オバサン・ドライバーが行く 3
四国、上陸
(徳島)

 翌朝、自分の車のハンドルの前にすわった私は途方にくれてしまった。やっぱり、私の力量では、この限られたスペースでは、どう考えても方向転換できそうにない。
 ウィーーン、ウィーーンと車を唸らせながら、私はバック、前進、バックと何度も切り返すが、車の方向は結局もとに戻ってしまい、事態はなかなか好転してくれない。それでもめげずにウィーーン、ウィーーンを繰り返してると、見るに見かねたのかユースのペアレントさんが出てきてくださった。

「私がやってあげましょうか?」
「すみません。お恥ずかしいけどお願いします」
「いやぁ、僕は毎日やってますから慣れてるんですよ」
と、彼は三度ほど切り返しただけで、見事に方向を転換させてくれた。
 私は顔を赤らめながらペアレントさんに感謝し、お別れをして出発した。

 それから10分間ほど車を走らせたとき、私は重大な過失に気づいて全身の血の気がサーっと音をたててひいた。なんとあろうことか、私は右側車線を走ってしまっていたのだ。この旅行に出る少し前までメキシコを旅して、向こうでレンタカーを乗り回していたのだった。日本に帰国してから今度の旅に出るまでの一カ月は、雑用に追われてドライブらしいドライブはしていなかった。
 自分の力だけで方向転換できなかったことが私の羞恥心を刺激し、そのため気が動転していた私は、何を思ったか右側を走らせていた、というわけだ。勿論、気がついてすぐさま左側車線に移動した。
 この間ほんの10分ほどのことだったと思うが、対向車が一台もいなくてほんとうに助かった。場所は児島半島の突端、道路はクネクネと曲がりくねり見通しは悪い。もし、スピードの出た車とカーブで出くわしたなら、しっかりと正面衝突していただろう。
 ハンドルを握る手にじわっと汗がにじんだ。
「いかんいかん。こんなゆるんだ気持ちで運転しちゃいかんのだ」
 私は、心の中のもう一人の私のほっぺに思いっ切りビンタを食らわせた。
「ぴしっとせえ、ぴしっと。事故起こしたらどないすんねん」
 威勢よく自分を叱咤激励してみたが、心の奥深くに突き刺さった心細さは消えてはくれなかった。

 さて、今日も晴天。今のところお天気には恵まれている。
 通行料金5500円の瀬戸大橋を自分の運転で走るのは、ちょっとエキサイティングだった。仕事のツアーでは何度か来ているが、自分自身の運転で走るような日がくるなんて思ってもみなかった。
「ここまで自力で走ってきたんだ」という感激がひとしおであった。

 橋を渡り終えて高速道路を降りると、一斉検問にひっかかった。そういえば、出発の直前にオウム真理教がらみの全国捜査が始まるとかのニュースを読んだっけ。
「いやだなぁ、四十女のドライブ一人旅なんて、日本の社会じゃ、まともな人間のすることとは見做されてないもの。妙な疑いをかけられたらどうしよう」
 私はあの教祖と同じ年齢である。指名手配されている女性幹部たちもだいたい30代の後半が多く、ストレート・ヘアーに丸顔という教祖好みの女の特徴も私の風貌と一致する。謂れのない疑いをかけられて、不快な思いをさせられる目に遭わないとも限らない。

 巡査が、笑顔で私に言う。
「恐れ入りますが免許証を拝見します」
 免許を見せると、不動の笑顔のままですぐに返してくれ、
「ご協力ありがとうございます。どうぞ、お気をつけて」と、やたら愛想よかった。
 きっとオウムの検問をうるさがって文句を言う人が多いのだろうと、笑顔に隠された警官たちの苦労を思った。検挙の対象人物の情報はきちんと把握されているようで、あらぬ疑いが私に向けられるようなことはなかった。
 ほっとして見上げると、「高松へようこそ」の文字が目に飛び込んできた。
 やったァ、四国へ来たんだ、の思いがこみあげて、なんだかやたら嬉しくなってきた。

 今日の宿泊地は、徳島の郊外。
 そして、今日のテーマは初の市街地走行である。京都の花背峠で鍛えた私は山道走行には自信があるが、市街地走行には自信がないのだった。やはり恐れた通り、高松から徳島までは地図でばっちりチェックした国道をたどって問題なくこれたが、徳島の市中に入ったとたんに迷った。

 徳島にたどり着くまでは「徳島」と書かれた道路標識に従っていればよいのだが、徳島市に入ると標識から徳島の文字は消え去り、見知らぬ地名がいっぱいお目見えするのだ。加えて、「地方裁判所」とか「市役所」「市立病院」などという、私にとっては無関係の行き先表示が右に左に斜めにと方向を指示し、ナビゲーターのいない私は瞬間的にどっちに行くべきかの判断ができず、判断が遅れると車線変更のタイミングを逸することになる。車線が多く、車も多い市街地は、旅行者にとってはつらい。

「どんなことがあっても、事故だけは起こしちゃいけない」という言葉を、呪文のように頭の中に響かせながら、迷っても落ち着きを保ち、後続車の動きにじゅうぶん注意して、車を横に寄せ、ハザード・ランプをつけて、ゆっくりと停車する。そして、おもむろに地図を見て自分の位置を確認し、自分の進むべき方角を見つけ出す。進むべき方向を見失ってはこの手順を繰り返した。
 ガイドブックを研究してこの日に行こうと決めていたのは、徳島城址の庭園と徳島のシンボルともいえる眉山だった。車で回るのはちょっと自信がなかったので、それらの場所にいちばん近い駐車場をチェックしてあった。

 めざすは、新町地下駐車場。見知らぬ町の、市の中心部の駐車場というのは、実は見つけるのが難しい。町中の駐車場は、観光客が利用するよりも、土地の人が買い物に利用することが多く、土地不案内な観光客用の親切な表示がないことが多い。この新町駐車場もやはりそうで、やっと見つけた時にはこちら側のレーンからは入れない仕組みになっていた。横目でにらんで通りすぎ、先で方向転換して、反対車線からアプローチし、ようやく入ることができた。
 またひとつ課題をなんとかクリアできた。駐車料金は一時間300円。京都の500円に比べてずいぶんとお安い。(旅が進むにつれて私は、市街地の駐車料金から町の大きさを推量する、という技術を身につけた)

 今回の旅ではできるだけ足を使う、というのもテーマのひとつだった。ガイドの仕事では観光する中でけっこう歩いている私だが、自分自身の旅行では歩き不精なところがあった。だから、自らを鼓舞するために万歩計をつけて歩くことにした。
「ああ、疲れた」と思って万歩計に目をやると、
「なぁんだ、まだ五千歩しか歩いてないじゃないか」と元気づけられた。
 一日一万歩を目標にしたが、その日の行程によっては二千歩ぐらいしか歩かないことも多かった。

 徳島では、新町駐車場から徳島城址と眉山のロープウェイ駅までを行き来し、八千歩ほど歩いた。庭園にしても、また新町川の川沿いの公園にしても、阿波の青石と呼ばれる上品な青みがかった石がふんだんに取り入れられていて、京都の名園を見飽きている私にもその点が新鮮だった。眉山は三百メートルもない丘であるが、徳島の町を見下ろす景色が楽しめる。


4 徳島、海辺のユース

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