オバサン・ドライバーが行く 24
水芭蕉幻想
(戸隠、鬼無村、乗鞍)
なんとなく私は、水芭蕉にあこがれていた。なぜか知らないけど、あこがれていた。あれこれガイドブックをひもといて、気づいたのは、水芭蕉が関西にない、ということ。だから、歌や文学で頻繁に耳にする水芭蕉を、この目で見たことがなく、聞き知っているのに見たことがない、ということが、ロマンを掻き立てていたのであろう。
戸隠に宿を取った翌日は、そんな私にとって、すんごい一日になった。もう、水芭蕉のオンパレードだったのだ。

まずは戸隠の森林植物園。早朝だったので、人も少ない。青空はどこまでも澄み切っていて、桜やコブシの花も競い咲いている。熱心に写真を撮っていた私は、感激のあまり、誰かに声をかけたくなった。通りすがった、中年のご夫婦に、
「ほんとうに、きれいですね。私、初めて水芭蕉を見ました」と言った。
「いや、たしかに、ここのは小振りなので、とてもきれいです。尾瀬の水芭蕉は、富栄養になっていて、成長しすぎて化け物みたいですから。ここの方がずっときれいですよ」
尾瀬もまた、あこがれの地であった。ご夫婦にあれこれと、尾瀬のことを尋ねた。
「尾瀬よりも、奥裾花自然園がいいですよ」とすすめられ、私はさっそくそこに向かうことにした。国道から逸れて、ぐんぐんと山を登る。山頂の駐車場から先は、シーズン中、マイカー規制がひかれ、路線バスで行く。私は、ご夫婦にアドバイスされたように、貸し長靴を借りていった。
自然園の遊歩道は、まだ部分的に雪に埋もれていて、また雪解けの水でぬかるんでいたので、長靴は大いに役立った。森の中の遊歩道に沿って歩くと、80万本もあるという水芭蕉が一面に咲き誇っていた。
さらにその日の宿泊地である乗鞍にも、水芭蕉はあった。夕暮れ時なので、周りには誰一人いない。うっすらと赤くなった夕陽を浴びた水芭蕉は、また違った神秘性を抱いていた。
その後、美ヶ原のビーナスラインをドライブして、八ヶ岳から清里高原、鬼押し出しから軽井沢を経て、前橋に入った。
清里から前橋へのルートを走っているとき、私は「これ以上、東京には近づくまい」と決心していた。なぜなら、土曜日のこの日、あちこちに行楽客があふれているのに辟易としてきたからだ。
また、観光地の駐車場にゴミ箱が少ないことに気がついた。いや、無いと言ってもよかった。この辺りでは、車内のゴミを捨てようにも、ゴミ箱が見あたらないのだ。ゴミは、ガソリン・スタンドで捨ててもらうしかなかった。
安曇野からここに至るまでに感じていた、漠然とした不満の原因がしだいに見えてきた。ここは、関東圏だということ。いや、関東文化圏だからどうこう、というのではない。要するに、人口が多すぎるのだ。
信州エリアは、関東と関西の両地域からの観光客が流入するから、ユースの人の応対にも、乾いてとげとげしい、指先のササクレのような空気を感じていた。さらに、関東圏に接近すると、その空気はよりいっそう密度を増した。
土曜日、私が目新しい光景として見つけたのが、オートバイを20台ぐらい連ねたツーリングのグループだった。20台ものオートバイが連なって走るので、片側一車線しかない国道などでは、車にとっては、大きな障害であった。だが、そんな一団とあちこちですれ違った。ハーレクイン・ダビッドソンのド派手なオートバイの一団もいた。いろんな集団が、さまざまな個性のグループを作って、関東近郊のあちこちを徘徊していた。
こんな大規模なバイクのツーリング・グループを目にしたのは初めてだった。その他も、さまざまな形態の小グループ、大グループがいた。これはもう、東京という大都会ゆえの人間の大移動である。
観光地の人々は、そんな大勢すぎるお客様に辟易としているようだった。ゴミ箱を置くと、すぐさまゴミが溢れでて、その処理に困ることだろう。だったら、置かなければいい。それまでの道中、ゴミ箱はどこにでもあったのに、関東圏に入ると忽然と姿を消したのには、ものすごい違和感があった。
関東では、ゴミはお金を出して処理してもらうもの、に近い感覚があるように感じた。アイスクリームを買うと、そこで食べたアイスクリームの紙袋は引き受けてくれる。が、そうではないゴミは、お持ち帰りください、と言わんばかりのムードだった。
土日は前橋のビジネスホテルに滞在する予定だった。前橋駅へと車が近づくと、国道の車の量が、どんどんと増え、それにつられてガソリンの値段がどんどんと下がった。この時期、ガソリンの値段は、1リットルで120−125円していた。私が回ったのは、主に田舎だったので、都会よりも割高である。京都市でも115円ぐらいしていたから、僻地にいくと125円は、仕方がなかった。それが、前橋に近づくと、110円を切り、駅に着く直前で立ち寄った店ではなんと100円を切っていた。
「ああ、東京に近づいた」と実感した。100円を切るガソリンなど、それまでお目にかかったことがなかった。私は田舎から出てきた、お上りさんになった気がした。
前橋には、合計三泊した。東京の友人と会うために一日を使い、尾瀬に行く方法を模索するために一日を費やした。尾瀬の水芭蕉への幻想は、根強かった。尾瀬のガイドブックを買って、尾瀬探索について研究する。そのガイドブックに、私は妙な記述を見つけた。
「この国民宿舎は、大変ゆったりとしていることで好評。シーズンのピーク時でも、畳み一畳に一人以上、詰め込むことはない」
ということは、他の山小屋などの宿泊施設は、もっともっと詰め込むということか。畳み一畳に二人以上とは、ちょっと想像できない混雑ぶりである。でも、夏のシーズンの山小屋なんかは、みんな折り重なって寝るらしいから、こういう記述も不思議ではないのだろう。しかし、混雑の嫌いな私には、耐えられそうにない混みようだ。

尾瀬という広大な湿地は、知れば知るほど魅力的な場所らしかった。だが同時に情報を得れば得るほど、混雑が激しく、またアプローチが大変そうだった。
まず、水芭蕉の季節の週末にはマイカー規制がある。この22日の週はまだ規制が始まっていない、ということは、まだたいして混雑していないだろう。そう考えて、とりあえず行ってみることにした。ホテルを朝の5時に出て、一時間半かけて鳩待ち峠に向かった。幸い、そこの大駐車場に車を置くことができた。(朝の8時を回れば、もう満車になってしまう)
しかし、この年は雪解けが遅かったようで、峠から尾瀬へと降りていく道の大半は雪に覆われていた。私がおっかなびっくり、雪の上を歩いていくのを、山歩きに慣れた老夫婦が、どんどん追い越していく。といっても、木道が凍っていたりするので、すってんころりんと転ぶ人も見かけた。私は傘を杖がわりにして、慎重に歩いた。転び方が悪いと、谷底にすべり落ちてしまうかもしれない。その瞬間に私の近くに人がいなかったら、私はたくさんの人が行き来する、すぐ近くの沢で凍死する、なんて悲惨な結果を迎えることも、無いとはいえない。
しかし足元がつるつると安定しないのは、どうも心もとなくて、結局約一キロほど歩いた地点で、ギブアップすることに決めた。

帰り道は登りである。下から見ると、歩いてきた雪道がじつはジワジワと溶けていて、中がうつろになっているような所も多かった。雪の端っこに体重をかけると、ぼそっと落ちてしまいそうな危なっかしさである。
こんな恐ろしい思いをして進んだとしても、かなりの人混みが予想された。それほどたくさんの人を見かけた。そう思うと尾瀬が秘境だと言ってみても、あの人口を抱えた関東圏からこんなに近くては、秘境は秘境でも名ばかりなのではないか、という気がしてきた。尾瀬のガイドブックには、木道で写真を撮る人がいると、その後ろにいる人は、写真撮影が終わるまで、じっと待っているしかない、という混雑ぶりが伺える写真がたくさん載っていた。
到達できなかった尾瀬を、「どうせ秘境なんて名ばかりよ」と罵倒することで、うさ晴らしをした。そうやって尾瀬への未練を断ち切って、日光のユースを予約した。日光近辺では、前々から行ってみたかった、東武ワールドスクエアと日光猿軍団に寄った。
子供のころから、ミニチュアのものが好きだったので、世界の観光名所のミニチュアがある、ワールドスクエアは、もうあれやこれやをパチリパチリとカメラに収める。
日光猿軍団では、最前列の真ん中の席に陣取り、猿たちが演技中に、必ずといっていいほど、オシッコやウンチをする、という臭い事実を目の当たりにした。テレビで見るときは、そんなこと滅多にない。やはり、テレビでは都合の悪い場面は、しっかりカットするのだなと、改めて思う。
25 湯の誘惑