佛蘭西古書通信 1997.3 (2) by  泰俊 


 初版本を蒐める趣味が何時のころから始まつたのか詳らかにしませんが、人気 の高い作家の初版が熱心に探されてゐることは、洋の東西を問はないやうです。 わたし自身は、例外的な場合を除いて、敢へて初版の蒐集にこだはることはあり ませんでした。全く内容が同じであれば、第何版で読まうと実質的な違ひはない やうに思へるからです。また、初版以下の異文を収録した便利な校訂版が流通し てゐる場合には、こちらの方をまづ手元に置いておきたいと思ふものです。初版 のもつ意味や魅力がわからないではないのですが、愛書といふ観点から自分とし てこだはりたいのは、やはり何千部も刷られた初版より献呈署名などの入つた個 性的な稀少本の方です。とはいへ、いざ初版を探すとなると思ひのほか発見が難 しく、難しければ尚更これを手に入れてみたくなつてくるといふのが人情のやう です。もちろん、カタログで初版と明記されてゐるものは比較的見つかり易く、 そのぶんだけ価格もつり上がる道理ですから、ここはひとつ古書店や古物商が初 版と知らずに(あるいは無頓着に)相場より安く売つてゐるものを棚や平台から 自力で発見したいと思ふのが愛書家の、といふよりは猟書家の心理でせう。

 わたしが個人的に偏愛するベルクソンの場合、日本ではもとよりフランスに来 て一年半の間、三日と空けずに古書店の哲学コーナーを覗いてきましたが、いづ れの主著の初版にもお目にかかれませんでした。いつも必ず何十も版を重ねたも のばかりなのです。もつともカタログでさへ見かけたことがなかつたので、なか ば諦めてゐたのですが、ひと月ほど前にブランションの古書市で1932年にアルカ ン書店から出された第四主著『道徳と宗教との二源泉』の仮綴版を見つけました。 32年といへば初版の発行年です。が、次の瞬間、表紙の著者名と発行所名との間 にまるで汚点のやうに「第二版」と刷られてあるのが目に飛び込んできました。 初版と同年に刷られた重版だつたのです。うぅぅ…やはり夢であつたか…それに しても惜しかつた! と、まるで1番ちがひで籤でも外したやうな心持ちでした。 ところが、執念が天に届いたか、運気が廻り来つたか、次の週に同じ古書市へ出 かけたときには、平台のうへから紛ふことなき同書の初版をはからずも抜き取る ことになつたのです。しかも、その版本は背に橙色の仔牛革エティケットをもち、 深緑も渋くペルカリンで装釘された極美本で、本文にも染みひとつありません。 巻末の印刷データ Chartres, Imprimerie Durand, Rue Fulbert (2-1932) を確認 しつつ、やはりこれは僥倖なのだと書物を胸に押しあてずにはゐられませんでし た。

 初版本も今世紀のものであれば、挿絵本などの場合を除いて入手も比較的容易 であるやうに思ひますが、十九世紀の古典的文学書あたりになると、ものによつ ては相当に手に入れ難くなります。一昨年の神田古本まつりの出品目録を見ると、 たとへばフロベールの『ボヴァリー夫人』全二巻(初版初刷、仮綴極美、背革箱 入、パリ、1857年)をT書店が五十万円で載せてゐましたが、原装を保つた手つ かずの状態のものとして、これは必ずしも高すぎるとばかりは言へないでせう。 こちらの相場では、普通の状態の時代装のもので、2.000Fから4.000F程度のやう ですが、目録掲載のものは元の仮綴極美版を背革の箱に収めた特別な状態のもの らしいのですから。とはいへ、発売元から出たままの未装釘のものは(とくに十 八世紀のものであれば尚更のこと)、もつと評価されてもよいかと思へるほど一 般には評価が低めで、やはり名のある装釘家の手になる書物の方が人気も高けれ ば価格も高い、といふのがこちらでの印象です。さきごろ売りに出たスタンダー ルの『赤と黒』全二巻初版(1831)などは、文字どほり赤と黒の二色で優美な当時 の装釘を施されたものでしたが、自筆献辞など特記事項のないものであるにも拘 らず、何と100.000Fを遥かに超える額でさる愛書家のもとに収まつたと伝へ聞き ます。このやうな誰にも目立つ書物は、言ふまでもなく然るべき筋を通して金に 糸目をつけずに買ひ入れる他はないものですから、運よく掘り出すといふ希望の つけ入る隙などまづありません。

 初版収集熱の病も膏コウに入つたと言ふべき話には、あるいは呆れ、あるいは 微笑んでこれを聞き流しつつ、しかし自分としてもそれなりに面白い初版ものが 何とか手に入らぬものか…と思つてゐた矢先、ふらりと立ち寄つた冴えない古書 店で、ごたごたとした棚からヴィリエ・ド・リラダンの一本が見つかりました。 学生時代から好んで読んだヴィリエでしたが、こちらではバルベィ・ドールヴィ イなどと並んで一部の熱烈な愛好家たちの蒐集対象となつてゐるので、相場で入 手するのがためらはれてゐたのでした(たとへば、バルベィ著『ディアボリーク 』の初版など、署名の入らぬ平凡な装釘のものでも軽く7.000Fくらゐはゆきます から)。けれども、そのとき私の開いてみた古ぼけた(といふのも、金箔で打た れた書名および著者名の一部分が薄くかすれ、かつ背と表紙との間に微かな亀裂 が生じかけてゐる)十二折版の書物は、1890の刊年をもつ Chez les passants の 紛ふことなき初版で、よく見ればメルツにより黒の背角モロッコ革に似せた粒起 革で装釘された天金本でした。もちろん、局紙で15部のみ刷られた限定版ではあ りませんでしたし、また、稀に保存されることがあるといふ巻末(pp.307-320)の 書店出版目録も、残念ながら完備されてはゐませんでした。しかし扉を開くたび に、口絵を飾るあのフェリシアン・ロップスのエッチングが、ゆらめく人魂の微 光も妖しい墓場の雰囲気をきはめて繊細な線刻によつて密やかに伝へてくれて、 この初版本ならではの楽しみを味ははせてくれます。(この書物を掘り出したこ とで調子がついて、さきごろロップスのオリジナル版画『大罪または死をまねく 桃』(自筆による署名および作品名入り)を首尾よく入手しました。)

 あるいは、アナトール・フランスの『天使の反逆』は、その初版が1914年にカ ルマン・レヴィ書店から十二折版で刊行されましたが、これなどはブランション の平台に山のやうに積み上げられた文学書のなかから何故か二冊も同時に見つか りました。一冊は原装仮綴版にハトロン紙のかけられた状態の良いもの、もう一 冊は黄土色の背クロス装に黒染仔牛革のエティケットをもつ署名入装釘のもので、 こちらは残念ながら内部にいささか染みが出てゐます。どこで売られてゐたのか、 見返しに鉛筆で小さく1.500Fと書かれた旧売価は、今はすすけたこの書物がまだ 美しい状態を保つてゐた頃のものでせうか。いづれにせよ、このやうに一見した ところ目立たぬ初版ものであれば、古書店間にしつかり張られた相場による価格 網を僅かに摺り抜けつつ、これを格安で手に入れることも十分可能なやうです。


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