オバサン・ドライバーが行く 22
どんより空の富山
(富山)
翌日は妻籠の宿場町を歩いてから、また同じ国道を富山に戻った。日曜日の夜、富山のユースには、けっこうたくさんの人がいた。これだけ多くのホステラーと同宿するのは、松山以来だった。とても素朴でやさしそうなペアレントさんは、できるかぎり、各グループに一部屋を提供する方針のようで、混んでいるにもかかわらず、8人部屋を独占することができた。

どうも、それぞれのユースにそれぞれの方針があるようだった。できるだけ、個室を提供する方針と、ユースは仲間作りの場として、相部屋にする方針と。それは単にペアレントさん、個人の考え方だけでなく、そのユースの場所柄にもよるようだ。富山とか松山などのように、県庁所在地で駅から便利なユースの場合、ユースを安価な宿泊施設として利用する人が多いのかもしれない。それに比べて五箇山などは、明らかに旅を楽しみにきている人のみになる。私としては、長期ドライブ旅行なので、夜はひとつの部屋を占領させてくれるユースがありがたい。
談話室には、さまざまな人がいた。テレビで野球の試合を見ているおじいちゃんホステラー、北海道から来て、昆虫の研究をしている大学院生。彼は、ユースの裏手の草むらから、目的の虫を見つけて興奮していた。
「見てください。ほんとにいた。この虫は、北海道では見られない種なんです。僕は、この虫を見るために、ここまで来たんですけど、こんなにすぐに見つかるなんて、なんて嬉しいんだ」と、見た目には、ただの小さな虫、という感じの昆虫を、顕微鏡まで動員して熱心に観察していた。
また、富山にしかない専門学校で勉強するために、数カ月間ユースに滞在して、猛勉強している女性もいた。
究めつけだったのが、劇団のドサ回りグループだった。全国の幼稚園を回って、人形劇を見せているグループらしい。夕食後は、その団員の女性のひとりと、あれこれとおしゃべりした。食堂には、彼女と私と、あとおじいちゃんホステラーのみが残っていた。自由にコーヒーを飲めるので、彼女とお茶しながら、とめどなく話をしていた。
おじいちゃんは、私たちの会話に加わるでもなく、テレビを見ていた。テレビは、談話室の方にもあるのに、なぜか食堂のテレビを見る。それは、彼の勝手で、かまわないのだが、私たちが話に夢中になって、声のボリュームが上がると、ウルサイとばかりにこちらを一瞥してから、テレビのボリュームを上げるのだから始末が悪い。
私たちのオシャベリがウルサイのなら、談話室のテレビを見ればいい。だいたい、テレビばかり見ているのなら、なにも旅しなくても、自分の家でテレビを見ていればいい。鷲羽山で会ったようなおじいちゃんホステラーは大歓迎だが、こういううっとうしいおじいちゃんは、ユースに合わない、と思った。
ユースにはユースの暗黙の了解がある。それは、泊まり合わせた者同士、気持ちよく、暖かく、一日を過ごすことだと思う。無理やりオシャベリに加わる必要はもちろんないが、意地悪するがごとく、テレビの音量を上げるような行為は、やめてほしかった。自分がトシをとる時、こういう意固地な老人にはなりたくないと思った。
さて、京都から、富山に入り、木曽まで南下し、また富山に戻ったのには訳があった。
富山に住む高校時代のクラスメートと月曜日に会う約束をしていたからだ。大阪出身のクラスメートの大半は大阪近辺に住みついたままなので、40歳を過ぎた最近では、子供の手も離れて、ミニ同窓会をすることも多くなってきた。だが、Nさんだけは、大学を出てすぐにご両親の転勤で地方に行き、見合い結婚をしてしばらくは関東に住み、その後はずっと富山にいた。だから、15年近く会っていない親友だった。
月曜日、彼女の住む社宅近くで待ち合わせし、町のレストランでおしゃべりした。彼女は、私のクラスメートの中では、ちょっと異例の生活をしてきた。というのは、たいていの友人たちが、仕事を持っているか、少なくともアルバイトぐらいはしている中で、地方に住む彼女は、完ぺきな専業主婦をしてきたことだった。
高校時代、たぶんクラスでいちばん可愛い性格のNさんは、結婚後、いちばん苦労していると言えた。息子の登校拒否、という問題を抱えていたからだ。幼稚園から始まって、小学校高学年に至る現在まで、息子さんはずっと、登校拒否状態だった。
「やっぱ、Nさんは、甘やかしたのよ」と他の仲間と話していた。
そう、子供が登校拒否になると、周りは無責任に、
「それは、お母さんが悪いのよ」
「もっと厳しくしつければいいのよ」などと言う。
心やさしい、無邪気な天使のようなNさんにとって、そう言われることは、何より苦しかったようだ。
彼女は、カウンセラーに相談し、親業の講座に参加し、児童心理学やらの本を読みあさる。いろんな人に、いろんなことを言われ、振り回されて、悩み続けただろう。彼女の苦しみが、会話の中から伝わってきた。
「最近うけたカウンセラーの先生から、父親と息子との関係がうまくいっていないようだ、と言われたの。それで、ずいぶん私の気は楽になったけど、じゃあ、どうすれば登校拒否が治るかは、やっぱり分からない」
Nさんのお宅にもお邪魔した。娘さんはしっかりしたお嬢さんに育ち、お父さんは、典型的な働きバチの理系人間で、まじめに会社で仕事し、苦手な人づきあいもこなして、家族を支えている。問題の息子さんも、利発でユーモアを解する、ほんとうにいい子だ。
誰が悪いわけではないのに、家族全体のバランスがきしんで、登校拒否に結びつく。そんな彼女の家庭をみて、彼女の悩みを聞いて、私は何も言えなくなってしまった。彼女の家のことを、すべて分かっていない私が、口を挟むことはできない。
「事態が、少しでも好転するように、祈ってるわ」としか言えなかった。
それでも、久し振りにオシャベリできて、よかった。富山に来てよかった、とつくづく思った。たぶん、Nさんも私との再会を喜んでくれていたと思う。
「富山はね、いつも雲ってるの。ああ、暗くなったな、と思うとすぐに、雨が降ってくるの。お天気予報で晴れと言っていても、やっぱり降るの」
と言っていた彼女の言葉を裏づけるような雨の朝、彼女に見送られて私は富山を後にした。(振り返ってみると、四国では26日のうち8日が雨だった。その後京都を再出発してから、最初の6日間のうち5日が雨だった。富山近辺では雨に祟られ続けたことになる。だが、その後は嫌になるような雨とは縁を切ることができた)
五箇山のユースで出会った彼女も富山に住んでいた。富山に住む人がみんな暗いとは思わないが、こういうどんよりとした天候は、なんらかの影響を与えてしまうのかもしれない、と感じた。
23 安曇野のオシャレな宿