言論の自由と責任

〜「酒鬼薔薇」少年のプライバシー暴露とマスコミの弾圧に思う〜


数日前、とあるページに表示されていたランダムのバーナーに導かれ、 「出歯亀の家」というホームページにたどり着いた。 そこには、事件関連の様々なリンクがあり、 新潮社の「フォーカス」に掲載された容疑者の少年の顔写真を転載しているページや 少年の実名、近隣住民の住所や電話番号などを掲載しているページなどへのリンクが掲載されており、 一通り見て回ることが出来た。 別に容疑者の顔写真など、見てもどうなるものでもないのであるが、 どこか見てみたいという気もあって、 「フォーカス」で暴露された時も、本屋を訪れてみたのであったが、 売り切れていたのか、それとも販売をしていなかったのか、 敢えて別の書店へ行くこともなくそれで終わったのであった。

インターネットにおいては、新潮社のホームページを覗いてみたが、結局 少年の写真は掲載されていず、 興味本位ではないという意志表示のためか、 今まであったゾディアック事件関連のリンク集がなくなっていたのであった。 このゾディアック事件の関連リンク先のあるページには、 いちおう、This page is dedicated to the victims.と書いてあるものもあったが、 なかなかマニアックに事件を紹介しているページや、犯行声明文のフォントやTシャツを販売しているページなどもあり、 不謹慎と言えば不謹慎であるが、アメリカ的なブラックユーモアに思わずうならされてしまったのであった。 私も出歯亀といえば出歯亀であり、 このページの作者たちにも、そのような視点がうかがえるし、 このリンク集をつくった新潮社の担当者も同じような興味をお持ちであったのだろうと思われる。 被害者のことを思えと、四角定規にお怒りの方もおられるだろうが、 そのへんは人それぞれの感性の違いではないかと思われる。 そして、今度は、容疑者の少年が逮捕され、容疑者の顔写真が暴露されたのであるが、 顔を見ることにより、何かを理解する一助となるだろうという見解には、 確かに頷けるところがある。

しかし、それに対して、少年法への問題提起という形で、顔写真を暴露したということであったり、 また、居住地や在学校名などを報道することによって、 あたかも、天誅を加えるぞといわんばかりに、 このような暴露がなされたのであるならば、 一民間企業に果たしてそのような権利などあるのだろうかという疑問の念が起こるのである。

私自身は、この事件の報道の詳細を知っている訳ではないが、 一部の報道機関の中にも、この少年の通っていた学校名を報道したり、 また、その学校の教員や生徒・保護者への執拗な取材なども試みている所もあるそうである。 また、問題となっている一連のホームページについてはどうだろうか? 中には、容疑者の顔写真のみならず、実名や、近隣住民の住所・電話番号の一覧なども、 掲載している所もあったが、これらに対しても、 どこか行き過ぎた行為のように思えるのである。

その一方で、これらのホームページ・掲示板などが次々に閉鎖に追い込まれていく中で思うのは、 まず問題にされるべきは、個人が非営利で発信しているホームページなどではなく、 営利目的の営業行為の隠れみのに言論の自由を掲げるマスコミのよるプライバシーの暴露ではないかと思えるのである。 私自身は新聞やテレビなどのマスコミ各社の報道よりも、 インターネットに接する機会が多いので、こちらを俎上にのせさせてもらうが、 マスコミの報道についても、まったく同様か、もしくはそれ以上の暴力性を感じるのである。

例えば、「反動!」ホームページでは、 「ほぼここまで疑惑が解明された以上、殺人犯としての社会的制裁ををうけることは、 少年としてより人間として当然であると我々は思うのである。」として、 顔写真と実名を掲載している。 マスコミと異なるのは、ここが非営利の個人によって運営され、 いくらかは思想的な信念の上の行為であろうと良心的な様子がうかがえる点であるが、 まさに、マスコミが日々行っている主張や行為と同じではないかと思えるのである。 すなわち、何の権利を持って、私刑のごとき社会的制裁を行うことが出来るのか?、 ということであるが、 このような権利を持つ根拠など、いかなる個人も、いかなるマスコミも持ちあわせていないのではないだろうか? 

それに対して、個人が、仲間内で犯人の名前を詮索して遊ぼうが、 同人誌で声明文のパロディーをつくったり、宴会の席で替え歌を歌ったり、 少年を呪詛しようが、賛美しようが、これらは個人の感性の問題であり、 不謹慎なことはやめろとか、被害者の心境を考えろなどいう説教は、単なる大きなお世話である。 しかし、プライバシーの暴露という行為は、人権上おおいに問題があるのである。

さらに、「猟奇殺人を行い、多数の児童を殺傷した人間に対し、 果たして人権やプライヴァシーを認めるべきなのだろうか? 将来、最高3年を経て少年院をでた容疑者が、あなたの隣に住んでいたとしても、 あなたは一切そのことを知ることはできないのである。」(一部省略) との見解がある。

このように見るならば、この容疑者が、少年院で更正して社会復帰するとは限らないし、 確かに情報は公開されてしかるべきかもしれない。 しかし、容疑者の顔写真や名前を公開したとしても、 三年も経てば、少なくとも私などは、すっかり忘れてしまっているだろうから、 顔写真や実名を公開しようがしまいが、たいした益もなければ、害もないのかもしれない。 それに対して、近隣の人にとっては、この容疑者が犯罪を犯したということは、 口コミによって周知の事実として知れ渡り、決して忘れ去られることがないだろうから、 マスコミやホームページによる顔写真や実名の公開は、 実質的に大きな影響力を持たない可能性の方も大きいように思われるのも事実である。 ただし、これは少年の犯罪に限ったことではないが、実名や電話番号、住所の公開は、 それをイタズラや思い上がった私的制裁に使う人も出るので、問題ある行為である。 おそらく、マスコミは社会的制裁という言葉を使うだろうが、 その制裁によって損害が生じた場合は、だれが責任を持って補償を行うのであろうか? 松本サリン事件のように、マスコミ報道による社会的制裁など、完全な冤罪であったようだが、 いったい如何なる責任をとるつもりであるのか? 償いようがないのではないだろうか?

また、マスコミによる取材活動は、非常に迷惑な場合が多いことも忘れてはならない。 かつて阪神大震災当日、私は被災地にバイクで出かけたのであるが、 神戸へと向かう道路は車で大渋滞しており、その中には、ふんぞり返った記者をのせた大手新聞社のハイヤーや、 テレビ局の報道車などが混じっており、渋滞を引き起こす原因となっていたのである。 マスコミは、速やかに報道する義務があるというのならば、自転車やバイクで神戸に向かえば、 速やかに神戸に入れたにもかかわらず、 自らの権威を象徴するかのようなハイヤーから記者たちは下りてこないのである。 そして、暖房完備のハイヤーで神戸に到着してからは、 野次馬行為は迷惑ですと真面目な顔で説教を垂れ、 取材と称して被災地を踏み荒らしていた姿は記憶に新しい。

私は法律の専門家でもなければ、日本国憲法などほとんどよく知らないのであるが、 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(日本国憲法第21条)ということよりも、 「国民は、すべての基本的人権の享受を妨げられない」(同第11条)ということの方が、 優先するのではないかと思っている。 また、「何人も、法律の定める手続きによらなければ、 その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」(同第31条)とあるように、 法律の定めによらずに、私刑を行うことは、誰にも認められていないのである。 このことは、私刑を行うかのような報道を続けるマスコミに強く語りたい言葉である。

とは言え、人間はいついかなる時も、法に従って生きている訳でもなく、 「汚い○○共には死の制裁を」という如くに、 時には、個人的な怨恨から私刑を行うこともあるだろうが、 その際は、いかなる権利があって、 いかなる報復としてその行為が妥当するのかどうかを十分に吟味する必要があるだろう。 そうでなければ、「酒鬼薔薇」少年や、 オウムの「麻原」氏などと、まったく同列になってしまうように思われる。 (おそらく事実であると思われる「酒鬼薔薇」少年が無垢な少年を殺害したという行為や、 「麻原」氏がサリンの散布を教唆したという行為は、 現在のところ私にとっては、決して支持できない行為ではあるが、 そこに何らかの思想的な理由がなかったとも断言できない。) 私は、いついかなる時も、法律は遵守すべきであるも思わないし、 場合によっては、妥当性を持ちうる私的制裁やテロ活動もありうるとは思うが、 今回の場合のように、たとえ殺人を犯した容疑者とはいえ、 たった14歳の少年に、寄ってたかって、 プライバシーを暴露し、制裁を加えるというのは、 正義をかさに着た横暴と思えてならない。 このことは、一個人によって運営されているホームページに対しても、また、 大手マスコミの報道姿勢に対しても、声を大にして言いたいことである。 それに、なんといっても、現在のところ、「酒鬼薔薇」氏にしろ、 麻原氏にしろ、殺人犯であるとは必ずしも言えないのである。

さらに問題であるのは、大手マスコミが、 容疑者の人権を侵害していると思しきホームページ制作者を批判するのではなく、 プロバイダーに対して、ページを削除するように圧力をかけたとの指摘があることである。 現在、そのページは、 事実上自主的に終了したとのことであるが、先日まで「A新聞への質問」と題して、問題提起がなされていた。(現在は一部変更)

それによれば、 「貴社が当ページの複数の間接的関係者に対し随所で行っていた数々の圧力および工作、 なかでも取材先に対し『対応次第では”明日の夕刊”にそちらの名前を公表する』 などといった趣旨の言動を取材の過程で常用していたことについては、 すでに報道機関としての正当な活動の範疇を超える行き過ぎたる行為ではなかったかとの重大な疑義を抱いております。」 とあったのである。その後の記述によれば、この新聞社に限らず、数多くの取材の中でこのような趣旨の言動がなされたようでもあり、 現在は、「『各新聞社がプロバイダに取材をしてはいたが プロバイダの側では圧力とは受け止めてないと言っているのだから圧力はなかった』 などといった議論が定着しつつあるのはいささか残念です」とのことである。

もともと私は、このページでどんな内容が議論されていたのか知らないので、 現在その問題を取り扱っているページの内容から推察するしかないのであるが、 ページ制作者による「A新聞社への質問」にある次の言葉は意味深いものと思われる。 すなわちそれは、 「容疑者少年の逮捕以来、貴社は容疑者少年の人権に配慮した 報道姿勢を絶えず一貫して堅持してこられたのみならず、 当ホームページをはじめとするインターネット上や、あるいは写真週刊誌等における 少年の個人特定情報流出問題に対し非常に積極的な批判を行ってこられました。 この問題に関するメディア上での自由な論議と相互による批判は おおいに歓迎すべきことであると私も考えております。」というのである。 その新聞社は、そのホームページが、容疑者の少年の人権を蹂躪すると判断し、 それをそのホームページの制作者個人に警告を発したのであれば、正当な行為であるといえようが、 その周辺に圧力をかけて、その掲示板を廃止に追い込んだことが事実であるのならば そこが問題なのである。その掲示板を削除された制作者は、 現在は、そのプロバイダーとは、相互に納得した上での退会という形で和解が成立した そうだが、門外漢の私にはどこか判然としない問題である。

個人のホームページといえども、なんらかの情報を発信している以上は、 「自由な議論と相互の批判」は、受けなければならないが、 一方的な吊し上げや、直接であろうが間接であろうが、 いかなる恫喝を伴うものであってはならない。 プロバイダーに対して、新聞紙面に名前を公表するという脅しをかけ、 そのページを廃止に追い込んだのであれば、それは許されざる行為である。 今回の例に限らずに言えば、ある言論を言論の場で正当に批判するのであれば、その批判は妥当なものであるといえるが、 ある発言を取り下げろと、取引銀行や関連企業に圧力をかけるとか、 株主総会に押し掛けるとか、多量のFAXを送りつけるなどの行為を行ったのであれば、 正義を振りかざす無頼漢であると言えるのではないだろうか。

私はこのホームページを匿名で制作しているのであるが、 それは、時には、ネット上には、議論が議論でなくなり、 単なる個人攻撃としてのプライバシーの暴露や、 周辺機関への圧力や嫌がらせなどが多数存在しているからである。 おそらく、このことは、パソコン通信やインターネットにおける固有の問題であるのではなく、 現在のマスコミのあり方の縮図のようなものであると思えてならない。

97/7/11 7/13


 → 追記のページ (事実関係についての若干の確認と追記)


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