オバサン・ドライバーが行く 34
一路、宗谷岬へ
(宗谷岬)
函館と大沼で北海道にしらけてしまい、また美馬牛でユースにもふっきれて、私はひたすら北をめざした。
北海道に入ってから、一日あたりの走行距離が伸びていた。地図で見て近いと感じても、北海道は広いのだ。それまでは、一日当たり、だいたい百から二百キロぐらいだったが、二百五十になり、三百になり、時には三百五十キロを越えた。
たいていの観光バス会社では、観光バスの運転手の一日あたりの走行距離の限界を三百五十キロにしている。それ以上、距離が伸びる行程では、運転手を二名つけて、交代していく。一日三百五十キロの運転が、安全な運行の目安ということだ。
ドライブ一人旅を始めて、最初のころは、たびたび車を停めてはルートの確認をし、停車しやすい駐車場を見つけるととりあえず入って、一息いれたり。私の車はなかなか前へと進まなかった。しかし、北海道でそれをしていると、明るいうちに目的地につかない。
私は次第に、運転しながら、何かをすることに慣れていった。たとえば、ルートの確認は信号待ちの短時間にできるようになった。また北海道では、何もないエリアが広いために、ちょうどお腹が空いたころにレストランに巡り会える保証がない。だからコンビニでオニギリを仕入れておく。バナナも重宝した。オニギリのラッピングを信号待ちで剥いて、運転しながらムシャムシャやる技術も身についた。
北海道の北部に至ると、さらに信号さえもなくなった。だから、信号待ちにしていたことを走行中にするようになる。ルートの確認を走行中にするなんて、もってのほかである。しかし、北海道ではできるのだ。なにせ、僻地に行くと、前後左右に他の車がない状態が十分以上続くことは不思議でない。道もまっすぐで遥かかなたまで見通せる。だから、まわりに誰もいない状況下なら、車を徐行させながら地図を見ることも、不可能ではない。地図に気をとられて、中央車線をこえてふらふら走ることもあるが、他に車がなければどうということはない。
私は日本列島縦断の旅を通じて、面白い観察をしていた。
ドライブ・マナーの地域差である。
まず、四国をドライブした時に、トンネルの中でヘッドライトをつけない車が多いことに気がついた。逆に以前、スウェーデンやノルウェーを旅したときに、昼間でもヘッドライトをつけっぱなしにするのを見て驚いたことがあった。
どうも太陽光線の強さと、トンネル内の明るさの違いが生み出す、マナーの違いらしい。

概して田舎の車はチンタラチンタラと走る。それはそれで仕方がない。むしろヨソ者の私が彼らのリズムに合わせるべきだと思う。しかし、恐いのは、狭い通りから大通りへと出る場合のタイミングのズレである。
私がメインストリートを走っている時に、前方の別れ道から車体の鼻だけ出して、大通りに出る機会をうかがっている車があるとしよう。
私の車と相手の車の距離、そして私の車のスピードから割り出して、関西の感覚だと、まず絶対に出てこないだろうと思われるタイミングで、車が飛び出してくることが多い。また、飛び出す動作だけが迅速で、その後、スピードを出してくれないから、追突しそうになってしまう。
関西で、あのタイミングで飛び出したら、大通り側の車からプワーッと、非難のクラクションを鳴らされるであろう。
何度か危ない思いをしてから、私は田舎道で、車の鼻が見えたら、「まさか、飛び出してこないだろうなぁ」と思う距離であっても、必ずブレーキペダルに足をおいて、飛び出しに備えることにしていた。
関東圏を走ると、東京の車が多い。これにもひとつ特徴がある。東京の乗用車はサンデー・ドライバーが多い。彼らは直線距離ですいた所を走るときは、都心の渋滞のカタキを打つがごとく、スピードを上げる。
私が順法速度で走っていると、たいていは私を追い越してでも、スピードを楽しみたがる。ところが、その道が山道にさしかかると、信じられないほどに、スピードを落とす。
東京圏の彼らは、山道走行になじみがないのである。だから、直線距離と山道とのスピードの差が極端である。
私は、あまりに極端にゆっくり走る車を見て、「故障でもしたのかな」と思ったこともあった。それぐらいに、彼らはゆっくりでしかカーブを切れないのである。
秋田に入ると、あおられることが多くなった。あおる、というのは、私の車のすぐ後ろにぴたりとついて、いかにも、ドケドケと言わんばかりの運転をする。私は、愛媛でスピード違反切符を切られたから、二度と違反できない事情があった。だから私は、後続者にあおられるたびに、どこかスペースをさがして、左に寄せ、後ろの車を先に行かせた。
ところが岩手県に入ると、また違った。後ろの車があおってるなぁ、と感じ、どこかに寄るスペースがあるかな、と物色する間もなく、後ろの車は私を追い抜いていく。
まあ一台、二台なら追い越しも簡単であるが、岩手の車は、「ごぼう抜き」をするので、度胆を抜かれた。十台ぐらいの車が連なってしまうような時でも、後ろから来た速い車は、ずんずんと十台まとめて抜いてしまう。
ある時は、私が走っている、左側の車線を、向こうからこっちに向かって走ってくる車がいた。
「ええっ、いったいあの車はなんなの!」と悩んだ。その車はなんと、十台以上のごぼう抜きをしているのであった。私という、対向車が見えてもお構いなしに、ごぼう抜き作業を続けているのである。
私は恐怖のあまり、停車してしまった。その車は、ヘッドライトをつけて、私に危険を知らせながら、それでもしっかりとごぼう抜き作業を完了して、私の直前で、私の右側の、彼が走るべき車線に、車体を滑り込ませて、去って行った。
どうやら、岩手では、ごぼう抜き追い越しが常態で、それを目撃した対向車の方がスピードをゆるめる、もしくは停車して、相手に協力してあげるようだった。

さて、北海道名物は何か、というと大名行列である。
北海道の場合、後続者はあおりはしない。ほんの少しの車間距離をとって、礼儀正しくぴたっと連なって走る。しかし、決して追い抜かない。すると、一台遅い車がいると、その後に次から次へと連なり、すぐに大連隊を編成してしまう。
本州のメジャーな国道では、交通量が多いから、連なって走るのが常態である。そうなると、各車、前の車と適当な車間距離を維持して走るようになる。あまりくっつくと、前の車がフレーキをかけた時に、素早く反応する必要があるから、気を抜けない。そんな常態が続くと疲れてしまう。だから、そこそこの距離をあけて、連なるのがもっとも合理的なのだ。
それに比べると、北海道の車はくっつき過ぎるのだ。だから私は、大名行列の編隊の組み込まれてしまうと、すぐに逃げる。具体的には、左側のスペースに車を停めて、連隊をやりすごし、ほんの数分待つ。そして平均速度を、先ほどよりほんの五キロほど下げて走り始める。
このちょっとした工夫で、先の大名行列を二度と見ることなく、前後左右に車が一台もない状態でのドライブを楽しめる。
三百キロ走っても、大名行列に出会うのは、ほんの2−3回である。避けようと思えば、ごく簡単に避けられるのである。
では、いったいなぜ、北海道の車は連隊を組んで走るのか?
これは私にとっては謎である。もしかしたら、ふだん余りにも、回りに車がいないから、意識的にくっついて走ろうとするのかもしれない。無限に思えるほどの広大な原野が拡がると、人間、人恋しくなるように、車恋しくもなるのかな。
さて、旭川のビジネスホテルでじゅうぶんに休息を取り、翌日一気に稚内まで走った。明るいうちに、ホテルの位置を確認するためにチェックインし、それから宗谷岬に向かった。岬にある最北端の碑の前で、記念撮影をする。
岬にある平和公園には、アルメリアの紫がかったピンクの花が一面に咲いていた。
それから暗くなるのを我慢強く待って、ノシャップ岬の素晴らしいサンセットを、満喫した。ここは夕陽の美しさで有名なので、夕陽の時刻に合わせて、かなりの人がやってきた。

意外なことに、宗谷岬にたどり着いたこと自体は、たいした感動をもたらしはしなかった。東北の先端までたどり着けた私にとって、宗谷岬まで到達することが難問であるはずはない。
だが、ここに至る道中で、たしかに私は成長していた。なにせ、私は旅を楽しんで、日々を過ごせるようになっていたのだから。一人旅の寂しさに、いやいや旅を続けたのではない。ユースで、普段の私の生活の中ではまず出会うことのない人々とおしゃべりを楽しみ、幾度も話には聞いた名所旧跡をぜひ見たいと思い、見たことなかったあこがれの花を追い、私は間違いなく、ポジティブに旅を楽しんでいた。
四国で菜の花を見たいと思ったとき、途中の道路が狭くて恐かったが、そう苦しい思いをせず、むしろそのことを楽しみながらその狭い道を走ることができていた。孤軍奮闘しなければならないシーンは多々あったが、それは絶対的な障害にはならなかった。
苦労の末にたどりついたお花畑は、誰かに連れられて行く花園よりも、ずっと価値があった。また、やっと花に巡り合えたとき、「きれいねぇ」と語りかける相手がいない寂しさも、花の景色を台なしにするほどのものではなかった。
北海道の団体さんには嫌気がさしたけど、花の季節に北海道を旅したのは初めてだったので、道中のただの道端で、私はたくさんのあこがれの花に出会えた。
こまめに原生花園も回ったが、その辺の道端にも、ステキな花が咲いていた。
エゾカンゾウ、ワタスゲ、ハマナス、ルピナス・・・
写真でしか見たことがなく、あこがれを募らせていた花が、そこらじゅうにあった。そんな花を見つけたとき、私は一人っきりでも、しっかりと楽しむことができていた。
目的地の宗谷岬では、アルメリアの花絨毯が、そんな私を祝ってくれていたようだ。
宗谷岬で日本最北端到達証明書を手にして満足した私は、帰路につくことにした。
35 観光スポット進化論