オイルや添加剤と関係ない話、その1.

オイルや添加剤と関係ない話を書くことにしました。
いわば、日記のようなものかもしれません。
(ははは、ネタ切れ&勉強不足という説もありますが・・・)
このページの目次
  • とある商談
  • 走行距離を判断する
  • オフ会
  • 運動会
  • 「うらばなし」の中に
  • なかなか更新できません
  • 空虚感



  • とある商談:

    最近うちの近所のユーザーさんでプレリュード(BA5)に乗っておられ、セイバー(UA2)の新車を
    買われた時の話なのですが、
    知り合いにホンダの営業マンがおられると言うことで、
    ちなみに値引き額と思って、尋ねてみたら、
    目一杯の値引きで−25万円とのこと。
    知り合いなんだから、あとすこしは値引きできるだろうと、
    親切心で、こちらの取引先の営業マンに聞いたところ、−35万円と言う一発回答。
    ユーザーさんがその結果を知りたいのは無理もないことで、
    あまり人の商売も・・・と考えてはいましたが、
    その営業マンはそのユーザーさんと親戚と言うこともわかりましたので、
    (勝手に気の毒に思ったわけで、)正直にお伝えしました。

    こちらのユーザーさんと言うこともあって、その後の交渉がうまくいったかなと思っていましたら、
    そのままの値引きのまま(−25万円)で買われたそうで、・・・。理由が不明なのですが・・・。
    こういったことはなぜだかあるみたいですね。

    もし、新車で値引きに疑問を持たれましたら、先手必勝。
    どうぞご遠慮なく、ご連絡くださいね。
    (メールでは個人的で、夜ではわかりませんので、出来れば「オートプロジェクト京都」へ
    FAXかTELお願いします。)



    走行距離を判断する:

    メーター改ざんが一頃より少なくはなってきたように思えるのですが、
    それでも市場では怪しげな走行距離の自動車が動き回っているのは事実と思われます。
    一般ユーザーにとっては事故車&過走行車が嫌われるわけで、そのため、
    違法な手段に訴えてでも構わないと言う人がいるのは耐えられないわけですが、
    それは個人でも業者でもする事がありえることで、よくよく注意が必要に感じます。

    中古車を扱っていますと、走行距離と部品の消耗・痛み具合の関係がある程度関係していることが判りますが、
    それでも、部品の劣化度が様々な使用状況で違ってきますので、
    一概に判断が出来かねることの方が多くなります。
    どちらかというと、走行距離の割に部品の状態が良好という場合に、その車の走行距離が正しいだろうという
    判断が出来る事の方が多くなるのが実状です。
    もちろん使用部品を新品に交換していれば、良好になるのですが
    新品に交換していれば、「部品の製造番号」「ねじの傷・変形度」などで簡易的に判断できる事になります。

    けれど確たる判断は整備点検記録簿に依る事が一番多くなります。
    そこには整備業者が入庫時に記入した走行距離が書いてありますので、
    新車時からの記録簿があれば信じるしか仕方ありません。
    ですから、逆に途中からの記録簿は正確とは言い切れないのが実状です。

    また、別の方法として、
    自動車の履歴は「詳細証明」を陸運局で発行してもらいますと、
    新車から現在までの使用者・所有者の一覧が出てきますので、その自動車がどういう人に乗られてきたか
    判る仕組みになっています。
    ただし、それらの所有者などが真実を語ってくれるかどうかも判りませんし、住所変更していたりしますし、
    迷惑にもなりますので、余程のことがありませんとしないのが普通です。
    また、登録の新しい場合は履歴も新しく、使用者が複数人でないこともしばしばあり、
    正確かどうかも判らない事になります。

    オークションなど公の流通の方では、一度出品された自動車のデータを残すようにしていますので
    オークション流通の自動車のその時の記録は判ります。
    これも途中からの記録である事に変わりはありません。
    ただし、ちゃんと記録簿を新車時から残して置いてくれる場合もあり、
    こういう自動車は結構安心できます。

    こう考えて行きますと、「限りなく黒に近い灰色」としても、
    確たる証拠がない限り、やっぱり「白」になってしまうわけですね。
    仕事柄、判断の難しさを感じますが、
    最終的には、信頼関係に成り立つつき合いが出来るかどうかと言うことになります。
    つまりユーザーにとっては「安心・信頼出来るお店」かどうかの判断です。
    実際、走行距離が短くても、機械物だから品質の差がありますし、
    当たり外れに関しても丁寧に診断してくれる方が大切なのかも知れません。
    万一の場合もきちんと対応してくれるでしょう。
    なかなか最初からそういった業者に巡り会えることは少ないのかも知れませんが、
    自分の方もそれなりの知識を付け対応すれば、
    見えてくるものが多くあるのではないかと思います。



    オフ会:

    時々、HPにてご来店いただいた方が同時になることがあり、悲喜交々の談話が飛び交います。
    こういうのをミニオフ会と言うのでしょうか、
    専門のことから、趣味のこと、もちろん自動車のことなども和気あいあいに話し合う機会がありまして、
    仕事そっちのけになることさえあります。
    もちろん、ディーラーのセールスの方から工場長、整備業者・中古車業者の方と、
    仕事がらみの場合もあるのですが、
    それでも、大抵は、同様な内容でして、
    それぞれの専門職に関する事を中心にしての世間話に花が咲きます。
    アルコール一切なしで、1時間〜長ければ4時間ほどになり、
    閉店時間を過ぎてしまうこともあります。

    まあ、嫁さんが長電話したり、PTAなどの集まりへ出かけても、我が身を振り返れば
    似たようなものですから、そう気を悪くすることもできません。
    大切な、話す場を失いますと、
    何のために仕事をしているのかさえ、見失ってしまうかも知れないからです。
    ストレスが多いと
    真正面から物事を見られなくなってしまうこともありますので、
    ほどほどに息抜きが必要になりますよね。

    というわけで、まあ、少しばかり重荷になってきた更新も
    息抜きをすることにしていますが、
    やはりこれは必要な事なんでしょう、と、
    読書の秋ですから、
    好きな本もたまには読んであげないと、と
    早々に切り上げることに致します。



    運動会:

    10月10日は良く晴れて、私の地域でも運動会が催されました。
    京都市内と言うこともあり、地域恒例になっているわけで、
    地区によっては旧家になって高年齢世帯中心になったり、
    マンション地域では若い世帯があったりで、年齢層の格差を感じれれる運動会でした。
    引っ越しを転々とし、青年期(10代から30代中頃まで)をいろんな地域で育ったので、
    こういう地域の催し物に参加する機会が-独身と言うこともあり-疎遠だったわけで、
    何だか気恥ずかしく参加したわけですが、
    もし子供が産まれてなければ、やっぱり参加しなかったかも知れません。
    それほど近所付き合いが疎遠だったと言うことかも知れません。

    1日をかけての行事ですが、2000人ほどの人が集まりますと、
    その中にいるのが何だか不思議に感じられます。
    どうしてそこにいるのかと言うことでさえ不思議に感じられることもあります。
    ネットの世界では共通の興味の元に出会いがありますが、
    ここでは、そういう興味の世界ではなく、様々な職種・年齢の構成になり、
    ただ単に同じ土地に住むと言うことだけが共通になって、いろんな競技に参加するわけで、
    勝敗を気にする人もいれば、子供の楽しみのために参加する人もいますし、
    役員が回ってきたからと言う理由だけの方もおられますので、
    行事が滞りなく進むと言うことが本当に不思議と思わざるを得ません。

    と言うことで、参加していない競技がありますと、小学校の運動場と言うこともあり、
    子供らは設置されたテントから抜け出し、そばにある鶏小屋や鉄棒・滑り台などに集まり、
    わいわいやっております。
    我が子も同様です。まあ、たしなめることも酷に思える年齢ですので、
    危険のないように見張っていると言うことになり、
    テントの中の大人達は世間話に花が咲くと言った状態で、
    一つの催し物を中心に様々な個人的行動があるにも関わらず、
    何故か和気あいあいと進んでいくわけですね。
    それでも、知らなかった人と話をし、少なからず親交を深める結果となるわけですから、
    いやだいやだと子供のように言っているわけも行かず、
    ちょっと気の持ちようを変えて、あれこれと積極的にするところはするようにして、
    少しは拘束された時間という考えを捨てることにします。

    不思議な事なのですが、そういう気の持ちようの変化は、
    世界の見え方を変えてしまうことがあります。
    どんな事柄をするにせよ、まず、おかしな世界でないと確信できれば、
    ちょっとした視点の変更をすることによって
    別の様相を呈してくるわけで、
    見慣れた風景でさえ、別のもののように見えることがしばしばです。
    それくらい感覚(感情)というのは、理性を離れてあるみたいで、
    知情意が別々に捉えられていた古代の人たちと、
    いまだにそれほど進歩していないことがわかる次第ですね。

    と、思っている間に運動会も終わり、子ども達にも楽しい日が暮れて行きます。
    確か、そんな思い出があったような、なかったような・・・。



    「うらばなし」の中に、
    目のことで、「飛蚊症」などになったという事を書いていたからかも知れませんが、
    とある眼科の先生から、色々と目の病気についての資料を送っていただきました。
    本当に目の病気にはいつも悩まされていましたので、気にとめていただき、ありがたく思えました。

    ほかでも、このHPを進行するにあたり、専門の方からもメールにてご教授頂き、
    仕事以外にそのように時間を割いてくださったことに感謝致しております。

    対話をしながら、物事を考えて行くことは楽しいことです。
    オイルや添加剤については仕事柄よく試す機会があるにも関わらず、
    ほんらい素人ですから、間違った情報を流さないかヒヤヒヤものですから、
    的の外れた質問に丁寧に答えていただける機会がありますと、
    理解するのに苦労していた事柄が急に身近に感じられるようになります。

    学生時代、哲学の教授から、自分の言葉で話すようにと言う内容のことを教えられ、
    できるだけ、自分の言葉で書いて行きたいと思っておりましたが、
    どうしても十分理解出来ていない「専門用語」が多くなってしまうため、
    自分でも理解できていない文章になってしまう事がありました。
    「厳密性」と言うことからは、確かに必要なのでしょうが、
    どうも学問のためにある学問と言う考え方には今でもなじめずにいます。

    かといって、一般的な会話では話される言葉の範囲が広すぎて、
    意志の疎通もままにならないことさえあります。
    相手の「間違えた言葉」の示すものが何であるかわかっていながら、
    言葉尻を捕まえて、言い争うのも「何」ですが、
    どうしてもある程度言葉の共通の背景というのは必要なのかも知れません。

    面白いもので、本当に相手のことを「好き」なら、
    言葉がどうであろうと、相手の立場を十分理解して、言葉を頭の中で修正さえしながら、
    話が楽しく進むものですし、
    意見の相違も、自分の言葉で伝える事が出来ると信じております。
    ですから、話をするときは、気持ちが落ち着いていることが大切な条件になるのかも知れません。

    下の3歳の娘がよく「どうして?」と聞くことが増えてきました。
    娘に対する話し方から、
    こういったことを教えられることもあります。
    知らない事を聞かれますと
    「父さんも、知らないのだけど・・・・ということじゃない?」
    と、知っていることを出来るだけ詳しく説明しようと努力しています。
    はたして、大きくなったとき、
    「父さん、うそ教えたのか!」なんて
    言われなければいいのですけれど・・・・。



    なかなか更新できません
    (23:00−0:30の間、ビジーで繋がりませんし・・ね。)

    最初は1年間のつもりで、HPを更新してきまして、
    本当に「だらだら・・・」と続いてきたのですが、何故か最近PCの前に座っても、
    「書きたい」と言う気持ちが起こらなくなってきました。
    それよりも、どういう訳かこのHPに関係のない本ばかり読んでいます。
    専門書ではなく「入門書」ばかりなのですが、
    読んで行きますと、入門書という理解しやすい文章とは反対に、
    底なし沼のような深さを感じ、気になってその事ばかりを考えてしまう始末です。
    何にでも首を突っ込みたくなる性格なのか、
    それが雑多になりますと、少ない知識ですので、頭がくらくらとし出し、
    収拾がつかなくなると言う羽目に陥ります。

    それで、最近は変な夢を見ることが多くなってきました。
    「テスト」を受けている夢です。
    何のテストかはわからないままに読んで行きますと、
    (高校生−大学ぐらいの年齢と言うことはわかるのですが・・)
    設問に「スキタイ文明について述べよ」とか、
    「アルトサックスで次のスケールを演奏せよ」(中学からやってましたので・・・)
    とか、超難問が次々と出されるわけで、
    仕舞いには、「ブレーキの効かない自動車をハンドル操作のみで運転せよ」
    ということで、相当なスピードの自動車に乗っているんですよね・・・。

    こういう脅迫観念がどこか頭の隅に「原体験」としてあるんだなあ、と
    思いますと、夢での敗北感から
    「これでよく文章が書けるものだ」と、失意に落ち込んでしまうわけです。(笑)
    実際の性格は楽観的なので、何とか救われているのですが、
    こんな夢の世界だったらと考えると・・・恐ろしい。

    で、こういう時は、脳が自分の心理をある程度導いてくれるもので、夢に現れることが
    多いわけです。
    シナプスなど、段々老化して行く中で、
    何かを教えようとしているのかもしれません。
    (そういえば、最近特に短期記憶が悪く、「あれは?」とか、ついこの間の出来事を
    間違えて覚えていたり、頻繁になってきました。)

    腹が減ったとき、何を食べたいかが判るのと似たような現象と思い、
    「本を枕に」眠るように心がけていますが、
    ショートしてしまっては、何にもなりません。
    何も知識が統べてではありませんし、知識自体、不確実な事柄ですから、
    間違いなんて事がよく起こります。
    (科学的命題は反論できるから、いいのであって、
    最初から反論できない宗教的命題では無いですからね。)

    ということで、しばらく「悪夢」は続き、心理的に自我が「しょうがないやつだなぁ」と気づくまで、
    諦めてくれないでしょう。
    ま、そのうち何とかなるでしょう。

    勧められて、精神科医の方面へ道を選ばなくて良かったのかも・・・笑。



    空虚感

    誰でも、時々、自分以外の人から理解されないと言うことを悩むことがあるようです。
    こういう事は逆に言えば、自分が人を理解しようとしていないことから来るのか、
    あるいは、自分自身を理解していないことから来るのか
    よくわかりませんが、
    ふと、何かしらひょんな事をきっかけに、浮かんで来る事らしいのです。

    心の問題は個人的でいて、なおかつその個人を取り巻く様々な環境によって
    制約されると言う側面を持っています。
    科学的にあるいは化学的に脳で起こる事象ですべてが解決されるまでには至っておりませんし、
    もし、それが解明されたとしても、
    問題となる心の問題や精神的な葛藤が解決されるわけでもなく、
    (症状を緩和あるいは治療するに至ったとしても、なお残る空虚さのことですが)
    空虚な気持ちは、いつの時代にも、様々な分野に見え隠れしているわけです。

    生と死を持つことが「生物」の必然性であるとすれば、
    「永遠」と言う観念からは遙かに遠い存在にいるわけです。
    誰もが時空に縛られているわけなのに、
    そういう永遠的な視野から来る観念を持って「思う」と言うことで、
    現実の世界を認識する際に、もう少しだけ広い別の世界に人の心がさまよっているわけです。
    そういったギャップから「空虚感」は来るのでしょうか。

    それとも、環境的な制約で、つかむことが出来なかった人との関わりや世界との関わりから
    孤立したために起こるのでしょうか。

    どうも現実の生活にはこういった側面を思い起こすのに向いていない様な感があります。
    だからといって、空虚感を調べるのに、非科学的な妄想では困るわけですし、
    宗教的にコントロールされても困るわけです。
    現実とも空想ともつかない世界に住んでいて、
    その住人である自分が人や世界との関わりを保てず、
    「自分だけしかいない」と知ることは恐ろしいことなのかもしれません。

    けれど、どうやって自分がその世界のただ一人の住人と知ったのかを調べて行くと、
    実は、その内なる世界の成り立ちが、構成要素のほとんどが
    自分以外の世界の住人から来ているのだとわかってきます。

    そういうことがわかりつつも、実感として、
    そういった世界に入るのには、少しの時間と準備がその都度必要なのです。
    どうしても「賭け」のような要素が入ってきてしまいます。

    知らなくても良いことがたくさんあります。
    知っていると良いこともたくさんあります。

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