オバサン・ドライバーが行く 6
龍河洞から高知へ
(高知)

 4月15日、土曜日になった。
 今日は高知入り。土曜日はユースも混むかもしれないと考えて、町中のビジネスホテルに宿をとった。
 お遍路宿では、お遍路さんタイムで、朝の6時過ぎには朝食コールがかかり、慌てて降りていくと、もう他の三人は食事を終えかけていた。ご飯を食べるとすることがなくなり、宿を出て昨日歩けなかった乱礁遊歩道に行った。

 弘法大師が悟りを開いたという、御厨人窟という洞窟を見学して、若き弘法大師の気分に束の間ひたってから、乱礁遊歩道を歩いた。今日は土曜日なので、あまりお天気はよくなかったが、ちらほらと釣り客がいた。波しぶきがあがる海岸のすぐそばを縫っていく遊歩道を、私はこわごわ歩いているのに、釣り人たちは遊歩道からはずれた岩場をどんどんと歩いていく。
 慣れた足取りで、磯からあがってくる釣り客と顔を合わせたとき、私はちょっと度胆を抜かれた思いだった。その人は、年のころも私と変わらない、そしてかなり美形の女性だったのだ。万全の釣り人の格好をして、スタスタと岩場を歩くさっそうとした姿に、勇気づけられる気がした。

 私は、ぼわんと口を半開きにしたまま、彼女の姿を目で追っていた。
「いるんだな。いろんな女の人が」
 長期放浪旅を企てる中年女がいるんだから、小雨の室戸岬で趣味の磯釣りに興じる中年女がいても、なんら不思議はないのであった。別にひとことの挨拶を交わしたわけでもないが、なんとなく仲間意識がこみあげてきて嬉しくなった。

 安芸市の野良時計に立ち寄ってから、龍河洞(りゅうがどう)を見学した。
 私は、子供のころに秋芳洞の絵はがきを見てとても興奮した。不思議な岩の自然の造形美にあこがれたものだった。秋芳洞は、ガイドの仕事で訪れることができたが、日本三大洞窟と言われる、龍河洞と東北にある龍泉洞は、今回の旅のちょっとしたハイライトでもあった。
 龍河洞では変わった方式の説明をしてくれた。秋芳洞は、団体の場合は、向こうの案内人がついて、マイクを使って案内してくれる。龍河洞はアップダウンがきつく、また通路が狭くなった部分があちこちにあるので、団体行動を取るのに不向きだ。日に何度もこんな所を歩かされたら、案内人も身体がもたない。だからこういう方式になったと思うが、案内人が要所要所に待機していて、そこをお客が通りかかると、ロボットにスイッチが入ったかのように説明を始めてくれる。
 たった一人で歩いている私としては、一番最初の説明ポイントで、薄暗い洞内に人影を見つけ、と同時に唐突に説明が始まったときは、驚きのあまりたぶん三センチぐらいは飛び上がってしまったと思う。
 どの案内人の方もとても丁寧に説明してくださった。たった一人の観光客にも手を抜かず、紋切り型の口調でもなく、暖かい説明をされる。まあ観光客が少ないからこそできるホスピタリティーであろうが、ついこんなことに注意が向くのは、旅行業界に長年生きた証しなのかもしれない。
 四国は穴場である。

 私が今回の旅行でなぜ四国と東北をメインにおいたかというと、旅行業をなりわいとしてきた私がもっとも行くチャンスに恵まれなかったからだった。
 そしてそれを言い換えると、もっとも人気がない、したがって、人が少ない観光地である。加えて、今回の神戸の震災である。4月の四国はがらがらだった。ユースホステルで相部屋を心配する必要はまったくなかった。むしろ、たった一人泊まる時の申し訳なさの方が問題になっていったほどだ。

 ある日のガソリンスタンドでは、そこの奥さんに聞かれた。
「あれまぁ、京都から来られたんですか? どうやって来られたんですか? 道路は、もう復旧しているんですか?」と質問を連発された。
 この奥さんは、息子さんが関西の大学に合格されたんで、その下宿のようすを見に行くのに、果たして車で行けるのかどうかを知りたかったらしい。

「名神はまだ開通してませんけど、中国自動車道から山陽道へと抜けてきました。このルートは全然問題ないですよ。一部、復旧工事のために車線規制をしているので、いつも渋滞してますけど、それ以外は平常どおりですよ」
 奥さんは欲しい情報をもらえたので、とても愛想良く私を送り出してくださった。たしかにこの時期、震災直後ということもあって、四国の観光地はお得意さまの関西人が激減して、大打撃を受けていたようだった。

 室戸から高知までの距離はほんの百キロ余りだったので、早朝出発のゆえに昼過ぎには高知に着いてしまった。
 ビジネスホテルの値段とチェックインタイムに相関関係があって、シングルが五千円から七千円ぐらいの安いホテルだと、チェックインは三時か四時である。あとは高くなればなるほど早くなり、高級ホテルでは正午になるのだ。
 高知の安ホテルである今夜の宿は、四時がチェックインタイムだった。だから部屋にはまだ入れなかった。私は車を置いてさっそくタウンウォッチングに出かけた。

 高知城の名物は、昔なつかしいアイスクリン。乳脂肪の少ない、さっぱりしたアイスクリームは大好物だ。さっそく、アイスクリンをなめながら城内を歩く。
 アイスクリームの食べ歩き、というのは自分が住む町ではやりにくいが、旅空ではしやすい。14年前のメキシコ留学で食べ歩きの醍醐味を知ってから、食べ歩きは日常からの解放を象徴する行動として私の中に根づいた。旅に出ると必ず一度や二度は食べ歩きに興じる。

 高知城、山内神社、そしてはりまや橋などの名所を歩き、さらに商店街をうろつくと、この日の万歩計の数字は一万三千歩にもなった。龍河洞の登り降りもきつかったので、さすがに足が棒になった。

 出発から四日を過ぎて、どうやら私の中にこの旅行をほんとうに続ける自信が生まれてきたようだった。マイナーな観光地やら、ユースやホテルを探し当てることが、なんとか出来ると分かった。毎日、宿では地図とガイドブックと睨めっこして、翌日のルートの研究にはかなりの時間を割いていた。少しずつ、少しずつ、見知らぬ町で目的地にたどり着く技術も練れてきていた。
 と安直に思ったのが、実は間違いで、ここからがいよいよ私のドライブ技術の修行の正念場へとなっていった。80日間の旅を振り返ってみても、ここからの10日余りの修行がもっとも厳しいものだった。私はこの10日を過ごして、つくづく思ったのだった。
「奥の細道は、東北ではなく、四国にある」と。


7 沈下橋は挑む

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