島根県浜田市内田産 霞石の自形結晶

 霞石 Nepheline (Na,K)AlSiO4は外国では大変立派な,六角柱状をなす結晶が知られているが,日本ではその産出はかなり稀な鉱物である.
 島根県浜田市長浜町付近のアルカリ玄武岩(霞石玄武岩や,黄長石霞石玄武岩)には,造岩鉱物として霞石が含まれており,その産出はかなり古くから知られてきた.
 そして,その場所の一部は現在,天然記念物に指定されている.
 筆者は1982年(昭和57年)の夏に当地を訪れ,大規模な造成工事をしていた場所で,掘り出された直後の大きな岩塊から,小さいながらも自形をなす霞石の結晶を採集した(写真の淡黄褐色結晶).
 数年前,再び当地を訪れたが当時のような新鮮な露頭を見ることはできず,この場所で霞石の自形結晶が観察できたのは非常に幸運な出来事であったことを知った.
 そこで,筆者が見た当時の様子と霞石の産状,霞石の結晶形態について,記載して残しておくことにした.

   付近の地質と霞石の産状

 日本岩石誌V(柴田秀賢,1968) には,この地域の霞石に関して,次のような記載が見られる.

 『兵庫県玄武洞から山陰海岸に沿って,アルカリ玄武岩が分布する.島根県浜田の霞石玄武岩中に黄長石を産し,本邦唯一の産地である.……』
 『黄長石霞石玄武岩・霞石玄武岩:島根県浜田市南長浜に産する暗灰色,緻密な玄武岩で肉眼では斑晶は見えない.本邦唯一の霞石玄武岩でその産出は古くから知られていた.(山根新次,1910).霞石玄武岩中にさらに黄長石が部分的に産することは春本篤夫によって1952年はじめて報ぜられ,目下天然記念物として指定されている.
 本岩中には三郡千枚岩の捕獲岩片を含み,また,かんらん石団球や孔竅がある.孔竅は水,方解石,沸石類で満たされる.沸石類にはギスモンダイト,フィリップサイト,トムソナイト,スティルバイト,ソーダ沸石,方沸石が見られる.……』

 最近では,浜田以外からも霞石の産出は知られるようになったが,当時は“霞石”と言えば当地がほとんど唯一の産地であった.
 ただ,それ以外にも京都の保津峡のどこかに「霞石を含む 響岩 phonolite の岩脈がある」ということを聞いてはいたが,場所が不明で実際に観察することはできなかった.

 筆者は「日本岩石誌T,U,V」を発行の翌年(1969年)に購入したが,上述の記載を読んで機会があれば霞石玄武岩を観察したいと思っていた.しかし当時,京都から島根県の浜田市へ行くのは容易ではなく,乗用車でも列車でも採集には最低2,3日を要した.
 1982年8月10日(火),筆者は遂にその機会を得ることになった.数日前から島根県益田市の海岸へ,家族で海水浴に来ていたが,この日は民宿から妻と子供二人を海水浴場へ連れて行った後,家族とは“午前中だけ”という約束で念願の浜田へ霞石玄武岩の観察に訪れた.
 浜田市長浜町は,海岸に面した所である.地図で調べた限りでは,日本岩石誌Vに記された霞石玄武岩の産地とされる“南長浜”という地名が見あたらない.そこで,筆者は長浜町の南方という意味に解釈した.そうすれば,その付近は山で露頭が見られるはずである.
 海水浴場のある益田市から9号線を北東に車を走らせ,長浜を少し越えた所の“熱田”から南方の山手に入ることにした.海水浴場を出てから約20分ほどである.
 そして,そこから長浜町のちょうど南方に当たる付近まで,内田町の付近を歩いてみることにした.道は細かったが,適当な空き地に車を止めて,歩きながら道路沿いの露頭を観察した.予想した通り,この付近一帯は玄武岩でできていた.道路横の崖には至る所に玄武岩の露頭があり,道路や建物の工事によって現れた新鮮な露頭も多く見られた.

 霞石玄武岩と思われる岩石は,灰黒色〜緑灰黒色の緻密な岩石で,残念ながら肉眼では全く斑晶などは観察できなかった.少し歩くと,水道の浄水場と思われる建物があって,建物の付帯工事によって削られてできたかなり広い露頭があり,所々に白色の鉱物が見られる.
 近寄って観察すると,日本岩石誌Vに記されている通り,玄武岩の空隙に生じたソーダ沸石と思われる細かい針状の結晶が密集しているものであった.
 1時間ほどかけて,道路沿いに歩きながら数ヶ所の露頭を観察し,新鮮な露頭付近に落ちている霞石玄武岩と沸石の標本を何個か拾うことができた.

 しかし,霞石玄武岩は全く見栄えのしない灰黒色緻密な“ただの岩石”であった.筆者は“霞石の斑晶”が肉眼で見えるほどの大きさであると勝手に想像していた.そして玄武岩の風化面では,ルーペを使えば霞石の輪郭が見えるかも知れないと考えていた.しかしそれは大きな間違いであった.
 日本岩石誌には,ちゃんと『緻密な玄武岩で,肉眼では斑晶は見えない』と書いてあった.さらにまた,霞石の大きさには触れていないが『かんらん石と黄長石は0.5mm 以下の微斑晶になり,……』と記されており,よく読めば,霞石の斑晶が肉眼で見えるような大きさではないことは事前に十分に予想できることであった.
 “霞石”に対する勝手な想像と期待が大きかったこともあって,わざわざこの地へ来たのに,何とも物足りない結末であった.

 帰ろうとしたとき,山手の方でかなり大規模な造成工事をしているのが目に入った.当日は幸いなことに曇りがちではあったが,それでも10時を過ぎると気温は高くなり,体は疲れてそろそろ限界に達していた.
 とりあえず,工事現場だけでも簡単に見ておこう,という軽い気持ちで行ってみると,なんと直径が2〜3mほどもある巨大な玄武岩の塊が5〜6個,造成して平らになった粘土質の赤土の端に置いてある.ブルトーザーを動かしている人に聞くと,「造成中に出てきた石は殆ど割って埋めたがこれだけは割れなかった.砕かないと埋めることもできない」とのことで,ドリルの様なもので孔を穿ち,水分を吸って膨潤する粘土を詰めていた.こうしておいて,放置し砕けるのを待つというのである.

 この巨大な岩塊には道路沿いの露頭で見たように,沸石と思われる白色の鉱物があちこちに見られたが,その一部に,遠目にも分かる黒っぽい長柱状の結晶が入っている.
 近寄ってルーペで見ると,白色の沸石中に長さ2〜3mmほどの輝石と思われる形をした緑黒色結晶が含まれている.Na成分の多いアルカリ玄武岩中の輝石であるから,これはエジリン(錐輝石 Aegirine NaFeSi2O6) であろうと思われた.このような産状のしかも自形結晶を見るのは初めてである.
 しかし,この岩塊からその部分を割り取るのはきわめて困難で,ハンマーでいくら叩いても歯が立たない.それもそのはずで,この巨大な岩塊は,削岩機で砕くことができずに残った“芯”なのである.隣の岩塊を見ると,沸石中にエジリンの見える同じような部分でどうにか割れそうな所がある.かなり苦労した末に,少量採集することができた.

 帰宅後,持ち帰った4個の小片を見て驚いた.なんと!その内の2個の小片に淡黄褐色半透明の六角柱状結晶が付いている.大きさは径0.3mm,長さ1〜1.5mmほどである(写真).
 現場で,ルーペで見たときにはそのようなものは付いていなかった.ただ,そこが余りにも堅くて割れなかったので,隣にあった別の岩塊を叩いて持ち帰ったのである.何が幸いするかわからない.幸運としか言いようのない出来事であった.
 すぐに“霞石の結晶”であろうと思ったが,白色の沸石の中に生じている結晶である.沸石は玄武岩が固結した後に,空隙に生じたものと考えられるため,この結晶が霞石であるという確信は持てなかった.
 8月の末,益富壽之助先生宅へ持参しその場にいた同好の諸氏に見せると「霞石が晶洞中に結晶しているという話は,聞いたことがない.霞石は玄武岩の斑晶になっているくらいだから,沸石中に自形結晶をなすような産状はないだろう.燐灰石ではないか」等々,否定的な意見が殆どであった.
 しかし,同じ産状を示しているエジリンも岩石の斑晶をなす鉱物であるから,空隙に霞石とエジリンができて後,その空隙を沸石が充填した,と考えれば矛盾はない.早速,X線粉末回折試験によって調べたところ,現れた回折線は間違いなく“霞石”であった.

 このことがあって,すぐに霞石を求めて現地へ向かった人もいたが,すでに造成地の巨岩は砕かれて埋められてしまっていた.
 その後,何人かの人が挑戦して,筆者と同様の霞石結晶を採集したT氏もいる.ただし,この地域には天然記念物に指定されている場所があり,そこでの採集はできない.
 また,燐灰石の産出も知られているので,十分な注意が必要である.

   霞石の結晶形態

 霞石は六方晶系に属する鉱物で,一般的には六角柱状の結晶をなす.
 浜田市内田町の造成地で採集した霞石は,きわめて単純な結晶で,底面と柱面からなる六角柱をなす.
 筆者の採集した霞石の結晶には,全く錐面が観察できないので,この結晶の柱面が第一六方柱のm面か,あるいは第二六方柱のa面であるのかは確定することはできない.
 しかし,霞石の結晶では一般的に前者の方がよく発達するとされているので,浜田市内田産の霞石に見られる柱面も第一六方柱mと思われる.
                                        (結晶図は省略)

   その後の再訪

 その後,1998年8月10日,旅行で通りかかった折りに,かつて霞石玄武岩を観察して歩いた場所を再訪した.
 しかし,16年前の1982年8月10日(偶然にも全く同じ月日)に来たときのような,新鮮な露頭は全く見ることができなかった.
 ただ1ヶ所,家の石垣に積まれていた新しい玄武岩の破面には,白色で結晶質の沸石が付いていた.家の人にお願いして,ごく一部の小片を採集させてもらった.ルーペで観察したところ,この沸石は典型的なギスモンド沸石の形態を示していた.
 霞石玄武岩(黄長石霞石玄武岩)露頭の一角には,当時なかった「天然記念物」の表示板が掲げられていた.驚いたことに,表示板の日付は筆者が最初に訪れたのと全く同じ年の,しかも同じ月である.筆者が道路沿いに歩いて幾つもの新鮮な露頭を観察できたのは,こうした天然記念物指定のための整備工事をしていたからかも知れない.

   おわりに

 今のところ,日本で霞石の自形結晶が知られているのはこの場所だけである.
 浜田市内田の霞石の産状は特異で,沸石中にエジリンと共に自形結晶をなして産する. これについて筆者は『玄武岩が固結するとき,沸石はまだ沸石ではなく,含水ガラス質のような物質で,その中に霞石とエジリンが自形結晶として含まれていたが,後で沸石に変質した』のではないかと推測している.今後の詳しい研究が期待される.
 霞石玄武岩そのものは,特定の場所で天然記念物に指定され保護されているが,指定地以外では造成工事のときなど,大量に玄武岩が破壊された折りには“霞石の自形結晶”が見られることが期待される.
 せっかく霞石の自形結晶が産出しても,知らないうちに砕かれて埋められてしまわないように,土木工事が行われるときには注意を払いたいものである.
                                         64号(04-1) の記事より