オバサン・ドライバーが行く 9
四国的、対向車理論
(宇和島)

 さて、オバサン・ドライバーに対する、奥の細道の試練はまだまだ続いた。
 四万十川から宇和島へと向かう途中に立ち寄った、滑床(なめとこ)渓谷への道もすごかった。新緑や紅葉の季節には、離合できない道が長いため、大渋滞するらしい。だが、震災の影響とシーズンオフとで対向車は一台もなく、これは恐れるほどのことはなかった。
 広い駐車場には一台の車もなかった。そこにぽつりと私の愛車をとめて、小雨の降る中、渓谷沿いの遊歩道を歩いた。

 四万十の支流の目黒川沿いの源流だが、一枚岩の川底を水が流れるので、水流が長い年月のあいだに岩の上に見事な造形美を作っているのだ。圧巻は、雪輪の滝で、なだらかな傾斜のつるりとした岩肌の上を薄い水の膜が、くるくると小さな輪を描きながら滑り流れるのである。
 滑床とは、うまく名づけたものである。つるりとした岩の表面を水が滑っていくのだ。
 この渓谷では、ひとりで寂しく歩きながらも、素晴らしい自然美を楽しむことができた。もっとゆっくりと歩いていたかったほどだった。祖谷や面河渓よりは、知名度も低く、あまり期待していなかった場所が、思いのほか美しく、また周りに人もいなくて、その空気を独り占めできるのは、こんな気ままな旅ならではのご褒美と思った。

 滑床渓谷で気分よくなった私だったが、宇和島に入ると、とたんに修行の再開だった。まず、町の地形が分かりにくく、さんざん迷った。宇和島城址のある山を目印にしようとしたのだが、どうも丘があちこちにあって、港と丘にはばまれて、道路がまっすぐについていないのが原因のようだ。
 しかも、ユースはやはり小高い丘の上にあり、その最終アプローチの道は悲惨だった。まったく離合の余地のない狭い道路が、くるくると螺旋状に丘をはい登っていく。

「対向車、来るなよぉーー。もし、来たら・・いやだ、考えたくない。対向車は、ぜったいに来ない。来ないったら来ない。もう、私がそう決めたんだから、ぜったいに来ないのだ」とひたすら念じるほかなかった。

 万が一、対向車が来たら、どちらかが、とことんバックするしか方法はない。私には、こんな長い距離をバックする技量はない。だから、幸運にすがるよりなかった。
 あとで、ペアレントさんに聞くと、
「ああ、心配しないで。対向車なんて、ぜったいに来ないから。だって、丘の上には、ユースしかないんだから、対向車に遭うはずがないじゃないか」
 なるほど、これが四国の人の発想なんだ。たしかに、この丘の螺旋道では、行きも帰りも、対向車には遭わなかった。だが、ユースの宿泊客がいるし、また物資を運び入れる業者の車も通るだろうから、「ぜったいに遭わない」とは言いきれないはずだ。
 ただ、四国という、人口の少なく、また一箇所に集まる観光客の数も圧倒的に少ない土地では、「まず、対向車は来ない」のは確かなようだ。そして、そんなだからこそ、信じられないような、奥の細道が、いまだに残されているのであろう。

 宇和島の次は、四国カルストに行くつもりだった。このあたりにユースはないので、国民宿舎の天狗荘を予約した。一人旅を受け付けてくれるかどうか心配したが、問題はないようだった。
 ユースの料金は、二食つきで、4,000−4,500円ほどである。公営のユースの場合は、3,000円を切るような場合もある。国民宿舎は、ふつうで6,600円だが、この天狗荘は少し高くて、7,800円だった。ここの料金はとくべつに高いけど、その代わりに、トイレが部屋についているのが嬉しい。

 宿は、たいてい前日に予約するようにしていた。この日は、天狗荘の予約を入れたから、四国カルストに行くことはもう決めていた。宇和島ユースの夕食後に、ユースの人に道順を尋ねた。というのは、地図を見ていても、行き方がはっきりしない。王在家から天狗高原までは、ちゃんと色つきの道があるのだが、地芳峠と姫鶴平を結ぶ道は、地図に一応のってはいるが、どの程度の道かの判断がつかない。

 若いころにはさんざん日本国内放浪の旅をした、という代理ペアレントさんは、ちょっと物事をハスに見る人で、私が四国カルストのことを聞くと、
「あんなところに、行ってどうするの? 紅葉を見にいくのなら分かるけど、こんな時期に行ったって、なにも面白くないよ。行く道は大変だし、やめた方がいいよ。悪いこと言わないからやめなさいって」と、とりつく島もない口調だった。

 行くことは、もう決めたのだからと主張して、一応の道は教えてもらった。
 だが、彼の「王在家には、近寄らない方がいい」という意見と、ヘルパーの女の子の「地芳峠のルートだけは避けた方がよい」という見解の両方を聞き入れるとしたら、天狗荘へはたどりつけない、と後から気がついた。何やら、恐ろしげな前途が待ちかまえている、ということだけが、わかった。


10 奥の細道は四国にある

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