我が町西陣界隈
浄福寺通りの上立売から寺之内通りの間に
新しく敷かれた石畳の舗装路です。
下水道のマンホールや取水栓までコーディネート
されていると言う懲りようです。
西陣の再生を目指した運動の一環で
計画された様ですが本当に素敵です。
石畳の舗装路に合わせて取り付けられた
和風の街路灯です、夜は大変明るく
防犯上も完璧です、この通りだけ全く
違う空間に迷い込んだ様な錯覚に
襲われます。
手織りを中心とする伝統文化の振興と西陣を再生させる活動をされている織成館(おりなすかん)です
北隣にあるショップで色々と販売もされています。
館内では織物や能装束の鑑賞ならびに工場見学
手織り体験ができるようです。
地域の皆様、特にお年寄りの憩いの場と
なっています、石像寺(釘抜きさん)です
苦を抜くから釘抜きとなまったとされています。
千本通り上立売上る東側に在ります
中に入ると大きな釘抜きがあり、体の痛い
所と釘抜きを代わる代わる触ると痛みが
とれると言う事で信仰を集めています。
京都市が立てたお寺の紹介看板です
これによると弘法大師によって建てられ
後に歌人の藤原定家、家隆の住まいで
在ったとか書かれています。
岩神さん、と言う名前で親しまれている
岩上神社です、上立売通り浄福寺西入る
北側にあります、二条城にあった大きな岩を
運んだとか、色々謂われが在るようですが
今は大きな岩が奉られているだけです。
釘抜きさんの中門入り口です、中央にある
のが大釘抜きで、皆さんが触るので
光り輝いています、お年寄りの社交場と
なっているのは中に入った所にある
休憩所です。
色々な祈願をされた方が奉納された
釘と釘抜きです、お堂の壁一杯に張られて
います、これも古い物から順番に張り替え
られているようで下の方は新しい物が
あります。
北野天満宮(天神さん)の石の大鳥居です
i今出川通御前西入るにあります・
毎月25日は縁日があり、色々な露天商や
植木市等で賑わいます、中でも骨董のお店には
外国人の方のファンも多く珍しい物をゲット
出来るかも知れません。
参道に鎮座まします、牛さんです何体か
在りますがこの牛さんは真っ黒の石で出来て
います、信仰心の厚い人たちの手で触られる
ので黒光りしています。
本殿入り口の御門です、只今改装中で中に
入ることは出来ませんが、この御門の屋根の
桧皮葺は完成したみたいで、とても綺麗
今年の4月の終わりには仮本殿からご神体が
移されるそうです。
本殿入り口の御門の東側にある灯籠に彫刻
された大黒様です、お顔の真ん中にある小さな
穴に石を乗せられたら良い事があるそうですが
沢山の方が挑戦されるのですり減って今では
もう石を乗せるのは不可能かもしれません。
太閤豊臣秀吉が催した有名な北野大茶会の
顕彰碑です、今はまだ周辺整備中ですが
周りが綺麗になると天神さんの新しい名所に
なるのでは無いでしょうか。
日本の落語家第一号とされる、露の五郎兵衛の
顕彰碑です、この人は京の町のあちらこちらに足跡を
残されていますが、この天神さんの境内でも説法された
ようです、一番新しい天神さんのモニュメントです。
建勲神社(たけいさおじんじゃ)の木製大鳥居と碑文です
我々は親しみを込めて「けんくんさん」と呼びます。
船岡東通り北大路下る西側にあります。
裏山が市民憩いの船岡山になっています、小さい頃は
良く山の中で遊んだモノです、この神社は戦国の武将
織田信長が奉られていますが、大変静かで落ち着いた
所です、廟の前からは東の大文字が正面に見えて、以外と
五山の送り火鑑賞の穴場かも
源氏物語で有名な紫式部の墓所です
堀川通り北大路下る西側にあります。
車が行き交う大きな通りにひっそりと
人知れずこの碑が建っています、
注意しないと見過ごしてしまいそうです。
奥まった所にある紫式部のお墓です
本当にこぢんまりとしたたたずまいです
結構訪れる方があると見えて、綺麗なお花が
生けてありました、入り口に雑記ノートが
あるので訪れた方は何か書いて帰りましょう。
晴明神社です、堀川通り一条上る西側です
本殿入り口は堀川通りの一つ西の道にあります
陰陽師として有名な安倍晴明が奉られています
我々には子供の名前を付ける時にお世話に
なりますので姓名さんと言うイメージがあります
晴明神社の由来書きです、表通りから
一筋入った所にあるだけでとても静かで
雰囲気のある神社です9月23日の礼大祭
にはお稚児さん行列が大変可愛いです
御本殿入り口の鳥居です、こぢんまりしていますが
立派な石造りとなっています、最近は観光客の
姿も結構見られるようになりました、境内では
近所の子供達が遊んでいます
称念寺(猫寺)です、寺之内通り浄福寺西入る上るに
あります、このお寺も私の子供の頃からの遊び場
でした、昔からペットの供養をしてくれるお寺と言う
ことで猫寺で通っていました、久しぶりに前を通ったら
門が綺麗になっているのにビックリしました。
猫寺の由来書きです、あちこちのお寺や神社に
建てられていますが京都市もなかなか粋な事を
やりますね、観光客の皆さんがマップ片手に
この様な所まで訪れる様になるとは夢にも
思いませんでした、写真を取りに行った日も
一人自転車で訪れた青年に会いました。
猫寺の境内にある立派な松の木です、忘れていましたが
子供の頃にこの辺で遊んだ記憶が甦ってきました
手入れが行き届いたこの松は何歳位なのでしょうか
幹の太さからすると、相当の年月が経っているようです
人形寺で有名な宝鏡寺です、寺之内通り堀川東入る
北側にあります、全国から供養のために沢山の人形が
今でも送られて来るそうです、私も押入に閉じこめられ
ていた、人形を納めに行ったことがあります
宝鏡寺の由来書きです、このお寺に納められている
数々のお人形の中でも雛人形が有名ですが
何でも夜にお供を連れてお寺の中を歩いて回られる
そうな・・・・
一条戻橋です、堀川通り一条東入るにあります
この橋を渡るとまたこの橋に戻ることが出来るそうです
京都から戦争に行かれた兵隊さんは皆さんこの橋を渡って
出征されたそうです、大変立派な石造りの橋になってますが
以前は随分くたびれて汚い橋でしたが、道路の拡張に伴い
掛け替えられました、以前の戻橋の一部が晴明神社の境内に
置かれています
戻橋の由来書きです、京情緒たっぷりの柳の木の下に
建てられています、交通量の多い堀川通りの側にありますが
何故かホッと一息を付けると言うか落ち着いた雰囲気が
あります
太閤豊臣秀吉が都の守りの為に築いた御土居です
北野天満宮の北側にあります、私の子供頃には
この御土居で遊んだモノです、この様に整備されておらず
むき出しの斜面で竹スキーをしたり、上り下りして
体中土だらけにして帰って、怒られたものです。
洛中に築かれた御土居の説明書きです、
最近また新たに北区の方で御土居の一部が
発見されたそうです、やはり京都は歴史の宝庫です
西陣の地名の由来となった応仁の乱で
幕府の西に陣を張った山名宗全の屋敷跡とを
示す石碑と由来書きです
堀川通り上立売り一筋下る西入る北側に
あります、町屋の真ん中にも史跡がある
さすが西陣ですね
引接寺(千本えんま堂)です、千本通り寺之内上る
西側にあります、子供の頃の遊び場の一つですが
今は駐車場になってしまって境内が随分狭くなって
しまいました、ここの地獄図はとても怖くて気の弱い
私は半べそ状態でした。

境内に咲く桜は普賢象桜と呼ばれる珍しい種類で
花の中に葉っぱが二枚あり、あたかも象の牙のように
見えるために名付けられたそうです。

毎年5月に行われるえんま堂狂言の
案内板です、本堂の北側に舞台が造られて
演じられますが、ここの狂言は珍しいセリフ付き
で滑稽な演目も多く大変楽しいモノです。
大報恩寺(千本釈迦堂)です五辻通り
七本松東入る北側にあります、普段は
大変静かで落ち着いた所ですが
12月の大根炊きの時は全国から人が
集まりとんでもない人出となります、
無病息災を祈って戴く大根炊きですが
物価にともなって高騰しました。  
千本釈迦堂の中にある阿亀像(おかめさん)です
ふくよかで暖かい眼差しで参拝者を迎えてくれます
この像自体はそう古いモノではありませんが
地域の人には釈迦堂のおかめさんで通っています。
千本釈迦堂の境内に咲いている大きな桜の木です
おかめさんの名前にあやかって「阿亀桜」と
命名されています、それにしても立派な枝垂れ桜です
京都市考古資料館です、今出川通り大宮西入る北側に
あります、京都で発掘された遺物の展示がされています
地味な分野なのであまり人影を見かけませんが
以外と穴場かも知れません。入館料は必要ありませんが
月曜日が休館です、開館時間は午前9時〜午後5時
入館は午後4時半までです。
京都の古い花街上七軒の中にある上七軒歌舞練場です
御前通り五辻下る東側にあります写真は上七軒の花街
からの入り口です、4月に始まる北野踊りに向けて
飾り付けがされています。
歌舞練場の入り口です、中庭には鯉が泳ぐ池が
あり、夏になるとピアガーデンがオープンします
芸妓さんや舞妓さんにお酌してもらえるかも
岩神様のご神体、大岩です民家のすぐ裏にありましたが
今は周りが開発されて日の当たる場所に出てまいり
ました。
西陣散策の折りには是非お立ち寄り頂きたい
と思っております。
雨宝院(西陣聖天さん)です、弘法大師がお奉りされております
地元ではしょうでんさんと、呼ばれています、小さな敷地の中にお花が
一杯です、八重桜が中心ですので遅くまで桜が楽しめます
五色椿も大変綺麗です。
雨宝院の由来書きです、桜の時期には地元の人は
もちろん、沢山の観光客の方も訪れます、
穴場中の穴場ですから、歩いて来ないと無理ですけどね
雨宝院の桜の中でも大変珍しい御衣香
(ぎょいこう)と言う品種です、遠くから見たの
では解らない緑色の花が咲きます、
この品種は黄色っぽいモノから薄緑色の
モノまで様々ありますが、ここの御衣香は
特に緑が濃い事で有名で写真好きの方が
入れ替わり立ち替わり来ておられます。
緑が強いのは最初の頃で満開を過ぎて
散り始める頃には中央部から淡いピンク色
を帯びて何とも可憐に変身します。
最近復元された天井絵です
えんま堂の本堂は昭和52年に火災で焼失しましたが
本堂そのものは数年後に復元されました
この度天井画が新しく完成しました、天井を飾る
70枚の絵はえんまさんのイメージに反して
極楽をモチーフとしているそうです5月1日
から一般公開されます。
浄福寺通の石畳    岩神神社    釘抜きさん   北野天満宮

  
建勲神社   紫式部墓所    晴明神社    猫寺(称念寺)  

人形寺(宝鏡寺)    一条戻橋    御土居    山名宗全屋敷跡

千本えんま堂    千本釈迦堂    京都考古資料館    上七軒歌舞練場

西陣聖天さん(雨宝院)    今宮神社祭礼    五辻殿跡

首途八幡宮     浄土院
西陣の氏神様である、今宮神社の祭礼です
以前は5月15日に行われていましたが現在は
15日に最も近い日曜日に変更されました
当日巡行される御輿は3基あり、左は「あぐい」
御輿です。
この他にも子供御輿、山車等が練り歩きます。
今宮神社の祭礼に登場する御輿は昔、力自慢の男達に
よって担いで各町内を巡り歩いたモノです、広い範囲を
長時間に渡って練り歩くのは大変な労力で時代の流れとともに
台車に据えられて引いて回るようになりました、
右の写真は「鷹峯」御輿です。
左の写真は「大宮」御輿です、力自慢と言えば
剣鉾と言う5〜6mはあろうかと言う大きな鉾の
先に鐘が付いた様なモノを一人で立てて練り歩く
人がいましたが、現在その技を継承する人も絶え
たようで数名の人が横にしたまま巡行に加わって
います。
私の店の前の通り「五辻通り」の語源になったと
言われる五辻殿跡の石碑です、今ではハッキリしませんが
その昔、この御殿が建っていたのはこの石碑よりもう少し
東の方だったようです
五辻殿跡に立っている高札によると後鳥羽上皇の
生母と弟によって造営されたと書かれています
まさに歴史ろまん!!
首途八幡宮は元の名を「内野八幡宮」と
呼び宇佐八幡宮より御神霊を勧請し
祀られた社だそうです。

首途は「かどで」と読みますが
これは、この地から源義経が奥州へ
旅だった故事にまつわる言い伝えの
ようです。

昔は9月14〜16日のご祭礼の日に
なるとにぎやかな夜店が立ち並び
それはそれは華やかでしたが今は
静けさを取り戻して非常に落ち着いた
雰囲気が漂っています。
その落ち着いた雰囲気を打ち破るような
出来事がおこりました。

今年の大河ドラマ「義経」で一躍脚光を
浴びカメラを下げたツーリストの団体が
ぞろぞろと参拝されるようになりました

右は源義経が首途(門出)したことを
記した碑です。

千本今出川交差点を少し西に入った所の北側にある浄土院です
この「浄土院」、通称「茶くれん寺」の名前の由来は安土桃山時代にさかの
ぼります。京の都は秀吉によって周囲に御土居が築かれだいぶ様変わり
しました。天正15年10月、秀吉は北野の社で大茶会を開きました。その準
備のため再三下検分の為に足を運んだ。そんなある日、浄土院に名水が
あると聞いた秀吉は門前で車を止め、つかつかと寺へ入り、座敷へと上が
りこむや、「茶を所望する」と言い放った。尼僧は客が客だけに驚きました。
ましてや茶人の一人、下手に茶を差し上げれば、文句を言われるだろ
うと、白湯だけを差し出した。それを見た秀吉は、尼僧が聞き間違えたと思
い、もう一度「茶を所望する」と言いました。尼僧は困りましたが、もう一度、
白湯をそっと差し出しました。それを察した秀吉は笑いながら、「お湯ばかり
飲ませおって、これからはこの寺は「湯たくさん茶くれん寺」とするがよい」
と言われてそれより「茶くれん寺」と呼ぶようになったそうです。
残念ながら現在では本堂があるのみとなっています。