六斎念仏
六斎念仏が京都周辺でいつ頃から行われたかは明らかでありませんが、“六斎”の語は、持統天皇(691)に始まった事が「日本書紀」にもみられ、「言継卿記」(1567)によればすでに団体も形成され、行われていたとされています。
ここでいう“六斎”とは、仏教でいう六斎日のことで、月のうち8日・14日・15日・23日・29日・晦日の六日をいい、昔この六日を悪鬼が現れ人命を脅かす不吉な日として事を慎み「斎戒謹慎」し功徳を修し善心を発起すべき日であるとされた。この観念は、空也上人が一般庶民に信仰を広める為、鉦・太鼓をたたいて「踊躍念仏」を始めたのが起こりで、民衆教化の宗教行事であったと伝えられています。
六斎念仏の集団は干菜寺系と空也堂系に分けられ、当保存会は空也堂系に属し芸能六斎として空也堂から鑑札や免許状をもらっており、大正10年に行われた空也上人950年大遠忌などにも参加しています。又、空也堂が発行した
「六斎念仏巡行之証」と記された木札も残っています。六斎念仏は、その保存と継承に努力していくため、昭和52年には保存団体で構成する“京都六斎念仏保存団体連合会”が結成され、昭和58年には
国の重要無形民俗文化財に指定され、民俗芸能として高い評価を受けました。このような流れをくみ、嵯峨野六斎念仏保存会は、能や長唄・歌舞伎から流行芸を摂取しつつ、独自の芸域を開いた芸能的六斎です。
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