オバサン・ドライバーが行く 29
東北の最北端にて
(下北半島)

 いよいよ、下北半島入りである。
 むつ市のビジネホテルに宿を取り、恐山を制した。あのイタコの口寄せで、よくテレビに出る恐山は、なんとなく、とても一人で行けるようなところではない、との印象があった。だが、行ってみて、がっくり来た。いかにテレビというものが、虚構の映像を作り上げるかを、今さらながらに悟った。


 たまたま、抜けるような青空の晴天に恵まれたこともあったが、私が行った日の恐山は、超・健康的、ネアカ風、遊園地チックであった。なぜ遊園地の印象があるかというと、賽の河原のお地蔵さんに捧げた、色とりどりのカザグルマがたくさんあり、それが風にくるくる回って輪廻転生をイメージさせるならともかく、ピッカピカのお天道様のもと、無風状態では、ただ可愛いという印象しかなかった。
 隣接している池の水は硫黄分の影響か、とってもきれいなエメラルド色をしていた。これもミステリアスな色を越えて、ストレートに美しいだけだった。遊歩道を歩くと、「xx地獄」と書かれた説明の言葉だけが、周りのムードから浮き上がって、おどろおどろしさも、肩透かしを食っていた。

 下北半島をぐるりとドライブした。海岸沿いに、巨大な仏像があるように見えるという、仏が浦の奇岩は、なかなかの秘境であった。とくに、車を崖の上の駐車場に置いた私は、海辺まで、ものすごい数の階段を降りていかねばならなかったので、秘境ムードも高まったといえる。しかも、ここ数日、陸中海岸沿いの町でクマが目撃されたとの報道があいついでいた。国道沿いの道路情報でも「クマ出没、注意」の電光掲示が点滅している。
 仏が浦へと降りて行く山道に入るとき、私は思わず、車内に吊ってあった鈴のついたお守りをはずして、私のバッグにつけた。鈴の音がクマ避けになると、何かで読んだからだった。
 

 6月8日、本州最北端、大間崎に到達。
 ここの案内所では、到達証明書を発行してくれる。そして、はるか彼方に見える北海道の地を眺める。その案内所で手にした、フェリーのパンフレットで、大間から函館にフェリーが出ていることを知った。
 さて、四国、東北制覇の目的は達せられた。この先、北海道へ進むかどうかの、決めどきが来た。北海道へ行くか否かは、当初オプションだった。ほんとうに、一人ドライブ旅を続けることができるかどうかの自信もなかったから、出発時点ではオプションだったのだ。また、旅の成否はお天気に大きく左右されるから、私のルート決定は、いつも天気予報に左右されていた。
 6月に入って、各地の梅雨入り宣言がなされていた。この先、東北の天候は期待できない。だから、ここで梅雨のない北海道に入るか、ひたすら帰路につくかを決めるべき時だった。

 私にとって、この旅行は、もう一段掘り下げた形の「女の自立」を獲得することが最大の目的だった。完全な自立とは、経済的なものだけでなく、一人でいることを完全に楽しめるものでならなくてはいけない。
 一人で生活することは、なんでもない。レストランで一人で食事をし、一人で映画を見て、家で料理をして、食事する。こういう生活技術は、じゅうぶんに身についているが、一人で旅をして、果たして楽しいのだろうか、という次元になると、まったく心もとなかった。
 一人旅さえできれば、完全な自立を得られる、などと短絡的には考えていなかったが、ひとつの目安になるとは思った。たった一人で意気揚々と日本列島の最北端にある、宗谷岬へ到達することは、しだいに私の中で、イニシエーション(通過儀礼)としての意義をもつようになった。
 大間崎で、ぼんやり霞む北海道の地を見ながら、「よし、行こう」と決心した。

 翌朝、フェリーの時刻に合わせて早起きした私は、むつ市のホテルを出て、大間崎に車を走らせた。途中、休憩した駐車場にいた人が声をかけてくれた。
「ええっ、お姉さん、一人で京都から走ってきたのぉ。がんばるねぇ。気をつけていってね」と。
 ちょっとしたふれ合いが、心をあっためてくれる。旅とは、人生とは、そんなものだと思う。通りすがりの人から、エネルギーをもらって、私はフェリーふ頭に車を走らせた。


30 北海道、上陸

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