佛蘭西古書通信 1996.10(1) by  泰俊 


 「掘り出し物」などといふ言葉を使ふと、そこに或る種の邪心が潜むやうで、露伴 先生に叱られさうですが、愛書家なら誰でもこの言葉以外では形容しがたい自慢の発 掘書を幾つかお持ちのはずです。パリに来て一年になる私にとつても、ここで「掘り 出した」としか言ひやうのない書物があります。新年早々、いつものやうにブランシ ョン(14区)の古書市に出かけた或る日、ホルバインの版画が多数をさめられたグェド ヴィル訳の『痴愚神礼讃』(1713年ライデン刊)を入手することができたので、満足 してもう帰らうかと思ひましたが、念のために会場をもうひと回りしてゐたときのこ とです。さきほど角の店の平台に載つてゐた地味な背革装の二冊は、くすみかけた金 の背文字から Ch.ニコルの著作と知れましたが、このノーベル医学賞を受けた学者の 書物は他でも時をり見かけるものなので素通りしてゐたのでした。しかし、いま帰り がけにエラスムスを小脇にかかへて、ふとその一冊を手に取つて表紙を開いてみたの です。

 少し黄ばんだ仮扉に黒インクで文字が書かれてあり「アンリ・ベルクソン」と読め ます。一瞬、なぜ私の敬愛するベルクソンの名前がここに書いてあるのだらう?と不 思議な気持ちがしたのですが、わづかな眩暈のなかで卒然、これはニコルがベルクソ ンに献呈した書物ではないか!と気づきました。よく見れば「謹呈 われらが師アン リ・ベルクソンへ」と書いてある。寒さにかじかむ手でもう一冊の方も開いてみれば、 案の定こちらにも献辞があります。「偉大なるアンリ・ベルクソンへ 先生が説明さ れた道に踏みこみました僭越をお詫びしつつ 謹呈 C. ニコル 1932年2月1日 テ ュニス」 1932年にパリのアルカン社から出版されたこの書物が『創出の生物学』と 題されてゐることからして、ニコルのこの献辞は、生命の存在理由を創造とみたベル クソンの『創造的進化』を念頭に置いて書かれたものと推察されます。もう一方は二 年後の1934年に同社から出された『自然』といふ書物で、「生物学的な概念と道徳」 といふ副題がついてゐますが、いづれも現代哲学叢書の一冊として十二折版で刊行さ れたものです。

 もはやベルクソンの旧蔵書であることは間違ひないと分かると、書物を持つ手つき も自づと慎重になつて、さらにこの二冊を丁寧に見直してみますと、羊革装の背の最 下部に一方は「H.B./Paris/1932」と、他方は「H.B./Paris/1934」と金文字 で打つてあります。どうやらこれは仮綴本を献呈されたベルクソンが自らその装釘を 依頼してイニシャルなどを入れた蔵書であるらしく、原表紙を背ごと綴じこんだ装丁、 背や角のボルドー色の羊革に薄茶ぼかしの厚紙表紙、こげ茶に薄緑のアクセントが入 つた大理石模様の見返しなどに哲学者の好みが窺はれて面白い。見返し裏の遊び紙に は二冊とも「ジャック・A・ファシィオ蔵書 1941年9月」と書き入れてあるのを見 ると、ベルクソンが亡くなつたのが1941年の1月3日ですから、この年に哲学者の旧蔵 書の一部が売り払はれたのでせうか、秋にはファシィオ氏の架蔵となり、その後半世 紀有余の歳月が流れて、おそらくは同氏の逝去からついにブランションの古書市に迷 ひこんだといふわけです。なぜ逝去による氏のコレクションの散書と判断されるかと いへば、愛書家がこれほどの蔵書を生前に手放すことなど考へられないし、よしんば 経済上の理由から売書を余儀なくされたとしても、その場合は当然しかるべき筋の書 店からカタログ販売されるはずですから、かうして平台で雑書とともに売られてゐる ところを見ると、遺憾ながら故人の愛書心を解さぬ遺族が無造作に処分したに違ひな いからです。

 いづれにせよ、私に宝物を掘り出させたブランションの古書店主は、ニコルの名も ベルクソンの名も知らず、よく装丁された揃ひの二冊を単なる献呈本と見て、それな りの値づけをしてゐたやうです。そのくらゐの無知は、店舗を持たずブランションで 毎土日に古書を商ふかれらには珍しくありません。このたび幸いに我が手中に落ち た二冊は、こちらが思ひもかけぬときにばつたり出会つた書物で、かつその価値を( 一般的な市場価格はいざ知らず、少なくともベルクソンを偏愛する自分にとつての絶 対的価値を)売り手が大幅に見損なつてゐたものです。このやうな場合の収穫品を「 掘り出し物」と言はずに何と言へばよいでせう。いま思ひ出しても、あのときは何か 書物に呼ばれたやうな気がして、これを開いてみたのでした。これらの蔵書はすべて のページが丁寧に切り開かれてゐることから、ベルクソンがこの二冊を読み通したと 推測されるものの、残念ながら、そこにベルクソン自身の書き込みは特に見当たりま せん。(とはいへ、頁に残るわづかな灰塵から、紫煙を燻らせながらこれを読んだで あらうベルクソンの姿が髣髴とします。)しかし裏返せば、もしこれが重要な書き入 れのある旧蔵書であつたなら、おそらくは現在ベルクソン文庫として知られるジャッ ク・ドゥーセの図書館あたりに収まつてゐるはずですから、かうして個人の手に入る 由もなかつたわけです。それゆゑ、背革の光沢に見いりながらこの僥倖に感謝しつつ、 しかし愛書家の宿命でせうか、この次はいろいろ書き込みのある手沢本に出会へるの ではないかと密かに期待せずにはゐられぬこの頃です。

(追伸。日本でベルクソンが何時ごろから如何にして紹介され、また如何に受け入れ られたか、つまりベルクソンの受容史に興味をもつてゐます。最初の翻訳は大正期か と思ひますが、明治期にも若干の証言が見つかるやうです。愛書家の皆様の読書経験 から参看すべき書目をご教示いただければ幸ひです。)


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