外国につながる子どもの教育 若林秀樹

(わかはやし・ひでき 栃木県の公立中学の英語教諭として勤務後、1998年から12年間日本語教室担当教員を経験。現在は宇都宮大国際学部客員准教授として、経験を踏まえた情報発信や多言語翻訳技術の教育活用研究に注力している。)

(1) ひとごとにせず考える  10月5日

 「外国につながる子ども」という言葉を知っていますか。外国人の子でも日本国籍を持っていたり、日本で生まれ育ったりと背景は多様です。そこで、教育分野では近年、外国にルーツを持つ子どもの総称としてこの呼び方が定着しています。

 この春、外国人材受け入れ拡大に関するニュースがテレビや新聞をにぎわせました。外国人労働者が増えることで、外国につながる子どもの増加も見込まれますが、その教育をめぐる課題は山情しているのが実情です。

 課題の一つに、日本語指導の難しさがあります。日本語が分からないといってもその線引きは容易ではなく、幅広い支援が要求されます。日常会話ができても、授業を理解するにはさらに難しい日本語を覚える必要があるからです。

 小学校で来日し2〜3年たち日常会話に不自由がなくなった子どもは周囲から「もう大丈夫」と思われがちですが、中学校に進むと状況が一変します。学習用語が難しく授業についていけず、定期テストの点数は一桁、自信もやる気もなくしてしまいます。教科担任制の中学校では、教員と生徒の接点は授業しかないので、点数が低ければ厳しい評価も避けられません。やがて取り返しのつかないほど学習が遅れ、高校進学を諦めてしまいます。

 このような子どもには、いつどのような指導をすべきだったのでしょうか。学校や社会はどう関わっていけば良かったのでしょうか。少なくとも、思うようなキャリア形成ができないことを本人や保護者だけのせいにするのは間違いです。

 外国人が増える日本で、外国につながる子どもの教育を考えることは、10年後の社会を考えることに直結します。この連載では、子どもとその保護者、教員たちを取り巻く課題を、実体験を交えて伝えます。山積する課題を「誰かが解決すればいい」というひとごとでなく、皆さんが身近に感じてもらうきっかけになればと願っています。

(2) さまざまな実情に寄りそう  10月11日

 中学教員時代の後半12年は、日本語教室を担当しました。日本語がよく分からず学校生活や授業に支障のある外国につながる子どもが、自分のクラスを離れて勉強しに来る教室で、国際教室と呼ぶ地域もあります。

 担当教員は学級担任などと話し合い、子どもに合わせた指導計画や時間割を作ります。少ない子どもは週に2時間、来日して間もない子どもには週に8時間以上指導します。自分のクラスから日本語教室に通う通級形式が中心ですが、担当教員が学級の授業に付き添って支援する入り込み指導という形もあります。

 日本語教室は、いわゆる日本語学校とは全く違います。日本語学校は外国人留学生が自分の意思で来日、進学してくるのに対し、日本語教室の子どもは、主に保護者の意思で来日した場合がほとんどです。親が日本で働くため、一緒に連れて来られた子ども。母国で祖父母と暮らしていたが、日本に住む親に呼び寄せられた子どもなど背景はさまざま。学習意欲にも個人差があるため、子どもの実情に寄り添った指導が必要です。

 あるブラジル人男子生徒を指導した時に、そのことを強く感じました。彼はひらがなを覚えるのに2カ月もかかりました。「い」と「こ」の区別がつかなくなるといった具合で、習ったことを翌日には忘れてしまうのです。一向に進まぬ状況に、彼は何か学びに障害を抱えているのかもしれないと思い始めました。

 ところが2カ月が過ぎた頃、霧が晴れるように、彼は日本語を書いたり読んだりできるようになりました。その半年後こは、周囲の子どもと不自由なく話せるようになり、翌年には漢字を使って作文まで書けるようになりました。表情も見違えるほど明るくなり、日本人の友達も増 えました。

 後で分かったのですが、日本に来て間もない頃、彼は自分の置かれた状況に納得できなかったのです。2カ月たち、やっと学習に向き合うことができたのだと思います。それに気付けず、彼の気持ちに寄り添えなかった自分をとても恥ずかしく思いました。子どもと向き合うための大切なことに国籍は関係ない。当たり前のことに気付かされました。

(3) 日本の文化の「当たり前」伝える  10月18日

 アルファベットの言語圏から来た子どもの多くは、日本語の文字習得に苦労します。日本語はまるで模様に見えるそうです。ひらがなの「む」は虫みたい、といった具合です。模様ですから、放っておくと筆順なんてでたらめです。ひらがなの「ぬ」や「ゆ」をすらすら逆順に書くのを見ると、その器用さに思わず笑ってしまいます。

 ほとんどの子どもは文字の縦書きが初めてなので、私はよく筆ペンを使って指導しました。昔は筆で書いていたことを伝え、「ありがとう」の文字を横書きと縦書きで書かせます。すると、縦書きの方が書きやすいことを体で感じ取り、日本語への理解が一気に深まりました。 日本語教室で筆ペンがはやってしまい、筆ペン禁止令を出したこともありました。

 書く時の姿勢や紙の向きも指導します。それまで横書きしか経験のない子どもはいつの間にか紙が斜めになり、文字も次第に横を向いてしまいます。そんな時は、セロハンテープで紙を机に固定してしまいます。すると今度は紙ではなく子どもの体が曲がっていくので、席の後ろに回って椅子を押さえるという具合です。また、筆順を間違えた時は、もう一度書かせる指導も徹底しました。

 「外国人なんだから、筆順なんて違ってもいいのでは」という学級担任もいましたが、私はその考えに反対です。筆順は、文字が美しく書けるように考えられています。ですから、筆順なんてどうでもいいと言ってしまったら、その子どもはバランスの崩れた文字をずっとさき続けることになります。文字を書くたびに、「外国人だから仕方がない」と思われてしまうのは不幸なことです。

 履物をそろえる大切さも伝えました。日本人なら、普段は無造作に脱ぎ捨てていても「履物をちゃんとしよう」と言われればどうすれば良いか分かります。しかし、外国につながる子どもはそうはいきません。日本人なら誰でも知っている「当たり前」の文化を一つ一つ伝えなければならないのです。「外国人だから仕方がない」。無意識とも言えるこの感覚を消していくことがこれからの日本社会に求められています。

(4) 「学習言語」習得支援を  10月25日

 子どもは環境こ適応するのが早いと言われます。外国につながる子どももいつの間にか日本語が話せるようになっていることがあります。しかし、子どもに必要な日本語が全て自然に身に付くと勘違いしては危険です。

 子どもが覚える日本語には、日常生活のための「生活言語」と、テストを解くなど勉強に必要な「学習言語」があります。第1回で触れたように、生活言語を習得して友達と会話できるようになっても、学習言語の習得にはさらに支援が必要です。その機会を失うと、授業が理解 できないままになってしまいます。

 私が担当した中学校の日本語教室には、小学校で一度日本語指導を終了した子どもも多くいました。生活言語を習得し、「もう大丈夫」と安心して中学に進学したものの、授業の日本語が難しくついて行けなくなったのです。このような子どもには日本語そのものを教えるのではなく、教科書の理解を補う指導を行います。

 日本語教室での学習時間は限られているので、全ての教科を補うことはできません。社会などは教科書の文章量や難しい漢字も多く時間がかかるので、数学や理科など、ポイントを説明すれば授業の理解に結びつきやすい教科を中心に指導します。また、「正しい答えを選んで記号で答えなさい」など、テストの問いや答え方に慣れるための指導も行います。

 学習言語の習得には、日本語教室の担当教員だけでなく全ての教員の理解と協力も必要です。クラスを離れて学習こていたら、結局は授業から遅れてしまうことになるからです。授業中にリアルタイムで支援してこそ効果的な場合も多く、関わる教員が多いほど、子どもも頑張ろうという気持ちが大きくなります。

 読者の皆さんは、「日本語が分からない子どもの相手をしていたら授業が進まないのでは」と心配されるかもしれません。しかし、「書きなさい」「読みなさい」など、教員の簡単な指示が伝わる以上、他の子どもと同様に授業を受ける対象であることを忘れてはいけません。では、どんな関わり万があるのでしょうか。次回、その臭体例を紹介します。

(5) 普通学級参加でやる気アップ  11月1日

 中学で日本語教室を担当していた時、同僚の数学教員から次のような相談を受けました。「担当するクラスの1年生のブラジル人男子生徒が授業を理解できないようなので、数学の時間は日本語数室に通わせてあげてほしい」。

 真面目に話を聞いているのですが、黒板を時間内に写し終わらず、練習問題にも手が付けられないとのことです。「何もしてあげられないので、彼も授業にいてつらいはずだ」と付け加えました。皆さんも教強に立ったつもりでどう対応するか考えてみてください。多くの方がこの教員と同じ考えかもしれません。

 私は、引き続き授業に参加させてほしいと伝えました。彼は日常会話もでき、学校生活を送るのに問題ありませんでしたし、数字や記号も理解できていたからです。中学入学直後は日本語教室に通っていましたが、この時には学習用語が難解な国語と社会の時間以外はクラスの授業に参加するようになっていました。

 その際、教員には次のお願いをしました。授業内容とは別の易しい計算問題を用意して始まりの時に渡してほしい。途中に1、2回でいいので様子を見て、授業後に採点しながら「次の時間も頑張ろう」と笑い掛けてほしい。他の生徒と同じにできなくても、数学の学習に参加した事実をつくってあげてほしい、と。

 日本語教室で学習する子どもは、クラスの授業に戻ることに不安を感じています。この教員の提案通りにしてしまったら自信を失い、もう参加できなくなってしまいます。たとえ学習内容が違っても教員とつながることができれば「居ていいんだ」「先生は自分を認めてくれた」と感じ、「早くこの先生の授業を理解したい」とやる気になるはずです。

 教員は納得し、私のお願いを聞き入れてくれました。教員自身も、言葉が通じない生徒を前にどうしてよいか分からず悩んでいたのです。3カ月後、男子生徒は全ての授業に参加できるようになりました。外国につながる子どもにとって、日本語教室での学習も大切ですが、できるだけ多くの大人が関わり普通学級で学ぶことも同じくらい必要です。

(6) 「困り感」を受け止めて  11月8日

 外国につながる子どもを初めて担当する教員は、大きな不安を抱えています。どう接するべきなのか、日本語を覚えてほしいがどうやって教えるのか。私が学校現場を離れてからも、「日本語が通じない子が入ってきたがどうすればいいのか」という、教員からの慌てた声が寄せられます。

 相談があると、まずは子どもの現状をよく聞いた上で、学級でできる支援のアイデアや保護者との連携方法などを、具体的な資料とともに伝えます。また、日本語を指導する際の留意事項やテキストも紹介し、困ったらいつでも連絡してほしいと付け加えます。

 一度相談に乗るとその後が気になりますが、次の連絡はなかなかありません。しびれを切らしこちらから聞いてみると、多くの場合「あ、もう大丈夫です」という答えが返ってきます。「授業も聞いているし、周りと同じ行動ができるからもうつらそうではない」。果たして本当でしょうか。

 日本語が分からない子どもは、環境に溶け込もうと精いっぱい努力します。「通じていない」「同じ行動ができない」と思われないよう、周囲のまねをして必死に振る舞います。その振る舞いが上手になるほど、皮肉にも大人は子どもの「困り感」を感じなくなってしまいます。

 そこで要求されるのは、一人ひとりの「困った」を見抜く力です。子どもが見せるうわべだけで「もう大丈表と思い込んでしまったら困り感はどんどん膨れ上がり、やがて取り返しがつかなくなってしまうからです。

 それではどうすれば良いか。単純ですが、子どもの気持ちに寄り添うしか方法はありません。「母語の知識がない」「日本語の教え方が分からない」など気にしていると、心の距離はなかなか縮まりません。

 これまで接した外国につながる子どもにも、教員が自分の母語を理解してくれないと不満を言った子どもは一人もいませんでした。その代わりに、「自分の居場所がない」「関わろうとしてくれない」と嘆いていた子どもは数え切れません。

 外国につながる子どもの教育は、困り感を受け止めて居場所となり、安心感を伝えるところから始まります。

(7) 「散在化」、現場は指導に困窮  11月15日

 「外国につながる子どもの日本語指導」と聞くと、たくさんの外国人が日本語を学ぶ授業風景をイメージするかもしれません。テレビでも「全校児童の何割が外国人です」などと紹介されることがありますが、そういった学校は実は少数派です。

 文部科学省の調査によれば、日本語指導が必要な外国籍の子どもは、全国約7000校の公立学校に在籍じています。しかし、学校ごとの在籍数を見ると、5人以上在籍している学校は全体の4分の1にすぎません。たった1人という学校が4割を占めたおり、報道を通して伝わるイメージと実態は少し異なります。

 外国につながる子どもが各地に少数分散する傾向を「散在化」と呼びます。散在化は深刻です。こうした地域の教員が初めて外国につながる子どもを担当する場合、スキルや情報が不足して積極的な支援が進まないだけでなく、周囲に相談できる教員もいないため、悩みを抱え込むケースも少なくありません。

 また、支援対象の子どもが少ないと自治体は予算が計上できず、通訳派遣や日本語教室設置も困難です。支援対象の子どもが1校に3人しかいないにもかかわらず、全員母語が異なるケースも珍しくなく、保護者対応も大変です。

 先の文科省調査では意外な結果も明らかになりました。日本語指導が必要な外国につながる子どもが増えているのに、実際に適切な指導を受けている子どもの数は減少しているのです。理由として「指導者がいない」「指導法が分からない」「時間や場所の確保が困塾などが挙がっていますが、今後の外国人材受け入れ拡大などを考えると看過できない事態です。

 ところで、外国につながる子どもの支援には、専門的な教員や特定の指導場所が必須でしょうか。私は少し疑問を感じます。こうした教育は、これまで「特別な子どもに対する特別な教員による特別な指導」と考えられてきました。しかし、散在化が進む今、教員誰もができる「当たり前の教育活動」に変わる必要があります。

 次回は、専門知識や技術がなくても、教員一人ひとりの力を合わせて支援をした事例を紹介したいと思います。

(8) 1年で急成長、学校一丸の挑戦  11月22日

 外国につながる子どもの支援は、専門的な教員の配置や日本語教室の設置が必須でしょうか。これから紹介する事例を読んで、皆さんも考えてみてください。 r

 ある年の4月、私が勤める大学の新入生オリエンテーションで、男子新入生から「先生、久しぶりです。覚えていますか」と突然声をかけられました。とっさのことに驚きながらも、2度だけ会つたことのあるペルー人生徒と分かりました。

 「日本語が話せない生徒が入ってきた。どうすればよいか教えてほしい」。彼が通っていた中学校の校長から相談を受け、当時中学2年だった彼と片言のスペイン語で面談をしました。高い学習意欲と潜在的な学力を感じた私は、ある大胆な提案を校長に伝えました。

 それは「全ての授業を自分のクラスで受けさせる」という提案でした。これまでに述べた通り、たとえ日本語指導のためでも、クラスの授業を抜けた分の学習内容を取り返すことは困難です。しかし、彼なら教員の適切な支援があれば授業についていけると考えたのです。

 日本語指導は授業以外の時間を工夫して行ってほしいと伝え、教材と指導計画を提供しました。校長は「日本語が通じないのに大丈夫なのか」と不安になりながらも「やってみよう」と私の意図を聞き入れてくれ、翌日の会議で教員に周知してくれました。

 約1年後、校長から電話がありました。「彼の受験する高校について話し合っている。保護者の理解を得るのを手伝ってほしい」という内容でした。授業参加と日本語学習を両立させた彼は、1年間で県立高校を受験できるまでに成長していたのです。その彼が今、大学生となり目の前に立っていました。

 「先生のおかげでここまで来られました」と言う彼に、当時の経緯を説明しました。彼自身の努力はもちろんのこと、「どうすれば良いか教えてほしい」と、なりふり構わず連絡してくれた校長や授業での関わり万を試行錯誤してくれた教員たちがいたからこそ、彼の人生は大きく変わったのです。学校が一つになって取り組んだ挑戦とその結果に、私は胸が熱くなりました。

(9) 入試の配慮 自治体により差  11月29日

 今回のテーマは、外国につながる子どもの進路選択の課題です。彼らにとって、学科試験を突破して高校に進学することは大きな挑戦です。これまで書いたように、日本語が話せても学習用語の習得には時間がかかるからです。

 そこで、学科試験の軽減や面接と作文による合否決定、外国につながる子どもを受け入れる定員を設けるなど、特別な入試を設定している自治体も多くあります。しかし、配慮される内容が自治体によって異なるため、子どもの居住圏が進路選択に影響してしまうことが課題です。

 特別な入試は自治体により適用される条件も異なります。例えば、小学1年時に来日した子どもにも適用される自治体がある一方、「日本に来て3年以内」という条件がある自治体では、小学6年時に来日した子どもにさえ適用されず、日本人と同じ入試が強いられるなどその差は深刻です。

 また、高校進学後の支援も大きな課題です。これから紹介するのは、私の考えを大きく変えることになった出来事です。

 ある年の3月、当時私が勤務していた中学の日本語教室に高校の卒業証書を持った女子生徒が父親と一緒にやってきました。中学2年の終わりに日本語が全く分からない状態でブラジル人学校から編入、約1年という短期間の学習ながら、努力が実り地元の普通高校に合格した生徒でした。

 「卒業おめでとう」と言うと、「幸せじゃなかった」と言葉を返す態度に私は戸惑いました。理由を聞くと、「授業が全然分からなくて毎日泣いていた」と彼女は目に涙を浮かべ言いました。「頑張って高校を卒業する」という私との約束があったから耐えたそうです。私はがくぜんとしました。「合格」という結果に満足して、進学後の彼女の苦労を考えることができなかった自分の浅はかさを悔やみました。

 外国につながる子どもの支援は、中学までで十分とは言えません。高校でも日本語指導を継続している自治体もありますが、地域による支援の差がこれ以上広がるのも問題です。今すぐに、校種と地域の垣根を超えて話し合うための仕組みづくりが必要です。

(10) 初期指導の成果生かそう  12月6日

 これまで、日本語教室や在籍学級における外国につながる子どもの支援についてお伝えしてきましたが、今回は「初期指導教室」という特徴的な取り組みを紹介します。

 外国につながる子どもが多い自治体には、日本語の力が不十分と判断された場合、在籍学級での生活の前に別の施設で一定期間支援を受ける仕組みをつくっている所があります。この施設を初期指導教室などと呼んでいます。

 私が以前開設に関わった初期指導教室は、子どもや保護者の母語を理解する複数の指導員が常勤し、基礎の日本語から学校生活で必要な知識の習得や、送迎時に保護者に日本の学校の仕組みを伝えるなど、通常の学校では困難と思われる支援が実現しました。

 また、日本語教室の経験が豊かな教員が室長を務めるなど、多くの特長がありました。最長6カ月の通級期間を終えた子どもは、日本語の習熟度には個人差が出るもののスムーズに学校生活をスタートでき、学級担任らの大幅な負担軽減にもつながりました。

 一方、予期せぬ課題も見えてきました。中学2年の女子生徒が「自分の学校に戻りたくない」という理由で、外国人が多くいる中学に通級途中で転校してしまったのです。彼女は「クラスが私を受け入れてくれるのか不安になった」「担任の先生が様子を見に来てくれれば安心できたのに」と打ち明けてくれました。

 また、初期指導を終えて在籍校に通う中学3年の生徒について、その学校の校長が「指導が不十分で手に負えない。そっちに戻したい」と連絡してきたという話も聞きました。本来、自校で支援すべき生徒を「戻したい」と言ってくる感覚に絶句しました。これらの出来事は、ど んなに良い仕組みをつくっても、関わる人たちが心一つになれなければ効果は半減してしまうことを物語っています。

 外国につながる子どもの支援に悩む教員にとって、初期指導教室という存在は救いであることは事実です。しかし、本来の居場所である学校、学級から離れて支援することが最善とは言えません。初期指導教室の成果と反省を、通常の学校で生かす仕組みを考えなければなりません。

(11) 特別支援、現場に複雑な課題  12月13日

 今回お伝えするのは、外国につながる子どもと特別支援教育をめぐる課題です。

 特別支援学級では、主に障害を持つ子どもを支援していますが、外国につながる子どもも在籍Lています。あるNPOの調査によると、日本人と比べ、外国籍の子どもの場合は、特別支援学級に在籍する割合が2倍を超える地域もあり、日本語ができないことが在籍につながっているケースも考えられます。

 日本語ができないことは障害ではありません。日本語教室の代わりという考えで特別支援学級に在籍させるなら、それは問題です。しかし、「通常学級では手が足りない」「学校に慣れるまで効果的な支援ができる」など、教員からは切実な声も聞こえてきます。また、日本語習得の速度は個人差が大きく、障害を疑ってしまうこともあり、そんな学校現場の困窮も無視できません。

 一方、本来受けるべき特別な支援が得られないケースも少なくありません。先日、日本語教室の担当者から「授業中歩き回るなど問題が多く言葉も通じず、手に負えない子が通級している」と相談を受けました。「母語のできる支援員まで配置されたがその子で手いつばいで、 教室全体が機能しなくなった」と深刻な悩みを抱えていました。

 外国につながる子どもが適切な特別支援教育を受けるには、幾つもの課題を乗り越えなければなりません。例えば、知能検査は多言語化されていないため、日本語が分からない子どもは正確な検査が受けられません。

 また、出身国によっては特別支援教育にマイナスイメージが強く、学校の提案を保護者がかたくなに拒否する場合もあります。何より、日本語が通じない子どもをどう支援すればよいか、指導体制の整備が最も大きな課題です。

 これまでの特別支援教育は、子どもや保護者が日本語を母語とし、学校と価値観が共有できることを前提に進められてきましたが、今後はより幅広い研究が要求されます。多様な子どもへのきめ細やかな支援がうたわれる今、外国につながる子どもの教育も同様に進めなければいけないと考えています。

(12 最終回) 意識を変えて「共に育てる」  12月20日

 この連載では、外国につながる子どもの支援や関わる大人の接し方について、自分の経験を通してお伝えしました。最終回は、「彼らへの教育は外国人だけのためではない」という、私が最も伝えたかったことについて書きたいと思います。

 想像してみてください。30人の学級に、日本語が通じない子どもが1人編入してきたとします。試行錯誤し、いろいろな支援を試みる教員の姿は「言語が通じなくても分かり合いたい」という無言のメッセージを周囲の日本人の子どもに伝えます。

 その子が成長すると、日本人の子どもにも気付きが生まれます。それは、「異なる者への理解」「弱者への寄り添い」など、欠かすことのできない大切な学びです。外国につながる子どもの成長を通し、周囲の子どもも大切な価値に気付くことができるのです。

 反対に、「言葉が通じないから指導できない」と諦めたり、その子が不登校になったりしたらどうでしょう。その子の将来が狭められるだけでなく、周囲の子どもの心には、「弱者は淘汰されても仕方ない」「少数派になりたくない」という考えが芽生えてしまうでしょう。

 大人が意図しなくても、「言葉や文化が異なる者同士は分かり合えない」という、恐ろしい「負の学び」を与えてしまいます。

 もし、言葉が通じないことが分かり合えない大きな理由なら、技術の力でお互いの距離を近づけることはできないか。私は今、先進の多言語翻訳技術を教育現場で活用し、人と人が触れ合う場を創出する研究を進めています。

 子どもの多国籍化や多言語化が進んでも、「教員や友人に受け入れてもらえない」「外国人だから仕方がないと思われる」など、外国につながる子どもの悩みは20年前と変わりません。

 今求められるのは、彼らを「助ける」のではなく、日本人の子どもと「共に育てる」という方向に大人たちの意識を変えることです。

 国籍や言語の違いを認め合い、少数派の存在を尊重する教育は、誰もが安心できる未来を築きます。外国につながる子どもの教育を考えることは、その格好の機会だと思っています。