インド聖地巡りの旅 29
ブラーミンとプージャ
さて、ヒンドゥー社会の中で、そういう機能が確立している寺に、われわれ外国人、とくに金持ちであることが有名な日本人が姿を見せると、ヒンドゥー教を帰依しているかどうか、という問題ではなく、金銭的余裕があるかどうか、のポイントから、ブラーミンたちは、上客が来た、と色めきたつようだ。
少なくとも観光客ズレしたブラーミンはそう反応する。そして彼らは、笑顔いっぱいで、頼みもしない私たちに、寺の案内を始めたり、なんらかの儀式をしかけたりして、「げげっ、いったいいくらお金を要求されるのだろう」と観光客を怖がらせるのである。
じっさい、カニャクマリやティルチーの寺では、プージャ(儀式)のプライスリストを見た。ローズ・ウォーター、プア・フィーディングなどと名付けられたプージャの値段の幅はかなりのもので、50から500ルピーまでもあり、インドではものすごい高額である。
バラナシのガンガー近くでは、ガンガー・プージャと称するものがさかんに行われていて、観光客も体験的にうけている人もいるようだ。プージャは要注意である。値段があってなきがごとしだから、タクシーや商品などよりずっと危ない。
なんやかやと、儀式めいたことをごにょごにょとして、大金を請求されるかもしれない。僧侶へのお布施は、奇数がいいとされているそうで、ガンガー・プージャの値段は、101ルピーと聞いた。一人に聞いただけだから、それが統一的な料金かどうかは知らない。
テレビの番組で、ガンジス河の源流にある寺のブラーミンが、聖なるガンガーの水をボンベイのとある家に届けて儀式をするのであるが、その時に、その家族が支払っていたのは、501ルピーだった。
ラーメシュワラムでは、ヒンドゥーでない私が、わざわざドアを開けてもらって見せているのだから、まあここでは、10ルピーぐらいは仕方がない、と思っていた。

リサーチなのだから、写真を撮りたい。これに関しては、案内の彼は、本尊にカメラを向けるのだけは駄目だと言ったが、お参りの人々を撮影するのは問題ない、と言う。初め、真摯に祈る人々にカメラを向けるのに抵抗があったが、人々はあまり気にしていないようすだ。
じつは、今回、案内人をゲットすることに執着し、それに対する費用をいとわなかった理由のひとつは、こうして横にいてくれると、「写真、いいかしら」「いいとも、人々は全然気にしてないよ」と、快い許可をとれる。一人でいると、撮ってはいけないかしら、との疑心暗鬼にかられていって、カメラを人に向けるのが恐くなってしまうのだ。
ふだんの観光なら、私はあまり写真にこだわらないほうだ。しかし、論文には、写真という証拠が何より雄弁にその地の文化を語ってくれるから、写真は不可欠、なのである。
とくに井戸水をぶっかけてもらっているシーンなどは、彼らも楽しんでいるようで、カメラを向けるとむしろ喜んでくれたりする。22の井戸の写真を人々の姿も含めて撮影しまくったのだった。
井戸はかなり深く、水は底の方にあり、透明度はかなり高く、魚が泳いでいるのが見える。それぞれの井戸はすべて水が沸き出している。彼曰くは、それぞれの井戸の水脈は別で、味も違うそうだ。
「味わってみたい?」という質問には、健康第一主義を貫いて
「ノー」と答えた。
その水をぶっかける役目の専門職がいる。
長いヒモ付きのバケツを持って、巡礼の各グループ(たいてい数人から十数人のファミリーのようだが)について、すべての井戸をまわり、腰の高さぐらいの井戸のふちに器用に上り、何度もバケツを水面まで下ろし、引き上げ、人々の頭からかける。見ていると、かなりの重労働のようだ。
22の井戸をすべてまわって、巡礼一人につき10ルピーぐらいを支払うそうだ。
ラーメシュワラムでは、まず浜辺で海水による沐浴をして、それから22の井戸水をぶっかけてもらい、最後の井戸の所にある脱衣所で服を着替えて、本殿にお参りするそうだ。
巡礼たちが井戸から井戸へと、びしょ濡れの身体で歩くので、寺院内の地面も濡れて、ぬるぬるとぬかるみの中を歩く感じである。うっかりすると、泥ですべって尻モチをついてしまいそうである。
私は、カメラをぶら下げて、クムクムを額につけて、すってんころりんしないようにと、ペンギンのようにチョコチョコと歩いた。こんなけったいなヒンドゥー教徒、寺の日常風景から、めちゃくちゃ浮いていたことと思う。
30 三つの海が出合う岬