オバサン・ドライバーが行く 23
安曇野のオシャレな宿
(安曇野)

 富山から、国道41号を南下し、471号に入って乗鞍へ向かう。国道の番号が三ケタになるのを少し恐れていたが、どうということはなかった。四国の439(ヨサク)を卒業した私は、もうたいていの道路は平気になっていた。

 ただ、安房峠の景色には圧倒された。ここにきて、私は北へと進路を取っていることを再認識した。切り立った深い崖を取り囲んでいる深山は、しっかり雪化粧していたのだ。雪解けのときだった。静かな山の木々から、ぽたりぽたりと雪解けのしずくが落ち続けていた。道路沿いも、日当たりの悪いところには、どっちゃりと雪が残っていた。
「道路が雪に覆われている状態になったら、引き返すしかないな」と覚悟を決めて走った。チェーン装備をもっていない私にとって、雪に覆われた崖っぷちの道路を走るのは、冒険というより無謀になってしまう。幸い、交通量が少ないにもかかわらず、道路が雪で通行できない、ということはなかった。でも、もしかしたら、今日の予定を変えざるを得ない、と考えながら車を進めるのは、かなりドキドキものだった。

 いよいよ車は信州に入ったのだ。四国や北陸とちがって、信州はやはり観光業界では王者の貫禄がある。そこここに、素晴らしい景色が待ち受ける。安房峠は、そのゲートだ。 考えてみれば私は、春に旅行をするのは初めてだった。春と秋は、観光シーズンゆえに、ガイドの仕事が忙しくなる。桜とか紅葉は、仕事で訪れる京都の寺社や、箱根や日光でも見れるので、むしろ人より多く目にしてきたが、春にプライベートで旅するのは初めてだった。
 信州は何度か訪れたが、いつも夏だった。だから、白山とか白馬の山々がこってり雪に覆われた景色に、衝撃を受けた。こんな景色はスイスでしか見れないのだと思っていたが、春の日本アルプスでも、充分に楽しむことができるのだ。海外添乗の仕事で、スイス・アルプスを訪れたとき、日本アルプスなんて、おそれ多い名前をよくぞつけたものだと思ったが、こうして雪景色の山を見ると、その名が決してこけおどしではないと知った。

 今日の宿は、ユースの人気番付の上位に輝く、四ツ星ユースだった。穂高の駅から近く、北アルプスの雄姿に抱かれる安曇野のど真ん中にある。
 最後のアプローチにかかった時、すごい夕立になった。そのため視界が悪く、道に迷ってしまい、途中から電話をかける。私は、この旅行のために、携帯電話を持参していた。こうして道に迷ったときや、或いは事故にあったときなんかも、すぐに救援を呼ぶことができると考えたからだ。もっとも山深い所では、電波は届かないが、ここ安曇野では問題なく使用できた。月々の基本料金の支払いは、ちょっと痛かったが、まあ保険に入ったつもりで、契約したのだった。
 ユースに電話をして、道を尋ねる。
「雨で大変ですね。お迎えに行きましょうか」
 まあ、なんとやさしいペアレントさんだろうか。このユースの人気が高いのが頷ける。
「いえ、車ですから、大丈夫です」と答えて、行き方を丁寧に教えてもらった。

 さて、期待した建物は、もう女の子好みの、可愛い可愛いペンション風で、ウィークデイにもかかわらず、多くのホステラーがいた。夕食も、噂どおりのリッチな内容で、手作りフランス家庭料理と呼べるような、これもペンション風であった。
 食卓での会話は、都会風ではあったが、私にはかなり鼻につく俗悪さであった。というのは、まず小生意気なヘルパーがいたこと。たぶん20代前半という若さなのに、あれこれ断定的に自分の偏った意見を述べまくる。

「パックツアーって、最低ね。去年、香港にツアーで行ったんだけど、ひどいひどい。もう二度とツアーでは行かないって心に決めたわ」
 香港のツアーでは、よく聞く話しだが、免税店で半強制的に買い物をさされたそうだ。
「あれは、詐欺よ。免税的でばかり時間を取って。ああして儲けるのよね」とひどく罵倒してくれる。私は、五箇山ユースのことがあって、自分の職業について口にすることを躊躇していたため、反論はしなかった。彼女は、ホステラーの中に海外旅行経験者が少ないのをいいことに、自分の海外体験をしゃべりまくっていた。ちっぽけな経験から得た、一人よがりな意見を言いまくる、私のもっとも嫌いなタイプだった。

 また、それに輪をかけたような、浅はかな知識をひけらかす男がいた。東京のスシ屋の板前らしいが、客層がいいらしく、大人の会話を漏れ聞くことができる立場から、世の中のことは何でも知ってるぜ、俺は、という顔をしている。
「俺は、雑学の帝王だ」と彼は言ってのけた。
 帝王なんて言葉は、他人様からつけられる言葉であって、自分で名乗る言葉ではない。そんなことも知らない男は、次々とほらを吹いて、人間の薄っぺらさを露呈していた。

 母と娘で、旅している二人づれがいた。彼女たちは、一見、中味のありそうな人達で、ほら話には参加をせず、静かに食事をしていた。あと、お坊っちゃんそうな大学生や、地方都市からきて一人旅をしているオジサンが、「僕は田舎者ですから」と謙虚な姿勢で会話にやんわりと加わっていた。
 しかし、話題が、手作りガラスのことになったとき、母娘が急に積極的になった。近くにあるアートヒルズの話が始まった。そういえば、私は道に迷ったときに、「この近代的な建物はなんじゃらほい」と思いながら通りすぎたところが、そのアートヒルズだったようだ。ガイドブックを見ると、「世界中から集められたガラスを展示即売。ガラスの製造工程の見学も可。館内にはオシャレなイタリア料理店もある」とある。

 私は、この手の、「工房見学」とか、「体験できます」とかのキャッチフレーズは、冷ややかに眺めることにしている。日本全国、この手のものが増えている。世界にもある。でも、たいていは、そんな言葉で客を呼び込むだけで、実際には、「お店」にほんの少し毛がはえた程度のものである。
 しかも、最近の流行りで、「オルゴール博物館」とか「ガラス工房」とかが、土地の伝統との脈絡もなく、雨後の竹の子のように増えている。小樽の北一ガラスとか、長浜の黒壁ガラスとかなら、伝統もあって分かる気がするが、それらの成功をにらんで、まったく脈絡なしにオープンするところが多いからいやになってしまう。
 この母娘にしても、ちょっとはオモロイものを持っているのかと期待したが、ただ時勢の流行りを追っているだけの人と知った。


 食事が終わると、いったん食器を片づける。ここでは、ホステラーが皿洗いをする必要はなかったが、厨房まで食器を運ぶように言われた。そうやって、食器を片づけてから、すっきりとしたテーブルにデザートが運ばれるというシステムなのだ。おお、オシャレ。
 さらに、デザート・タイムが終わると、クラシック・タイムが始まった。「洗練されたオーディオ・ルームでクラシック音楽が聞ける」また「世界各国のビールが飲める」というのも、このユースの売りのようだ。
 スシ屋さんが、何本かのビールを買って、みんなに振舞った。誰かが、お金を出そうとすると、「ヤボなことはなしにして、飲めばいいんだよぉ」と、いかにも帝王ぶった言い方をした。雑学の帝王は、クラシック・レコードを前にして、クラシック音楽やオーディオ機器に関するうんちくを傾けていた。

 オシャレなユースでは、オシャレな食事をして、オシャレなミュージックを楽しみ、オシャレにお酒を飲む。集まってくる人達も、やはりオシャレを自認している人達なのだろう。私は、なんとなくこの都会をきどった、一見オシャレで、じつは地に足がついていない雰囲気が、なぜ私に合わないのかを、ぼんやりと考えていた。もっとも表面的には、オシャレな語らいのひとときに、溶け込んでいたが。

 翌朝、私は田植えの終わったばかりの安曇野を歩いた。
 この季節が、こんなに美しいとは知らなかった。水を満々とたたえた水田が、空の青さを反映するので、全体の色調が、青と緑になる。ただのべた塗りの青や緑でなく、きらきらと輝く春の大気が透明感を与え、色がいきいきと呼吸している。
 春の息吹に包まれた道を、道祖神を探して歩く。男神と女神が一対、仲よく手を取り合っていたり、肩を抱いていたり、あるいは、杯に酒をついでいたりする。旅人を守ってくれ、子孫の繁栄、夫婦和合の神様として信仰されているが、私はそれらの像の素朴な愛らしさが好きで、何体もの道祖神をカメラに収めた。


24 水芭蕉幻想

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