オバサン・ドライバーが行く 20
五箇山のホラーな一夜
(五箇山)
ゴールデン・ウィークの混雑を避けるべく、京都の我が家で荷物の作り直しなどをしながら数日を過ごした。なんとか四国の旅を終えた私の旅は、いよいよ正念場にはいっていく。これからは、北へ北へと進んでいくのだ。
四国の場合は、距離的に近くて、いざとなったら尻尾を巻いて我が家へ戻れる、という気持ちがあったが、これから先は、どんどん遠方へと進んでいくのだから、大海原へと漕ぎ出す舟のような心細さと、またいよいよ大旅行が始まる、という小気味のいい興奮とがあった。
5月11日、再スタートを切る。ここまでの走行距離は4300キロだった。初日は北陸自動車道を軽く走って、小松に入ってビジネスホテルに泊まり、次の日は五箇山のユースホステルに泊まった。
二日とも雨。それも一日じゅう降りっぱなし、といういやあな雨だった。小松から五箇山までは、たいした距離もない。またまた時間つぶしに苦労する。
昨日は、トンネル内の事故現場を通り過ぎたのだったが、この日は小松から国道8号線に出たとたんに、目の前で事故を目撃した。
信号が赤だったので、どの車もスピードを出していなかったため、大事故ではなかったが、左側にあるショッピング・センターから出てきた、女性が運転する車が、私の前の車が停車したので、道路を渡って右折しようとした。ところが、中央よりの車線、つまり私の右側を通り過ぎたタクシーが、ちょうど車の影から現れたばかりの、その車と衝突した。女性の車の右ボディが大きくへこんでいた。
雨はざあざあと降り頻っていた。運転席にいた女性の表情が、雨の向こうに、ひどくはっきりと見えた。
「もう、やってられないわ」とでも言っているかの顔。これ以上、いやなことは有り得ないという、今にも泣き出しそうな顔だった。タクシーの方も、止まったまま。普通なら、運転手らが、すぐさま降りてきて、ああだこうだと言うシチュエーションなのだろうが、どちらのドライバーも、運転席を出ようとしなかった。
たとえ、ほんの一瞬でも外へ出たくない、と誰もが感じるほど、雨は強く降っていた。 こんなときは、あまりのけだるさに、何もしたくなくなる。
私のけだるさは、事故を目撃したショックを感じることさえも拒否して、前の信号が変わると、無感動に、無表情に、他の車の流れに乗って、その現場を後にした。
ただ、大型店舗の並び、買い物の車が出たり入ったりする、8号線をこれ以上走りたくなくなったので、国道よりも走りやすい北陸自動車道にまた入った。そして、パーキング・エリアに車を入れて、地図を睨む。あれこれ考えて、こういう日は、何よりも雨を避ける日程にしようと思い立ち、高岡市の商店街に車を向かわせた。
銅の町、高岡の唯一の観光スポットである高岡大仏の写真を一枚撮り、アーケードを歩いて、大和という瀟洒な建物のデパートに入る。都会育ちの私にとって、お洒落なデパートが珍しいわけではなかったが、雨から逃れられるだけでも、砂漠のオアシスのような場所と言えた。この日の雨は、それほどに鬱鬱とした冷たい雨だった。私は、デパート内のティーサロンで、焼き立てのワッフルを食べて、ひとときを過ごした。
この日、五箇山のユースホステルで、私は初めて、他のホステラーと同じ部屋に入った。この日は、男性ホステラーはなしで、女性二人だけだった。

合掌造りの建物に泊まれる、というのが売りのユースだが、ペアレントさんは、それまでのユースで経験したような方とはずいぶん違った。
なんとなく、事務的なのだ。
また、パブリック・スペースにあたる場所は、そこのファミリーの居場所とまったく境界がないので、寝そべってテレビを見ているおばあちゃんとか、その他数人の人が出入りするが、ほんとうは誰がペアレントさんなのか、誰が家族なのか、誰が村の住人のお客様なのか、まったく分からない。
ゆえに居心地が悪い。
雰囲気的には二階の自分の部屋に行くしかない。二階には、小さなロビーのようなスペースがあり、そこから細長い廊下が二本、建物の中央を突っ切っていて、各廊下に沿って、小さな和室が並んでいる。たくさん部屋があるのに、同じ部屋に二人をつめこむのは、「ユースでは、一人旅の人が語らいながら夜を過ごす」という考え方から来るようだ。案内された部屋に入ると、フトンを頭からかぶって座っている、起きているのか寝ているのか分からないホステラーがいた。
最初、私は喜んだ。だって、女一人旅の人にようやく会えたのだから。私は、あれやこれやと話しかけた。彼女は、もちろん普通には受け答えしてくれたが、すぐに彼女がオシャベリ好きでないことは分かった。
富山に住んで、発掘調査の仕事をしているらしかった。
「へえっ、面白そうなお仕事ですね。お仕事のこと、いろいろ聞きたいなぁ」
と私が目を輝かしても、
「いえ、しょうむない仕事ですよ。単調で、退屈で、とくにお話することもありませんよ」と言われてしまって、後が続かない。
せっかく休暇を利用して、マイカーをころがして、五箇山までやってきたのに、雨にたたられて、彼女もブルーになっていたのかもしれない。しかしこの彼女はまさに、一緒に旅する友人も、ボーイフレンドもなく、しかたなく一人旅をしているような人だった。
夕食のときは、広い合掌造りの居間の、片方の半分には、ユースの家族たちが食卓を囲み、残りの半分には、私と彼女が小さなテーブルをはさんで食事した。せめて食事の時など、楽しいお話を、と思い、私は自分の仕事の話などをした。私の仕事のエピソードは、面白い話がたくさんあるから、たいてい相手はコロコロと笑いだすのだが、
「えっ、通訳なさってるんですか? すごいんですね。私、今、すごい人と話してるんですね」とショックを受けたようで、なぜか彼女は、ますますくらーくなってしまった。
さすがの私も、会話をつなげることができなくなって、二人は、ただ黙々と食事した。
夕食後、入浴してから部屋へ戻ると、彼女は、部屋の電気を消して、フトンをかぶって寝ていた。まだ、7時である。
「まいったなー」と、私は困り果てた。
ペアレントさんに、事情を話して別の部屋を使う許可をもらった。真っ暗な部屋から、そーっと私の荷物を運び出し、隣りの部屋に移った。襖一枚へだてただけの、古来日本様式の部屋なので、音をたてないようにと気を使う。
夜の時間はたいてい、翌日のドライブ・ルートの研究に充てるのだが、隣りに気を使って静かに、ページをめくる音さえ気がねして、ひたすら静かに時を過ごしていると、合掌造りの家のプライバシーの無さを思い知った。
下の居間での会話が聞こえてくる。とくに、電話での会話の時は、人間、無意識に声のトーンをあげるので、会話の一言一言が、ちゃんと聞こえる。独り暮らしに慣れて、完全なプライバシーを確保した中で、長年生活してきた私にとって、こんなにプライバシーのない生活は考えらなかった。脈絡もなく、農家に嫁いだ嫁の暮らしなどを思いやった。
夜、10時ごろに、私も床についた。しかし、隣りの部屋で寝返りをうつ音さえ、手にとるように聞こえてしまう状態で、なかなか寝つかれなかった。
隣りの彼女は、夜中にも理解に苦しむ行動をとった。突如として、ドタン、バタンと物音がしたり、急に「あーあっ」と大きい声を出したりするのだった。とくに、真夜中ごろ、自分の部屋の襖をぴしゃっと大きい音をたてて開け、廊下をバタバタと、すごい音をたてて歩いた。そして今度は、何かに追われたかのように、大あわてで廊下を走るのだった。彼女が、こっちの部屋に向かって、走る音が聞こえたとき、私は恐怖に震え上がった。なんとなく、彼女が私の部屋に乗り込んでくるような錯覚を覚えたからだった。
結局、その夜はしっかりと寝そびれてしまった。恐怖映画のヒロインのような夜を過ごしたのだから、無理もなかった。
朝食のときに、彼女と話したのによると、どうやら昨夜は7時から寝てしまったので、夜中に目が覚めて困ったそうだから、あれらの騒々しい行動は、単に寝つかれずに困ったゆえのことだったようだ。
どんな時にも、たいていの人と、少なくとも表面的なお付き合いはできる自信があった私に、彼女は、お近づきになれない人もいるってことを教えてくれた。
21 ユースの達人