岡山県成羽町の吹屋ふるさと村を訪ねて

 岡山県川上郡成羽町吹屋には大同2年(807年) に発見されたといわれる吹屋銅山があり,戦国時代,江戸時代から,明治,大正,昭和と1000年以上も採掘が続けられてきました.
 鉱床は粘板岩硬砂岩,チャートなどの堆積岩中に生じた,熱水生鉱脈(吉岡鉱山),接触交代鉱床(本山鉱山)などで,主として銅と硫化鉄鉱の採掘をおこなってきました.
 この地域(吹屋)は鉱床の分布が広く,近年に至っても広い範囲にわたって幾つもの鉱山が小規模に採掘を続けてきました.
 日本鉱産誌(1956)には吹屋地区の鉱山として,吉岡鉱山,本山鉱山,大竜鉱山,相山鉱山,人次鉱山,笹畝鉱山,雉子谷鉱山,坂本鉱山など,8つの鉱山を記しています.
 また,江戸時代中期に,この地で初めて生産されたとされる弁柄(紅殻)の製造は,吹屋に多くの利益をもたらし,山深い吹屋の地域に当時としては“豊かで近代的な街並”が築かれることになりました.
 現在も,吹屋にはその街並みがそのままの状態で残されています.
 また,江戸時代に鉱山経営と弁柄の原料となるロウハ(硫酸鉄)の製造で,巨万の富を得たといわれる広兼氏の邸宅“広兼邸”は庄屋の豪邸という範疇には収まらない建造物です.
 武士でない町人が,立派な石垣のある“城”を築いたのですから,まさに驚きの一語です.
 この広兼邸は,映画「八つ墓村」のロケがおこなわれたことでも有名になりました.しかし,1972年(昭和47年)には,最後まで稼動していた鉱山が閉山したため,鉱山からロウハの供給が途絶え,それによって弁柄の製造も中止されるに至りました.
 最近になって,この“吹屋の街並”を残そうという動きが起こり,成羽町が力を入れて吹屋地区の保存を進めています.
 ここを訪れるまで,筆者は「弁柄は赤褐色」で色が悪く神社仏閣に塗られているものはすべて辰砂だと思っていました.しかし,吹屋で見た弁柄は非常に鮮やかな赤色で,筆者の認識を新たにする大きな発見でした.
 山深い奥地に,突然現れる“吹屋ふるさと村”には,明治時代に建てられた弁柄格子の立派な民家がずらりと軒を連ね,多くの家々には今も人々が暮らしています.
 鉱山で栄えた大きな鉱山街が,鉱山の閉山と共に次々と消滅していきましたが,吹屋の街並は消えることなく奥深い山の中で,今も繁栄した当時の姿を保ち続けています.
 吹屋の街並は,とても不思議で新鮮な感動を与えてくれました.
                                69号(04-6) 記事より