オバサン・ドライバーが行く 1
旅立ちの日
旅立ちの日の前夜、私は寝床の中で後悔していた。
「何で、こんな計画たてたんだろう?」
友人から行動力があると言われる私は、こういう思いをすることは珍しくない。思い立ったらすぐ行動に移してしまうところがあり、たいていはそれでいいのだが、ときには先走りしすぎて後悔することになる。
40歳になった私は、いろんな意味で人生の折り返し点に立っていた。
私の職業である通訳ガイドは、長く続く円高で生活を支えるのが苦しくなってきている。転職を試みては失敗しているここ数年の私は、ここらで何か突破口を開きたいところだ。だが、先が見えない。時間はある。それなら、今しかできない冒険にチャレンジしてみたい。
そんなことをつらつら考えた挙げ句に、この1995年という一年を旅行三昧の年に充てることを思いついた。若者たちに流行っている「卒業記念旅行」の向こうをはって、「失業記念旅行」と命名した。まず、メキシコを二ヶ月かけて一人旅をした。そして、今度は期間未定の国内ドライブ旅行に出ようとしていた。
はっきり言って私は、いわゆるオバサン・ドライバーだ。大学時代に免許を取り、その後はずっとペーパー・ドライバーを決め込み、34歳のときに車を購入した。運転歴は6年になるから、ある程度の運転はできるようになったというものの、助手席で地図を見てナビゲートしてくれる友人なしで知らない場所を走ったことはない。京都の北部の山道をドライブするのは大好きだから山道走行には自信があるが、バックや縦列駐車は心もとない。町中での車線変更は、できる時もあれば、できない時もある。
そんな私が「国内ドライブ一人旅に出る」と言ったとき、友人たちの評価はずいぶんと辛口だった。
「メキシコ一人旅も危険だと思ったけど、ドライブ一人旅というのはもっとずっと危ない。やめた方がいいわよ」
「うん、万が一事故した場合、相手があることやしな。あんた自身は自業自得としても、相手さんに迷惑がかかるから、これは賛成しかねる」
たしかに、事故を起こしたら大変なことになる。知らない町を目的地を探しながら運転したら、よけいに注意散漫になって事故の確立は高くなるだろう。いや、そんなことを言っていては冒険はできない。
私は、行く、行ってやるぅ、と心に決めた。
4月12日を出発日と決めた。先の予定を立てなくていい、気ままな旅をしたいので混雑を避けたかった。春休みが終わるのを待って出発し、梅雨入り、あるいは長くなっても夏休みになるまでに終える。予定は2−3カ月。でも、無理だと思ったらそこで切り上げて帰ること。どんなことがあっても事故を起こしてはならない。
車に荷物を積み込む。
全国のガイドブックと地図、衣類と着替え、コンタクト・レンズのケア・グッズなどなどに加えて、方向磁石。これは、方向音痴の私にとっては必須アイテムである。地図は、必要なページをすぐに開くことができるようにクリップを準備した。翌日に走るルートをすぐに見つけられるようにと、ピンク色のマーカーで色づけした。
さらに、タクシーの運転手さんが日報を書き入れる台にしているようなバインダーを買って、そこにレポート用紙を挟み、高速道路の降りるべきインターやその後入っていくべき国道のナンバー、曲がるべき交差点の名前などを大きい字で書いた。
タクシーの運転手さんって、信号待ちの短い時間なんかにさっとあのバインダーを取り上げて、仕事の報告を書き入れていく。ひとりで目的地にたどり着かねばならない私は、信号待ちの短い時間にルートを確認せねばならず、あのバインダーは不可欠に思えたのだった。
思いつくかぎりの用意をした。準備万端というやつである。
それなのに、前夜の寝床で私は後悔にさいなまれていたのだった。明日、最初の宿として決めた鷲羽山ユースホステルにたどり着けるかどうか、にさえ自信が持てなかった。でも、もうユースも予約した。周りの友人にも、この計画を断定的にしゃべりまくった。こうなったら女の意地にかけても決行するしかなかった。
翌朝、午前9時45分、私は自宅を出た。
京都南のインターから名神高速に入る。名神では12キロの事故渋滞、宝塚から西宮にかけては神戸の地震後の復興工事による渋滞があり、加西のサービスエリアに着いたのは12時30分だった。そこで昼食を取り、そのあとはスイスイと走る。福崎から播但道に入り、姫路から山陽自動車道に入り、水島インターで降りる。
この間、サービスエリアや駐車可能な場所にちょこちょこと車を止めては、先のルートを確認した。間違えてしまうと戻るのも大変なので、しっかりと確認しながら進めた。なにせバックの苦手な私である。道を間違えたからとUターンする羽目には、できるだけ陥りたくないのだ。
水島インターを降りるといよいよ地道を走ることになる。高速道路上ほどは道路標識もない。したがって、迷う可能性も増える。私は信号待ちのたびにバインダーを取り上げ、ルートを確認する。
さて、ユースのチェックイン時間である4時までにはまだ少し時間があったので、鷲羽山(わしゅうざん)を見物することにした。鷲羽山は、学生の頃の旅行と、またガイドの仕事でも数回は行ったことがあった。しかし、ガイドブックを読んでいて山頂の鐘秀峰を知らないことに気づいたので、そこに行くことにした。
駐車場に車を置いて10分ほど歩くと、ビジターセンターがあった。私以外の見学者はひとりだけでがらんとしているが、建物は新しく、写真や模型で瀬戸内の島々のようすをうまく説明してくれていた。センターの人に鐘秀峰の方角を尋ねてから、さらに15分ほど登って山頂の展望台に着いた。
山頂は大きな岩で囲まれた小さいスペースで、十人もいればいっぱいになるような狭さであった。眼下に瀬戸内の海と島々が見下ろされる。きれいな青空が広がっていた。もっとも、メキシコで二ヶ月ものあいだ真っ青な空のもとを旅した私には、日本の青空はちょっと物足りない。青のトーンの自己主張が弱すぎる気がした。でも逆に、それだからこそ日本の旅が始まったと実感することもできた。山頂を取り巻く一面の緑に、ところどころに見える山つつじのピンクがメリハリをつけていた。
あたりには誰もいなかった。私、ひとりだった。私は、私の前にある絶景と心地よい海風を独り占めにして、しばしの時を過ごした。
たったひとりの長い旅が始まった。
2 ユースホステルの第一夜