オバサン・ドライバーが行く 37
卒業試験
(奥只見)
さて、49号を逸れて、252号に入った私は、ここで重大な判断ミスをしてしまっていた。その時点では、知る由もないことだった。
252号は快適で、私は旅の最後の長距離ルートを楽しんだ。田子倉湖近くでは、村興しのステキな店を見つけ、おいしい蕎麦の昼食にもありつけて、ごきげんだった。
ところが、福島県と新潟県の県境を越えてしばらくした時に、
「崖崩れのため、通行止め。新潟へは抜けられません」という表示を見た。
ガソリン・スタンドで確認すると、私が向かっていた北陸自動車道の小出インターチェンジにも出られないらしい。
このあたり、道路行政を非難したいところである。新潟側の通行止めでも、252号の入口にあたる福島の柳津で、その情報が欲しい。県境を越えてから知らされても、もうルートの変更はきかないのだから。
しかし、自由な旅の判断ミスの尻拭いは、本人がするしかない。自由とは、自分の判断に自分で責任を取ることである。
地図を睨むと、もうあと三センチで小出に出る地点まで来ているのに、その先がダメとなると、二五センチ分もの大回りを強いられることになる。そこは、越後三山只見国定公園のど真ん中で、国道は、山間部を取り囲むようにぐるりと大回りしているのだ。
しかたがない。只見町から、289号、401号、352号と三ケタの国道を走り継いで、懐かしの秘境、桧枝岐を走り抜け、奥只見湖沿いを走って小出に至るしか、方法はないようだった。
桧枝岐の道は快適だった。ところが、尾瀬へと入る沼山峠への分岐をはずれた所から、道路事情はがらりと悪くなった。桧枝岐は、尾瀬への観光客のベースとして発達し、秘境の趣をなくした反面、大型バスでも楽に通れる整備された道路を獲得していたのだった。観光客が行き来する沼山峠への別れ道を過ぎたところに、本当の秘境は残っていた。
幸いにして、交通量は少なかった。ときどき、のんびり走る村の軽自動車にいらつきながら、どんどん追い越しをかけて、秘境の道を必死で走った。
次第に陽が傾いてきた。私の心に、あせりが膨らむ。
「この先、枝折り峠は、大型通行禁止。時間制限で片道通行」の表示がたびたび目に入った。なんやらすごそうな道が待ちかまえていることは分かったが、とにかく先を急ぐ。
すごいクネクネのカーブが続く。
やがて奥只見湖に沿って走る。高い山から流れ出た雪解け水が、山から道路を横切って、遥か下方にある湖に流れ落ちる。道路が水によって侵食されているらしく、道路がえぐり取られたようになっている。
場所によっては、侵食されてへこんだ部分の落差が大きく、ある時私は車のアゴをごりごりと、道路にすりつけてしまった。
ドライブテクニックの本の記事を思い出す。
「段差が大きい場合には、段差の手前で充分に減速してゆっくりと入り、窪みから出るときは、アクセルで出ること。ブレーキを踏んだ状態で、陥没したところに入ると、車体は下向きになっているので、車体のアゴをすってしまう。アクセルで出ると、車体が上向きになるので、大丈夫」
たしかに、本が教える通りで、アクセルで窪みから出れば、問題はなかった。しかし、これを実行するためには、水の流れの手前で、完全に停止するぐらいに減速せねばならない。私は、これを「沢渡りの術」と名づけた。奥只見湖沿いのルートでは、この沢渡りを数限りなくせねばならず、そのため速度が落ちて、走行距離が稼げない。ますます焦りの色が濃くなってくる。
奥只見湖は、手のひらを広げたような形に、細い湖が五指のように細長く伸びていた。
走りながらふと対岸の山を見ると、対岸にも一本の道路が走っている。
「あっちの道路はどこへ行くんだろうか」などと考えながら走っていくと、なんのことはない。さっき走っていた道の先が対岸の道だった。
つまり、この道路は、五指の外郭線をたどるがごとく、地図上をあがったりさがったり、走る距離は伸びる割りには、地図上の位置はほとんど変わらないのである。
もう私は必死の形相になって、太陽が沈むのと競争しながら走りに走った。銀山平まで60キロが、30キロになり、やがて銀山平に到着した。
「さあ、もうあと一息で、高速に乗れる」と思ったのは間違いで、私の頭上には、信じられない表示があった。
「この先枝折り峠、大型通行不可。カーブ多し、道狭し」
「ええっ、まだ枝折り峠を越えてないのぉ」と私は驚きの声をあげた。あれだけ、たくさんのクネクネ道を走り抜けてきて、まだこれから最難所が待ちかまえてると言うのか!
「枝折り峠、カーブ多し」の表示は、しつこく出てきた。
「枝折り峠、カーブ多し、小出インターには、シルバーラインが近道」
ん? シルバーライン?
地図を見ると、シルバーラインというのは、確かに存在するが、点線で描かれているから、まだ工事中かと思っていた。久し振りに見つけた店舗で、道を尋ねた。
「小出なら、シルバーラインが早いですよ。ここから小一時間でいけますよ」
「どこから入ればいいんですか」
「ああ、この道まっすぐに行くと、突き当たりますから」
突き当たりに、シルバーラインの入口がある? いまひとつ理解できなかったが、とにかく行ってみた。店の前の道は、正面の山にぶち当たって終わっている。

突き当たりまで行って、私は開いた口がふさがらなかった。シルバーラインとは、全線トンネル、のような道路だった。だから、地図で見ても点線になっているのだ。事故に備えてか、トンネルはところどころ切れ目があって、外の空気を吸うことができるようになっている。でないと、狭くて暗くて、水がぽたりぽたりと落ちてくるような、原始的なトンネルを長く走っていると、心理的に窒息してしまいそうだ。
幽霊の出そうなトンネルを疾走すると、たしかに小出にはすぐに出られた。
ホッ、である。
車のトリップメーターは、すでに350キロになっていた。小出から富山までは、200キロ。高速だから、2時間余りで走れる。高速に入ってしばらくすると、陽はとっぷりと暮れた。
北陸自動車道は、京都から富山までは快適な片道二車線なのだが、富山から新潟は、片道一車線になり、対面通行になる。また、やたらトンネルが多く、長いトンネルを時速百キロで、トラックたちと擦れ違いながら走るのは、神経がすり減る。
以前に友人とドライブ旅行をしたときには、対面通行の部分は、運転するのが恐くて、もっぱら友人にハンドルを持ってもらった。
しかも、高速道路にたどり着くまでに、疲れ切っていた。自信がない。

しかし私は、以前の私とは違っていた。たしかに、ひと回り成長していた。この対面通行のトンネルも、そう緊張せずに、走ることができていた。
また、奥只見湖沿いを走るときでさえ、沢渡りのテクニックを駆使しているときでさえ、私は楽しむ余裕を持っていた。じつは、あまりにオモロイ試練に、私はむしろ笑いながら走っていたほどだから。
この日のルートは、まるでこの旅の卒業試験のようだった。走行距離は、570キロにも達したが、私はなんなくクリアすることができた。
80日の旅を終えても、私が相変わらず迷いの多い女であることには、なんの変化もなかった。だが、運転技術と度胸、そして何より、一人で景色を愛で、旅を楽しむ能力を身につけたことは確かだった。
翌日、登校拒否の息子をもつ親友と再会した。子供を産み育て、その子供のもつ問題のために、自分のことは何ひとつできない不自由な人生を歩む友人。でも、子供に必要とされ、家族に必要とされる、ある意味で自然発生的に充足の得られる人生だろう。
一人で生きる、というのは、具体的に誰のために生きるのでもないから、自由ではあるが、ふと気をゆるめると、むなしさが忍び込んでくる。
生き方は正反対でも、それぞれの生き方にそれぞれの幸せと悲しみが、付随してくる。
「いろいろあるけど、お互い、がんばろうね」
最後に言えるのは、この一言だけだった。
友人の視線に見送られて、私は富山を出発した。
富山から京都の距離が、やたら短く感じられた。私は隣町へでも出かけるような気軽さで、我が家に向けて車を走らせた。
(完)