オバサン・ドライバーが行く 26
東北まっただなか
(羽黒三山、秋田、乳頭温泉)
プライベートで何度か訪れた信州を過ぎ、仕事でちょくちょく来る日光近辺を回り終えると、いよいよ私にとっては未踏の地、東北のまっただなかへと入っていった。
切り立った崖に、人が一人通れるぐらいの道が刻まれた所を歩ける、塔のへつりでは、たらの芽の天麩羅を食べた。この辺りでは、山菜が豊富かして、あちこちで山うどやら、たらの芽などが売られていた。関西なんかでは、ちょっと高級なお食事に、ほんの一切れ入っているだけの、高級食材のたらの芽を山盛り食べる至福のひとときである。

羽黒山の2400段を降りて登った。登って降りたのではなく、降りて登ったのには理由がある。山の麓の駐車場が満杯で、仕方なく山頂の駐車場に車を置いてから、まず下山して、それから登ったのである。杉木立の中の苔むした階段は、しっとりと落ち着いて、心をなごませてくれた。四国の金毘羅さんが800段だが、あれよりはずっと歯ごたえがあり、また情緒がある階段だった。ふつうの観光客は、麓の駐車場から、ほんの少しの階段を登って、有名な五重の塔だけを見て帰るが、この階段はぜひ全段を踏破すべきと思った。
羽黒三山のうち、月山はまだ雪に覆われていて、途中までしか登ることができなかった。だが、いちばん面白かったのは、いちばん期待していなかった湯殿山であった。
駐車場に車をおいて、路線バスで山頂までいく。受付では、三百円を支払ったが、ふつうのように入場料としてでなく、お祓い料として徴収しているのがユニークだった。
観光客が、
「入場料は?」と聞くと、
「入場はできませんが、お祓いをお受けになる方は、お祓い料を払っていただいて、さらに奥に進んでいただけます」という曖昧な表現に、首をかしげて引き返す人もいた。
私は、意味不明のまま、言われるままにお祓い料を支払った。
するとまず、神官からお祓いを受け、人型の薄い紙を受け取り、それで身をきよめて、人型を水に流し、ご神体の前に進む。どうやら、天然の湯が沸き出でる山そのものがご神体のようだった。湯殿山の名前、そのままである。鉄分が多いかして、赤茶色をした、つるんと丸い山の前で、二礼二拍手一拝で正式に参拝する。
「では、そちらで裸足になっていただいて、ご神体に参拝していただきます」
ええっ、裸足になれってぇ、と驚いたが、なかなかオモロイやんけ、と嬉しくなってしまった。裸足にさえなれば、湯がこんこんと流れ出るご神体に登ってもいいなんて、なんやよう、分からんけど、楽しい所である。
ご神体は、かなり急な小山で、しかも湯が流れているので、つるつるすべるかと思いきや、まったくすべらず、足元はしっかりしているので、なんなく登れた。ただ、場所によると、湯が熱くて、焦った。
男鹿半島の寒風山は、緑に覆われたなだらかな山で、山頂の展望台から八郎潟の景色が見下ろせた。八郎潟は一面の水田で、縦横に農道が走っていたが、観光用の道路のようにちゃんと標識が出ていないので、完ぺきに迷ってしまった。
トラックの運転手さんに道を聞いて、ようやく国道へと向かう道に戻れた。偶然、見つけた村興し物産品を売る店で、野菜を使ったパイやケーキを買う。
ふとここに至って気がついたが、いつのまにやら、信州、日光エリアのぎすぎすしたムードがなくなって、観光地の人々のあたりがやさしい。どうやら、首都圏のとげとげしい空気に覆われるエリアを脱出して、人のやさしさが残るエリアへと入ったようだった。四国で受けた、あのやさしいホスピタリティーが、あちこちで感じられるようになった。
秋田の観光を満喫して、次のルートを模索していると、桧枝岐で会った女性が、声を大にして薦めていた乳頭温泉が近くにあるのを知り、ダメモトで電話してみた。だいたい、旅館というのは、運転効率の悪い、一人旅のお客を嫌う。だから、予約するにしても、直前の方がいい。直前だと、どうせ開いている部屋なら、一人のお客でも、無いよりはまし、と受けてくれる確率が高いからだ。
「あのう、一人旅なんですが、今夜一名、泊めてもらえませんでしょうか?」
と、あっさりOKだった。桧枝岐の彼女が、「もう、いつも一杯で、なかなか予約が取れないのよ」と言っていたのが、嘘のようだった。

田沢湖の北にある、乳頭温泉郷には6つの湯がある。鶴の湯に行く前に、もうひとつの湯である妙の湯に立ち寄った。宿泊せずに、外来入浴するというテクニックは、知ってはいたが、それほど湯の良さを認識していなかった私は、試みようとしたことはなかった。だが、桧枝岐のあの何ともいえず、心身をゆったりとさせてくれる湯に巡り合ってから、湯に対する認識ががらりと変わっていたのだった。妙の湯は、茶色がかった白濁の湯で、いかにも効きそう、という個性の強い湯だった。
鶴の湯は、舗装道路から逸れて、地道をしばらく進む。入口に木製の門があり、ここをくぐると別天地が待っているような、錯覚を起こさせてくれるから不思議だ。時代劇のセットの中に迷いこんだかのような古い建物。通された部屋は、裸電球ひとつの殺風景な部屋だった。それでも、茶菓子とお茶が用意されるのは、民宿やユースではなく、ここがちゃんとした旅館であるという証しだろうか。
部屋にはテレビもなく、手持ちぶさたで、さっそくお風呂に入る。混浴の湯船はちょっと敬遠してしまうが、女性専用の露天風呂が、もう最高だった。乳白色の広々とした湯船につかると、浮世のことはすべて絵空事に思えてしまう。
東北に入ってから、蕎麦屋の天井やら、神社のご神体やらで、ちょくちょく目にした根精様の石像がにょきっと湯船のきわに立って、一つ目(?)でこちらをじっとにらみつけている。東北の性は、あけっぴろげで、さっぱり大らかなのがいい。
夕食は、別棟の食堂で供されたが、そこには、本日の宿泊人が全員そろっていた。意外だったのが、男性の一人旅の人が多いことだった。ユースとちがって、年齢層は高い。ご夫婦は一組だけだった。40−50歳ぐらいの旅好き、温泉好きの一人旅の男性が5人、そのうちの一人は、交通事故のあとの養生のために、長期滞在してるらしかった。風体は、いかにもダンプトラックの運転手といったところだった。
「いやぁ、こんなになぁーんにもない所に、長くいると、いけないね。テレビもないから、退屈でさ。すると、人間、本性が剥き出しになってくるってことが、よく分かったよ。おかげで、僕の部屋は、ポルノ雑誌がちらかってるよ」
夜は、しっかり戸締まりして寝よう、と肝に命じた私だった。
無口な男性の一人旅が多いので、食事風景はちょっと寂しかったが、食事の中味は、私好みだった。囲炉裏に棒を立てて焼くイワナの塩焼。味噌鍋の中味は、大好物の山芋のだんご。他に山菜やらがついている。素朴だけど、美味しい食事だった。
夜、部屋に戻ってから、茶菓子をいただいた。紙をむくと、黒砂糖味の茶色い、つるんとした薄皮饅頭が出てきた。妙だったのは、てっぺんに干しブドウが一粒のっかっていることだ。和菓子と干しブドウは、なんとなくミスマッチである。
が、ふとひらめいて、包み紙に書かれた、菓子の名前を見ると、やはり予感は的中していた。
そこには「乳頭まんじゅう」と書かれていた。乳頭に干しブドウ、というこれまた東北チックなセンスが楽しい。
27 輝く京都ナンバー