オバサン・ドライバーが行く 5
お遍路宿の一夜
(室戸岬)

 私が出発するとき、彼はユース側の人の顔をして見送ってくれた。雨は弱まることを知らないかのように、ざあざあと降り続いていた。
 今日の宿は、最御崎寺ユースだ。ここは八十八箇所巡りの第24番の札所で、ユースとお遍路宿を兼ねている。
 今回の旅に四国八十八箇所巡りを取り入れるべきか否かを悩んだが、信仰心に欠けていることと、八十八箇所のお寺に観光地としての魅力が少ないこと、そして何よりも、小さいお寺が多く駐車場探しに苦労しそう、という理由で断念した。

 だが、お遍路宿を兼ねたユースにはちょっと興味があったので、どんな一夜になるのか楽しみであった。
 徳島から室戸岬への距離は150キロもなく、雨に阻まれて、むしろ時間をつぶすのに苦労した。ユースホステルのチェックインは四時以降なので、それまでは入れない。晴れていれば、どこででも散歩を楽しんだり、しばしたたずんだりと時を過ごせるのであるが、こんなに本降りの雨の下ではなぁんにもしたくなくなってしまう。

 私は、ガイドブックで見つけた宍喰温泉に行った。国道五十五号線沿いにあるので、アプローチも楽だし、400円で入浴できる公営の温泉である。小一時間をそこで過ごして車に戻ったが、雨はまだ降りしきっていた。
 本当なら、室戸岬の海沿いに設けられた、波しぶきを見ながら歩ける、という乱礁遊歩道をみっちりと歩く予定だった。室戸岬に近づいてもまだ雨は止まない。しかたなく時間つぶしに飛び込んだ喫茶店は、ひとりのオバサンがだるそうに商売してる寂れた喫茶店で、ちっとも楽しくなかった。
 降り続く雨がどうしようもなく私の気持ちを沈める。国道五十五号線はまっすぐに室戸岬に向けて南下するので、ドライブ自体も単調で面白みに欠ける。海の景色はモノトーンで、美しいとはお世辞にも言えず、空も海も一面にグレー、私の心だけがブルーに染まっていく。

 とその時、私は急にパンチを食らわされて、火花が飛ぶような光景を見た。
 お遍路さんの一団だった。
 十人ぐらいの小さなグループが雨の国道を歩いている。白装束に遍路笠をかぶり、傘もささずに黙々と歩いている。八十八箇所巡りの一番から二十三番までのお寺は、離れていても三十から四十キロだが、二十三番の薬王寺から二十四番の最御崎寺までは、七十五キロもある。八十八箇所巡りの苦行が、いよいよ佳境に入ってくるのがこのポイントである。また、このルートは他のお遍路道がないため、お遍路さんたちは車と同じく国道を歩くのだ。

 この大雨の日に、私は三組ほどのお遍路さんたちを見た。先に書いた小グループについで、ご夫婦、そして一人旅の人。車の中で運転している私でさえ、こんなに気がめいる天候の中を、傘もささずに歩いている人がいる。
 なんか、じわっと涙がにじんでくる。彼らの旅姿に教えられた気がした。
 そうだった、雨が降る日も旅のうちなのだ。長旅は人生に似ている。晴れる日もあるが、雨の日もある。(どこかのお寺に「雨の日こそ、修行が進むとき、雨が降ったら感謝しよう」と書かれていた)この五十五号線では室戸の海の景色は楽しめなかったけど、雨の日だったからこそ、もっと貴重なものを目にすることができたのかもしれない、と思った。

 最御崎寺の駐車場についた。
 やはり、分かりにくい場所にあったが、雨降りの視界の悪い状態にもかかわらず、小さな木ぎれに手書きで書かれたような貧相な案内標識をちゃんと見つけることができた。私もちょっとは進歩したのかな、と喜ぶ。

 駐車場に車を置くところまではよかったが、今度は建物が分からない。表玄関のようなものはなく、物置のようなボロい建物の裏口らしきものしかなかった。
 ドアが二つあり、最初にあけたドアは、ほんとうに物置のドアだった。その横のもっと汚いドアが裏口のドアだった。薄暗い廊下を歩いても誰もいない。しばらくうろうろと、迷路のような薄暗い建物の中をさ迷い歩いていると、ようやく宿の人に出会うことができた。

 感じのよい、しっかりもののペアレントさんは、このお遍路宿の女将さんでもあった。
「今日は、ホステラーは、あなた一人ですから、ゆっくりしてくださいね。でもお食事が一人だったら、寂しいでしょうから、他の方々と一緒でいいでしょ?」

 案内された部屋は、ユースというより民宿の一室のようだった。珍しくテレビもあった。お茶のセットまで置いてある。
 ユースの二段ベッドの部屋は、くつろぐスペースがなく苦しい。今までの二泊だけでも、私は五回以上身体のあちこちをぶつけて、青痣を作っていた。二段ベッドの下段への出入りに慣れていないので、ついぶつけてしまうのだ。だから、三日ぶりの畳の部屋は嬉しかった。が、襖一枚の戸なのでちょっと不安でもあった。女将さんが戸締まりの仕方を教えてくれた。
「寝る時にはね、ほら、この棒をね、こうするといいですからね。うちでは、これを用心棒って呼んでるんですよ」
と言いながら襖をしめて、その襖に棒を斜めに立てかける。棒がつっかえて、襖は外から開けられなくなる。
 用心棒ねぇ、なるほどなるほど。

 6時ごろに、「お食事できましたよ」と階下から声がかかった。降りていくと、すでに三人の先客が食事を始めていた。
 お遍路姿のおじいちゃん、おばあちゃんかな、との予想は裏切られた。定年後というには少し若い二人と、私より少し若い感じの一人の男性ばかりだった。ちょっと固くなってしまった私だったが、「ユースホステルにお泊まりなんですか?」と一人が話しかけてこられたので、すぐに座に溶け込むことができた。

 初めはみんな口が重かったが、次第にお互いの素性が分かるにつれて、話がはずんだ。 年輩のお二人は、なんと神戸の東灘区のお住まいだった。神戸の大震災で、町内会から何人ものお葬式を出した、という。初めは、みんなが美しい助け合いの精神で支えあってきたが、時がたつにつれてそんな気持ちも薄くなる。
 彼ら二人は、命だけでなく、運良く家の倒壊も免れた。そんな運の良かった人間と、財産をそっくり失った人間とのあいだに葛藤も生まれてくる。
 彼らはまた、職業の点でも私と接点があった。外国人のツアーでも何度か利用したことのある、神戸の高級ホテルにお勤めだったのである。たが、そのホテルも震災後の観光客の激減で、経営が思わしくなく、希望退職を募り出したそうだ。
 定年まであと数年、というお二人は、さまざまな出来事から感じるところも多く、退職を決意して、二人で八十八箇所巡りの旅に出たのだった。

 また、もう一人の男性もユニークな体験をされていた。長野でログハウスの建築の仕事をしている彼は、シーズンオフの余暇を利用して、全行程を歩いて八十八箇所を巡ることにチャレンジしているのであった。
 四国には、お接待、という習慣がある。これは土地の人が、巡礼の人達をもてなすというもので、バスや電車で回っている年輩のお二人の経験では、みかんの上に10円を載せた物をくれたり、チリ紙やお菓子やらをくれるのだそうだ。

 だが、本格的に歩いているこの男性の体験は、また違った。山の中の遍路道を息もたえだえに歩いてると、農作業帰りの軽自動車がキキーーっと音をたてて止まり、おばあさんが降りてきて、「これだけしかないが」と言いながら、五百円とか千円とかを渡していってくれるそうだ。
 そんな習慣を知らなかった当初は驚いて、返そうとしたりしたが、お接待は断ってはいけないのだ。お遍路さんは、弘法大師の化身のように見られていて、お接待をすることで、弘法さんの功徳をいただく、という意味合いもあるらしい。

「お金をもらったあと、ちょっとしてから振り返ると、そのおばあちゃんが僕に向かって、手を合わせてるんですよね。なんか、仏さまになったような変な気分でしたよ」

 また彼は、来る日も来る日も、体力の限界まで歩き続けることの厳しさを語っていた。頑健そうな若者であったが、難所と言われる山道を歩いたときには、足がカンカンになって動かなくなってしまったらしい。
 雨の山の中で難儀に遭い、もしかしたらここで死んでしまうのかな、と恐くなったという。お遍路の白装束は、死装束と同じ意味と聞いていたが、ほんとうの八十八箇所というのは、死を覚悟して歩くことだと、再認識したと言う。
「もしかしたら、ここで死ぬのかもしれない」と感じた経験は、凄みがあったと彼は語っていた。
 お遍路宿の一夜は、刺激的であった。


6 龍河洞から高知へ

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