帰れるの?(旧ユーゴ・マケドニア編)
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兄妹(スコピエ)
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この可愛らしい兄妹は、マケドニアの首都スコピエで知り合った
現地の青年の弟たちで、非常に貧しい暮らしをしていながらも兄妹仲良く・・・という
聞くと涙が溢れてきそうな子供達です。
実はこの子達に出会う前にスコピエの街をぶらぶらしていたら、バスケットボールを
持ったアルバニア系の青年を見つけ、かつてバスケットの選手だった(中学・高校時代)
私がそのバスケットボールをじろじろと見つめているとバスケットをしないか?と
声をかけられたのが事の発端でした。言われるままその青年についていき、とある学校の校庭
へ行くとその青年の友達が二人いて私を含め4人揃い、すぐさまゲームをする事になりました。
私は彼らをスイスーイと抜き去りビシバシと次々にシュートを決めると彼らもムキになってかなり
白熱したゲーム展開となりました。しかし、だんだん年の若い彼らの方が優勢になってきて
初めて彼らに逆転を許したとき、私は降参して、ひと休みしたいと言うと(全部ドイツ語)
じゃあ、うちへ寄りなよというのでついていくと、そこはバラックが建ち並ぶ貧困エリアで
この3人兄妹は床のない家(つまり地面の上にゴザが並べてある状態)で仲良く遊んでいました。
心優しき兄はこの可愛い弟たちを君の持っているカメラで撮ってやってくれと言う。
3人の表情は豊かで、そして笑顔で溢れていました。
当時私は彼らはマケドニア人だと思っていました。しかし帰国後色々調べてみると、マケドニアに
なだれ込んだ隣国アルバニア系の人々は環境劣悪なところで肩を寄せ合い暮らしているという
実体を知った訳です。
彼らと別れた後スコピエ駅に戻ると、フランス人カップルの
バックパッカーが私の所へ来て”貴方はマケドニアが好きですか?”と唐突に聞く。
私は彼らをマケドニア人だと思い、さっきの素敵な兄妹愛を見た所なので”もちろんさ。
君たちの国は素晴らしい。”とちょっと褒めすぎると”私たちはフランス人だ”と
言われすぐさま”今からどこに行くんだ?”と尋ねる。私はこれからセルビアの首都
ベオグラードに行くと言うと、”それは出来ない。現に私たちもベオグラードから強制
送還された。”と言う。???という感じだったがやっと理解し、詳しく聞くとビザが
ないと入国出来ないと言うのだ。いや、ハンガリーであった日本人がビザいらないと
言っていたと言うと、私たちもそう聞いていたが情勢が変わったらしい。
そして今晩この街に泊まり明日セルビア大使館へ行ってビザを取ってくると言う。
しかも70ドルだという。そんな馬鹿な!そんな金払ってられるか!というがとうとう好きにしろ
と言われ、だんだん怖くなってひとまずユースに一泊することにした。
翌朝、駅のインフォメーションで警察に問い合わせてもらうと
現地に行かないとそれは分からないと言われた。どうしよう2日後にはブダペストに
戻らないといけないのに・・・ブダペストで人と会う約束をしていたので相当悩みました。
しかも大使館はあと30分後に閉まるというし、ここからどれくらいかかるのか?と
聞くとタクシー運転手に聞けと言う。タクシーは高いのでバスで行くと言うとそれを聞いていた
タクシー運転手が今日は祝日でバスは動いていないという。そんな馬鹿な!じゃあ、
タクシーでどれくらいかかるのだ?というとスピード違反をしてぎりぎり間に合うくらいだ
という。しかも、法外な値段をふっかけてくる。誘惑に負けそうだったが結局空を飛ぶという
妙案が浮かんだ。セルビアを飛び越したらいいのだ。
すぐさま街の中心地へ行って旅行代理店をあたると明日のフライトはどこも満席。仕方なく
ビジネスクラスでもいいと思ったがそれもなく、途方に暮れていました。しかも、マケドニアから
飛ぶ飛行機は6ヶ月に必ず一度落ちるというし、泣きそうになりました。
ほんまに”帰れるの?”ってな気分。(この時の気分としてブダペストに行くということが
私にとって”帰る”という感じでした。それくらいブダペストは落ち着ける街だった訳なのですが)
結局、キャンセル待ちでチケットの予約は出来たのですが・・・
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