教室にてつがくを 河野 哲也

(こうの・てつや 1963年東京都生まれ。立教大文学部教育学科教授。専門は哲学・教育哲学。著書に「じぶんで考え じぶんで話せる」「対話ではじめるこどもの哲学」シリーズなど。NHK・Eテレの「Q5こどものための哲学」監修。)

(1)子どもの問いからのスタート―人間?宇宙?みんなで話そう   12月28日

 自分の頭で考える。他人としつかり話し合う。今ほど、このことが求められる時代はないでしょう。では、どうやって子どもたちにこの力を身に付けさせるのか。頭を悩ます教育関係者たちが、熱い視線を注ぐのが「子どもの哲学」です。

 子どもの哲学とは、一言で言うならば、哲学的なテーマについて子ども同士で、あるいは、大人も子どもと一緒になって考え、語り合う活動のことです。1970年代に米国で開発され、英語の「子どものために、ともにする哲学」の頭文字をとつて「P4C」とも呼ばれています。

 その教育的効果に注目した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の支援もあり、現在は、就学前の幼児から高校生まで世界中で実施されています。欧州や英語圏の多くの国々で正式な教科として採用されるほか、シンガポールの有名な進学校が全学的に導入するなどアジアでも広がっています。

 子どもが哲学について語ると聞いて、驚く人もいるかもしれません。「哲学」には「難しい」「堅い」「暗いテキストを1人で黙々と読んでいる」というイメージがあるからでしょう。

 でも考えてみてください。「どうして人間はいるの?」「宇宙の始まる前はどうなっていたの?」「時間って何?」「死んだらどうなるの?」といった問いを子どもから浴びせられた経験のある人は少なくないはずです。これらは全て哲学の中心課題です。

 そう、子どもの考えはもともと哲学的なのです。しかし、今の学校ではこれらの問いについて考える時間がありません。このような素直な問いをそのまま追求し、みんなで一緒に考えて話し合ってみよう、というのが、子どもの哲学なのです。

(2)社会環境の変化の反映―問いが語り合う動機に   1月10日

 子どもの哲学は、この数年で爆発的に全国に広まりつつあります。教科書にも載り、多くの学校で実践されるようになりました。書店には関連書籍が並び、テレビ番組や新聞でも取り上げられることが増えています。

 では、なぜ今、子どもの哲学なのでしょうか。それは、社会環境が大きく変わり、求められる教育も、従来とは全く異なったものになってきているからです。

 これまでは、一生一つの大企業に勤めるのがよいとされてきました。しかし、寿命100年時代となった今では、多くの人が職場や職種を変えながら、自分固有のキャリアを積んでいます。

 また、コンピューターの発達で、定型的な事務仕事は急激に減りつつあります。機械が人間の職を奪っているとも言えますが、その分、人工知能にはない、創造力や芸術的な感性、柔軟な対応力が重視されるようになったのです。

 企業に求められるものも変わってきました。より倫理的で、環境に配慮した、社会的自覚の高い企業や商品が高く評価されるようになってきたのです。

 社会変化は、教育にも反映されます。定型的な作業を効率よくこなすことができる人材を養成する教育から、自分から意欲を持って考え抜いたり、グループで創発的に何かを生み出したりすることができる人間を育てる教育へとシフトしつつあります。2020年度からの大学入 試改革もその一環です。

 主体的に考える。深く議論する。包括的な集団をつくる―。こうした力を育む方法として、哲学対話を用いた教育に注目が集まっているのです。なぜなら、哲学の問いは何よりも、考え、学び、語り合う動機を高めるからです。

(3)対話の原則と進め方―自由に発言、全員参加で   1月17日

 子どもの哲学は実際にどのように行うのでしょうか。大切な原則をいくつか説明しましょう。

 @よく聞く=お互いが話し終わるまでしっかり聞きますA自由な発言=相手の人格を傷つけること以外は、どんなとっぴで常識外れの考えでも構いませんB質問=自分が納得するまで質問しましょうC話をつなげる=前に発言した人と自分の意見がどう関係しているかを最初に伝えましょうD変わる=自分の考えや意見が途中から変わるのは、とても良いことですEみんな参加=できるだけ全員が参加して、いろいろな人の意見を聞きましょうFゆっくり=一部の人だけで話さずに、全員がついてこられるようにゆっくり進めましょう。

 次は進め方です。標準的な方法はこうです。

 @題材の提示=読書や社会科見学、科学の実験観察、または彫刻や音楽の鑑賞―など、身の回りのものは何でも対話の題材になります。もちろん、何を話し合うか考えるところから始めても結構ですA問いを立てる=題材を通じて、みんなで考えたい問いを立てましょう。ただし、子どもたち自身が立てた問いでなくてはいけませんB対話=前述の原則に従って対話をします。基本的に結論を出すことを目的とはしません。さらに謎や問いが膨らみ、考えなければならないことが開始前よりも増えたら、その対話は成功ですC振り返り=対話の内容と、話し合い方がよかったかどうか、子どもたちに振り返ってもらいましょう。紙に書くのもよいでしょう。

 大切なのは、先生の態度です。子どもと一緒になって、1人の人間として考えること。誰もが安心して自由に発言できる雰囲気を保てるように努めましょう。

(4)対話の司会約のこつ―子どもの理性に敬意を   1月24日

 哲学対話の司会役はファシリテーターと呼ばれ、大人がやることが多いです。その司会には、こつがあります。

 最も大切なのは、子どもの理性に敬意を持って接することです。私たち大人は子どもを未熟なものとして捉えがちです。しかし実際に哲学対話をしてみると、小学校の児童でも大人と変わらないような発言をすることが分かります。子どもは考えるのに十分な力を持っているのです。

 また、司会はあくまで参加者の一人にすぎません。質問をしたり、個人としての意見を述べたりするのはいいのですが、無理にまとめようとしたり、「正解」に誘導しようとしたりしたら、対話は台無しになります。

 子ども自身の問いと言葉は大切にしましょう。子どもがせっかく出した問いや発言を、大人の都合のよい言葉に置き換えてしまうと、対話への関心を失ってしまいます。

 対話はゆっくり、じっくりと進めることが大事です。発言が出ないときでも、せかさずに待ってあげます。時間を取ることは、今の学校のあり方としばしば矛盾します。しかし、そうした時間が子どもの思考や表現を成長させます。

 最後のこつは、発言を関連付けることです。一つの発言が、前の発言や話の流れとどう関係しているかを本人に確認しながら、また、みんながその意見を理解したか、質問はないかを確認しながら進めます。関連付けが対話をより深いものにしていきます。

 先生や親という立場で子どもを自分の望む方向に持っていこうと誘導するのは、古くさい考え方です。子どもたちが自分たちの考えを互いに検討し、よりよい考えを生み出すような環境づくりをするのが大人の役割なのです。

(5)対話に使えるテクニック 議論の前提を問い直そう   1月31日

 哲学対話で重要なのは、話し合いを深めることです。「深める」とは、議論の前提を問い直すこと。例えば、運動会でどの種目を行うかを話し合っている最中に、誰かが「運動会の目的って何だろう」と問いだしたなら、その話し合いは一段深まったと言えます。議論が深まることこそが哲学的になるということです。

 そのためには、よい質問を出し合うことが大切です。役に立つテクニックを挙げてみましょう。

 一つ目は、「なぜ」「どうして」という、理由を尋ねる問いを何度も繰り返すことです。「なぜ、徒競走をするの?」「みんなで参加しやすいから」という応答があれば、「なぜ、みんなで参加する必要があるの?」と、重ねて尋ねましょう。より根本的で原則的な応答を求めるのです。

 次に、「“参加しやすい”ってどういう意味?」など、何げなく使ってしまう言葉を定義させる問いも有効です。三つ目は、具体例や証拠を求めることです。具体化は抽象化よりも難しく、個人のバイアスがかかりやすくなります。風聞や思い込みに基づいて考えないよう、相手がどんな情報元からその考えを得たのか確かめましょう。

 四つ目は「そもそも」です。この言葉は、より基本に戻って考えることを促します。「そもそも運動会は必要?」「そもそも今年もやる必要があるの?」というように。

 「いつもそうなの?」「誰にも当てはまるの?」といった一般化の条件や限定を確認する問いや、結論的な発言が出たときに再考を促す「本当にそうなの?」といった問いも効果的です。「やっぱり徒競走は面白いよ」「本山にそうなの?」こうした表現が子ども同士で出せるようになると対話と思考が深まります。

(6)身体的活動でもある対話 環境と道具も配慮しょう   2月7日

 対話は知的活動ですが、同時に身体的活動でもあります。スポーツをしやすい環境や道具があるように、対話にも、行いやすい環境やそれを促す道具があります。

 教室や美術室、体育館、または屋外-。開催場所は発言内容に大きな影響を与えるので、慎重に選びましょう。例えば、青空の下では、考え方も伸びやかになります。

 次に、参加する子ども全員が、互いの顔が見えるよう工夫しましょう。対話では、発言内容だけでなく、顔の表情や身体の動きもコミュニケーションの手段です。輪になって座るとよいでしょう。互いの距離が離れていたり、机を挟んでいたりすると、心の距離も広がる気がします。輪の外に先生や参観者がいるのは、評価されているような感じを与えるので、あまりお勧めしません。

 発言を均等化するのに、ボールや縫いぐるみを使用すると効果的です。それを持った人だけが発言でき、他の人は聞くというルールです。発言が終われば、次に発言したい人に渡します。私は男女で交互に渡すようにしています。性差を意識する年頃になっても、同性同士で固まることなく発言できるからです。

 「なんで?」「例えば?」「反対は?」「そもそも」 「立場が変わると」「話がそれています」「反論があります」などと書かれた「発言カード」を使ってもよいでしょう。対話の筋道が可視化でき、自分の発言が前の発言とどう関係しているのかがはっきりします。そうすると、議論がつながり、論理的になります。

 板書役を決めて発言をメモするのも、複雑な対話の流れを追うには有効です。子どもは板書に気を取られがちなので、対話自体に集中するよう促しましょう。

(7) 自分が何も者か 理解を促す効果 内なる拘束から解放 自由に  2月14日

 哲学対話にはどのような教育効果があるのでしょうか。個人のレベルで言えば、まず思考力、とりわけ批判的な思考力が向上することが実証されています。また、他人の話を傾聴したり、自分の考えを表現したりする力が伸びることは明らかです。しかし、私はこれらの効果よりも重要な変化が生じると考えています。

 それは、対話によって自分の考え方や生き方が、他人のそれと対照されることで、「自分が何者であるのか」を理解していく、ということです。自己認識が高まると、環境に働き掛け、社会に乗り出していく積極性が強まります。簡単に言えば、意欲が増すのです。

 もう一つの重要な変化は「自由になる」ということです。対話を通して、自分の考えや行動が、無自覚の思い込みや信念、または、うのみにしていた常識や前提に束縛されていたことに気付きます。自分を内側から拘束してきたものから解放されることは、実は一種のケアの効果があり、発想と行動が自由になっていくのです。

 また、集団に対しても効果があります。深いレベルで対話ができると、個人のケースと同じく、その集団が暗黙のうちに抱えていた「常識」や慣習、しきたりを考え直すようになります。

 組織内での役割や地位などにとらわれずに行われるので、相手を一人の人間として扱い、互いの人格についての理解を深めます。このため、組織内に真の信頼関係や責任感が生まれ、風通しが良く、倫理的な意識に富んだ集団になるのです。

 学校においては、いじめやクラスの人間関係の軋轢や緊張を緩和するのに役立ちます。海外の貧困地域や多民族地域で子どもの哲学が実践されているのはこのためです。

(8)言語教育への導入 物語の理解広げる   2月21日

 一般論ですが、哲学対話はどの教科や活動にも導入できます。もちろん毎回行う必要はなく、各単元の導入や仕上げに30分ほど実施するだけでも、動機付けや理解に高い効果をもたらします。

 これからの6回は、哲学対話がどのように学校教育に導入できるのか、教科ごとに紹介していきたいと思います。

 まずは、国語や外国語といった言語教育を取り上げます。例をば、形容詞の使い方でつまずいた子が何人かいたとしましょう。そんなときは、なぜ「白いはきれい」という言い方ができないのかについて話し合っても面白いでしょう。論理訓練になりますし、敬語や伝聞表現といった言葉の運用は、自他の関係性について考える重要な哲学的テーマです。

 論説文を使えば、文中に出てくる「公平」や「権利」といった概念についても議論できます。

 物語もまた、テーマにあふれた優れた材料です。国語の授業では、主人公の気持ちになることを求められがちですが、哲学対話を導入すると、物語をもっと自由に解釈できます。例えは、子どもからは、憎らしくて嫌な登瘍人物がそのように行動するのはなぜなのか、という問いがよく出てきます。この問いからは、他者への「理解と「共感」との違いを学ぶことができます。

  以前「ごんぎつね」について対話した時には、「キツネは人間の言葉を理解しない」「動物の気持ちが分かるはずがない」といったりアルな疑問が出てきました。

 さらに「なぜ作者はこんな設定にしたのか」「何を伝えたいのか」といった問いを立て、驚くほどさえたコメントを意.外な子が発言しました。このように哲学対話は、物語の理解の幅を広げるのです。

(9)理科や算数にも導入 子どもも教師も科学探究へ   3月6日

 「理科」や「算数」.には確固とした法則や定理が存在し、素人が今更考える余地などないと思われがちです。しかし、そのような「理系」の教科にも哲学対話の導入は有効です。中でも、理科教育への導入はかなり確立されています。

 まず、教科書を読んだり、実験や観察を行ったりした後、みんなで疑問に思った点を話し合い、一緒に問いを立てます。そして、現象を説明する仮説を出し合います。仮説は複数出ても構いません。さらに、仮説を確かめるための方法を話し合い、それを実際に試し、結果について議論します。

 このやり方では、@素材や現象から問いを立てるA仮説の形成B結果の評価―などの各過程で哲学対話が行われます。

 これまでの理科教育でも対話の形を取ることはありましたが、それには教師が解答を知っているという前提がありました。しかし、理科における真の対話教育とは、児童や生徒と教師がともに自然現象に向かい合い、協働して学び合うことではないでしょうか。子どもが疑問に思った現象について十全な知識がなくとも、教師は子どもの同伴者として一緒に科学的探求を行うのです。この授業は教師にとっても面白いものになるはずです。

 算数もまた、哲学的な問いの宝庫です。理科でも算数でも、子どもは基本概念の理解でつまずきがちです。一方、分からない点を徹底的に話し合う哲学対話では、自分の誤解や錯誤に気付きながら、概念が学べます。

 また、「算数は生活の役に立つか」「科学知識はどの仕事で使われているか」「科学は誰のためにあるのか」といった問いは、科学と、社会や生活との関係について考える機会を与え、学ぶ意味を考えさせてくれるはずです。

(10)美術や音楽にも導入 細部を見る目 膨らむ想像   3月6日

 1980年代にニューヨーク近代美術館で「対話型鑑賞法」と呼ばれる学校教育向けのカリキュラムが開発されました。子どもらが作品を見た後に、美術史的な「知識」にとらわれることなく、作品について感じたことや考えたことを自由に議論するもので、いくつかの点で哲学対話と発想を同じくしています。

 対話を通じ、1人では気付けなかった作品の特徴に気付き、解釈や想像を膨らませることができます。筆遣いや色の細部、物の形や人の表情など、大人が見落とすようなポイントを見逃さない子どもの目には驚かされます。

 作品が難しいと感じた子にもどの辺が難しいかを話し合ってもらいましょう。作品を嫌ったり、面白くないと思ったりするのも個性ですから、否定せずに話し合いの題材とします。作家のコメントやエピソードなどを紹介すると、より議論が膨らみます。

 一方、哲学対話では、子どもたち自身が問いを決めるため、「この作品で何を言いたいのか」「この作品のどこが素晴らしいのか」といった作品自体の鑑賞を超え、議論のテーマが広がっていく傾向があります。「美術と私たちの生活はどう結び付いているのか」「美術館は必要か」などです。

 もちろん美術だけでなく、音楽など芸術系の教科全般に導入することができます。私の実践では、課題を決めて子どもたちに絵画やパフォーマンスなどを制作させ、相互に鑑賞してもらいます。自分の作品の説明をした後、鑑賞者と対話し質問と感想を書いてもらうのです。このやり方で、普段はあまり話さない子が作品を見てくれている子に熱心に解説している姿を何度も目にしました。教育において、自己表現がいかに大切かを実感する瞬間です。

(11)社会科への導入 積極的な主権者を育てる   3月13日

 「自由とは何か」「人は平等か」「ルールは必要か」「民主主義とは何か」「絶対の正義はあるか」といった政治や法律、現代社会の基本概念に関する問いは、政治哲学や法哲学といった哲学の定番の問いです。

 もちろん、子どものための哲学対話にもうつてつけの題材で、これらをさまざまに議論することこそ、社会科教育の本質と言ってよいでしょう。

 暗記科目と見なされがちな社会科ですが、その本来の目的は、社会の構築に積極的な主権者を育てることです。現在の自分と社会との関連を明らかにし、社会参加の動機付けを強めてくれる哲学対話との相性は抜群です。

 授業に導入する際は、子どもたちが自らに引き寄せて考えられるテーマを設定しましよう。

 選挙制度について中学3年の生徒たちと対話した時のことです。「どうせ自分たちには選挙権はない」と最初、乗り気ではありませんでした。そこで、「では、何歳からならいいと思うり」と尋ねた上で、「選挙権の法律を変えるにはどうすればよいか」と問うと、その後の議論はなかなか盛り上がりました。

 歴史や地理もよい素材です。「歴史は過去のあらゆることを扱っているか」「誰が書いたのか」「知る意味はあるのか」「なぜ人は歴史を残すのか」という歴史哲学の問いは、自分が属する共同体の歴史を振り返り、教科書に載っているような事柄について批判的に向き合う助けになります。

 地理であれば、「どんな場所に住みたいか」「あなたの住む地域の良い点と悪い点は何か」「この地域の自然は大切か」という問いが、土地と自分の関係をもっと良いものにしていこうという子どもたちの意欲を育てるはずです。

(12)体育や部活動への導入 動機付け強め、成長促す   3月20日

 多くの子どもに人気の体育は、身体的で美的な経験であると同時に、人間関係や自己管理能力を養う活動でもあります。近年は子どもが自ら思考することに重きを置く「コーチング」という概念が取り込まれています。個々人の成長を促し、動機付けを強めるために、対話とコ ミュニケーションを重視するその理念と方法こよ、哲学対話と共通ずる点があります。

 例えば、何のためにこの運動をするのかをテーマに議論することは、動機付けを強めます。また、どうすれば技術が向上するかを互いに教え合い、話し合うことで、むやみに練習するよりも驚くほど効果が上がります。

 しかし、哲学対話ではさらにスポーツの根本を問うところまで話し合いを深めます。「体育を学校で教える意味は何か」「心と体はどう関係しているか」「フェアとは何か」「地域や国家とスポーツはどう結び付いているか」「男女の別は必要か」など、体育と身体、スポーツと社会の関係について論じてみると、普段は活発すぎる子たちも真剣に話し合います。

 クラブ活動や運動会でも、漫然と練習を踏襲したり、発散的な「お祭り」になって終わったりするのでは、教育的な意味合いは薄くなってしまいます。そうならぬように、子どもにクラブ活動や行事の意疎について対話を促してみるのはどうでしょうか。

 まず、目的や実施の計画を立てさせ、それに向けてどのような活動や練習を行えばよいかを話し合ってもらいます。そして、活動の効果や成果をどのように測ればいいかを考えさせるのです。

 クラブの目的を徹底的に話し合って、自律的に活動を運営する方法を学び、抜群に実力も上がった例もあります。

(13)道徳、ホームルームに導入 民主社会をつくる訓練   3月27日

 道徳の本質は、他者の声を聴くことです。聴くということは、自分を変えることでもあります。つまり、自分を内側から拘束してきた「常識」や慣習から解放してくれる哲学対話は、それ自体が道徳的な活動と言えます。

 どんなに優れた道徳の格言でも、ただ言われたままに信じているのでは、力ルトの教えや政治的イデオロギーの吹き込みとなんら変わりません。 義務教育で道徳が教科化されましたが、「考え、議論する」側面が強調されているのは素晴らしいことです。子どもたち自身が規範を話し合い、自分で考えて判断し、その結果を引き受ける習慣を付けなければ全く意味がありません。それは同時に民主的な社会をつくる訓練でもあるのです。

 道徳も民主主義も身近なところから始めるべきです。例えば、ホームルームで、学校の行事やルール、クラスの問題を話し合うのはどうでしょう。その際大切なのは、誰もが自由に、平等に話し合える雰囲気を確保することです。一部の人が発言して、他の人が黙っているようでは、結論は偏ってしまいます。教師の意見も特別視するのではなく、児童や生徒の意見と同じようにみんなで検討しましょう。

 哲学対話は、信頼できる人間関係を構築し、学校を居心地がよく、風通しのよい場所にします。パリやハワイといった人種的にも文化的にも多様な地域でも、長年実施してきた結果、荒れた学校が改善されています。対話によって、自らが抱える困難の原因や、社会と自分の関係がはっきりし、互いの存在を認知し合える集団になるからです。

 日本でも、外国籍の子が珍しくなくなり、経済格差も目立ってきました。そこで生じる問題を、子ども自身が考える必要があるのです。

(14)被災地で「探検隊」実施 暮らす地域の大切さ知る   4月3日

 私が哲学対話を本格的に学校に導入しようとしたのが2011年でした。著名な実践者を海外から呼び、ワークショッブを行おうとしたまさにその日に東日本大震災が起こったのです。

 震災をきっかけに、日本人の多くが自分の生活について根本的に考えたいと思うようになったのではないでしょうか。東北地方を中心に哲学カフェがたくさんできました。私も支援の一環として、岩手県の盛岡市や山田町、陸前高田市や宮城県の気仙沼市で哲学対話を行いました。

 その中で、小学生からお年寄りまで世代を超えて地域の将来を話し合う多世代哲学カフェや、地域の自然や文化を体験した上で、身近な問題を話し合う「哲学探検隊」を実施しました。その際、幅広い世代が集まるコミュニティーとして機能していた図書館が、基地の役割を果 たしました。

 また、総合的な学習の一環として学校でも探検隊を実施しました。これらの活動を通じ、その土地の暮らしについてさまざまな角度から検討することができたのです。

 これからの学校は、地域の人々や、関係する高等教育機関と連携し、実際の生活と連続した真正の教育を行う必要があります。社会科や理科、言語教育など学校で習う学問はこれまで、地域のことを無視し、一般的な知識を与えるための教育に終始しがちでした。その結果、地域の価値を見逃し、中央を志向する傾向を育ててきたのです。

 教育はもっと知識における場所性や特殊性を重視すべきです。普遍とされている知識は、都会や中央の価値観の反映にすぎない場合があります。そして、自分たちが暮らす地域の個性の大切さを知る上で欠かせないのが、外の人たちとの対話なのです。

(15最終回)異なったまま結びつく 市民育て、戦争を対話へ転換   4月10日

 子どもの哲学の最終目標は何か、と問われたら、平和構築であると答えます。哲学対話は、自分の思い込みや「常識」、慣習を、他者の目を通して検討し直す活動です。他者を理解し、自分の思考を改善する手助けとなります。

 教育現場に取り入れることで、学校教育が、広い社会や人類にどのように貢献するのか問い直すことができます。さらに一人の人間を他者と、ある分野の知識を個の知識や社会全体と、また、一つの社会を他の世界と、それぞれ結び付けようとします。そうして、現在の自分がいる地点を全体の地図の中で位置付け、自分のやっていることを意味付ける機会を与えてくれます。

 哲学対話は、人類をつなげます。なぜなら、対話では同じ問いを共有する必要があるからです。一方で、意見が異なっていなければ成り立ちません。異なったままで人がつながるのが対話です。画一性や同質性を求めるのではなく、また無関心にバラバラになるのではなく、異なった考えを持つ人を求め、真理を探求するのです。

 私たちは他者とさまざまな軋轢や対立を経験します。目をふさぎ、向かい合うことを避けると、最後に大きな争いや暴力を招くようになるでしょう。哲学対話はそうなる前に、一人の人間として他者と向かい合い、異なった他者を社会に受け入れる習慣をつくり出します。

 つまり、社会を構築する市民を育てる教育であるとともに、戦争を対話へと転換する平和のための教育なのです。

 ぜひ、子どもとともに哲学してみてください。きっと、子どもも大人も大きく成長することでしょう。