【論点】9月入学

 新型コロナウイルスの影響で休校が長期化する中、学校の入学や始業の時期を9月にずらす案が急浮上している。学習遅れのリセットや国際化の促進が期待される一方、慎重な意見も相次ぐ。教育関係者や専門家らへのインタビューを通じ、論点を探った。


国民が考える時間必要 馳浩元文科相

 新型コロナウイルスの影響で休校が長引く中、全国の知事らの発言をきっかけに、降って湧いたような9月入学導入論という受け止めだ。知事は自身の思いを発信するだけでなく、各地の教育長、教職員や保護者が今、何を求めているのか、まずは現場の意見を集約してほしい。  今年9月からのスタートか、来年9月からか、それともいつかの9月なのか、やる場合の選択肢は三つある。私のところには教育関係者からさまざまな声が届くが、9割9分は「今やるべきではない」という反対論だ。

 特に最終学年の小6、中3、高3に対する学びの保障と入試への不安解消、そして小中学生全員に1人1台のパソコンが利用できる環境を整備する「GIGAスクール構想」の加速を優先させてほしいと言われる。大部分の小中高校は3月以降、対面授業が十分にできておらず、ここのサポートが重要だ。

 私は元々、主に大学では、9月入学は国際的な人材交流を活性化させる有効な選択肢だと考えてきた。大学は制度上、各校の判断で導入できるが進んでいない。

 安倍晋三首相は「前広にさまざまな選択肢を検討したい」と述べた。私が本部長の自民党教育再生実行本部で、党政調審議会全体での議論が必要だと提言した結果、9月入学の是非を議論するワーキングチームが立ち上がった。現在、速やかに課題整理を進めていると認識している。

 実現を目指すなら、いくつもの省庁が関わり、経済界をはじめとした国民生活全般に影響があり、少なくとも30本以上の法改正が必要で、数兆円規模の財政支出を伴う。政治が最初から結論ありきで進めてはならず、国民的な議論が必要だ。国民が十分考える時間を提供する必要もある。

 私自身が導入の是非をどう考えるか…。私は国語の教員をしていたが、桜が咲くころに卒業式、入学式をするわが国の伝統は大好きだ。四季折々の季節観と、現在の学校行事や学習計画はぴったり合っている。

(2020.05.21)


同じスタとラインで  実現求める女子高生(2002年生まれで、大阪府内の高校3年生。署名活動は大きな反響を呼んだ一方で、人格否定などの誹膀(ひぽう)中傷も受けたことから、匿名で取材に応じた。)

 友人と一緒に、9月入学への移行を求める署名活動をインターネット上で行った。新型コロナウイルス感染症が広まり始めたばかりの頃は、「春休みが長くなってラッキー」くらいの気持ちだった。だが休校期間が延び、「これからどうなるんだろう」と不安と焦りが募ってきた。友人とLINE(ライン)でやりとりしているうち、「不安だ」と言っていても現状は何も変わらないと思うようになり、ヽ署名を始めることになった。

 9月入学を求める理由の一つは、全国一律で平等な教育を受けられるからだ。現在は一部で。オンラインによる遠隔学習を実施する高校がある一方、環境の整っていない高校も多い。学校の再開時期もばらばらだ。大学入試というゴールの時期は変わらないのに、コロナのせいでスタートに格差があるのは不公平だ。

 私は自宅で、1人で学校の課題を勉強しているが、分からないところを誰にも聞けない。学校でクラスメートと並んで授業を受けられる大切さが、身に染みて分かった。

 もう一つの大きな理由は、コ ロナによって失われてしまった青春を取り戻したいから。授業の合間にある10分ほどの休み時間に友人らとたわいのない会話で盛り上がる時間が、どれほど自分にとって救いとなっていたか気付いた。クラスで団結して応援や競技に力を入れるはずだった体育祭などの行事は開催の見通しがたたない。インターハイなどの大会も中止され、部活動に力を入れてきた同級生は落胆している。高校生活最後の1年間が、めちゃくちゃになってしまいとても悔しい。

 署名は最終的に約2万3千人分集まり、文部科学省に提出した。ツイッターやインスタグラムを使って署名を呼び掛けた際には、反対する意見もいただいた。とても勉強になった。ただ、私たちにできるのは声を上げるところまで。まだ結論は出ておらず、刻一刻と高校生活のタイムリミットが近づいている。早く方針を示してほしい。

(2020.05.22)


どさくさで議論 無責任 前川喜平 元文科事務次官

 国際的に広く行われている9月入学を導入するメリットは明らかだ。もし、これから日本の学校制度を白紙から考えるなら9月入学が一番良い。しかし、コロナ禍のどさくさで議論しようとする風潮は極めて乱暴で無責任だ。社会的影響が大きいだけに、平時に冷静に議論し国民の理解を得るべきだろう。

 仮に現在の小中高校を9月入学制に移行させた場合、小1を例に取ると、入学時期が遅れることで7歳5ヵ月で1年生になる子がいる。「6歳入学」の原則を維持すれば、9月1日までに6歳になる子は1年生になる。

 つまり、その学年では17力月もの月齢差か生じ、人数が大幅に増える。幼稚園や保育園に通う子たちは、誕生日が9月1日以前か2日以後かで小学校の入学時期が分かれてしまう。突如「団塊の学年」が生じれば、その分教室や教員が必要となり、巨額の経費が毎年必要となる。その学年だけ入試が厳しいといった問題も出るだろう。

 移行後は人によって中学卒業が16歳、高校卒業が19歳、大学卒業が23歳になり、ずっと1浪状態が続く。既に学校を再開した地域もある中、入学時期を遅くすることに支持は集まるだろうか。

 小さい子であるほど、一日一日の重みが大人と違う。空白期間は学ぶ権利の危機と言って良い。今、最優先なのは学校を早期に完全再開し、感染防止対策をしながら、どう遅れを取り戻すかだ。

 一方、大学の場合、現在でも秋入学枠がある。受験生の不安に応えるため、来年以降、夏に受験し秋に入学する枠を政策的に広げる選択はあり得る。大学側の財政負担は国が補い、大学入学共通テストは1月だけでなく7月もやればいい。

 学校行事などが次々に中止なり、失われた時間を取り戻したいとの高3生の思いは分かる。別科のような形で特例的に残れる方法を考え、就職希望者の企業側の受け入れに目を配りながら、大学の秋入学に接続できる仕組みも検討に値する。 

(2020.05.23)


「魔法のつえ」ではない 中原淳 立教大教授

 私は自分のブログなどで「この状況下で小中高校から大学まで全てを、今年の9月入学にするのは反対」と表明している。 9月入学ならば諸課題が解決し、良い方向に向かうという「魔法のつえ」にはならないということを強調しておきたい。

 9月入学への移行は、単に時期をずらせばいいという問題にとどまらない。社会全体を変えることと同義だ。来年秋に導入 するという意見もあるが、既に就職活動が始まっている学生の扱いはどうするのか。他にも、カリキュラムの見直しなど、各論に入ればさまざまな問題が生じるのは確実で、とても年単位で実現できるものではない。

 差し迫った入試を見ても、夏に大学院、秋には大学の総合型選抜と学校推薦型選抜が始まる。入試の回数や方式、出題範囲はどうするのかなど、早急に検討しないと間に合わない。

 8年前、私か在職していた東大で、秋入学が検討された。当時は賛成だったが、具体的な議論が始まると、医師や公務員の 試験時期をずらせないなどの意見が出て、はしごが外された。頓挫の過程を見ただけに、実現の難しさを感じる。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響は、家庭環境など以前からある格差の広がりを加速させた。格差を少なくするために最 も大事なことは、とにかく学校を動かし、公平公正な入試を実現することだ。

 学校には、ITの活用やプリントの配布、ホームページへの問題掲載など手段を問わず、学びを止めないことが求められる。また学校は子どもたちのつながりも提供してきた。深刻化するであろう心のケアの問題などに対処するためにも、早く学校の機能を回復させる必要がある。

 緊急時には、真の改革は危機状態によってのみ可能とする「惨事便乗型変革論」が起きやすい。今回の9月入学の議論が浮上した背景も同様に感じる。そもそも、導入時期や対象となる学校の範囲といった部分が曖昧で、論点を整理しないままでは、かみ合った議論にすらならないだろう。

(2020.05.25)


次世代に希望まず挑戦 飯泉嘉門 徳島県知事

 新型コロナウイルスの感染が拡大する中、全国知事会の会長として4月末、9月入学について国民的な骨太の議論をするよう政府に求めた。休校長期化による学習遅れに子どもたちが不安を抱き、声を上げている。グローパルスタングートの観点からも明らかにメリットがある。コロナを経た次の世代に希望を抱かせることが、今を任されたわれわれの責任だ。

 現在、小中学生にI人1台のパソコンを使える環境を整備する「GIGAスクール構想」の実現前倒しに向けた動きが出ている。オンライン教育、遠隔授業で学習の機会均等を進めるべきだ。それでも来年3月までに学習の遅れを全て解消するのは難しい。

 大都市部では最先端の教育が進んでおり、地方との間で教育格差が生じることが懸念される。そうした状況下での受験 は不公平だ。来年9月の入学で仕切り直し、地域や環境による格差の拡大を抑える必要がある。

 先進国の多くは秋入学で日本はまれな存在だ。歩調を合わせれば、日本の学生が留学しやすくなる。グローバルな人材育成が求められているのに、国の構造でハンディを背負っている。資源を持たない日本が持っているのは人材だ。日本の大企業も海外からの採用が多く、内向きのままでは、日本の若者は国際的な競争で不利になる。

 「緊急時ではなく、腰を据えて時間をかけて進めるべきだ」との声があるのは当然だが、「これまで十分時間をかけてきたではないか」と言いたい。9月入学は30年以上前から議論されてきた。今、俎上に載ることになったのは、必要に迫られているからだ。前例踏襲は楽だが、まずは挑戦だ。当然課題は出てくるが、それを解決してこその「日本創生」だ。

 14世紀に流行した黒死病(ペスト)は欧州で被害をもたらしたが、その後にルネサンスを迎えた。コロナ後に私たちは何を生み出せるのか。目先のことだけにとらわれず、未知の世界を切り開こうではないか。

(2020.05.26)


共通テストの二の舞いも 萩原聡 都立西高校長

 新型コロナウイルスの影響による休校で、入学式やクラスマッチ(球技大会)、遠足、芸術鑑賞教室など生徒が楽しみにしていた行事は全て中止になった。夏休みを削れば授業時間はぎりぎり確保できると思うが、状況によっては、感染拡大防止 の観点からも、文化祭を断念することになるかもしれない。

 「高校生活をきちんと送りたい」。生徒からは、9月入学を望む切実な声もある。気持ちは痛いほど理解できる。

 それでもなお、私は賛成できない。さまざまな法律や学校のシステム変更、教員の人事異動や予算執行の見直し、カリキュラム全体の再編―。あまりに課題が多い。影響は学校にとどまらず、企業の採用活動など、あらゆる社会の仕組みを見直す必要が生じる。

 国際的には9月入学が主流だと言っても、そこに合わせただけで、訪日留学生や海外の大学に挑戦する若者が大きく増えるだろうか。膨大なお金と作業をかけてまで実現すべきだとは思えない。

 じっくりと課題を整理し、より良い教育制度のために不可欠という結論に達したなら話は別だ。だが、来年から実施となると、議論の時間は限られる。結局は、課題の解決方法がないまま、突き進むことになる。

 大学入学共通テストを中心とした入試改革で、英語力向上のため、民間の検定試験が導入される予定だったが、公平性などの問題が次々浮上して頓挫した。理想だけではうまくいかない。9月入学を目指しても、共通テストの二の舞いになりかね ない。

 休校が続き、受験を控えた高3生は不安だろう。卒業後に就職を考えている人の採用活動は進路指導の時間が十分ないまま夏に始まってしまう。こうした日程は、できる限り延期するよう全国の校長で訴えていく。

 9月大学にしなくとも、1〜2年間に限り、入試や入学の時期を2ヵ月程度ずらすことはできるはずだ。簡単ではないが、学びを守る手段としては、よほど現実的だ。

(2020.05.28)


国際潮流合わせ導入を 古賀茂明 元経産官僚   

 4月と9月、どちらかが正しいわけではない。左側通行か右側通行のようなものだ。ただ、グローバリゼーションがますま す進んでいる。「世界の中の日本」という視点で考えれば、子どもたちが国際的に活躍するために、国際潮流に合わせ、夏か ら秋の入学に切り替えないといけない。

 今、子どもは日本国内に閉じ込められている。留学しようにも、入学時期がずれ、行くにも帰るにも都合が悪い。ずれがなくなれば、トップ層は東京大かハーバード大か、等しく選択できる。

 世界の大学ランキングを見れば、日本の大学のレベルは高くない。アジアでも中国やシンガポールより下。東大の学歴は世界では使えない。ハバード大に届かなくても、高校卒業後すぐ、よりよい海外の大学に進むのを妨げるべきではない。

 一方、こうして外に出た子どもが日本に戻るか、疑わしいと思っている。日本企業の魅力は乏しい。給料が低く、セクハラやパワハラが横行している。個人の能力より、組織の論理を重んじる文化は根深い。海外の大学で能力を磨いた子どもは、条件のよい海外企業に入るだろう。

 既にこの流れは始まっており、9月入学となればさらに加速する。日本の大学も企業も、守りの姿勢を続ければ、じり貧になる。魅力を高めるために改革を進め、社会全体をレベルアップして優秀な人材を呼び込む必要がある。

 何かを変える意見は、役所から出にくい。役人は失敗を嫌い、変えない理屈を考えるのが得意だ。改革志向の知事が声を上げた。大きな変更をする時は、積み上げよりトップダウンがいい。

 今も「日本の教育は世界最高」と信じている人がいるが、IT化が著しく遅れ、過去の栄光だ。教育は投資。教育を受けた子どもは経済活動をして、税金を払い、将来をうるおしてくれる。移行の際は、過渡期の子どもに十分な支援をしなければならない。この機に、教育改革を進め、予算や人を拡充すべきだ。

(2020.05.29)  


半年ずれ 留学に利点も 加藤ゆかり 留学ジャーナル副社長

 日本の学生が留学を検討する上で、学校が始まる時期は重要だ。欧米諸国をはじめ多くは9月開始で、4月始まりの日本とはほぼ半年ずれる。

 本当は留学を1年間にしたくても、学年が上がったタイミングで日本の大学ヘスムーズに戻ることや、就職活動の時期とぷつからないようにすることを考え、秋から半年で切り上げることが多い。そのため、留学先では半年で単位が取れる授業でないと受けづらく、選択肢が限られてしまう。日本が9月入学制を採用すれば、こうした点は大きく変わるだろう。

 一方で、入学時期のずれがデメリットばかりかといえば、そんなことはない。高校卒業後に留学するケースがしばしばあるが、卒業時点ですぐに現地で学べる語学力を身に付けているような学生はまれだ。ずれを利用することで、例えば米国に行くなら、3、4ヵ月ほどは現地で英語を勉強し、秋から本格的な学びを始めることができる。

 留学までの間、アルバイトなどで費用を稼ぐ学生もいる。もちろん、保護者に学費を出してもらった上で、しっかり学んでいる学生は多いが、自分で汗水垂らして学費を払っている学生は全体的に熱心だと感じる。

 私たちは、中高生や社会人も含めて毎年6千人ほどの留学をサポートし、多くは3ヵ月未満の短期留学だ。大学や大学院で長期間学ぶような人でなければ、9月入学かどうかはあまり関係がない。学年の始まりが9月以外の国も少なくない。

 新型コロナウイルスの感染拡大が留学に与えている影響はかつてないほど深刻だ。2001年の米中枢同時テロや、重症急 性呼吸器症候群(SARS)の流行時にも逆風が吹いたが、地域を選べば留学は可能だった。

 しかし、今回の影響は世界中に及ぶ。例年留学が多くなるのは春休みと夏休みだが、今春は完全に止まった。今夏に再開できるめども立たない。そんな夕イミングで、感染拡大を理由に、ばたばたと9月入学制の導入に踏み切るのはいかがなものかというのが正直な思いだ。

(2020.05.30)


学生・企業に一定の利点 加藤ゆかり 増本全 就職みらい研究所長

 9月入学となれば学生は就職活動の時期を気にせずに留学でき、企業も国際的に採用しやすくなる。学生にも企業にも一定のメリットがある。ただ、移行する際は、一時的に就職難となる学生が出ないよう、注意を払わなければならない。

 日本は世界でも珍しい新卒一括採用を続けている。年功序列、終身雇用とセットにして、未経験の学生を集団で受け入れ、企業で育ててきた。うまく回ってきたシステムだが、グローバル競争が加速し、スピード感が求められる。企業もじっくり人材を育てる余裕がなく、効率的とは言えなくなっている。

 産業界と大学側は一括採用から、年間を通じて多様な経歴を持つ人材を採用する複線的な採用方式への変換を目指し、協 議を始めている。9月入学の議論が起爆剤となり、国際的な人材を確保するため、こうした議論もますます進んでいくだろう。

 しかし、外国と大学のスケジュールを合わせたからといって、企業が海外で学んだ多様な人材をすぐに採用できるように はならない。日本の採用慣行や企業文化がどう変わるかにかかっている。鶏が先か卵が先かみたいな話で、簡単ではない。

 9月入学となれば、4月一斉から9月一斉入社にずれるだけという会社も、それなりにあるだろう。会社で習熟しながら戦力になる働き方が合っている業態もある。うまくいっているなら、あえて変える必要はない。複線型の採用と共存させ、成果、仕事、期待役割といった仕事の中身で評価される雇用形態が広まる機会としてほしい。

 議論の行く末は分からないが、もっとも大事なのは移行期に不当な不利益を被る学生が出ないようにすることだ。就職氷 河期世代の状況は今でも厳しく、企業では中堅層、管理職になる世代が手薄となり、大きな社会問題になっている。同じような世代をつくらぬよう、社会全体で知恵を絞る必要がある。

(2020.06.01)  


幼児不在の議論に疑問 大豆生田啓友・玉川大教授

 小学校の入学時期がずれれば、幼児教育も大きな影響を受ける。幼稚園や課育所での預かり延長案などが出ているが、幼児教育をどうするか、一切議論されていない。場当たり的で、子ども不在だ。

 来年9月、現在の年長児に加え、年中児の9月1日生まれまで、月齢が17力月違う子どもを新小1とする案がある。同8月まで年長児が園に残る場合の教育・保育内容が、まったく示されていない。保育士不足に拍車が掛かり、待機児童も増えるだろう。

 年中児の半分が年長児とともに小1となり、分断されることも問題だ。多くの園が年長後半の教育を重視し、園生活の集大成として、仲間と一つのテーマに向かって主体的・協同的に活動するカリキュラムを組んでいる。これを経験しないまま卒園することになる。

 新小1を4月から8月まで「O年生」として小学校に迎える案もある。教育内容が示されていない上、幼児教育を専門としない小学校教諭が5歳児を受け持つ可能性がある。年齢が低いほど、文字の習得や手先の器用さなど、発達の個人差は大きい。手厚いケアができるか、懸念される。学童保育の受け皿も足りなくなるだろう。

 折しも幼稚園と小学校では、主体的、対話的で深い学びを目指す新学習指導要領などが本格実施されたばかり。幼児教育と小学校教育の接続を図るため、長年検討した制度を踏まえず、新たな仕組みを作るのは疑問だ。

 この聞の議論から、乳幼児期教育が軽視されていると感じる。子ども主体の遊びを通じて心や社会性などの「非認知能力」や言葉や知的好奇心などの「認知能力」を育てる役割は大きいのに、安易に早く学校に入ればいいと思われている。

 乳幼児期の教育は親にも関わる。家庭支援の側面が大きく、世界的に重要性が注目されている。日本の幼児教育・保育の質向上への予算は乏しい。9月入学にかける経費で、目の前の子どもを支援することが先だろう。

(2020.06.02)