オバサン・ドライバーが行く 19
奥の細道修行のクライマックス
(京柱峠、剣山)
翌日、私は四国、奥の細道修行のクライマックスを迎えることとなった。
ヨサクとアダ名される439号線を、徳島からこのユースまで完走すると、五大修行のひとつに認定されるという。
スペイン語専攻の大学生は、バイクで剣山から439号線を通ってきたらしいが、
「すんごい道ですよ。もう二度と走りたくはない。だって、道路は、穴ぼこだらけだし、ガードレールはないし、こんな道はじめてですよ」と、道の話になるたびに、どれだけひどいかを力説した。もう一人のライダー君も、
「あの道だけは、避けてますよ。僕の友人が、いちど走って、懲りたそうです。あの運転のうまい彼が、二度と行くもんか、と言ってるほどだから」
たしかに、この辺りの道は、バイクと車が離合することも困難な場合もある。町中で、バイクと離合したときに、その人がバイクを斜めに傾けるので、「???」と思ったのだが、荷物を積んだバイクの場合、斜めに傾けないと、離合できないのだった。
ライダー君の友人は、ヨサクでトラックと離合し、バイクを斜めに傾けて離合するときに、トラックのミラーが荷物に当たり、バランスを崩して、もうちょっとで奈落の谷底に落ちるところだったそうだ。
夜、自分の部屋で落書きノートを読んでいると、剣山の方から来た、多くのホステラーが同じことを書いていた。
「あんな道を国道として、地図に載せるのは間違っている。あれは酷道と書くべきだ。あんな道、見たことない」
「あんなひどい道を走ったのは、初めてだった」
「生きた心地がしなかった」などなど、凄まじい怨念に満ちた告白が連ねられていた。
翌日の宿は、剣山に決めていた。私は、ユースの部屋で、ひとり心細い夜を過ごしたのだった。
翌朝は、6時からの「本堂、すわろう会」に参加した。私が一番ノリだったが、ひとり、またひとり来て、結局全員が参加した。お住職は、座禅の作法と心得を簡単に説明してから、朝のお勤めを始められた。
きれいに晴れ上がった日の、早起きはすがすがしかった。
さあ、出発。
私は、トランクの奥底から、初心者マークを探し出し、それを車の前にはった。対向車と出くわした場合、0.7キロもガードレールのない崖っぷち沿いの道をバックするのは、できそうにもなかったからだ。初心者マークを三つ葉葵の印篭よろしく、相手の車につきつけて、向こうさんにバックしてもらおう、というせこい計画である。
豊永から、剣山まで、65キロもある。片方は切り立った崖、片方は山だが、溝があるから、山側に寄ればいいというものでもない。ガードレールもないし、路肩の強度もあてにはならない。
「ここが道路の端ですよ」と示すかのように、二本の白線がひかれていたが、その幅は、まったく余裕のない一車線である。ときには、道路の状況により、その二本の白線の幅は、なんだかとっても狭くなっていた。
くねくねと曲がりくねる道路を、この白線を目安にして、ハンドルを切るのだが、「あ、脱輪しちゃったか!」と思って、急ブレーキを踏むことも、たびたびあった。幸いだったのは、まだ木々の葉っぱが、そう元気良く生い茂る季節ではなかったので、比較的、見通しのいいことだった。

京柱峠に向けて、道はますます狭くなり、峠で県境を越えて、高知県から徳島県に入ると、ますます道路のコンディションが悪くなった。四国に住んでいた友人が、
「徳島はお金がないから、道路が悪いのよ」と言っていたのを思い出す。
徳島県に入ると、道路の穴ぼこが増えて、カーブ・ミラーの数が減った。こんな連続カーブの道が、65キロも続くというのは、やはり、修行以外の何物でもなかった。
対向車は、数台あっただけで、それもなんとか離合可能なところが多かったので、バックする必要はなかった。ただ一度だけ、狭い道の真ん中で出くわし、しかも私の少し後ろに広くなったところがあったので、いくら初心者マークで武装していても、私がバックすべき立場なのは、明白だった。でも左側が崖だったので、私は助手席の人のフォローなしに、崖っぷちの線にぴったりつけてバックするような、度胸も技術もなかった。
私は右後ろに下がることを思いついた。これなら山側の線に寄せれるし、しかも窓から首を出すことで、どこまで寄れるかが一目りょう然である。相手のドライバーは、ぐいと右に寄せてハンドルを切る私に、一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに私の意図が読めたようで、ひとつ大きく頷いて、クラクションをプッと鳴らして、私の左側を通り抜けていった。
剣山リフトのサインが見えたとき、地獄の出口にたどりついたような安堵を覚えた。
この日、私はもうひとつのチャレンジを予定していた。前に石鎚では果たせなかった、登山体験である。剣山は、1955メートルの山であるが、リフトがかなり上まで行けるので、そこからはたったの40分である。私の体力でもなんとかなる程度である。
しかし、山は山。いざ登ってみると、道が半分なくなっているような所や、砂利のためズルズルとすべるような箇所があちこちにあった。とくに、足元がすべって頼りないのは、とても恐い。恐がりの私は、よほど折り返そうかと悩んだ。が、なんとか勇気を振り絞って、山頂までたどりついた。
山頂で、女ひとり、固形燃料でコーヒーを沸かしている人がいたので、話しかけてみた。
「お一人ですか?」
「いえ、主人があの山まで行ってるので、私はここで待ってるのです」
聞くと、彼女自身は、あまり山登りが好きではないらしい。体型もかなりふっくらして、確かに山好きとは見えなかった。ご主人が登山が趣味なので、ときどき無理やりに連れてこられるのだと言う。
「私も、もともとは山とか苦手なんです。いまもコワゴワ登ってきたんです。下りも恐いなぁって、ちょっと心配なんですよね。そうだ、お二人で降りられるときに、もしかして、谷底に私が落ちていないか、ときどき覗きながら降りていただけませんか?」と私は、奇妙なお願いをした。彼女は、笑いながら、
「いいですよ。しっかり覗きながら、帰ることにします」と言ってくださった。
山頂の売店で、私は杖を買い求めた。そして知った。杖が一本あるだけで、下りの恐さは、全然ちがうってことを。ずるずると足元の定かでない箇所も、杖を支えにすれば、ホイホイと降りることができた。ただ、今度は、リフトに乗るときに、その杖が邪魔になって苦労したが、まあ仕方があるまい。あることで便利だったものが、違う局面ではお荷物になる。長い人生では、よくあることだ。
その日泊まった、剣山の国民宿舎は、「廃屋かなぁ」と真剣に考えたほどの、見事なボロ小屋だった。だが、スチームの暖房がぽかぽかと暖かく、また夕食のときの、小芋と豆腐の田楽がめっぽう美味しかった。
二大修行をクリアした日の宿で、心地よい寝床と、そこそこの食事があれば、旅人は充分に休息できるものだと、実感した。くたくたに疲れたその夜の睡眠は、それほどにハッピーなものだった。
私もひと皮むけたかな、と思える、満ち足りた夜だった。
20 五箇山のホラーな一夜