佛蘭西古書通信 1997.3 (3) by  泰俊 


 十九世紀の哲学書の初版については、たとへばV.クゥザンの『真・善・美につ いて』などは版を重ねるたびに少しづつテクストが書き直されてゐるのですが、 未だ批評校訂版が無いので、一部の研究者は熱心にその初版(および再版)を探 してゐます。しかし、いまはその名も忘れかけてゐるこの大権力者の主著などの 場合には、探してゐるのは極く少数の研究者と哲学専門の古書店に限られますの で、言つてみればライヴァルが少なく入手は比較的容易です。現にわたしも、一 昨年9月の末こちらに来てすぐにセーヌ河岸のブキニストで、この書物の十二折 背黒染粒起革の第二版(1854)を見つけ、その11月末にはブランションの古書市 で同じ書物の著者自筆献呈署名入り八折第八版(1860)に出会ひ、去年の4月には 同じ古書市で八折薄茶染粒起背革の初版(1853)を購ふことができました。(尤も この書物には1818年に出たプレ・オリジナル版が存在してゐて、これは探すのが なかなか大変です。しかし、1828年版なら幸ひ手頃な復刻本がファイヤールから 出てゐて、こちらは今でも簡単に入手できます。)日本にゐたころ、手に入れ難 ひこの書物がどうしても必要になつたとき、知人の手を煩はせて京都大学所蔵の 十二折第三十版(1917)を借り出してもらひ、装釘も柔ならば酸性紙も脆ひその一 本を傷めないやうにそつとコピーして読んだ昔が夢のやうです。

 もつとも、クゥザンの『真・善・美について』に関しては、著者の自筆書簡数 葉が綴じ込まれた貴重な八折の重版を見つけたことがあつて、大喜びしたまでは よかつたのですが、価格がいかにも法外に思へて、ずいぶんと悩んだ挙げ句のは てに泣く泣く諦めた辛い想ひ出があります。しかし、それがあつてか、この間た またま手に入つたクゥザン自筆の未刊書簡には、この書物についての興味深い証 言が見つかりました。この手紙は『真・善・美について』を出版することになる 書肆ディディエに宛てて書かれたもので、差し出し年月日は「月曜日」とだけあ つて不明ですが、内容から判断して当書の初版が刊行される少し前 1853年の春あ たりかと思はれます。「拝啓、『ロングヴィル夫人』を出版する前に、この間お 話した書物を出版することにしました。」とクゥザンは『真・善・美について』 の話を切り出して、「確かにこれは哲学の本ですが、あまりに取つ付きにくいや うなものではないと思ひます。わたしの希望としては、十二折版ではなく八折版 で、しかも[…]以前の版よりも素敵な形で出したいのです。[…]」と書いてゐま す。ここで「以前の版」と言はれるのは、1818年に出たプレ・オリジナル版のこ とかと思ひますが、かつてエコール・ノルマルの図書館にあつたその八折版のひ とつがジャック・ドゥーセ図書館に移管されたものを閲覧した印象では、(その 書物のマージンにベルクソン自筆の書き込みが残されてゐるといふ特別な一点を 除けば、)たしかに装釘も用紙もあまり面白味があるとは言へないものでした。 クゥザンが今回あくまで八折版にこだはるところなどは、やはり版型に神経質で あつた同時代のバルザックなどを思ひ起こさせますが、さう思つてわが寓居の書 架に並ぶ八折の初版と改訂増補された十二折の第二版とを見比べてみると、染み ひとつ出ない上質紙をたつぷり用ゐた初版は、読んでゐて目に優しく随分と快適 ですが、細かい活字をきつめに組んだ第二版は紙質も劣り、いかにも窮屈な感じ がします。テクストの異同を別にすれば、手に触れ目に映る素材としての書物と いふ観点からは、初版の方が再版よりはるかに魅力があると言ふべきでせう。ク ゥザンのこだはりもそれなりの成果を上げたといふわけです。

 しかし哲学者の初版といつても、へーゲルの『精神現象学』(1807)あたりにな ると、同じ神田古本まつりの目録にS書店が出品してゐるものは九十五万円もの 値段がつけられてをり、ただ、はぁ!さうですか… と嘆息するほかありません でした。こちらでも、たとへば十八世紀にさかのぼつてディドロの初版ともなれ ば、ブランションに仮店舗を開いてゐる古書屋たちですら血眼で探してをり、相 場では普通4/5.000Fの値づけです。しかし、それでも場合によつては何かの拍子 に入手できる可能性が無いわけではありません。或るとき痛みのひどい本ばかり を載せた平台で、ふと開いてみた八折総羊革装の古版本は、表題に「私生児、あ るいは美徳の試練」とあるけれども、著者名は明記されてをらず(といふことは 往々にして初版であることの証しです)、アムステルダムで刊行されたものでし たが、惜しくも下端に水をかぶつた形跡があつて、出版年の部分が無惨に剥落し てゐました。しかし、本文を読んでみると学生時代に恩師が演習用のテクストに 使つてくれたフランス演劇美学の古典中の古典、ディドロの戯曲に対話篇の附さ れたあの書物にちがひないと確信でき、ただちに入手しました。後日、フランス 国立図書館(B.N.)でこの名著の初版と第二版とを借り出して比較した結果、わ が手中にある版は案の定 1757年に刊行された紛れもない初版であると判明しまし た。下部がうつすら白カビに覆はれてくすんでゐたこの書物は、革用の洗剤で拭 いた後に古書専用の蝋で磨きをかけましたので、背の全体に細かく施された金箔 の植物模様も美しく、今ではもうピカピカに蘇りました。大学三年から四年にか けての美学演習で、毎週一頁ほどの進度で緻密に読みあげたテクストであるだけ に、これはときどき取り出しては好きな箇所を読みなほし、懐かしい当時を想ひ 出してゐます。

 十八世紀の哲学書では、もう一冊ちよつと掘り出し物と言へさうなものがあり ます。小谷木さんも書いてをられましたが、どうかすると古書市ではなく古物市 に面白いものが紛れ込んでゐることがフランスでもままあつて、これは何気なく 蚤の市を素見してゐたときのこと、十八世紀の十二折版を沢山ならべてある平台 があつたので、本能的にすすっと近寄つて見てみると、なぁんだ、やはり古びた 宗教書ばかりか! とがつかりしてすぐに立ち去らうかと思ひました。といふの も、今の時代こちらで宗教関係書は不当に低く評価されてゐて、投げ売りの対象 となつてゐるやうなので、手に入れ易いことは入れ易いのですが、しかし敢へて 買はうといふ気にさせられるものは余り無いからです。さて、しかし帰りぎはに ふと目を遣つた一冊の書物の背文字に CONNOI/UMAIN とあつたので、ちよつと気 になつて念のために表紙を開いてみると『人間認識起源論』の上巻でした。しか も著者名が出てゐないので初版と思しきもので、なかなか良い状態の書物です。 一体なぜコンディヤックが他の多くの宗教書に混じつてこんなところにあるのだ らう? といぶかしく思ひましたが、売り場のお兄さんにとつてはコンディヤッ クだらうがコンニャクだらうが同じことらしく、どの一冊もそれなりの値段で売 り捌ければ満足らしかつたので、挨拶代りに少しだけ値引きしてもらつて購入し て来ました。帰つて調べてみると、アムステルダムのモルティエ社から1746年に 出版された本文265頁のこの書物は、やはりフランスに経験論を導き入れたあの名 著の初版上巻でした。ディドロの初版といひコンディヤックの初版といひ、普通 ではなかなか手が届きにくいと思つてゐたのですが、表題頁に著者名が刷られて ゐないこと、あるいは出版年の部分が破れてゐたり、あるいは端本であつたりと いふ欠点などが手伝ふと、原則的にはあるはずのないところに嘘のやうな値段で これを見つけることが可能なのだと知らされました。古書店の開店と同時に、あ るいは古書市の初日に一番乗りして、どきどきしながら素早く探求書を獲得する のとは別な、これはのんびりした行き当たりばつたりの掘り出し方であつたかも 知れません。


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