写真や実名を公開することの意味について

顔写真や氏名を公開するには、もともと、情報公開という側面と、社会的制裁とい う二つの側面があるのでしょうが、現在の日本では、あまりにも社会的制裁という 側面が強くなっているように思われます。というよりも、これは何も現代に限らず、 また日本に限ったことではないのでしょうが、「筆誅」を加えるという考え方は、 明治以来の日本のジャーナリズムに強く残っているように思いますし、江戸時代に は獄門(さらし首)が公式の刑罰の一つに取り入れられていたように、また、現代中 国の公開銃殺刑の例にもあるように、「悪人」をさらしものにすることによって、 被害者や普通の人々に胸のすく思い(カタルシス)をもたらし、また、犯罪の抑止効 果としての側面もあるのでしょう

現在、日本のマスコミ報道を見ていると、 このような側面が非常に強いように思えてなりません。公式の刑罰から、さらしものにす るいう制度がなくなり、マスコミや、一般市民も「さらしもの」を見たくて 見たくて、うずうずしているような、そういう印象を持ってしまいます。 聖書のどこかに、売春婦に石をぶつける民衆にイエスが諌める話があった様に思いますが、 人間には「悪」の生け贄を求める側面があり、 それが突出した形が、現在のマスコミ報道であり、 一部のホームページの姿なのではないかと思えてなりません。

もし警察があらゆる犯罪の公表を行わなければ、あらゆる事件が闇からやみに葬り 去られ、裁判が公開されないならば、裁判官の恣意のままに、判決が下されていく 可能性は十分に考えられます。それゆえ、これらの情報公開は、被告のプライバシ ー保護に優先されるべき事柄であることは事実です。特に政治家の犯罪など、それ こそ、国民の知る権利の最たるものかもしれません。また、もし、警察が逮捕した 人間の氏名を公表しなければ、警察の恣意のままに逮捕が行われても、一体誰が、 何の罪で逮捕されたのかさえわからず、警察に連行されたまま、帰らぬ人となって しまう可能性も十分に考えられます。このような観点から見るならば、容疑者とし て警察に拘束された時点で、その人の氏名や住所、所属先などを公表することは、 その人自身の権利の擁護にもつながっています。例えば、ペルーなどでも、警察に 連れていかれたまま、帰らぬ人となってしまうという例があるそうですが、そうい うことがないように、どこの誰がどういうどういう容疑で拘束されたのかを公表す ることは、容疑者のプライバシーを侵害する行為であっても、容疑者の人権を守る 上でも必要不可欠な情報公開であるといえるでしょう。

本来、国民の知る権利、情報公開とは、このようなレベルでの公開であって、現在 のマスコミ報道に見られるような社会的制裁の名のもとで行われる私刑のごとき報 道のためのものではないように思います。確かに、初めに書きましたように、悪人 をさらしものにすることによって、犯罪を抑制する効果をうみ、また、まじめに生 きる人々にカタルシスをもたらす側面もあるでしょうが、これは国民の知る権利と は無関係な、為政者の民衆支配の便宜的側面であったり、また民衆自身の好奇心を 満足させるための行政サービスのようなものではないかと思います。

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