オバサン・ドライバーが行く 14
お刺身いっぱいの民宿
(佐田岬)
松山ユースの体験に、私なりに大満足して、松山を後にした。
次の日の目的地は佐田岬である。私は、どうも半島とか岬の先っぽに行きたがる性癖がある。地図を見てると、四国から、九州に限りなく近く、てれてれと伸びている、この岬の端っこに立ってみたいとつくづく思った。
岬には、ユースも国民宿舎もなかったが、ガイドブックが進めている民宿があったので、そこを申し込んでみた。
電話にでた人が、ちょっと悩んだように、
「23日ねえ、どうかな、ちょっと待ってくださいね」と言い、かなり待たされた。
「きっとまた私一人しか宿泊客がいないから、一人の客を受けると効率が悪いから、皆で考えてるんだろな」と私は思っていた。
が、この考えは、大いなる間違いで、日曜日の夜にもかかわらず、この民宿は大繁盛していた。ひとつには、佐田岬は、四国と九州を結ぶ最短距離のフェリー、つまりもっとも安く旅できるフェリーの乗り場があるという交通の要所である。そしてまた、この民宿は、魚介類をふんだんに使った、地方の宿ゆえの大サービスの食事で有名だったようだ。
だが、これは二重にも三重にも、私には不向きな宿であった。
山盛りの刺身を出されてしまい、私はそれを手つかずで、引き取ってもらった。もっとも刺身がなくても充分な食事だった。
焼き魚、野菜のおかずに、伊勢エビを煮込んだ味噌なべまでついていた。とても豪勢な食事なのだが、私個人の好みは、ややベジタリアン的で、肉や魚類が少なく、野菜をあっさり美味しく料理し、少なめの量を見た目に美しく盛りつけてあるものなので、残念ながら、向こう側の「大サービス」は私にとっては、「ありがた迷惑」に近いものであった。
さらには、たまたま同宿したのが、30人ぐらいのライダーばかりのグループだった。あとは、中年のご夫婦が数組いた。宿に着いて、二階の部屋に案内され、私の部屋の近くの大部屋にヘルメットやら派手な色使いのライダーの服が散らかっているのを見て、ぞーっとした私だった。
民宿の人たちがいる建物は、二階の客室のエリアから離れているし、万が一、ライダーのグループが、お酒に酔った勢いかなにかで、集団で襲いかかってきたりしたら、アウトである。しかも、部屋には鍵がかからない。
幸いにして、大広間での夕食の時に、ライダーのグループがおしゃべりする声が聞こえ、漏れ聞いた話の内容から、彼らが不良グループではなく、良識ある人々で、おそらく同窓会かなにかの集まりと知って、妄想的な恐怖からは解放された。
ここで再び、民宿と国民宿舎を比べてみると、その違いの第一は、客室の定義だろう。国民宿舎は、たとえ、どんなにボロであろうとも、客室にはちゃんと鍵がかかり、フロントでキーを受け取る形式である。
民宿の場合は、もともとは民家をのちに改良したような所もあり、部屋と部屋の境は、襖一枚、ということもあるわけだ。トイレや洗面所の数や規模も、個々それぞれに違い、最低限こうだろう、という基準がない。
ただ、そんなあやふやな条件で経営するのだから、何か「売り」がないと、誰も来ない。だから、この民宿の場合は、リッチなお刺身が「売り」だったのである。
さて民宿と国民宿舎には共通し、ユースと一線を画す明白な差がひとつある。それは、食事の方法である。安宿に属するこれらの宿では、部屋まで食事を運んでくれることは、まずない。全員が大食堂で食事する。
その際、民宿や国民宿舎では、各グループの食事を、少し離して並べるところが共通している。また誰がどこの席かを示すために、名前とか部屋番号を書いた紙が、テーブルにのっている。この形式は、おしゃれなペンションの場合でも同じである。
そして、この食事の形式が、一人旅には辛い。あちこちで、それぞれのグループやカップルがワキアイアイと食事している中で、一人黙々と食べなければならないからだ。町のレストランで、一人で食事することは何とも思わない。だが、ほぼ同じ時刻に、一堂に集まった、その日の宿泊客がワキアイアイと食事する中でのヒトリは、これはさすがに辛いものがある。
「休日に、いっしょに旅してくれる相手がいない、寂しい女なのよ、私は」と書いた紙を背中にはって、食事しているような、寒々しさがつきまとう。
この点ユースは、一人旅の味方である。ユースの食事の並べ方は、グループ、一人旅を問わず、極力全員の食事をひとつのテーブルにまとめて並べる。値段によって、食事内容が違う、などということもないから、指定席ではない。適当に、好きなところに入り、その日、何かのご縁で宿泊を共にすることになったホステラー同士は、交流することが前提となっている空気がある。
このユースの暗黙の了解的な空気は、摩訶不思議な力を持っている。
たとえば、ユースのごく近くの場所で、とある男の子とすれ違ったとしよう。日本では、見知らぬ者同士は、声を掛け合わないのがフツウである。だから、何かのきっかけがない場合は、彼も私もとくに挨拶などしない。
ところが、ユースの建物の入口をくぐった場合は、これではいけない。建物の中で、すれ違った者同士は、必ず挨拶する。そして、お互いに急いでなければ、ちょっとした会話をかわしたりする。
私は思うのだが、旅そのものを愛する人は、一人旅を余儀なくされることがあるはずだ。休みが自由に取れないお国柄で、そういつも、気の合う相手と、同じだけの休暇が取れるとは限らないからだ。また、私みたいに、人生の何らかのステージで長旅をもくろむような場合は、もうどうしようもなく、一人旅になってしまう。
旅が本当に好きだという人は、一人旅をものともしない。ただ、皆が口を揃えて言うのは、「一人で食事するときが寂しい」こと。食事の時さえ、話し相手があるなら、一人旅は平気だと。
昼間、あちこちを見て歩くときは、一人の方がむしろ自由に動けて気楽である。そして夕食のときだけ、語らう相手があれば、もうそれで充分なのであった。
とある年輩のペアレントさんが、こうおっしゃった。
「ペンションが話題を呼んだころ、私はペンションとは、いかなるものかと思って、泊まってみました。しかし、あれはよくない」
この方は、ペンションの食事のときに、ユースのノリで、隣りの席の人達に話しかけたそうだ。すると、ペンションのオーナーから注意を受けたという。
「それぞれのグループで、食事を楽しんでられるのだから、話しかけるのはマナー違反」というような注意を受けたらしく、たちまちにして、ペンション嫌いになったそうだ。
もっとも国民宿舎であれ、民宿であれ、隣り合った席のご夫婦と、おしゃべりが始まって、ワキアイアイと食事したことも何度かあった。とくに、私と、あともう一組しかいないような場合は、たいていおしゃべりした。
でも、なんとなく話しかけにくいような雰囲気を感じることも多かった。人数が多いときの、食堂はたいていそうだ。また、日本の年輩のご夫婦は、お二人のあいだでもあまり話さないので、あっちでも黙々、こっちでも黙々と、だんまりの中で食事にいそしむ様は、なんとも重苦しくていやになった。
旅に出て十二日目。ユース八泊、ビジネスホテル一泊、国民宿舎二泊、民宿一泊。しだいに、自分の中で、それぞれの長所、短所が見えてきた。いや、長所、短所というよりも、私という人間との相性の問題というべきであろうか。
15 神様の授業料