佛蘭西古書通信 1997.8 (1) by  泰俊 


 春五月、散人さんがパリの泰俊を訪れてくれましたので、一日、ヴァンヴの 骨董市とブランションの古書市にご案内しました。そのときのことを少しばか り思ひ出してみませう。その日はあいにく天候が不順で、をりふし小雨のパラ つく古書散策となりましたが、それでも書物の沢山ある処はやはりわれらが楽 園と言ひつべく、散人さんにもそれなりに喜んでもらへたかと思ひます。まづ、 蚤の市ヴァンヴで多くの露天商を冷やかすうちに散人さんの興味を引いたのは、 今世紀初頭に出版されたラルースの絵入百科事典全二巻でした。名高い『十九 世紀ラルース』全十七巻を(出版年代からして)補完すると言つてよい『新ラ ルース絵入百科事典』全八巻の、これは縮約版です。そこで散人さんが開いて 見せてくれた「日本」といふ項目には、数頁におよぶ詳細な記述に加へて「君 が代」の楽譜やら大仏の図版やら面白い視覚的資料が満載されてゐて、確かに これは汲めども尽きぬ知識の泉です。事典としては決して珍しくはなく、また 上巻の装釘に若干の難が見られる版本でしたが、そんなことには拘泥せず、歴 史的に貴重な情報の充実を多として購入を決断されたところに、散人流の蒐書 哲学を見たやうに思ひました。良心的な値づけをする顔なじみの店の主人に頼 むと、更に幾らか値引きしてもらへて、あれは本当に良い買物でしたね。

 そのをり、同じ店でわたくしの方は、パリのポワニエから1802年に出版され たヴィーラント(1733-1813)の『アリスティップと同時代の哲学者たち』(仏訳) を求めました。残念ながら全七巻のうち第三巻が欠けた不揃ひのもので、しか も背に貼られた赤のエティケットが欠落した巻もある中途半端な代物でしたが、 それでも古代ギリシアにおける快楽主義の系譜を扱つたテクストと珍しい版画 の魅力に引かれて購入に及びました。といふのも、各巻に添へられた哲学者た ちの肖像画は、ソクラテスといひプラトンといひ、今日見慣れたものとは全く 異なる肖像であり、その見知らぬ挿絵を見ながら未知の古いテクストを読むと いふ楽しみを考へて、形式的統一性にこの際は目をつぶつたわけです。もつと も、焦茶染総羊革による時代装の背にも角にも殆ど痛みがなく、テクストは読 まれてゐなかつたと見えて真さらの状態でしたから、カリテ・プリ(コスト・ パフォーマンス)からしてこれを買はずに見送つては後悔するやうな気がした のでした。そんな時には迷はず買つてしまふのがよく、また買つたからといつ て後悔することなど無いといふのが経験の教へるところで、今回もその例外で はなかつたのです。

 ちなみに、このヴィーラントの挿絵を見てゐて思ひ出されるのは、以前に入 手しておいたスタンレイ(1644-1678)の『哲学者・詩人列伝』です。1702年にラ イデンで発行されたフォリオ版のこの書物は、総ヴェランの時代装に赤染マロ カンのタイトル・ピースをもつた立派な大部冊ですが、そこに収録されてゐる 42葉の版画が、古代ギリシアの哲学者や詩人の肖像画でありながら、やはり全 く見慣れないものなのでした。これらの肖像画は、当時伝はつてゐたのであら う古代人の石像彫刻を更に版画に写してイメージを定着させたもので、まこと に「真実から遠ざかること三番目」の感がありますが、興味深いのはそこに表 はされた哲学者の哲学者らしさ、詩人の詩人らしさです。十八世紀初頭のスタ ンレイと十九世紀初頭のヴィーラント、さらに今世紀のわれわれが親しんでゐ る哲学史のそれぞれに収録された肖像画を見比べてみると、個々の哲学者に帰 せられるイメージが時代ごとに大きく異なつてゐることが判ります。今日ふつ うに見慣れてゐるものも決して当たり前のものではなく、時代や場所によつて 左右される便宜的なものに過ぎないのだといふことを再認識させられます。視 覚的イメージの与へる印象が強烈であることを考へますと、価値相対化の意識 を改めて蘇らせねばならないと痛感されるのです。現在の西洋哲学史が全く忘 れ去つてゐるスタンレイも、少なくとも十九世紀初めには広く知られてをり、 その羅訳『哲学史』(1711年ライプチッヒ刊)などは価値ある珍書として(とく に愛書家の間で)探求されてゐました。


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