オイルや添加剤と関係ない話、その5.

このページの目次
・デジカメの画素数
・缶ビール
・こだわるっていうこと
・PC自作機はよくつぶれる?
・アフィリエイトを追加した理由

デジカメの画素数(2004)

始めたばかりの頃は30万画素もあれば、立派なデジカメと言えたのですが
2004年になるこの頃は携帯電話でさえ200万画素となり
コンパクトサイズなら500万画素にもなってしまいました。
現在このHPで活躍しているデジカメはもっぱら130万画素ですが
スリムに70KBから150KBあたりでアップしています。

これはこのHP自体が容量拡張しても現在最大17MBが
上限という制約から来ているのですが、
制約がなくなりますと恐ろしいことになるでしょう。

630万画素の一眼デジカメも安価に出てきましたので
これをいくらスリムにしてもバシバシアップしようものなら
最も腕も悪ければ「ぶれるわ暗いわ」で画像処理ですから
やっぱり単なるゴミ同様というわけですね。
64あたりで繋いでいる私やあなたにはきっと地獄のようなネット世界になるでしょう。

WEBであれば130万画素でもうまく写せばそれなりの綺麗さになるのですが
なにせ、根気がないもので、
ついつい道具の方に目が行ってしまうわけですね。
その割には思い切りがなく
高画質で、連写で取ったファイルを選ぶわけでもなく、捨てきれない訳で
「タンスの肥やし」ならぬHDDの肥やしとなっている有様です。
これはこれで公開しない方が世の中のために良いことなんでしょう。

実は親戚にプロのカメラマンもいますし、知人にもセミプロのカメラマンもいます。
腕が良いのに加えてあの道具ですから
素人などまあ出る幕などない訳です。
写真を見せてもらえば差は歴然。
でも
故障した部品など取るわけでもあるまいし・・・と
へんに悦に入ったりして・・・。
このあたりはこのページを読む人にもなにか共通点がある気がしてしまいます。
「見たものを伝えたい」気持ちは
同じだなんて自負したりして・・・。

缶ビール(2005)

桜はまだですが
CMでおいしそうに、缶ビールのプルリングを引く仕草がたまらない。
このところ、健康の理由で
アルコールを控えめにしているため
ビールを浴びるように飲んでいた頃の記憶が
何かのきっかけで浮かぶことがあります。

そういえば20年ほど前、
知人のフェアウェルパーティに誘われていて
初めてアメリカ式の一気のみをしていたのです。

500mlアルミ缶の缶の側面にサバイバルナイフを突き刺して
飲み口を作り、
そこに口を当てて、缶のリングを真上にして
プルリングを引く。
一瞬のうちに胃の中へ流れ落ちるわけなのです。

good job!

言葉もあまり通じていないのに
快く迎え入れられて
あの頃のフィラデルフィアは
芝生のきれいな町でした。
パーティの庭も
電球が灯り青々としていた・・・。

と、
一瞬、
娘が「だめよ」って顔をするのでした。

そうだよね。
HPを書く2−3年前から急に量が増えてしまい
付けをためてしまったのでした。
まあ、たばこもアルコールも
娘には敵わない事を知ってるわけですし
その代わりに
タケプロンやアダラート、紫胡桂枝湯になっただけのはなし。

こだわるっていうこと(2006)

誰でも、自分は自分だということを多分言いたいのですが
社会生活を営んでいますと
習慣というか風習というか偏狭な考え方というか
そう、やっぱり個性の偏狭さの中で
自分自身を発揮しているわけです。

ですから
わずかな接点でも他の方の偏狭な世界と接点を持つと
うれしくなってしまうわけです。
反対語になる「普遍性」といっても
やっぱり規定に縛られた偏狭な範囲で生きてくるわけで
これは偏狭の中での普遍性というような変な世界なのです。

例えば
数式の1足す1は2ですが
これは決め事であって
一つの数学の偏狭な世界で妥当性を持って扱われるなどと
私が説明することもない当たり前の前提なのですが
この事柄はほとんどすべての人の営みに
現れてきます。

経済活動が人生と思う人もいれば
スポーツの1つの競技に命をかけられる人もいます。
芸術の中でも絵画であったり音楽であったり書、花、茶、等々
共鳴し合う人たちと
なぜか接点を求めて、あるいは反目し合って生きています。

難しいことではありません。
自分が自分になるように生きるって大切なことだと思います。
でも、せっかくですから
自分の手でそれを終わらせないで
生きていてください。

良いではないですか?
お金持ちになれなくても
有名でなくても
つまらなくても・・・
自分を生かすために生きてみるのも
楽しいものですよ。
どちらにせよ誰もが偏狭なら
そんなに差はないものと思うのです。

もう一度言いたいのです。
良いではないですか?
お金持ちになれなくても
有名でなくても
つまらなくても・・・

PC自作機はよくつぶれる?(07/04/04)

仕事柄、エアコン、TV、洗濯機、パソコンなどの家電品もよく修理するのですが
パソコンを組み立てたりする経験は全くありませんでした。
通常の家電品の故障箇所の診断は
現在の症状や状態を事細かにメーカーのサービスへ伝えますと
ほぼ的確に修理する箇所を教えてくれます。
まずまずの技量があって、部品の調達が出来さえすれば途中「諦めなければ」
誰でも修理可能です。

ところが、3年前の話しですが
子どもたちに中がどうなっているか見せたいと思ってパソコンの自作となりまして
一応、ケースから揃えたのです。
持って帰ったのはよかったのですが
当時の最新マザーボードで、
ASUS、A8NSLI-DXでにストライピング仕様にしたところで
FDDを買っていないことに気づきまして頓挫。
まあ、中の構造は見せられましたし
家にはノートを入れ4台、会社にもパソコンはありましたので
その内、その内という間に
約1年間もホコリをかぶったまま手つかずになってしまいました。

で、昨年、やはりもったいないですし、今までのよりもまあ新しいですから
ウインドウ95時代からいろいろ手を加えられながら机を独占していたパソコンには
新旧交代してもらうことを考えました。
FDDを買うついでに、ショップに預けてそのまま火入れをしてもらったわけです。
相性問題もなく何不自由なく作動していましたが、時々フリーズもどきらしき現象は起きておりました。
けれど自作機ですし、マックでもウィンドウズでも何らかのフリーズは
昔からありましたので気にせず、そのまま数ヶ月経ちました。
何事も無い時は本当に平和です。

ところが、どうもストライピングなのに遅すぎるように感じ始めると
ちょっと困った虫が騒ぎ出してしまったのです。
慣れもしていない機種で
BIOSのアップデートや、いろいろ早くなるようにあれこれ作業をしてましたら
ディスクトップに出てこないようにショップの方がしてくれていたRAID関連のファイルが
毎回出るようになってしまい
それをまた不要ファイルと勘違いし、出ないように綺麗に消してしまった訳ですね。
ストライピングでは致命的でした。

それでも重要な写真などのバックアップは別にしていましたので
もう一度クリーンインストールで終了でした。
今までなら普通はこれで終わるのですが
一度あることはやはり2度あるものですね。

今度は多少症状が異なって
マウスのポインターが動かないほどフリーズするのです。
「今度はHDDか?あるいは・・・」
で、
ケースを開けてHDDなどを見て行きますと
配線がゆるんで外れていたようで・・・・。
ほっとしたのもつかの間
時々起動しなくなるし、起動が10分もかかったり、
途中フリーズもするし・・・。
「最初からやり直しかな・・・。」
で、何故かそうなると
修理に掛けては俄然火かつくのが不思議です。
約1週間はほとんど徹夜状態。

結局、最終的にやはりクリーンインストールと諦めたのです。
で、何故かこの段になって
BIOSに光学ディスクが認識されない事を発見。
真夜中なので、もう1つのIDEへつなぎ直しとりあえず修復。
その後もチップファンが止まっている事に気づき、
ファンをマザーから外して状態を見て
ファンのグリースの固着で起こっていることが分かり
スプレーGRPにて修理。こんなので良く回る物だと感心させられました。

インストール出来たと安堵したら
今度はウインドウズの認証が出来ません。
チップファンの影響で修理より前の時点でLANもおかしくなっていたみたいで
とりあえずこのまま仮眠。
後日、LANボード増設とチップファン交換で現在は快調に作動しています。
実はストライピング自体がかなり早くなっていまして
調べて見るとこのボードはどうもチップファンが問題なのでした。
自分のボードがそうなるとは思っても見ないところに
危機管理の盲点があるようです。

で、不思議なもので、
最後まで問題解決が出来ますと
今度は「何でも来い」状態。

あんなにも抵抗のあった事柄が
逆に好きになってしまうのです。
何でも、出来るうちにやっておくことに
幸福感を感じてしまうわけです。

アフィリエイトを追加した理由(07/04/11)

私の個人のホームページレベルでは
アフェリエイトではほとんど何の利潤も無いことは、
経験者ならお分かりのことと思われます。
逆に、ページ容量が取られますし、見た目もまあ、まとまりませんし
今まで敬遠させてもらっていました。

最近、どういう心境か昔のことを思い出しました。
本当に小さい頃ですが、
何故かボランティアで路上で募金を何回もした(させられた)ことがあり
僅かなお手伝いでしたが
それでも当時としては珍しい特別養護老人ホームが
昭和の40年代に開設されたのでした。

子どもですから、その出来事など別段うれしく感じませんでしたし、
逆にそういったお手伝いから開放されて
喜んでいる状態でした。

仕事面でも、個人的にも
だんだんと知っている方々が少なくなって行く現実があります。
わたしを教えてくれたのは昔のおとなの方からでしたが、
でも、やはり次の世代を作って行くのは
子どもたちだと思います。
そういった悩んでいる小さな方々の支援に
少しでもなる方向を向いて
その子どもたちが、また次の世代に伝えて行くと言う流れが
切れないことを願うばかりです。

自分が半ば強制的にそういった関わりをもって来て
分かった事がたくさんありました。
誰かをそういった意志に巻き込んでしまうものかもしれませんが
そういった使い方なら
了解して頂けるのでは

感じてしまったわけです。

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