オバサン・ドライバーが行く 2
ユースホステルの第一夜
(鷲羽山、徳島)
さて、ユースホステルめざしての最後のアプローチが残っていた。
ユースホステルというのは、高級ホテルほど分かりやすいところにない。ユースのハンドブックの地図は、それぞれのユースのペアレントさんの独自の工夫による地図であり、その書き方もさまざまで、他の地図と照らし合わせてその位置を推測するしかない。
鷲羽山ユースは児島半島の南端にあった。一度は、サインを見逃して通りすぎてしまった。Uターンして再度挑戦したときには、サインは見つけたものの、ユースへと続く道のカーブが鋭角すぎて曲がれなかった。
三度目の挑戦で、なんとかユースへの道へと入った。最終アプローチの数十メートルはとても狭い道だった。そして、その行き止まりにユースがあった。
ハンドブックには駐車場完備と書かれていたが、駐車場らしきものは見えなかった。ユースの建物の前の余地に軽自動車が一台止まっていたので、私も同じように駐車した。前進で突っ込むことはできたが、方向転換するようなスペースはなかったので、翌朝のことがちょっぴり気になったが、明日の心配は明日することにして、私は荷物を下ろした。
この旅行の目的のひとつは、ガイドの職業病でもある「贅沢病」をそぎ落とすことであった。私のガイドのキャリアは18年になるが、私が20代のころ、つまり1ドルが250円ぐらいだったころ、外国人観光客の旅というのは凄くリッチなものだった。
ホテルは超一流クラス。東京でいうなら、ニューオオタニ、帝国、ヒルトン、全日空、高輪プリンスといった所が常宿だった。
食事も京都の一流料亭も一通りは経験したことがあるし、ごくふつうのツアーでさえ、昼食に三、四千円、夕食だと五千円から一万円の予算である。
だが最近は、円高のため、ツアーに食事が入っていないことも多く、お客をファーストフードの店へ連れていってハンバーガーで済ますようなこともあったが、それでも企業招待のツアーなどでは相変わらずの豪勢さである。
転職を試みた私は、大阪の繁華街のビジネス・ランチを食べるようになり、コロモばかりが厚く脂身の多いトンカツなどを見て、暗澹たる思いに取りつかれ、新しい職場が長続きしなかった。
転職を成功させるためにも、贅沢をそぎ落とすことが重要なテーマなのであった。それで私はこの旅行を主にユースホステルで過ごすことに決めたのだった。
自分の部屋にバスもトイレもついていない。これは、大学を卒業して以来経験したことがなかった。しかもユースの場合は、他のホステラーと相部屋にさえなる。これに至っては耐えられるかどうか定かでない体験だった。
学生のころには、ユースの利用の経験も何度かはあるし、相部屋なども平気だった。しかしこの年齢になると、生活のレベルを落とす、ということが難しい。とくに相部屋については、ちゃんと熟睡できるかどうかが問題で、ドライブ旅行の私としては、睡眠不足はぜったいに避けたいところである。だから、ユースの利用に関しては、睡眠不足になるようならやめよう、とも考えていた。
この日のユースの宿泊者は、女性は私ひとりだったので、私は8人部屋を独占することができた。おかげで、相部屋の問題については先送りとなったのである。
ユースの建物は実用本意の殺風景なもので、人けがなくがらーんとしているので、余計に寂しい感じがした。だが食堂からの眺めは素晴らしかった。瀬戸内海の景色を独り占めできる位置に建っているからすごい。海と島々のパノラマのど真ん中を、ちょうどいいポジションをしめて、瀬戸大橋が横切っていた。
やがて、前夜から泊まっているという、もう一人のホステラーが帰ってきた。ユースの楽しみは他のホステラーとおしゃべりできるところにある。私はちょっとわくわくした。
が、その人を見てあまりの意外さに出鼻をくじかれた思いだった。すごいお爺さんだったのだ。まあ、40歳の私がユースホステルにいるのだから、別に80歳のお爺さんがいても何らの不思議はない。ユースは青春という意味だが、ユースホステルの利用に年齢制限はない。
話してみると、このお爺さんふつうじゃなかった。定年後に海外旅行の味をしめて、しかも海外でユースを利用することによって安く長く滞在できるから、オーストラリアに何度も、何カ月も暮らしたことがあると言う。英語はまったくできないらしい。しかし、飲んべえのお爺さんはお酒のビンを持ってホステラーのあいだを周ることで、英語を介在しないノミニケーションをする達人であるという。
そんなお爺さんの根性のすわった海外体験談を聞きながら、私は心の中で、
「しょっぱなから、面白いじゃん」と浮き浮きと心がはずんでくるのだった。
やがて、夕焼けが始まった。これも、しょっぱなから、出血大サービスのすんごい夕焼けだった。なにせ、ロケーションがいい。写真にもちょっと小うるさいお爺さんは、でかいカメラを持ってきて撮影した。私は、小型の単純なカメラを持ってベランダに出た。
「このベランダの柵にカメラを固定するといいよ」と、お爺さんがアドバイスする。
瀬戸大橋をバックにして、オレンジ色の太陽を撮影した。この夕焼けは、勇気をふるって飛び出してきた私への神様からのご褒美なんだと、うやうやしく拝受し、美しい夕陽の姿を心にじんわりと染み込ませた。
3 四国、上陸