第54回別府大分毎日マラソン完走記
 形勢逆転 
〜普段着の走り・根拠なき自信〜
 
Adagio ma non troppo

今シーズン、一つの大きな目標は既に達成された。ほぼ2年ぶりとなる2時間40分切りを、 平成16年の福岡国際マラソンで果たした。 そして同じシーズン内のこの別府大分の課題は、もう一度2時間40分を切り、 出場資格を2年先まで延長することのみとなった。

なぜもっと上のタイムを狙わないのか。それは機が熟していないと見たからである。 さすがに自己ベストが2時間30分台に突入してからは、毎回のように記録更新というわけには行かなかくなった。

さらに上を目指すには、万全な練習環境、そしてモチベーションが揃わないことにはとても達成できない。 今はそれらが揃わないのだから、無理して狙うこともない。

あと2回、別大に出る資格を確保しておけば、それまでに狙える状況が現れるかもしれない。 そのためにも、今回はいかに少ない準備で2時間40分を楽に切るかが焦点となった。

いわば普段着の走りでもそれなりの記録が残せるかどうか。 目一杯着飾らないと2時間40分が切れないようでは、そこから先はとてもおぼつかない。

登山に例えて言うなら、今回は高い山への登頂を目指すのでなく、 アタック隊が出発するベースキャンプの位置を上げることが目標である。 こうしておけば、今後条件さえ整えば、アタック隊はさらに高い頂を狙うことができるだろう。

というわけで、2年前のこの大会で自己ベストを出した時に比べると、 今回は前年11月に270km、12月に190km、1月に280kmと練習量もかなり少な目だった。 また、大分・別府に向かう道すがらも、ホーバーに乗ったり高崎山のサルを見たりと、 ほとんど観光気分の実にリラックスしたムードだった。

 
Assai moderato

平成17年2月6日正午、生涯33度目となるフルマラソンのスタートを切った。 目標、2時間40分。ギリギリでいい、1秒だけでも切れればそれでいい。
大分陸上競技場のトラックを1周。タイムをチェック。1分30秒、よし。 キロ3分45秒のペースだ。まずはキロ3分40秒のペースで30kmまでなるべく楽に到達することだ。

競技場を出て、1kmポイントへ。ラップは…3分32秒!いかん、速い速い速すぎる。 これではオーバーペースだ。キロ3分40秒が目標なのに。少しずつ位置を下げたつもりだったが、 5km地点でもついに3:40までは下がりきらなかった。

6km地点、最初の給水ポイントだ。ここにはスペシャルは置かなかったので、 オフィシャルドリンクのペットボトルを取ろうとした。 が、手袋をしたままだったのでするりと滑って取り損ねてしまった。しまった、次は手袋を外して取らねば。

10kmの通過タイムも36分3秒と、予定よりかなり早くなってしまった。 そろそろ別大国道の海岸線が近づいてくる。どの集団に付けるかを決断しなくては。 自分の周りにもそれなりの人数はいたが、このままでいいのか、それとも前か、後ろか。

結局2年前ほどの大集団は形成されなかったが、間近のグループに命運を託すことにした。 頼むからいいペースで引っ張ってくれよ。集団の中での走りなら任せておけ。得意の操艦技術を見せてやる。

ところが海岸沿いに出てほどなく、異変に気が付いた。ん?風が弱いな…。
いや!違う!弱いどころか、追い風だ!
沿道ののぼりがはたむく方向を見て、それは明らかとなった。

これは困ったことになった。シナリオにはなかった話だ。 いつもなら前半向かい風のこの区間を集団後方で風除けして後半追い風に乗るつもりが、 これでは集団のばらけた後半で向かい風に直面することになる。 後半に風向きが変わるなどと都合のいい話もありえないだろうし。

シナリオを変更すべきか。既に15kmを過ぎた時点でも予定よりかなりのオーバーペースだ。 後半落ち込むのが必至となれば、追い風の今のうちに貯金を作っておきたいところだが、無理は禁物だ。 貯金はタイムではなく体力で残すべき。 そう判断し、予定通り30kmまでは出来る限り無理をせず体力温存で走ることにした。

 
Allegro ma non troppo

長い海岸線がようやく終わり、別府の街が近づいてきた。中間点通過は、1時間16分39秒。 2週間前の高槻シティハーフの不振(1時間21分)が嘘のようだ。 残り半分を1時間23分で行けばよいのだから、だいぶ楽な話だ。 残りをキロ4分で行けば届くところまで、もう少し頑張ろう。


今回は所属チームこそ違え、関西で顔見知りのラン仲間が何名か応援に来ていた。 この別大で知った人達から応援されるのは初めてだ。ありがたいことだ。 前の集団から若干離され気味だったが、応援の力を受けて何とか踏みとどまった。


やがて対向車線が慌ただしくなりはじめ、先頭集団とすれ違う。 早いとこ折り返したいが、まだだいぶ先の話だ。実業団ランナーから市民ランナーのトップクラスへ、 そして見知ったランナーとすれ違いはじめて、ようやく折り返し。


回頭、面舵一杯、進路170。さあ大分へ戻ろう。
そして折り返しのあとにすれ違ったランナーはほとんどいなかった。 それもそのはず、折り返し手前の25km関門は、自分でもわずか2分弱の猶予しかなかったのだから。


続いて26kmの給水ポイント。2年前に接触・転倒してしまった因縁の場所だ。 給水テーブルに入る前から、周囲のランナーとの距離とナンバーを確認。 スペシャルテーブルはナンバーの下一桁ごとに置かれているから、 前のランナーがどのテーブルに接近してくるかは予想が付く。 9番のテーブルに慎重にアプローチし、確保。過去の悪夢を一つ、取り払った。


そしてまた復路の別大国道海岸線へ。 予想していたとおり、行きの追い風が今度は向かい風となって襲いかかってきた。 いよいよマラソンの本当の闘いの始まりだ。


ただ、ここまで自重してきたつもりなだけあって、急激なペースダウンは免れ何とか踏みとどまっていた。 逆に、今まで先行されていたランナーを徐々に逆転しはじめた。定刻の逆襲は今日も健在だ。


それでも単独走の消耗は激しい。このままではジリ貧になってしまう。弱った。 そのとき、偶然にも数人の集団が後方から追いついてきた。 付いていけないほどのペース差ではない。これは風除けに使わせてもらおう。 わずかにスロットルを踏み込み、集団後方にピタリと付けた。


結果的にはこれが正解だった。向かい風のロスを防ぎ、崩れかけたリズムを取り戻した。 キロ3:50まで落ちかかっていたペースがまた3:40台前半まで持ち直す。 そしてペースの落ちてきた前方ランナーを次々と捉える。まさにこれは救援部隊であった。


35km手前、前方に見覚えのあるピンクの帽子。「めっちゃええちーむ」のぶちやん師匠だ。 持ちタイムは私よりはるかに上だが、向かい風の単独行で消耗してしまったのだろうか。 徐々に近づき、並び、ついに抜き去った。海岸線はそろそろ終わりを告げようとしていた。

Molto Vivace

なぜこんなに意外なほどに調子がいいのだろう。我ながら不思議であった。 2年前に比べ、練習量は圧倒的に少ないし、気象条件もそれほどいいわけでもない。

思い当たるとすれば、昨年12月に福岡、防府、さらには加古川伴走とフルマラソンを3本も走ったこと。 これが練習とすれば確かにかなりの走り込みだ。レース前の月曜日には針小路さんに鍼を打ってもらった。 加えてたまたま仕事の都合で水曜日から金曜日までは出先からの直帰で、久々に平日夜ランの調整が十分にできた。

中でも、一番大きかったのは、「多分2時間40分は切れるだろう」という根拠のない自信であった。 40分切りは初めてのことではない。この前の福岡でもできたのだから今回も余程のヘマをしない限り大丈夫だろう。 別大のこの厳しい関門、向かい風での走り方も経験済みだ。やはり、経験しているかどうかの差は大きい。

いよいよ残り5kmの看板が現れた。 当初、1キロだけでも引っ張ってもらえれば、と思って加わった「救援部隊」での進撃がいまだに続いていた。 この辺りで、ふぢやんや北摂URCメンバーからの応援を受け、さらに士気は上がった。

40km手前、またしてもピンク色の帽子。「めっちゃええちーむ」のG氏。彼とは持ちタイムはほぼ同じ。 しかもこの前の福岡でも、前半大幅に先行を許しながら競技場直前で追いついていた。 まさかここでも同じ様な展開になるとは。

うぉりゃぁ、ここまで来れば行けるとこまで行ってしまえ、ガンガンに釜炊け、 ペラが折れるまで加速じゃぁぁっ!!
35-40kmのラップ19分15秒は、この区間での過去最高記録であった。

舞鶴橋手前の上りもそのままの勢いで突入。2年前にキロ4分近くかかった41kmのラップを、3分46秒でクリアした。 もう競技場は目の前だ。記録は、37分台か。自己ベストまでもう少しに迫っている。

2年ぶりに帰ってきた競技場を楽しむ余裕もなく、時計とのにらみ合い。 ギリギリで2時間37分が切れそうだ。サングラスを外す事すら忘れて、フィニッシュラインを越えた。

 5km:  18:05
10km:  36:03
15km:  54:23
20km: 1:12:39
HALF: 1:16:39
25km: 1:31:09
30km: 1:50:04
35km: 2:09:27
40km: 2:28:42
GOAL: 2:36:56

記録2時間36分56秒
104位(完走165人中)

この程度の準備でも、これだけの記録が出せたことが大きかった。 もし心身共にもっと十分な準備が出来れば、さらに高いところも狙って行けるだろう。

2年前のこの大会で自己ベスト更新して以降、故障もありやや停滞気味であったが、 このレースを機に、さらなる前進を続けよう。そういう気にさせるレースだった。

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