
 4クラスの作品です。なかでも、“つくし”2組園児からのメッセージ、「カラスさん、ハトさん、スズメさん、ちょっとだけたべてもいいけど」は、いい発想ですね。
「きんたろう」です。 “ひまわり ”1組(5歳児)
「ドラえもん」“ひまわり ”2組(5歳児)
「サッカーせんしゅ」 “つくし”  1組(4歳児)
「ポッチャマ」 “つくし” 2組(4歳児)

山科駅通過の甲種輸送(EF510-514
 (やましなえきつうかの こうしゅゆそう)
   <撮影:2010(平成22)年9月15日>


 9月15日、山科駅の2番ホーム端には、そこそこの年齢の方々の人盛り。何が来るのかな?
1番ホーム端に一人で「何かを待っておられた方」にうかがいました。
 「何が来るんですか?」の質問に、
 「甲種輸送」です。 “鉄っちゃん予備軍”の私にはあまり興味のないジャンルですが、「一応、おさえとくか」と、小雨の中を待つ間中、「鉄博」をうかがいました。実に、「鉄っちゃん」は、親切ですし、話が長いですね。

 「甲種輸送」とは、「甲種鉄道車両輸送」とも言われ、完成した鉄道車両や機関車などを、JR路線を使って発注会社に届ける輸送の事です。狭軌のJR路線の走行ではなく、台車を利用して、トレーラーで輸送する「乙種」と区分されています。

 この日の甲種回送「9866レ」は、川崎重工で完成した「EF510-514」を、兵庫駅からJR東日本の田端運転所へ2日かかりの運行です。編成は、「EF66-27 + ヨ8794 + EF510-514」の3両編成です。

 写真は、右が東京方面(上り外線)で、「EF66」形が牽引しています。次が「車掌車」、左の車両が「EF510形」回送中の「EF510-514」です。
 JR東日本では、EF510形の500番代を15両導入、今年の7月から、「北斗星」や「カシオペア」を牽引しています。「カシオペア」専用機として、銀色ベースの「EF510-509」「EF510-510」があるそうです。どちらも、側面には流星マークが描かれています。現在も両寝台列車を牽引している「EF81」形は、年内には引退するそうです。

 2番ホームで撮影を終えた集団は、次の新快速に乗車、石山駅で運転停車する同列車を撮影するそうです。小雨の中、ご苦労様でした。


いつまでも 暑 おすなぁ
  <撮影:2010(平成22)年9月7日>

 今年は、ながつきになっても、涼しゅうならへんし かなんなぁ。
 しかし、台風9号の影響でしょうか、小雨のなか稲刈りは始まっていました(大宅山田にて)。写真の上の田圃(たんぼ)は、この土曜と日曜に刈るそうです。「曼珠沙華(マンジュシャゲ)と稲穂、背景に高塚山」の写真を撮る下見に来たのですが・・・  曼珠沙華の開花は、暑さのせいでしょうか例年より遅れているそうです。と、言う事は、狙っている写真は撮れないと言う事ですね。
 曼珠沙華は、彼岸花(ヒガンバナ)や カミソリバナなど、別名が多いですね。昨年9月24日の「山科、稲穂の豊稔」を参照して下さい。


<制作中>

隨心院のアジサイ
 (ずいしんいんのあじさい)
   <撮影:2010(平成22)年6月22日>


 「梅雨晴れの隨心院(ばいうばれのずいしんいん)」のアジサイです。四季ごとに美しい隨心院ですが、6月は青モミジとアジサイです。山科では、勧修寺(かじゅうじ)や若宮神社などのアジサイが有名ですが、隨心院にもガクアジサイや山アジサイなどがあります。ひっそり咲いている場所は、本堂の南にある「史跡・小野庭苑」です。
 写真は、梅雨の晴れ間に撮りましたので、ちょっと乾燥気味ですね。

 
区民が選んだ 魅力を訪ねて
 “京都山科 東西南北”の冊子が発刊されました
   ( きょうと やましな とうざいなんぼく のさっしが はっかんされました)

 2008年から始められた「山科魅力発見プロジェクト」の一環として、昨年(2009年)、「山科の魅力を再発掘」する募集があり、多くの区民からの推薦を受けた候補から、京都橘大学・木下達文准教授のプロジェクトがまとめた「区民が選んだ魅力を訪ねて・京都山科の東西南北」が発刊されました。
 山科の魅力は、忠臣蔵の大石内蔵助ゆかりの岩屋寺、山科本願寺・蓮如上人の遺跡や門跡寺院など、109の名所旧跡が紹介されています。

 おおそれ乍らも、私
(邦ちゃん)も採用され、「江戸時代から現在の山科交通の変遷」の一部や「鉄道写真のお立ち台」を取り上げていただきました。さらに、109山科の紹介が、このホームページの通り、「山科の古道」別に掲載されています。これは、名所旧跡を探訪するのにはわかりやすいからですね。旧跡は古道に沿っていますからね。

 「山科」は、1200年前の「平安京」よりさらに古い「平城京・奈良時代」よりかかわりがあったんですね。
【訂正】です。 
 20ページの絵地図「鉄道写真お立ち台」の場所に間違いがあります。「C」は、花山の新幹線お立ち台で、文中の「C」は、東海道本線・東山トンネル東口の六所神社を表します。新幹線音羽山トンネル西口は「D」です。区役所で配布中の冊子には正誤表が折り込まれています。

    
 山科区ホームページ・東西南北

    
 山科区ホームページ・東西南北・東海道線

 
東海道(三条街道)旧家の遺跡
 (とうかいどう きゅうかのいせき)
  <撮影:2010年5月1日>

 京都と江戸幕府を結ぶ道・東海道五十三次の東海道(三条街道)に面する旧家が、近く改築されます。土蔵も取り壊されます。Oさんの了承を得、撮影しました。
 写真は、庭にある「車石(くるまいし)」です。蹴上・九条山の峠から逢坂山の峠まで、牛車(ぎゅうしゃ)がスムーズに通れるように、車輪の幅に合った「石の窪みの道(凹面)」が敷き詰められていました。
 この車石は、今も竹鼻や安朱のおうちには残っているそうです。

 2枚目の写真は、立派な手水です。高さは4尺以上ありそうです。
 3枚目の写真は、玄関に映える「キリシマツツジ」です。

旬の野菜“時待ち食”が再開しました
 (しゅんのやさい ときまちしょく がさいかいしました)
  <撮影:2010(平成22)年4月29日>

 京都市地下鉄・東西線「東野駅」改札前に、期間限定で開催されていた“京の旬・野菜直売所”が、再オープンしました。
 3月まででしたが2週間後、地元・新鮮な山科の野菜を提供するべく、再オープン。9月まで(火・水は休み)開かれています。今は、筍が旬です。

 

旧・音羽川の桜
  (きゅう・おとわがわのさくら)
   <撮影:2010(平成22)年4月8日>


 ゴルフ道(ごるふみち)から眺める「 旧・音羽川堤の桜」です。昔は、醍醐街道の東野橋付近から牛尾観音(うしおかんのん)、千頭岳までを「音羽川」と言っていましたが、現在は、小山集落の二九(にのこう)までを「山科川・1級河川」となりました。しかし、この辺り、「音羽川」と愛着をこめて今も言っていますが・・・
 昭和13年製作の陸地測量部地図には、山階小学校南の安祥寺川と合流する辺りから、「音羽川」と書かれています。私の知る一昔前の音羽川は、普段は枯川ですが、一雨降ると低部へ浸漬し、東野集落で噴出していました。
 また、この旧・音羽川堤防は護岸をかねた桜並木がありましたが、現在は、数本を残すのみです。しかし、「山科川遊歩道」が六地蔵まで整備されつつあり、桜樹も増えてきましたので、20〜30年後には桜並木を取り戻すと思います。最近、「山科川の景観」をキャッチコピーしたマンションが、川沿いのあっちこっちに建っています。

  国土地理院の地図には、「山科音羽川」と記されています。)

 啓蟄(驚蟄)
  (けいちつ)
   <撮影:2010(平成22〕年3月6日>

 今年の啓蟄は、3月6日でした。気温が緩みましたので、隨心院(ずいしんいん)の梅の開花状況を見てきましたが、見頃は一週間後でしょうか。特に、「名勝 小野梅園」は遅咲きの梅ですので、中旬以降が見頃でしょう。
 はねず踊り」は、3月28日(日)薬医門前(雨天は堂内)で繰り広げられます。
 写真は、門跡内の大乗院の梅です。
 門跡内のあちこちには、「あせび(馬酔木)」が咲いていました。
 ところで「
啓蟄(けいちつ)」とは、太陽暦の3月5日頃に、冬ごもりしていた虫が地中からはい出る事です。この頃、樹木に薬散すると効果があるとされています。
 昨秋に姫路城の松にわらやコモを巻きつけた「幹巻き」を、啓蟄の日に取り外すTVニュースが流れていました。これは、キクイムシなどの害虫を誘導し、幹巻きを焼却、虫を駆除するためです。
 隨心院(ずいしんいん)所蔵の「極彩色 梅匂小町絵図(部分)です。はねず踊りや梅園が描かれています。表書院の間で見物する事ができます。 

 琵琶湖疏水
  
(びわこ そすい)

 
琵琶湖疏水は、山科区民にとってはお馴染みの光景ですが、この写真、今から50年前の1960(昭和35)年撮影の「琵琶湖疏水」です。昔は、「山科疎水(やましなそすい)」と言っていました。

 現在は転落防止の柵がありますが、昔はこの様に静かな佇まいでした。当時、樹齢70年程の桜の根っ子が、疎水べりの道にむき出していましたので、自転車で走行する時につまづき、疎水に自転車もろとも落ちたものです。

 この写真は、私
(邦ちゃん)の1冊目のアルバムで巻頭に張ってあります。旧友・倉田氏のクレジットが記されています。

 先日、思いもかけず、ある事がきっかけで、何十年ぶりに同氏から電話があり、暫し、昔を懐かしみました。ご了解を得ましたので、あえてUPした次第です。


   <写真提供:倉田光正氏(京都市・醍醐)>

 隨心院”の梅園
  (ずいしんいんのばいえん)
   <撮影:2010(平成22)年2月22日>

 名勝・小野梅園の梅は、遅咲きの紅梅です。3月1日から31日まで開園される“観梅会”の期間が良いようです。(この写真は、大乗院の梅です。)
 紅梅といっても「うす紅色」で、このうす紅色のことを「はねず(唐棣)」と言うそうです。
 はねず踊り」は、3月28日(日)11時から4回、はねず踊り保存会によって披露(有料)されます。
 竹薮を背景に、白梅が満開でした。<撮影:2月19日>

 下の4枚の写真は、
 
「小野梅園」です。つぼみが膨らむのは、1週間後でしょうか。
  まだまだ、冬の様相です。
 
19年前の1991年に撮影した「小野梅園」入り口です。
  入園の小屋もありません。

 ちらほら、咲いてきました。
 3月1日の開園に向けて、植木屋さんが山内を剪定されています。

 隨心院 薬医門
  (ずいしんいん やくいもん)
   
<撮影:2010(平成22)年1月18日>

 隨心院門跡
(ずいしんいんもんぜき)で、東映の撮影がありました。最近、この隨心院は2時間ドラマや京都シリーズドラマでたびたび登場します。ここは、静かで観光客も少なく、竹やぶ・桜・梅などの景観も優れ、撮影にはもってこいです。特に、音収録の音声さんにはいいですね。
 今日は、「
水戸黄門」の収録でした。第48話の1220回あたりで、この秋に放映される様です。日ごろは、この「薬医門」には柵がかかっていますが、今日は撮影のためありません。この門は、皇族など高貴の方の門です。こんな写真を撮影できるなんて、ラッキーでした。
 <収録の合間に、パチ撮りしました>
隨心院薬医門での収録風景です。肥後の国の武家屋敷のシーンだそうです。東映・井上組のスタッフです。

 東野駅に野菜直売所オープン
   (ひがしのえきにやさいちょくばいしょ おーぷん)
     <撮影:2010(平成22)年1月21日>


 京都市地下鉄・東西線「東野駅」改札前に、“京の旬・野菜直売所”がオープンしました。“旬の野菜を待って食べる”意から、「京の旬野菜時待ち食(きょうのしゅんやさいときまちしょく)」事務局が、山科の生産農家からの新鮮な野菜を直売しています。
 京都市産業観光局協力で、1月から3月15日(火・水お休み)までの出店です。このほか、「京の旬野菜協会」主催で、北大路駅・太秦天神川・二条駅にも直売所があります。

 春の七草の芹
  (はるのななくさ の せり)
    <撮影:2010(平成22)年1月6日>

 正月7日は、「七草粥(ななくさがゆ)」をすする日です。「春の七草(はるのななくさ)」とは、せり(芹)、なずな(薺・ペンペン草・シャミセン草)、ごぎょう(御形・ハハコグサ)、はこべら(繁縷・ハコベ・ハクベラ・アサシラゲ)、ほとけのざ(仏座・タビラコ・サイガイグサ)、すずな(菘・蕪・カブ)、すずしろ(蘿蔔・ダイコン・スズシロナ)ですが、これらの野草を見る機会も少なくなりました。
 山科で、湧水栽培されている芹は、今やここだけです。ご婦人にお伺いしましたら、「来年も栽培できるか、わからないね」と言われました。わずかの芹田にも、住宅が迫っています。
市場に出荷する芹の刈り取りです。長〜い長靴で芹田に入ります。

山科盆地から眺められる山々は、「音羽山(593m)」「行者ヶ森(440m)」「高塚山(485m)」「千頭岳(600m)」「醍醐山(454m)」「大岩山(182m)」「稲荷山(233m)」「清水山(242m)」などありますが、混同されているようです。
 新幹線が通る音羽山トンネルはよく間違われます。この写真は、新十条通りから眺める「行者ヶ森」です。

 山階小学校クラス会が京都新聞に掲載
   (さんかいしょうがこう くらすかいが きょうとしんぶんに     けいさい)

 京都新聞(12月28日)に、“山階小学校6年は組クラス会(昭和○年卒業)”の模様が紹介されました。
 「シニアライフ・旧交歓談」は、古きよき時代の学窓、同窓会の様子などが掲載されています。今年の9月に集まった先生と旧友達は、未だ「○○ちゃん」と呼び合うクラス会を開催しているのがユニークだったんでしょうか。
 もう卒業して、何十年も経ちますが、出席者皆さん、すこぶるお元気でした。

 音羽山 冬隣
  (おとわやまふゆどなり)
   <撮影:2009(平成21)年12月8日>

 
紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、在原元方(ありわらのもとかた)などが詠った歌枕に登場する“音羽山”の冬隣です。撮影日は、小春日和の12月8日、今週末から冬将軍の到来です。
 旧・音羽川(現在、この当りは山科川と呼称)にも、マンションが建ち並びましたが、遊歩道が併設されたのが救いかなぁ〜。光照寺・南殿の墓地も、住宅やマンションに囲まれてしまいました。
 正面の高圧線の鉄塔が建っているあたりが「音羽山(593.2m)」です。牛尾山
(うしおやま・うしおざん)とも言われます。山科盆地から眺める山々は、「行者ヶ森(440m)」「高塚山(485m)」「千頭岳(600m)」があり、混同されています。音羽山の真下を新幹線・音羽山トンネルがあります。
隨心院(ずいしんいん)です。左は、紅葉の頃、右は、12月8日撮影の庫裏です。もうすぐ冬がやってくる「冬隣」です。

 勧修寺の実葛
  (かじゅうじ の さねかずら)
     <撮影:2009(平成21)年10月23日・27日>


 勧修寺は、平安時代の昌泰3年(900年)、醍醐天皇によって創建された真言宗山階(やましな)派の大本山です。
 勧修寺は紅葉でも有名ですが、只今は菊花展が門前に飾られています。山門の背景は、音羽山です。
 
 紅葉がやや色づく頃、「菊花展」が開催されます。京都市長賞や山科区長賞などが贈られます。
 菊花の作り方には、「福助作り」や「ダルマ作り」などがあるそうです。知りませんでした。


 この写真は、2009(平成21)年6月9日撮影の参道です。築塀(土塀)が崩れています。
 2009(平成21)年10月23日撮影の参道です。石積の上の土塀は、ブロックで修復され、「さねかずら」が植えてあります。
 「さねかずら(実葛・真葛)」とは、つる性の常緑木で、夏に黄白色の花が咲き、秋には赤い実がなります。
 古くは、茎の粘液を整髪に用いた事から、「美男葛
(びなんかずら)」とも言うそうです。さらに古くは、「さなかずら」と言ったそうです。
 「かずら(葛)」は、はい渡って、絶えずからみ合う事から、「会う」「絶えず」「遠長く」にかかる枕詞
(まくらことば)です。
 お寺さんへ参拝された方々とのご縁がいただけるようにと、さねかずら(実葛)を植えられたそうです。

 
参道に植えられた「実葛(さねかずら)」の木はまだ50p程ですが、赤い実がなるのは早くて来年だそうです。

勧修寺の南に縁結びの神社「宮道神社(みやじじんじゃがあります。「さねかずら(実葛)」はこの神社のシンボルですが、写真のような赤い実がなっていました。
 山門へ続く参道の築塀(土塀)です。
  <撮影:2009(平成21)年6月9日>

 あっちこっちに「ひび割れ」があり、大きく崩れているところもあります。
 掃除が行届いた参道に、このように崩れた築塀の光景は目立ますね。写真撮影していましたら、外国の観光客も興味を示されていました。  <撮影:2009(平成21)年10月23日>
 築塀(土塀)の中に、桜の根が入り込んでいます。
 桜の根が、石垣から侵入している様子です。築塀(土塀)を崩した原因でしょうか。

 次の写真2枚は、築塀(土塀)の向こう側(庭園)から参道側へ出てきた木です。樹木の繁殖力はすごいですね。そういえば、アンコールワットなどの遺産でも垣間見た事があります。
・大玄関前の「嵯峨菊」です。
・勧修寺の紅葉です。 <撮影:2009(平成21)年10月27日>
・11月下旬の勧修寺は、錦繍に染まります。写真は、観音堂。 <撮影:2008(平成20)年12月1日>

  京都市立山階小学校
  (きょうとしりつ さんかいしょうがっこう)
   
<撮影:2009(平成21)年9月6日>

 山階小学校は、明治5年、当時の京都府宇治郡山科村の「西本願寺山科別院」で開校、「山階尋常小学校
(さんかいじんじょうしょうがっこう」東野校といいました。8年後の明治13年、現在の山科西野に移転しました。
 北校舎は、鉄筋3階建の1棟の様に見えますが、増築により3つに分かれています。学校で一番古い校舎は、真ん中の鉄筋3階建で、地下室もありましたが今は埋められ花壇になっています。
 山階小学校副校長先生のお話では、今も、屋上には太平洋戦争中活躍した「空襲警報の拡声器(ラッパ)」が残っているそうです。戦争前からあった校舎と言う事ですね。
 私
(邦ちゃん)は、昭和30年頃、この地下室で教育映画(フィルム)を鑑賞した記憶があります。 <これらの写真は、学校の許可を得て撮影しています>
・太平洋戦争中にもあった鉄筋3階建の校舎屋上ですが、今はこんな樹木が生えていました。
・山階小学校には「山科区民の誇る木」として、「桜」「クスノキ」「イチョウ」があります。

 山科、稲穂の豊稔
  (やましな、いなほのほうじん)
   
<撮影:2009(平成21)年9月24日>

 耕作面積がほとんど無くなった山科の稲田にも、稔りの秋です。
 京都の写真家永野一晃氏のホームページで、山科の稲穂や彼岸花の写真が紹介されていました。早速、山科大宅でパチリ。田圃
(たんぼ)の畦道には「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」が咲いていました。「曼珠沙華」の意は、広辞苑などの辞典によると「天上に咲くとされる架空の花(華)。白くて柔らかく見る者に悪離れさせる働きがある」とか。
 山科では「曼珠沙華」の名称が一般的ですが、書籍には「彼岸花」が主流です。地方によっては、「シビトバナ(死人花)」「ステゴバナ(捨て子花)」「ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)」「ユウレイバナ」「カミソリバナ」「シタマガリ」「テンガイバナ(天蓋花)」「トウロウバナ」などの別称があります。漢語は、「石蒜(せきさん)」。

 The Groovin' Cats Swing Orchestra
  
(グルーヴィン キャッツ スウィング オーケストラ)
    <撮影::2009(平成21)年9月12日>

 京都市地下鉄・山科駅には、「音の広場」という癒しの空間があります。楽器のモニュメントに触るとメロディが鳴り、スツールのオブジェクトでは暫しの休憩も良し。
 この「音の広場」では、京都市交通局主催で毎週第2土曜日に音楽・ダンス・パフォーマンスなどがありますが、9月は久方に、「SWING JAZZ」が奏でられました。しかも、3年ぶりのBiG Band Jazzです。外は大雨、しかし、この空間では大勢の人々が“スウィング”していました。

 “グルーヴィン キャッツ スウィング オーケストラ”は、宮木健次率いる京都で活躍中の社会人バンドです。メンバー紹介がありませんでしたので省かせていただきますが、「音」はちょっと硬いかなぁ。PAがないので、かえって生はいいですね。しかし、ソロになるといいよ、いいよ! フルバンドの難しいところですね。何故か、Count Basie(カウント ベーシー)の曲には、バンドの皆さん、のりのりでした。ヴォーカルが2曲ほどあってもいいのかも。

 神饌田
  (しんせんでん)
   <撮影:2009(平成21)年8月3日>

 岩屋神社(山科一之宮ともいわれます)の神饌田のねき(そばの意味)に咲く「ひまわり」です。
 この「ひまわり」は、近くの「椥辻保育園」の園児達が植えましたが、今年は少し生育が早く、しおれているひまわりを多く見かけます。小蜂がひまわりの蜜を吸っています。
 園児達は、「なすび」「きゅうり」も収穫するそうです。
 
 神饌田(しんせんでん)とは、神を祀る時に供える食物の事で、「稲」つまりお米です。
 椥辻の片岡さんは、この田圃で「神饌田」を管理されています。秋祭には、「抜穂
(ぬきほ)」をお供えします。この田圃から、1石のお米の収穫があるそうですが、神社にお供えするそうです。

 カエデの翼果
  (かえでのよくか/よっか)
   
<撮影:2009(平成21)年6月12日>

 
隨心院(ずいしんいん)には、多くの樹木がありますが、カエデの翼果(よくか)です。一般に、“紅葉の花“とか、“よっか”とも呼ばれます。果皮の一部が翼状にのびた果皮が発達して翼になったものです。
 これからさらに赤味を帯びて「竹とんぼ」のような形をしたカエデの種子が、秋のある日、風に乗ってクルクルと地面に落ちて、種から新しいカエデが発芽します。
 下の写真は、境内のあちこちの紅葉の樹の翼果です。梅が大きくなっていました。取り残されたのでしょうか。

 勧修寺の土塀
  (かじゅうじのどべい)
   <撮影:2009(平成21)年6月9日>

 勧修寺山門への土塀です。春は鮮やかな桜が私たちを迎えるのですが、観光客が少ない梅雨時の様子です。由緒ある白壁が落ちていました。
 下の写真左(撮影:2006年4月6日)とは対照的です。
 下の右の写真は、勧修寺道から見た山門へ通じる土塀です。いとあわれ。

 隨心院のさくらんぼ
  (ずいしんいんのさくらんぼ)
   <撮影:2009(平成21)年5月11日>

 
隨心院門跡(もんぜき)の薬師門前には、ソメイヨシノがありますが、花を終えた今、5oほどの可愛い「さくらんぼ」が、太陽の光を受け赤く染まりました。
 目線に入るほど枝が垂れていますので、写真撮影の練習にはもってこいです。

 隨心院の躑躅
  (ずいしんいんのつつじ)
   <撮影:2009〔平成21〕年4月23日>

 山科小野、隨心院門跡(もんぜき)の躑躅です。写真の霧島ツツジは、門跡の「大乗院」にあり、新緑のもみじと調和しています。ほとんどの参拝者は、庫裏から本堂へ行かれますがちょっと足を伸ばせば、さらに静寂な空間が味わえます。
 下の写真は、薬医門を背景とした躑躅です。右の写真は、小町の化粧井戸にある躑躅です。
 5月の連休中、隨心院はツツジが鑑賞できます。暫くすると、石楠花
(しゃくなげ)が楽しめます。

山科は春爛漫
 (やましなははるらんまん)

 
4月のはじめ、山科は“春爛漫”の桜一色でした。これらの写真はどこでしょうか。
山科再発見のつもりで、探してください。
  <
回答は、下段に
撮影場所の回答です。

光照寺 南殿(こうしょうじ・なんでん) 蓮如上人(れんにょしょうにん)の隠居所「南殿」です。この桜は、「山科区民の誇りの木」にも選ばれている桜で、扇状に広がった見事な樹形です。根の周囲は2.3m、高さ11mのソメイヨシノです。

元慶寺(がんけいじ) 天皇家ゆかりのお寺です。現在は、西国霊場の番外札所となっていますが、お遍路さんがたえません。竜宮造の山門に写る桜です。
 877年、年号が「がんぎょう(元慶)」となった時にお寺となった事から「元慶寺」となりましたが、由緒ある大手出版の歴史書籍に「がんぎょうじ」と紹介されていますが、お寺さんが「げんけいじ」と称されていますので、出版物の方が間違っているのではと思いますが・・・


琵琶湖疏水(びわこそすい) 明治23年に第1琵琶湖疎水が竣工し、ヤマザクラを中心に、ソメイヨシノなど桜並木が続く良き散歩道です。
 これらの桜は、明治27(1894)年、山科の松村与三郎氏がサクラ500本、カエデ500本を、琵琶湖疏水のGOサインを出した北垣国道(
きたがきくにみち)知事に寄贈しました。その後、大正4(1915)年にも補植したと伝えられています。
 現在も、胸高幹周2〜2.6m級の樹が数多く生存するのには、その後にも増殖されたと思われますが資料は無いそうです。
 このサクラは、四ノ宮にあるソメイヨシノです。1975年調査では、幹周2.8m、樹高9.5mです。

毘沙門堂(びしゃもんどう) 門跡・毘沙門堂のシダレザクラ(枝垂れ桜)は、樹齢150年といわれています。やや、老桜の感がありますが、数年前から樹根に柵が設置され養生されています。現代の桜は5代目だそうです。樹高7.8m、幹周2.3mです。

大圓寺(だいえんじ) 山科区大宅(おおやけ)古海道町にある、浄土宗如一山・大圓寺の参道にあるソメイヨシノです。
 現在、このお寺へは岩屋神社への参道から北に入るようになっていますが、古地図よると、奈良街道からこの写真の桜並木が参道のように思えます。「山科区民の誇りの木」にも選ばれています。

<小さい写真8枚の桜です>
安祥寺川沿いの洛東高校への坂道にあるソメイヨシノです。樹高は8.5mもあります。
琵琶湖疏水の安祥寺付近の「東山自然緑地公園(御陵田山町)」にあるヤマザクラです。樹高12mもあり、幹周3mを超えます。
花山稲荷神社(かさんいなりじんじゃ)は、大石内蔵助が寄進したという鳥居や断食石がある古い神社です。最近、月刊“京都”で紹介されました。
光照寺・南殿保育園(こうしょうじ・なんでんようちえん) 山門に咲く桜とは別に、保育園内にも桜が沢山あります。「南殿・旧庭」も拝見できますが、園内ですので事務所に声をかけるようにして下さい。
ゴルフ道(みち)から見た音羽川(現・山科川)と音羽山。最近、川沿いにマンションが建ち、音羽川眺望にも少し影響がありそうです。
JR山科駅前 ロータリーの枝垂れ桜です。
大石神社(おおいしじんじゃ) 大石神社の奥に大石内蔵助の閑居跡がありますが、吉良邸討ち入りまで をこの地に隠棲した事から、昭和10年に創建された新しい神社です。
 
このシダレザクラは、大石桜と呼ばれています。 
隨心院(ずいしんいん) ソメイヨシノとヤマザクラが多いのに、「八重桜」があるとは知りませんでした。竹林と新緑の紅葉にうまく溶け込んでいます。

隨心院の4月3日
 (ずいしんいんの4月3日)

 暖かい日差しです。すっかり桜も開きました。観光客が多く訪れていますが、写真撮影者にとっては、待つ事多し。辛抱、辛抱です。
観光客の中には、大縮尺の地図を見ながら、醍醐三宝院から来られたのでしょうか、小野梅園の拝観料払う門を、「薬師門」といったり、勧修寺まで5分とか・・・ 思わず、にわか観光ガイドの人となりました。
 シダレザクラも散り、ソメイヨシノの出番です。あと、4〜5日で満開でしょう。
 小さなミツバチや小鳥が桜花をついばんでいます。(450mm望遠レンズ)


 隨心院の24日
  (ずいしんいんの3がつ24か)
    <撮影:2009(平成21)年3月24日>

 冬型の気候に戻り、肌寒い日でした。ここ隨心院は、29日の「はねず踊り」の準備が始まりました。薬医門前の桜が咲き始め、蜂も忙しそうです。
 下の写真は、満開の「シダレザクラ」と、咲き始めた駐車場の桜です。駐車場は無料です。

 隨心院の21日
  
(ずいしんいんの3がつ21にち)
      <撮影:2009(平成21)年3月21日>


 快晴の隨心院です。彼岸のお墓参りと観光客で沢山の人でした。
 シダレザクラが咲き始めましたが、ソメイヨシノのつぼみも膨らんできました。竹林の陰に咲く紅梅です。

 隨心院の今日17日
  
(ずいしんいんのきょう17にち)
    <撮影:2009(平成21)年3月17日>

 今日は、ぽかぽか陽気の22度。隨心院の梅も満開です。唐棣(はねず)の梅は5分咲き、3月29日の「はねず踊り」は綺麗でしょうね。
 下右の写真は、桜のつぼみです。開花もすぐです。

 隨心院の春、これから本番
   (ずいしんいんのはる これからほんばん)
    <撮影:2009(平成21)年3月10日>

 3月10日の隨心院です。3月29日の「はねず踊り」を前にして「唐棣(はねず)の梅」が咲き始め、多くの観光客やカメラマンが押しかけていました。
 ボンボリの右に見える桜のつぼみも膨らんでいます。桜の開花予想が3月27日ですので、梅と桜の花が同時に楽しめそうです。手前の木は、つつじとさつきです。
 4月5日(日)は、10回目の「小野市
(おのいち)が開催されます(雨天4月12日)。広場や寺内でお店や文化行事が催されます。
 昔、山科唯一のバス路線の「醍醐街道(だいごかいどう)」です。このあたり(東野橋)は、東野狐薮町(きつねやぶちょう)です。国道1号線、新幹線、醍醐街道などが交差する交通の要です。あとから来た「交通」が平気で縦断するので、こんなトライアングルになりました。
 写真右に見える川は、昔は音羽川と言った山科川と安祥寺川・四之宮川の三川が合流する場所です。小さい頃の遊び場でした。
 通過する新幹線は、
ドクターイエローの愛称の「新幹線電気軌道総合試験車(検測車)です。   

 隨心院の椿
  (ずいしんいんのつばき)
    <撮影:2009(平成21)年2月21日>

 山科盆地には、まだまだ山風が吹いています。小野・隨心院の梅は、3月中頃からが見ごろでしょうか。椿はそろそろという感じで、落下が始まりました。
梅を求めてあちらこちら。竹を借景に、ほぼ、咲ききった梅をパチリ。
この紅梅はこれからです。

 山科川(やましながわ)、ドンドン
    <撮影:2009(平成21)年2月14日>

 山科川は、山科を縦断する一級河川です。昔は、この写真、「ドクターイエロー」が走行する新幹線あたりから下流を「山科川」といっていましたが、今は「小山(こやま)」集落の伝統行事「二九(にのこう)」が祀られている所から下流を山科川と呼びます。昔は「山階小学校」付近の狐藪町(きつねやぶちょう)から上流が「音羽川」と言っていましたし、ちょっと前の国土地理院の地図にも記されています。また、桜並木が綺麗で、春になると「東野青年団」が中心となり、桜祭り(夜桜)で賑わいました。

 この写真付近は、「安祥寺川(あんしょうじがわ)」「四ノ宮川(しのみやがわ」とちょっと前まで呼んでいた「音羽川(おとわがわ)」の三川が合流します。京言葉では、この小さな堰(せき)から水が流れ落ちるところを「ドンドン」と言います。この堰から水が流れ落ちるところは少し深くなっています。大昔(半世紀前の頃)、子供達はこのドンドンで泳ぎましたし、魚もギョウサンいました。ヤツメウナギもいましたネ。

 最近は山科川の河川整備が進み、六地蔵までの散策道(遊歩道)ができたり、今は幼木でも樹齢何十年の「桜並木」になるのでしょう。
 山科川河川敷には、「落差工」「飛び石」「親水階段」「床固工
(川床が削られるのを防ぐために、自然石や樹木などで覆われる設備)」「農業用水取水口」などが施されています。
 2009年2月14日、近畿地方にも「春一番」が襲い、京都も 18℃と4月中旬の陽気となりました。
写真撮影中、河原を清掃する人を見かけました。「藤和(とうわ)不動産」と読めます。山科川に面した西野離宮町に、最近完成したマンション“BELISTA京都山科”を開発した不動産会社の方のようです。ご苦労さまです。

 二九 (にのこう * 「二の講」とも書く)
   <撮影:2009(平成21)年2月9日>

 700年近く、山科区 小山(こやま)地区で受け継がれている「山の神」を祀る伝承行事“二九(にのこう)”です。「二九」は「二の講」とも書かれます。)
 今年も「山の神」を祀ることができました。この1年、“藁(わら)の大蛇”が小山の集落を守ってくれます。そして記念撮影です。
 白石神社の神主○○さん(後列右から2人目)と、藁の大蛇の製作指導、いわゆる師匠の○○さん(後列右側)ほか、作業に当られた皆さんです。


 
見学者への解説やアマチュアカメラマンへのご配慮を戴いた皆さんです。感謝をこめてご紹介させて戴きます。ありがとうございました。
 白石神社(しらいしじんじゃ)神主のあと、太い孟宗竹に吊るした“藁の大蛇”を担いで町内をねり歩き、奉納場所へ運びます。
 この“藁の大蛇”は、音羽川から山科川に変わる「山科川起点」の堤防にある雄松
(おんまつ)の大木に吊り下げ、豊作や家内安全を願って奉納します。

 次に「藁造り」から「山の神」奉納までの写真を紹介します。見学の小学生は、校区の「大塚小学校
(おおつかしょうがっこう)二年生」の皆さんです。「藁(わら)」の説明に苦労されていました !!
「藁
(わら)って、何ですか ? 」
「稲
(いね)と、どう違うのですか ?」
 「二九(二の講)」のお気に入り写真

 平成21年の「二九(二の講)」のお気に入り写真です。この人達のお蔭で伝承行事が後世に伝わります。私(邦ちゃん)は、この写真に小山集落皆さんの温かさとユーモアを感じました。


   昨年の二九(にのこう)

 音羽川にも鳥がかえってきました。
    <撮影:2009(平成21)年1月26日>

 ゴルフ道の桜橋から見た「音羽川(今は、山科川の支流になっています)」です。鷺と思われる鳥の親子がくつろいでいます。サカナを啄ばむ姿を見る事ができます。
 昔の山科川や旧安祥寺川では、ごく自然な姿でした。
 なお、ゴルフ道の桜橋の袂にある酒屋さんで、是非とも純米吟醸清酒
ゴルフ道」を買ってください。冬の寒い日の「冷や」がいいですよ。
 ゴルフ道を通過する 新幹線“ ドクターイエロー ”

 ゴルフ道」とは、昭和のはじめに造られた“山科ゴルフ場”への道です。ゴルフ道の音羽川・桜橋から、かなりの望遠レンズで捕らえた“ドクターイエロー”です。
 1ヶ月に3往復の運行しかない“ドクターイエロー”を、ビルと家屋の間隙を、高速で通過する一瞬の姿は留めるのは、かなり「運」も作用します。正確な列車ダイヤグラムも入手してください。
    
<撮影:2009(平成21)年1月○日・曇り>

 山科郷士と注連縄
  (やましなごうし と しめなわ)
   <撮影:2009(平成21)年1月3日>

 
近世の山科の特徴は、「禁裏御料地(きんりごりょうち)」と「山科郷士(やましなごうし)」の存在でした。18世紀の郷士名調査では、160余名が登録されていたそうです。
 
郷士は、苗字を持ち帯刀も許されましたが、御所の警固などの役も勤めなければならなかったとの事で、ここの澤野井氏は、17代目だそうです。
 注連縄
(しめなわ)の内は清浄なところ、その外は外道という境界で、正月の神を迎える義といわれ飾られます。
 

 御神矢
   <撮影:2009(平成21)年1月1日>

 岩屋神社の御神矢(かみや)です。発祥は334年と伝えられる岩屋神社は、「山科一之宮(やましないちのみや)」とも云われます。名前の通り、神域は山科一体で大変広く点在しています。
 元旦祭には、開運招来の御神矢が授けられます。
 元旦祭は、あいにくのミゾレ交じりの天気でしたが、参道には参拝者の列が続きました。
 若い人の姿も、例年になく多いように思われました。

 たんぽぽ(蒲公英)
  <撮影:2008(平成20)年12月19日>

 椥辻の芹田の畦道に、たんぽぽが咲いていました。たんぽぽ(蒲公英・ほこうえい)は、キク科の多年草です。変異が多く、セイヨウタンポポが帰化し、そこの地名を冠した「カンサイタンポポ」「カントウタンポポ」「エゾタンポポ」など日本全土に20種以上が分布しているそうです。
 漢方では開花前に採って乾燥した葉を解熱や健胃薬など薬用に用いるそうです。
 1603年に発行された「日葡辞典」復刻版を図書館で見ましたら、「Tanpopo」が掲載されていました。  「葡」=ポルトガル(葡萄牙)

 山科盆地を疾走するドクターイエロー
  (やましなぼんちをしっそうするどくたーいえろー)
   <撮影:2008(平成20)年12月○日>

 黄色い新幹線が山科盆地を通過しました。通称“ドクターイエロー”という新幹線電気軌道総合検測車です。今日は博多から東京間を、「のぞみダイヤ」と同じ速度で運転され、軌道や架線の状態、信号、保安装置の作動状況などを測定します。快晴に恵まれ、黄色い車体が一層まばゆく見えました。
 東山トンネル東口から音羽山トンネル西口を約55秒で疾走しました。京都駅から東山トンネルの勾配10‰のあと、既に平均時速210/hです。

  ドクターイエロー

 “京・山科なす”の ゆるキャラ「もてなすくん」

 京野菜の“山科なす”のキャラクター「もてなすくん」人形の盗難被害が相次いでいると言うニュースを、MBS毎日放送や京都新聞で知り、写真を撮ってきました。
 このキャラクター「
もてなすくん」は、「山科地域商業ビジョン推進委員会」が山科駅前再開発事業10周年を記念して製作したそうです。
 ところが、「ゆるキャラ」ブームに乗ってか、キャンペーン期間中に関わらず、この「カワイ〜イ」キャラの盗難被害が相次いだそうです。今でも、旧三条通や醍醐街道の商店街で見る事ができます。
 写真は、旧三条通のケーキ屋さんの壁面に飾られていたゆるキャラ「もてなすくん」。


 山科の紅葉
  この雨で寂しくなります

 山科の紅葉は、12月5日の雨で侘しくなりました。
 明日は晴れそうです。落葉も綺麗でしょう。写真は、いずれも12月2日の撮影です。

 隨心院(ずいしんいん)門跡 本堂から庭を望む>
勧修寺(かじゅうじ) 宸殿。久方に三脚使いました。勧修寺の拝観料(入山料)は400円です。しかも三脚の使用も可能です。
岩屋寺(いわやじ) 門前のイチョウの絨毯。昨年から工事されていた庭が整備されていました。
大石神社(おおいしじんじゃ) 本殿。祝詞の上奏です。
七五三のおまいり(大石神社)
 <ちょっと足をのばして>
 醍醐寺 弁天堂
  (だいごじ べんてんどう)
   <撮影:2008(平成20)年12月3日>

 紅葉狩りも週末まででしょうか。山科からちょっと足を伸ばして、世界文化遺産の醍醐寺へは如何でしょうか。
 醍醐寺の総門から金堂(国宝)や五重塔(国宝)を通り、ゆっくり15分で弁天堂に辿りつきます。弁才天が祀られている弁天堂を巡る散策路があります。
 鐘楼堂の周りは、イチョウの海でした。

 醍醐寺は、伏見区です。

 山科本願寺土塁跡
   (やましなほんがんじ どるいあと)
    <撮影:2008(平成20)年11月29日>

 15世紀末、蓮如上人(れんにょしょうにん)が山科本願寺を築き、巨大な「山科本願寺寺内町」が形成されましたが、あまりにもテーマが大きいので、改めて報告します。
 写真は、現在の山科中央公園ですが、旧・山科郷「野村
(のむら)」でした。写真収集のため、先ずは土塁跡に行って来ました。樹木が茂るのが土塁跡です。
 元慶寺の秋
   (がんけいじのあき)
    <撮影:2008(平成20)年11月29日>

 天皇家ゆかりの寺で西国霊場番外札所の元慶寺は、隠れたる紅葉の穴場でもあります。竜宮造りの楼門前にも本堂の奥にある歌碑付近にも紅葉が広がります。
 「元慶寺」については、別掲しています。

   元慶寺

 朝日新聞(08/12/5)“ぐるっと秘仏”「西国三十三所」に、元慶寺が紹介されました。
   asahi.com 
      (c) The Asahi Shimbun 2008
        All Rights Reserved

  

 山科の紅葉狩り
  12月上旬まで楽しめますよ
   (やましなのもみじがり、
      12がつじょうじゅんまでたのしめますよ)

   <撮影:2008(平成20)年11月28日>

 毘沙門さんの紅葉です。勅使門の中段にある「イロハモミジ」の紅葉です。
 11月22日の写真と比べて下さい。1週間でこんなに染まりました。
 明日29日は快晴ですので、大勢の観光客が来られそうです。

 山科の紅葉狩り
  よろしいですよ

   (やましなのもみじがり、よろしいですよ)
    <撮影:2008(平成20)年11月22日>


 めっきり寒ぶなりました。山科の紅葉狩り(もみじがり)は見ごろですよ。勧修寺・大石神社・岩屋寺・日向大神宮・隨心院や、ここ 毘沙門堂(びしゃもんどう)など、イチョウの落葉のあとは紅葉(もみじ)です。
 明日23日(日)の毘沙門堂は、「千灯会法要」と「もみじまつり」がありますが、あと2週間は紅葉狩りが楽しめそうです。
 写真は、勅使門への参道階段です。朝9時、気合いを入れて撮影に行きました。

 
勅使門への階段を登ったところに、「山科区民の誇りの木イロハモミジ」が数本あります。葉に5〜7つの深い切込みがあり、その数を「イロハニ〜ト」と数えた事から名前がついたそうです。これから真っ赤に染まります。
撮影スポットの「勅使門への参道」前で、早朝、岐阜から飛ばして来られたカーマニアが写真を撮っておられました。お気に入りの写真が撮れたそうです。晴天の土曜日に撮影できるのはラッキーでしたね。

 山科の紅葉狩り、、
  もうちょっと 待っとくれやす

    (やましなのもみじがり、
       もうちょっと まっとくれやす)

     <撮影:2008(平成20)年11月13日>

 山科の紅葉(こうよう)は、只今、イチョウが綺麗ですがサクラは落葉中です。紅葉(もみじ)は、22日からの3連休が宜しいおす。写真のお好きな方は、さらに1週間ほど後になりますと、どこのお寺さんや神社も落葉が見事です。
 この写真は、11月13日の小野・隨心院
(ずいしんいん)です。イチョウは、「山科区民の誇りの木に」選定されています。
隨心院の書院や本堂へは、長屋門の横を通り、二条家の政所を移した庫裡(くり)から入ります。その前庭には見事な紅葉があり、「小町祭」にあわせてライトアップされます。また、小倉百人一首第九番「小野小町歌碑」があります。

隨心院の裏には、古くから“小町カヤ”といわれる「カヤノキ」や「カゴノキ」などが生い茂る森があり、「小町の塚」や「文塚(ふみづか)」があります。
 土壁の向こうに赤く光るのは火事ではなく、「小町祭」の期間中、ライトアップされる照明の準備作業です。寝殿造り風の本堂から、心字池の庭園に映る紅葉を望みます。

 隨心院の小町祭(こまちまつり)」は、11月15日(土)から30日(日)まで開催されます。期間中は、非公開寺宝の特別展示や夜間のライトアップなどが催されます。近くにある「勧修寺(かじゅうじ)」も、”源氏物語の夕べ”が催され、重要文化財の書院のが特別公開されたり、庭園のライトアップがあります。

 お火焚祭 (おひたきさい)
   <撮影:2008(平成20)年11月9日>

 伏見稲荷大社の火焚祭は全国一のスケールといわれますが、山科の各神社でも御火焚祭が11月の第2日曜日頃に執り行われます。
 西野山の折上稲荷神社(おりがみいなりじんじゃ)では、午前11時から祭典、湯立神事、火焚神事があり、一年の五穀豊穣を感謝し、すべての不幸を焚き上げます。
折上稲荷神社は、「伏見稲荷奥宮」として信仰されますが、境内には沢山のお稲荷さんが祀られています。
火焚祭は、檜葉(ひのきば)を盛り上げた火床に、神事で戴いた神火を移します。檜葉の上には、家内安全や万福招来など書かれた火焚串がのせられ、焚きあげられます。
ミカンが焼かれます。中風除けや風邪封じに効くといわれ、参拝者に振舞われます。フォイルにくるまれたサツマイモも沢山ありました。
西野山は、石器時代のの「中臣遺跡(なかとみいせき)」が発見されましたが、境内の左(鳥居が見える)には、稲荷塚古墳があります。「中臣群集墳跡」の碑があります。 <この写真は、11月6日撮影>

 元慶寺 (がんけいじ)
   <撮影:2008(平成20)年9月24日>

 只今、花山の渋谷街道 (しぶたにかいどう)を調べています。今日は元慶寺を散策しました。「西国三十三ヵ所霊場」の番外札所になっていますが、交通アクセスが少し悪いのでタクシーで参詣されていました。
 平安時代の天皇家ゆかりのお寺ですので、歴史の弱い邦ちゃんは、図書館でよ〜く調べてから「山科の里・名所旧跡」の稿で詳しく報告します。
 梗概を“広辞苑(新村出・岩波書店6訂版)”から転載します。


 「山科にあった真言宗の寺(今はガンケイジといい、天台宗)。868年(貞観10)陽成(ようぜい)天皇誕生の時、偏昭僧正の創建。9世紀には安然などが住みし隆盛。986年(寛和2)花山天皇は、藤原道兼に謀られ、ここに潜幸して出家、別称 花山寺(かざんじ)。」

 脚注
・潜幸(せんこう) → 天皇がひそかに行幸すること。
・偏昭
(へんじょう)僧正(そうじょう) → 紀貫之(きのつらゆき)撰の六歌仙や藤原公任(ふじわらきんとう)撰の三十六歌仙の一人
・877年(元慶元)、定額寺となり元号にちなみ「元慶寺」の寺号となり、「がんぎょうじ」と呼ばれた。
・定額寺
(じょうがくじ) → 一定数を限って特定した官寺
・応仁の乱などで焼かれ、現在の建物は安永年間(1772〜81)の建立という
・号は、華頂山
(かちょうざん)
・天台宗には珍しい「竜宮造」の山門。大原の里の古知谷にある阿弥陀寺(あみだじ)の竜宮造も有名。
・梵鐘は、「寛政九年(1797年)」の銘がある。

 
本堂には、本尊 薬師如来が安置されています。
竜宮造の楼門には、帝釈天、堅牢地神の像がありましたが、現在、府立博物館蔵との事。
山門横に「禁葷酒」の碑がありました。「葷酒(くんしゅ)」とは、なまぐさいものと酒の事。「葷(くん)」は、ひろく肉類もいう。
不許葷酒入山門
(くんしゅ さんもんにいるを ゆるさず
 禅寺などの山門の傍らに立ててある戒壇石(
かいだんせき・仏門に入る者に戒律を授ける式場。寺全体を戒壇とみてその門前に建てた石柱)に刻んである標語。修行の道場たる寺院の門内に葷酒の入るのを禁ずる意。
  <大漢和辞典・諸橋轍次編・大修館書店 1960より>


“山科駅”景象
  (やましなえき けいしょう)
 
 旧・東海道線の京都〜大谷(大津市)間の開通は、1879(明治12)年。線路は、稲荷 〜 勧修寺 〜 大宅 〜 大塚 〜 大谷と、25/1000‰の勾配をあえぎあえぎSLが登っていたそうです。
 42年後の1909(大正10)年、東山トンネルと逢坂山トンネルの開通をもって、京都 〜 大津間の新線が開通しました。

新・東海道本線(京都・大津間) 線路略年表 
 1921(大正10)年8月1日   京都〜大津間 路線変更 2複線
 1944(昭和19)年11月29日  3複線化
 1956(昭和31)年11月19日  京都〜大津間 電化完成、東海道本線全線電化完成 
 1970(昭和45)年2月23日  京都〜山科間 4線化、3月9日山科〜大津間 4線化
 1974(昭和49)7月20日    湖西線開通 

 
写真左は、1978(昭和53)年3月、山科疎水の諸羽ダム付近から山科駅前方面の様子です。1974年開通の湖西線(こせいせん)と同時に、この付近の線路は6線(東海道本線4線 + 湖西線2線)です。
 1967年開通の現・国道1号(五条バイパス)が渋谷方面に見えます。
 電車は、485系特急“雷鳥”です。

 
写真右は、30年後の2008(平成20)年11月撮影です。山科駅前再開発による「RACTO山科」などのビルが林立しています。電車は、同じく“雷鳥”ですが、新鋭特急電車です。30年も経ちますと、線路のり面の樹木が大きくなった様子がよくわかります。

山科駅の線路配置は6線ですが、逢坂山トンネル東口は「7線」です。
これは、山科駅の一番北側の線路(上り外の線路)が通過線となっており、逢坂山トンネルの手前で湖西線下り(湖西線・北陸本線では、金沢方面が下りです)と東海道本線(上り外)が分岐されますので7線となっています。
 分岐された湖西線(下り)は、湖西線・長等山トンネル内で湖西線下り線と一緒になります。これは、山科大築堤の勾配(10‰)を少しでも高速で走行する為の勾配緩和の一環でしょう。山科駅4番ホーム通過の際に減速しないで、逢坂山トンネルへ走行する為と思われます。
 図示すればよく理解できますので、詳しく研究されている鉄っちゃんに聞いてください。

 5秒ルール
  (ごびょうるーる)
  <撮影:2008(平成20)年9月12日>

 「5秒ルール」とは、迷信である食品のルールではありません。鉄道用語です。
 山科駅は、東海道本線と湖西線の大幹線が走っています。当然、過密なダイヤグラムですので、写真のような「五秒ルール」の標識を見ることができます。撮影した「5秒ルール標識」の場所は、東海道線4線・湖西線2線とポイント線の7線が見える所です。

 Y社のブログなどに記載されている書き込みの多くは、あたかも書込者の取材や資料調査の様に書かれ、引用には触れていませんので、以下、出典を明記し引用させていただきました。

 
JRの「5秒ルール」

  <“ABC(朝日放送)ムーブ! ムーブの疑問 2008年5月9日放送”のホームページより>転載

 国道171号とJR高槻の線路が重なる高架の近くの金網に「5秒ルール」と書いた立て札がかかっている。JRの「5秒ルール」とは、いったい何なのか?という疑問。

 JR西日本に聞くと、
「線路の検査などの作業を行う場合、線路で作業するグループとは別に、前方に列車の接近を知らせる列車見張員を配置します。「5秒ルール」というのは、そのとき、前方にいる列車見張員は、線路の点検などを行っている作業グループの見張員に無線機を使って、5秒に一度「異常無し」と安全のために交信をしないといけないルールのことです。
 この立札は、そのルールが適応される区間というのを、わかりやすく表示したものなんです。」と言う。

 なぜ、こんなことをするのか?
「万が一の無線機の故障等に備え、あらかじめ一定の間隔を決めて交信を行う必要があるからです。もし、5秒たっても連絡がこない場合は、作業を行っている人は、線路内から離れるというルールなんです。」と言う。

 なぜ、5秒なのかというと?
「30秒あれば、作業員は余裕をもって避難できると考えています。連絡が、途絶えたら変だと後方作業員が気付く秒数が15秒間と設定。10秒は、列車が見えてギリギリ逃げられる時間で絶対に確保しないといけない10秒で、30秒が安全確保の秒数ですから、あとの5秒が残っていて、5秒ルールということなんです。」とJRの広報は話す。

 この5秒ルールが作られたきっかけとなったのが、2001年1月にJR山陽線明石―朝霧間で、3名の保線作業員が、線路内で点検作業を行っていた。うち2名は危険防止のために見張りをしていたのだが、点検作業を行っていた作業員の1人が、快速電車にはねられて死亡するという事故が起こった。この事故を教訓に、2001年10月よりこの5秒ルールがはじまったのだという。

写真左は、東海道線4複線の表示。
写真右は、東海道線下り外側線を、大津方に向って徒歩点検する職員。
諸羽神社への参道です。このガードの上には、東海道線4線・湖西線2線とポイント線の7線が走っています。手前の2線(茶色)は煉瓦積みですが、大正10年の開通当時のものかは不明。
神社側のガード桁には、1971年製造のマークがある。1970年に4線化された当時のものと思われる。

 高速コンテナ貨物列車の
  お通りだ〜い !

    <撮影:2008(平成20)年9月1日> 

 山科の「鉄道写真お立ち台」の六所神社に来ました。先ずは、今日の「八朔(はっさく)祭」のお参りです。
 
大正12年以降、電化されるまでの山科大築堤はSL写真撮影地のメッカで、先人の名作が数多く残されています。
 この高速コンテナ貨物列車(5075・4078・4084)は、「東青森
(ひがしあおもり)」から「福岡貨物ターミナル」行きです。1935qを37時間49分で結びます。
 主な路線は、東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線・武蔵野線・南武線・東海道本線・山陽本線や貨物線を走ります。
 同じく、高速コンテナ貨物列車{5075・4078・4084)です。
 この日は、貨物列車と併走する下り快速電車(793)と、上り新快速(3476)が揃いました。 <撮影:2008年9月11日>
 同じく、高速コンテナ貨物列車(5075・4078・4084)と、併走する下り快速電車(783)です。 <撮影:2008年9月11日>
 「福岡貨物ターミナル」発 「札幌貨物ターミナル」行の高速コンテナ貨物列車(2070・3099)が通過しました。
 2128kmを、43時間20分かけて走ります。この貨物列車は、山科から湖西線・北陸本線・信越本線・白新線・羽越本線・奥羽本線・津軽線・海峡線・江差線・函館本線・室蘭本線・千歳線や貨物線を走ります。

 この貨物列車の最高速度は95q/hに設定されていますが、深夜に走っている東海道本線には「特貨電」と種別されている世界初の特急貨物電車が1往復あります。下りは、「東京貨物ターミナル」を23:14に出発、大阪・USJがある桜島線の安倍川口に翌朝5:26着で、6時間12分で疾走します。最高速度の設定は130q/h、「SRC(スーパーレールカーゴ)」の愛称があり、佐川急便が借り上げています。右の写真は、山科駅を通過する「特貨電 50」です。23時51分20秒ころ通過します。16両編成で約330mあります。撮影は、ホームの明かりが頼りですし高速走行のため大変困難です。2度目の挑戦ですがまだまだです。<撮影:2008(平成20)年11月7日>
 雑誌「
鉄道ファン(2008年12月号)」に、中野 旭氏が「夜間走行列車撮影記・スーパーレールカーゴを撮る 〜夜討ち朝駆け東奔西走〜」を執筆されていますが、京都駅を4:48ころ通過する素晴らしい写真が掲載されています。
 
左の写真は、高速コンテナ貨物列車(2070・3099)に併走する快速電車(780)と、下り新快速電車(3478)。<撮影:2008年9月11日>
東海道本線・東山トンネル(東口)にかかる石額(せきがく)です。
明治12年に開通した旧・東海道本線は、名神高速道路が走っている勧修寺から小野・大宅・大塚・小山と大きく迂回していましたが、25/1000‰という勾配のため、1921(大正10)年8月に現在の路線に切り替えられました。
この石額の揮毫(きごう)は、当時の神戸鉄道局長(のちに国鉄副総裁)の長谷川勤介氏によるものです。

 「
古今相照(ここんそうしょう)とは、昔と今を比べてみるという意味ですが、長谷川氏は土木技師でしたので当時の技術力を書に示されたんでしょうか。
 「
山紫水明(さんしすいめい)とは、東山の紫色と鴨川の美しい水の流れの情景をいいます。
出典は“成語林”によりますと、「江戸時代の文政年間、頼 山陽(らいさんよう)は、京都の鴨川のほとりに閑静な書斎を造って、自ら『山紫水明処
(さんしすいめいのところ)と呼び、東山三十六峰などを眺めながら『日本外史(にほんがいし)』を書いた」とあります。

 東山トンネル(1936m)は、北花山の六所神社の下を通っています。石額は、4複線(4本のトンネル)ある北側の2線にあります。写真撮影は、交通量が多い事とフェンスが高く脚立が必要ですのであきらめて、緑の樹木が少なくなる冬季に200mm位の望遠で、フリーで撮りましょう。
試験車でしょうか。
高速コンテナ貨物5075の運転手の姿です。
特急サンダーバード26号の運転手です。
普通快速電車の運転手です。 
特急サンダーバード27号の7分遅れと26号の2分遅れで実現した「サンダーバードの列車交換」。<撮影:2008年9月11日>
高速コンテナ貨物列車5075(4078/4084)と併走する快速793T。<撮影:2008年9月11日>

 六地蔵めぐりの“山科地蔵尊
  (四ノ宮地蔵尊)

  
(ろくじぞうめぐりのやましなじぞうそん)

 
四ノ宮の徳林庵(とくりんあん)に安置されている地蔵尊は、平安時代に小野篁(おののたかむら)が作ったと伝わる六地蔵の一つで、8月22・23日は、家内安全、無病息災、五穀豊穣などを祈願する「六地蔵廻り」の人々で賑わいます。
 木造の地蔵尊は、高さ2.6mもあり、いつも美しいお顔に見えるのは、百年に一度のお化粧直しをされるからだそうです。
準備が整った前日の午後(2008年8月21日)、撮影させていただきました。
六角のお堂の裏です。後ろからも拝むのでしょうか、浄財がありました。<撮影:2008(平成20)年8月22日>
平日でも早朝からの参拝者が絶えません。手前の井桁には、江戸時代、東海道を往来していた飛脚(ひきゃく)組合のマーク(今の日通のマーク)が刻まれれています。牛馬の水飲み場でもありました。
 
<写真は、2008年3月11日午前7時30分撮影>
22日午後から2日間は歩行者天国になり、参拝者が増えてきます。前日の21日午後2時頃なら準備も整っていますので、足の悪い方や当日都合の悪い方は、夕方までならタクシーで乗り付けることができます。
六角形の地蔵堂と徳林庵(臨済宗南禅寺派)。
お堂の裏には、仁明天皇(にんみょうてんのう)の第四皇子・人康親王(さねやすしんのう)と蝉丸の供養塔、手彫六地蔵が建っています。<撮影2008年3月11日>
三条街道の山科駅前から四ノ宮には、多数の屋台が並びます。午後2時現在、未だ準備中でした。<撮影:2008年8月22日・ 画像処理しています
地蔵盆(お地蔵さん)

 京都の各町内には、お地蔵さんがおまつりしています。夏休みが終わる22日・23日頃、楽しい「お地蔵さん」があります。子供達は一日中、お地蔵さんの前でおやつをもらったり、福引やゲームをして遊びます。この日ばかりは子供達が中心ですが、大人もご近所さんと子供の世話をしながら、飲んだりおしゃべりに夢中です。
 道路や路地(京都では「
ろおじ」といいます)は、車を止〜メンコ(とーめんこ)してお地蔵さんの前にテントを張っての「子供天国」となります。 <写真は1996年、山科の妙見道を北に入った東野にて。町内会長と子供会の了解を得ています> 
 

 「名神高速道路起工の地」と
 「旧東海道線 山科駅跡」碑

  (「めいしんこうそくどうろきこうのち」と
  「きゅう・とうかいどうせんやましなえきあと」ひ

   <撮影:2008(平成20)年7月28日>

 7月16日、外環状線・小野蚊ヶ瀬(おのかがせ)の名神高速道路の側道を西、小野小学校北に、日本で初めての高速道路「名神高速道路起工の地」と、明治12年開業当時の東海道線の山科駅「旧東海道線・山科駅跡」の碑が建てられました。
 なお、京都「市民しんぶん 山科区版」8月15日付によりますと、植えつけられた花は、小野学区自治連合会と西日本高速道路(株)が共同で管理されるそうで、ご苦労さまです。
 
 明治12年に開業した「東海道線」京都駅〜大谷(大津市)間は、現在の稲荷駅から山科・勧修寺・小野・大宅・小山と、大きく迂回をしていました。42年後の大正10年、土木技術の進歩により今の東海道線・新線が開通するまでは、連続する25/1000‰の勾配を登るSL達は、大変難渋したそうです。
 昭和38年7月16日、日本で最初の高速道路「名神高速道路」が開通しましたが、この東海道線の廃線跡が活用されました。
 「京都・山科・大谷・膳所・浜大津」の
旧東海道線・廃線跡は、「鉄っちゃん予備軍」で稿を改めます。
 地図は、「西日本高速道路梶vプレートの写真です。
 旧東海道線・山科駅です。停車中のSLが見えます。これから大谷駅(上り)まで、連続25/1000‰の勾配です。
 駅舎の左から白い築堤が見えますが、稲荷駅方面(下り)へも大変な勾配です。勧修寺・中茶屋へ25/1000‰です。

  写真出典は不明、世界文化社「明治の鉄道」2001より転載
民家の岡田さん宅に建立(保存)されていた「旧東海道線 山科駅跡」碑。7月に移転されました。
右のおうち(岡田さん)の前に碑が見えます。高速道路防音壁の上に見えるのが「名神起工」のモニュメント。
現在の同じ場所からの写真です。写真左下に碑が見えます。

 京野菜の“ 山科なす ”
  (きょうやさいのやましななす)
  <撮影:2008(平成20)年7月22日>

 
どうですか、このみずみずしい「山科なす」は。「山科なす」の写真を撮りたくて、山科の栽培農家の林 光男さんにお願いしたところ快く引き受けていただきました。ありがとうございました。
 「山科なす」は傷がつきやすく変色が早く、栽培が難しいそうです。形は、電球型といわれていますが、賀茂なすの様な丸いものや千両なすの様な長いものもできるようです。

 
 詳しくは、「山科あれこれ・山科のやさい」をご覧下さい。

 

 夏越の大祓い 茅の輪
  (なごしのおおはらい・ちのわ)
  <撮影:2008(平成20)年6月27日>


 平安時代、宮中で行われた6月の夏越
(なごし)と 12月の年越しの祓(はら)いが今も神事として残っています。
 6月の晦日
(みそか)、茅の輪をくぐって半年間に溜った身の災いや汚れを祓います。昔、蘇民将来(そみんしょうらい)が茅の輪を持っていた事で、疫病から身を守る事ができたという伝説があります。
 岩屋神社(山科一之宮)では、すっかり準備が整っていました。6月30日午後7時30分から、「水無月夏越の大祓式
(みなづきなごしのおおはらいしき)」が執り行われます。
 大祓式の後、直来
(なおらい)として、京都橘大学吹奏楽部による「夏越かがり火コンサート」も開催されます。
 この日は各神社でも「夏越祭り」「夏越大祓」が行われますが、東山・八坂神社では、一ヶ月続く八坂さんの祭り「祇園祭」が終わる7月31日10時に「疫神社夏超祭」が執り行われます。 
 水無月の菓子(みなづきのかし)

 夏越の祓(なごしのはらい)の日に食べるお菓子で、「氷」をかたどったものです。今も「氷室(ひむろ)と言う地名が多く残っていますが、夏に氷を宮中に運んだくらい、大変貴重だった「氷」を憧れ品として食べたのかも知れません。
 今では、老舗のお菓子屋さんでしか「葛製」にはお目にかかれません。この写真は、「ういろ」の上に小豆がぎっしりとのっています。節分同様に、豆は「悪鬼払い」のおまじないで、赤い小豆は赤に魔よけの力があるからだそうです。
 ベース部分の白いういろ(高級品は、葛
(くず))の白い直角二等辺三角形は、「氷片」を表しているそうです。
 小さい頃、こんな事を考えて食べたかなぁ。

 只今、“山科の里”は艶やかな桜で彩ります

    <撮影:2008(平成20)年4月4日>

 ただいま“山科の里”は、桜爛漫です。小学校や寺院など、古都の銘木が艶やかな姿をお見せしています。
 西野小学校
(にしのしょうがっこう)のシダレザクラは、昭和57年、開校1周年記念に植樹された若木ですが、京都市の学校名木100選の指定です。春休み中は学校が開放されていますので、駐車も可能。ちょっと、職員室の先生に声を掛けてください。あと2〜3日で満開でしょう。
音羽小学校(おとわしょうがっこう)の校庭には、行き届いた桜が取り囲んでいます。校門をはじめ、多くの桜が植樹されています。北校門には、区民誇りの木のソメイヨシノ(樹齢90年)があります。
 校庭で遊んでいた子供達が、撮影しているド素人のカメラマンの私を見て、「音羽小学校の桜って、有名なんやなぁ」と言っていた。そうです。有名です。昔の学校にはどこでも桜がありました。
創立120年の山階小学校(さんかいしょうがっこう)の樹齢90年のソメイヨシノ。ソメイヨシノの後ろには、区民誇りの木指定のイチョウ・クスノキもある。
西本願寺別院にお年寄りの参拝者がありました。記念写真の後ろからパチッ!
音羽前出町の高山邸の桜。区民誇りの木に指定されているが、周囲にはもう住宅が迫っている。この桜は、残るんでしょうか心配です。

 山科盆地・昭和5年
  
(やましなぼんち・しょうわ5ねん)

 1930(昭和5年)年の地図(陸地測量部・都市計画京都地方委員会・復刻版)が入手できました。(左)
 明治時代の山科盆地を知るうえで、明治22年実測地図(参謀本部陸軍部測量局)が有名ですが、昭和5年の地図と比べますと、東海道線が新線に切り替わった事、京津電車が開通した事、国道1号の新道などが伺えます。
 しかし、醍醐街道の幹線ですら「一本道」あたりは大きく迂回していましたし、「ゴルフ道」もありません。
 昭和5年の山科の人口は20,396人、世帯数4,322でした。今では人口7倍と大都会の様相ですが、歴史と文化が残る“山科盆地”を探索されては如何ですか。
 山科の名所・旧跡を訪ねるには、平城京と奈良街道、平安京と三条街道・東海道など、「古道」中心に点在しますので、「古道」を辿りつつ、「山科 名所旧跡」をご紹介してまいります。
 詳しくは、「山科 名所旧跡」をご覧ください。


 
二九・二の講・にのこう
二九(にのこう) <撮影:2008(平成20)年2月10日・大雪のため車で出かけられず、翌日の撮影です。>

 700年近く、牛尾山(うしおやま/うしおざん))のふもと小山(こやま)地区で受け継がれている「山の神」を祀る伝統行事です。長さ12mほどの藁(わら)で作った大蛇を、音羽川から山科川に変わる「山科川起点」堤防にある雄松(おんまつ)の大木に吊り下げ、豊作や家内安全を願って奉納します。
 今年も2月9日、大雪降る朝8時から「山の神の大蛇」が造られ、10時過ぎには藁細工
(わらざいく)を終え、13時頃には氏神さんに参拝しお昼を摂られたそうです。雪や寒さより準備が大変ですと、竹谷さんから伺いました。
大蛇のベロはリアルですね。目は橙(だいだい)です。
藁(わら)の胴体造りの技法は伝承されています。(来年こそ見学して詳しく報告します。)
シノブ竹を円形にして、シキビが巻かれています。
大蛇の「尾っぽ」は、芸術です。どうですか。
すっかり準備が整いました。(2月8日撮影)
集落で見かけた大きな橙(だいだい)の樹木です。

「藁の大蛇(わらのだいじゃ) ─ 老人が子等に語る山科風土記(山科区老人クラブ連合会)誌より 
  昔、京都の清水寺(きよみずでら)の奥の院 音羽山(おとわやま)の山上にお堂が建立されたのが、現在の牛尾観音として祀られています。山仕事やお参りされる方に、山の中腹 蛇壺の辺りで危害を加える大蛇が出没し、内海さんという方が、弓で射ました。村人達が藤づるなどでしばり、音羽川の下流まで引きおろし、芝で焼きました。現在、焼いた土地を「焼芝」と呼んでいます。これが「藁の大蛇」の由来です。
 毎年、2月9日には「二九
(にのこう)」、山の神とも言われますが、催されます。当日、大譲りを受けた者二名が当番で、翌年の二名も参加し、宮総代や古老、親戚の手伝いを受けて、藁の大蛇を造ります。
前日に、藁300束、松の小枝10kg、シキビ10kg、シノブ竹20本を用意します。
出来上がった蛇の口に紅を塗って、酒の粕を呑ませます。
太さ50cm、長さ12mの太い孟宗竹に巻き付けて飾り供養します。
 小山では、この日は、山の神様が種をまく日といわれ、山仕事が禁じられています。


 どんど焼き(どんど祭・左義長) 
    
<撮影:2008(平成20)年1月15日・八幡宮>

 
小正月の火祭りで、正月の注連飾り(しめかざり)、門松、古いお札(ふだ)、書初めなどを積み上げて焼く行事です。最近は、神社近くまで住宅が密集してきましたので、このような行事も少なくなりました。山科のある神社では、どんど祭は行われますが、注連飾りなどは焼却炉で焼かれます。古から、宮中で青竹を束ねて立て毬打(ぎちょう)を三個結び、扇子・短冊・吉書を添えて焼いた儀式が初めとされますが、伝統行事が簡素化又は、なるのは残念です。
 トント焼き・とんど焼き・ どんと焼き・トントン・左義長(さぎちょう)などとも云われます。
本八幡宮
本宮
前日、青竹が切り出され「どんど祭」の準備が終わりました。境内も綺麗に掃き清められました。
本八幡宮(山科区勧修寺) 「どんど祭式次第」 開式の詞
          先づ 修祓
          次、宮司一拝
          次、献饌 
奏楽
          次、祝詞奏上
          次、玉串奉奠
          次、撤饌 
奏楽
          次、散供
          次、大祓 奏上
          次、宮司一拝
          次、点火炊上 
以上
左義長(さぎちょう)とは、毬打(ぎちょう)を三つ立てたから「三毬打(さぎちょう)云ったからだそうです。
 1867(慶応3)年の「山城国宇治郡山科郷大宅村差出明細書」によると、山科の大宅村では、竹足36本、小竹244本、のぼり竹1本、計281本を毎年正月12日に御所へ献上したそうです。


 おせち料理(煮しめ)

 「御節(おせち)」とは、お正月やあらたまった時の特別な料理の事ですが、「組重」や「お重」ともいいます。
また、「煮しめ」ともいいますが、上品な「お煮しめたき」を略したのでしょうか。

 重箱の中は、家々によって伝承された「煮しめ」の種類や「味」があります。煮しめの3種は「ごまめ」「たたきごんぼ」「数の子」といわれ、「黒豆」と「いもぼう」も必ず作られます。
 「たたきごんぼ」とは、「たたきごぼう」の事で、「いもぼう(芋棒)」は、「海老芋」と「棒鱈(ぼうだら)」のたいたん(煮いたん)です。写真は、急ごしらえの煮しめの一部。

初詣の参拝者を待つ山科の一之宮「岩屋神社」です。
福矢やおたやんの準備もできた岩屋神社。
最近は門松を見る事が少なくなりました。山科大宅の森田宅にて。
写真の右が「たたきごんぼ」です。煮しめには、たたきごんぼが欠かせません。おふくろの味が2代にわたり伝承されています。


琵琶湖疎水(びわこそすい)
           <1964(昭和39)年撮影>
 琵琶湖疏水は1891(明治24)年、多額の費用を費やし当時の科学技術では空想に近いと言われる程の難工事だったそうです。疎水の役割は、水運、発電、飲料水、工業用水、農耕水、火災防水、精米水車など京都の近代化への一代プロジェクトで、先人の先見の明に感謝するものです。
 昔はこの写真の様に、
防護フェンスがなく、車両の通行も可能だった。また、ふざけて、友人と自転車ごとよく落ちたし、プールがない時代ですから、夏は一燈園から日ノ岡まで浮き輪で「流れた」または、流されたもんです。休憩は、プールともいう「舟溜」です。今も四季を通じて散策する人が多い疎水です。

中西一彌(なかにしかずや)著「琵琶湖疏水の散歩道 明治のロマンを求めて」<京都新聞出版センター・2003年>を推薦しますが在庫がなく、京都市図書館で閲読できるでしょう。               
0系12両編成 <1964(昭和39)年10月撮影>

 音羽山トンネル付近を走行中の開業間もない0系(ゼロけい)新幹線。当時の最高速度は220km/h、路盤が安定するまでの一年間は、東京・新大阪間を4時間要した。1年後、ひかり号は3時間10分、こだま号は4時間。
N700系16両編成 のぞみ100A
           <2007年(平成19年)7月撮影>
 最高速度270km/h(山陽区間は300km/h)東京・新大阪間を2時間25分で結ぶ(現行ダイヤは品川・新横浜駅を停車、通過ダイヤなら5分の短縮が可能だろう)。先頭の流線形ラインは、走行抵抗の低減に向けたエアロ・ダブルウィング形。撮影には横からのショットが綺麗。発車後270km/hに達する時間は、700系は300秒、N700系は180秒、まさしく、京都駅から6.4.kmのこの付近である。
<100A 京都駅6時14分30秒発、173秒後の6時17分23秒撮影、東京より469.9km付近>
山科は、鉄道写真の名場面を生むメッカ
<写真は故・黒岩保美氏から引用:1955年5月撮影>

 山科は鉄道写真のメッカであった、と言うのは、黒岩氏の写真の様に、電化前は架線がなく自由奔放の構図が可能だった。
 主な撮影地は、連続10/1000勾配を登る山科駅構内から、東山トンネルを出ると右にカーブを描く大築堤や北花山からの大俯瞰、琵琶湖疏水べりからの俯瞰など、多くの名画が残る鉄道写真名勝地です。
 現在は、東海道本線・東海道新幹線とも、住宅の密集や架線が邪魔し、「撮り鉄」を悩ましています。

今は、この写真の様に線路内に立ち入る事は絶対に出来ません。待避線であろうが側線であろうが、線路内には絶対に入ってはいけません。
 山科駅電化の頃のイラスト

 1956(昭和31)年11月、東海道本線電化の最後区間 京都・米原が完成しました。上の写真(故・黒岩保美氏)と同じ山科駅構内から、電化された下り線のイラストです。
 朝日新聞「学窓」頁のトップイラストに採用された私(邦ちゃん)の作品です。題字も私。<1960(昭和35)年掲載>

                                                 △このページのトップ 

     トップ旅ある記鉄ちゃん予備軍パチッ!今週の1枚写真横好きJazzとのおつきあい              Copyright 邦ちゃん“Furusato Yamashinanosato” ©2010. All Rights Reserved.