喜和田鉱山の坑内見学
山口県岩国市から玖珂町にかけて,喜和田鉱山,藤ヶ谷鉱山,玖珂鉱山などのタングステン鉱山が分布している.
残念ながらこれらの鉱山はすでに採掘を止めて閉山してしまったが,喜和田鉱山だけは鉱山長の長原正治さんの尽力によって,採掘当時のまま,坑道や切り羽が保存され,維持管理されている.
そして希望者には長原さんが坑内を案内されている.しかしながら,閉山から10年以上が経ち,坑道の維持管理が大変なため,今年(2004年)いっぱいで坑道を塞ぐ計画が進行している.
筆者は,これまでに何度も「喜和田鉱山の坑内見学」の機会を得ながら実現には至らなかったが,このほど山口大学の加納隆先生からお誘いをいただき,今年(2004年)7月24日長原さんと加納先生の案内で,坑内の見学をさせていただいた.
待望の坑内見学
事務所を出て,懐かしい急な山道を登ると長栄坑の前に広がった広場とズリに出たが,もはやそこは稼働時の姿とは打って変わって草木が生い茂るままになっていた.
事務所の建物も傷みが激しく,かつての活気は全く感じられない.
発電機を回して坑内の電球を点灯した後,長原さんから簡単な説明を聞き,身支度をして長栄坑の坑口から坑内に入った.坑内は寒いくらいの温度である.
坑内へ一歩入ると,坑道の外とは違って,そこは閉山当時の姿をそのまま留めている.長原さんによって坑道の維持・管理がきちんとおこなわれていて,坑内は現役の鉱山と全く変わらない雰囲気が感じられる.
それが,所謂「観光坑道」とは,全く違うところである.筆者には想像もつかないが,こうした坑道の維持管理に要する労力や経費は相当なものに違いない.長原さんは「坑道は全長が約10kmほどで,鉱山の規模は小さい」と話されたが,複雑に入り組んだ坑道は長原さん以外の者には全く分からない.一歩間違えると,坑道から出てくることさえ難しい.
当然のことながら,長原さんは喜和田鉱山の坑道と,鉱体や切り羽などをまるで自分の庭のようにすべて知り尽くしておられる.そして「鉱山が稼働していたときよりも,その後の方が,維持管理のため坑内へ入ることが多くなった」と笑っておられた.
青白く煌めく灰重石の輝き
坑内に入って,所々で説明を聞きながら,ようやく第11鉱体の真下付近に到着.坑口からは1kmほど坑道を歩いたであろうか.ここまでは,かなり長い距離を歩かねばならない.
さらにここからは立坑を真っ直ぐ上に向かって鉄の梯子で約30m昇ることになる.この梯子には4〜5mごとに踊場があるのと,真っ暗で上も下も見えないため恐怖は全くない.
ようやく着いたところは,本日の目的地である“第11鉱体”の中心部である.そして,そこは,石英脈が縦横に走る20畳ほどの広さの空洞であった.
第11鉱体が採掘された時期は,タングステンの価格が大幅に下落した頃で,品位の高いところが選択的に採掘された.特に,閉山前の1992年の出鉱品位は8.36%(長原,1992) と極めて高い値になっている.
こうした事情もあって,第11鉱体の主要部分(高品位鉱)は採掘されたが,支柱として残されたところや壁面,天井などには,いまだに多量の灰重石が残されている.
早速,すべての電灯を消して,この空洞の壁面や,天井を紫外線ランプ(ミネラライト)で照らしてみた.
その青白く煌めく様は“美しい”というような言葉では表現できない.感動の余りしばらくは鳥肌が立つような思いであった.
石英脈には大粒の灰重石の結晶(大きいものでは1個の結晶が2〜3cm)が入っていて,それは見事に青白く輝くのであるが,石英脈から離れた石英・灰鉄輝石・柘榴石などからなるスカルンにも灰重石は含まれている.特に,スカルンに細かい灰重石の結晶が縞状に含まれる“縞状鉱”は,その美しさがさらにいっそう際だっている.
地質ニュース,1992年12月号 には表紙と巻頭写真(8葉)で輝く灰重石の姿が示されているので参照されたい.かつて,筆者はこの写真を見たとき,これは特別の標本であろうと思った.しかしそれは大きな間違いであった.
坑内には,このような高品位の鉱石が無限と思えるほど多量に残されている.
まもなく坑道を塞ぐ作業が開始されるが,長原さんに尋ねたところ,今年中はまだ坑内の見学が可能とのことである.
“世界的にも稀な 高品位の灰重石(CaWO4)鉱石”(地質ニュース,巻頭写真の説明文)を,坑内で“鉱脈”として見ることができなくなるのは,ほんとうに惜しまれてならない.
67号(04-4)の記事より
喜和田鉱山は,2005年2月にすべての坑道が閉鎖されました.