佛蘭西古書通信 1996.12 (2) by  泰俊 


 クレインさんが八月の末にお書きになつてゐた「おまけ」についての興味深い蘊蓄話で、「囚人名記載の独居房持込み本許可証」のことが出てゐましたが、これによつても旧蔵者が知られて面白い場合があつたことを思ひ出しました。東京にゐたころ、神田田村の二階でモンテーニュの『随想録』五巻(たしか1920,30年代のビュデ版だつたかと思ひます)を見つけて入手したところ、その第一巻の裏表紙に例の「許可証」のシールが貼られてゐたのですが、当の囚人名の欄には万年筆で「大川周明」と書かれてありました。この第一巻は特によく読まれた形跡があり、頁をめくるにつけ映画「東京裁判」で見たかれの狂態が時代状況とともに生々しく(ときに生々しすぎるほどに)思ひ出されました。また、以前に田村のカタログに載つてゐたランボー関係の研究書は、「井筒俊彦旧蔵書」としてあつたので敢へて注文して入手しました。ひそかに私淑する先生が亡くなつて暫くしてからのことでした。郵送されてきた小包みを待ちかねたやうに解いて、ビニール袋を剥がし、うつすら日焼けした仮綴本の表紙をそつと開けてみると、漆の朱色を用ゐて細筆で丁寧に書かれた、アルファベットの巧みな組合せによる署名が目に飛び込んできて、その美しさに思はず息を呑んだ覚えがあります。

 同じ田村の入口前にうち置かれた箱本を漁つて見つけたものでは、佐藤正彰の旧蔵書が面白かつた。それは何といふこともない通俗的なフランス文学史の書物でしたが、見返しにブルーブラックのインクで「仏文 @@@@(学生番号は失念) 佐藤正彰」と書いてあり、また、本文中の単語の意味ばかりでなく人名や事件について調べたことなどが殆ど全頁にわたつて鉛筆でびつしりと書き込まれてゐるもので、かれの学生時代の凄まじい勉強ぶりが窺はれる興味深い本でした。をりしも、卒業論文でボードレェルのダンディスムを主題にしてゐた私にとつて、『浪漫主義藝術』を翻訳した佐藤のこの手沢本ともう一冊、斎藤磯雄が安藤鶴夫に宛てて毛筆で献呈署名した邦訳『悪の華』の昭和35年版は、いつも励まされ慰められた懐かしい書物です。夏黄眠と同じ漢学者に学んだ斎藤の、青墨によるきつちりした楷書には、今日では忘れられがちな高雅な薫りと風格が漂つてゐました。思へば斎藤の名著『ボォドレェル研究』に導かれて、バルベィ・ドールヴィイの『ブランメルのダンディスム』などを復刻版で読むことにもなりましたし(この書物の限定初版はこちらでも相当な稀覯本として知られてをり、残念ながら今のところ手に入りさうもありません)、また三笠文庫に入つてゐた斎藤訳『火セン・赤裸の心』の詳細な註などにも大いに力づけられたものです。

 日本で入手したものをもう少し思ひ出してみると、ドイツ語のものでは、感情移入説で知られるフォルケルトの『美意識論』(1920)が、茂吉の旧蔵書でした。手つかずの書物の状態から見て、どうやら茂吉はこれを読まずにしまつたやうですが、しかし少なくとも読まうと思つてこの美学者の著書を架蔵してゐたとは流石に茂吉です。また、英語のものでは、矢野峰人が旧蔵してゐたウォルター・ペイターが二冊ほど手に入つたときは嬉しかつた。どちらの書物の表題頁にも著者名の部分に鉛筆で薄くM.Y.のイニシャルが流れるやうに掛けてあり、本文中のあちこちにさらりさらりと書き込みがあります。文学者といふのはこんなふうに読んで、こんなふうに書き込みをするものなのかと、学生であつた私は妙に納得した記憶があります。欄外に書かれた文学史的連想による矢野の覚え書きが、その著『近世文藝思潮』に見えるペイターの章の論述とかなり符合してゐるところから、この唯美主義者の原書を開きながら文字を綴つていつたに違ひない矢野の執筆姿がいろいろに想像されました。

 書物の旧蔵者が著者そのひとよりも後世にその名を留める場合も少なくないでせう。私がこちらで蒐めたもののなかから例を挙げれば、1838年にパリのバルバ社から上梓されたイッポリト・ロマン著『ガンのブルジョワ、またはアルブ公の秘書』などはそのやうな書物のひとつです。これは、十六世紀のベルギーを舞台にした五幕ものの散文によるドラマで、1838年の5月21日にパリのオデオン座で初演された戯曲の初版ですが、仮扉に著者の貴重な自筆献辞があります。「献呈、フレデリック・ルメートル様、H.ロマン」 この書物を贈られたフレデリック・ルメートルといふ名を聞いただけで、かれがユーゴーやバルザックらに絶賛された当時の最も偉大な俳優であつたと判るひとは少ないでせうが、「大通りのタルマ」といふ異名を持つこのひとが実は、映画「天井桟敷の人々」のなかでピエール・ブラッスールによつて演じられた役者であると言へば、あの忘れ難い名演に思ひ当たる方も多いのではないでせうか。マルセル・カルネのお蔭でこの書物の旧蔵者は、その名が少なくとも今世紀のわれわれにとつては不滅のものとなつたわけです。

 この書物は、深緑のシャグラン(粒起革)を背角に用ゐ、厳かにジャンセニスト装された八つ折り本で、厚さ1センチに満たない背幅に極く細かい金文字で横書きに著者名と書名とを打つてある様式から判断して、装釘年代は1860年頃でせうか。幸運にもルメートルの旧蔵書を入手してこのやうに堅固に装釘させたのは、見返しに貼られた蔵書票からジャン‐マリー・ベルニカといふ方であると判りますが、それにはクロード・タボによる舞台スケッチがあしらはれてゐるので、女史は演劇関係の蒐集家として知られたひとかも知れません。〈 Senza brama, sicura richezza!〉(貪欲なきところ裕福あり)といふこの蔵書票に記された標語を読むと、蒐書家の心構へを教はるやうな気がいたします。思へばこの書物も、我ながら欲張らずして入手できたと自負しうるのですが、幸運の女神が授けてくれたこの珍書の更に興味ふかい点は、本文中の数箇所を著者のロマン自身がインクで加筆修正してあることです。戯曲家が初演では自らの作品を演ずることのなかつた俳優に宛てて贈つたものであるにも拘らず(といふのは、この戯曲の配役表にルメートルの名前が無いからですが)、作者の手で演技上の特別な指示(とくに台詞の訂正)が書き加へられてゐるのは何故でせうか。その辺りの事情は未だ詳らかにしませんが(*)、いづれにせよ、他の版本には見られないこの版の個性こそ、私にとつては珍重に値する点です。テクスト・クリティークの観点から貴重であるのみならず、身近にロマンやルメートルの人間的ぬくもりが実感できるといふ点で、この書物は比類無いものだからです。

(* つい先日『息子により出版されたフレデリック・ルメートルの想ひ出』(パリのP.オルレンドルフが1880年に刊行した第二版で、表紙に発行者の自筆献辞が入つたもの)を偶々入手しました。その巻頭には葉巻を燻らすルメートルの肖像画が付けられてをり、「わが想ひ出」と書いた本人の筆跡の複写も添へられてゐました。ざつと一読すると同時代人による証言がふんだんに盛り込まれた面白いものでしたが、残念ながらロマンの戯曲についての記述は見つかりませんでした。)


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