【かすみがうらマラソン完走記】2000.04.16

  『威風堂々』
〜FRUNの旗の下で〜


予兆は、全くなかった。去年の福知山以降、月間300kmを超えたのは12月の1回のみ。 あとは月200km前後で、特に調整もなし。確かに3月の篠山ではいい記録を出せたが、 あれは単にペース配分の見直しによるものであって、むしろ後半キロ4分で走りつづけることの困難さを実感していたところだった。

それにも増して、レース前木曜日から連続で酒席が続き、しかも前日が一番飲んでいおり(^^;、 とてもじゃないが記録を狙うという状況ではなかった、はずであった。

ただ、今回は一つの実験をしてみようというつもりはあった。 キロ4分でどこまで走りつづけられるのか、という実証を。 30kmまでは保つということは丹波高原で確かめられたので、それが32kmで終わりなのか、 35kmで終わりなのかを体験しておきたかった。

これは、日本記録を出した犬伏選手のコーチが言っていた、 「マラソンはキロ3分でどこまで走れるかの勝負だ」 という発想をそのまま拝借しただけのものである。 フルで2時間50分を切るためには、キロ平均4分1秒で走らなけらばならない。

そして今回、偶然にも好条件が重なった。 本来、4月後半ともなればフルマラソンにはちょっと暑すぎる気候。 ところがちょうどレース前日に冷たい雨。雨は直前に上がったが、気温は低く、天候も曇。 例年は風が強いそうだが、それほどでもないようだ。

さらにコースが、前半多少の高低差があるものの、後半は霞ケ浦沿いでほとんど平らになっている。 福知山も平らだとはいわれるが、実は福知山の後半は、 往路では何とも感じないが復路ではとてもいやらしいアップダウンがあり、 この前もそこでつかまって足に来たのであった。

さて、いよいよスタートが迫る。並び順がどうなっているのかわからないまま、 かなり前方に位置することができた。スタートロスも10秒程度だったので無視することにした。 目標設定、キロ4分。徹底的に維持せよ。

最初の1kmが3:56。スタートロスも早くも帳消し。少し速すぎるかもしれないが、 混雑していても流れはよいのでそのまま乗っていくことにした。

2kmほどで早くも10マイルの最後尾に追いつく。10マイル右側、フルは左側。 速さの違うベルトコンベアが2枚、流れていくこと数キロ。 右手のFRUNメンバーを追いぬきながら進む。途中でD氏に抜かれた。は、速い。 さすがについていけない。これが唯一のフルのFRUNメンバーとの遭遇だった。

10マイルのコースと別れてしばらく行くと、 後方からゼッケン43番の盲人ランナーが抜き去っていく。しばらくは引き離されていたが、 12km地点あたりで並んだ。どうやらキロ4分をわずかに切るペースで走っているようだ。 ちょっと速すぎるかなという不安はあったが、このペースについていくことにした。 これが今回の重要なポイントであったとは、この時点では知る由もなかった。

このランナーの伴走者は、脇で見ていてとても参考になった。 「前方、緩やかな上り、100メートル」
「9時の方向へカーブします、5,4,3,2,1,はい」
なるほど、この案内はわかりやすい。私もついでに案内を聞いていた。 走るだけだと飽きてしまうが、これなら気が紛れる。

今回のコースはかなり給水所が豊富だ。気温も上がってきたので、 毎回取ることにした。水とエネルゲンを交互に取っていった。

そうこうするうちに、早くも中間点がやってきた。 中間点通過タイムが1時間22分54秒。1:24の予定だったので、 ちょっと速すぎるが、このままついていくことにした。

中間点で伴走者が交代。話によると、 盲人ランナーは単独走が早々に一人通過しただけらしい。 とすると、この組は盲人の部トップクラスではないか。 えらいランナーについてきてしまったようだ。

ここで盲人ランナー組に小さなトラブル。 持っている時計のラップの数が足らず、1kmごとの計測をやめて5kmごとにした様子。 自分の時計は十分計れるので、差し出がましい気もしたが、 1kmごとにラップを読み上げて伝えることにした。

「4分1秒」「4分2秒」「4分4秒」…見事なイーブンペースだった。 そして、このラップ読み上げの仕事をこなすということは、 このペースについていくということであった。

25kmあたりで、別の盲人ランナー・ゼッケン33番が追いぬいていった。 外国人選手で、ひもなしで外国人伴走者が指示している(もちろん外国語)。 一瞬、こちらについていこうかとも考えたが、 特にペースが落ちていたわけでもないので、見送る。

ゼッケン33番はしばらくはかなり前方になってしまったが、 30km付近で再び迫ってきた。あちらさんのペースが落ちたのか。やがて抜き返す。 やった、逆転成功だ。他人事なのだが、なんかうれしい。 そして、このドラマを目撃しているということは、まだついていけているということであった。

30kmの通過タイム、1時間58分37秒。何と、丹波高原の記録2時間4秒を上回っているではないか。 でも、足はまだ何とかもちそう。ここからが、勝負だ。

コースの方は、このあたりで霞ケ浦に最接近する。風は、 確か「後半は追い風になるから楽ですよ」という伴走者の案内を聞いて期待していたのだが、 やっぱり向かい風ではないか。話が違うぞ、と思いつつも、 後ろについてしっかり風よけはさせてもらった。

35km付近。さすがに魔の35kmといわれるだけあって、かなりきつくなってきた。 もうついていけないかな、と思いはじめたそのとき、伴走者が、私に、声をかけてくれた。

「リラックスして、いいリズムで走りましょう」
「は、はい」

なぜか急に走れる気がしてきた。そうだ、いつも腕を曲げすぎているから、 もう少し伸ばしてよく振ろう、この前ランナーズに載っていたフォームは、 足を鋏のように動かす、へそを前に出して、腰で走る感じだったっけ、 とやっているうちに、またリズムが戻ってきた。 頭の中では、パッヘルベルのカノンの旋律が流れていた。

あと5kmの標識が見えた。カウントダウンが始まった。 残りはいつもの昼休みランと同じ距離だ、と自分に言い聞かせる。 足は…まだいける!

40km通過、2時間39分53秒。ここでようやく50分切りを意識した。 それまではペース維持が精一杯で、残りをキロ何分で走れば…という計算をする余裕はなかったのだ。 残りキロ4:30でも十分余裕はあったのだが、ペースはむしろヒートアップした。

長い間共に走ってきたゼッケン43番をついに振り切り、飛び出した。 前にもランナーが数人いる。あれを追い抜くんだ、あれが50分だ、 あれが目標のB氏だと自分に言い聞かせながら、駆けた。

41km付近、FRUN仲間のU氏らの応援ポイントだ。 「50分、切れるぞ!!」の声援を受け、敬礼で応える。 これから応援に向かう途中のFRUN10マイル出場者ともすれ違う。 予想以上に帰ってくるのが早かったということか。

会場目前。「50分切れますよ」という声がかかり、大きくうなずく。 こんな声をかけてもらうのは、当然のことながら初めてだ。 最後のトラックも爽快に駆け抜けた。 「よっしゃー」と思わず声が出るゴールだった。

不思議と、福知山よりも、篠山よりも、疲れは軽かった。 最後にあの盲人ランナー組にあいさつしたかったので、その場で待っていた。 程なくゴールされたが、何とテレビの取材を受けているではないか。 やっぱりすごいランナーだったんだ、と改めて驚く。

取材が終わるまでしばらく待つ。その間、会場には威風堂々行進曲第1番が流れていた。 まさにこの高揚感にふさわしいテーマ曲だった。 やがて取材も終わり、三人でかたく握手を交わした。至福のときであった。

FRUNサイトに戻ると、先にいたのはD氏のみ。お互いに部門別6位入賞という栄誉だった。 レース中は悩まされた風も、今はFRUNの旗を堂々とはためかせていた。


記録 2:48:36(net2:48:24)
総合 53位(5767人中)
部門別 6位(29歳以下男子581人中)

後日談…多くの時間を共に走ったゼッケン43の盲人ランナーH氏は、 このときの
記録により、2000年シドニーパラリンピック出場が決まった。

また、翌2001年の別府大分毎日マラソンにも、オープン参加ながら盲人選手として初の出場を果たした。



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