さて、第一部「黎明 Dawn」からご紹介して行こう。舞台は、最終核戦争後の地球。わずかに生き残った人類は、オアンカリ Oankali と名のる異星の生物に救い出され、彼らの巨大な宇宙船の中でほとんどが休眠させられている。主人公・リリス Lilith は、オアンカリたちに新しい人類のリーダーとしての適性を認められ、宇宙船の中でオアンカリの一家族と暮し始める。
オアンカリは、雄、雌、ウーロイ Ooloi の三性を持つ生物である。彼らの技術は、すべてバイオテクノロジーを基盤としたものだ。いや、それは技術というより、彼らの生得的能力なのである。彼らは、他の生物に触れただけで遺伝情報を読み取り、それを半永久的に記憶する。ウーロイにいたっては、体内で自在に遺伝情報を加工できる、生きたDNAシンセサイザーなのだった。彼らは音声言語も持ってはいるが、複雑な情報の交換には、肉体の接触によるホーリスティックな生化学的コミュニケーション手段を用いている。その他、輸送手段、住居、食料など、ありとあらゆるものを“生物”から得ており、宇宙船までもが、遺伝情報を操作して作った“生物”なのである。要するに、究極のバイオスフィアに乗って宇宙をさすらいエマノンする、プレイン・ヨーグルトなハイブリッド・チャイルド・オーバーロードが、彼らなのだった。
彼らは、交易 trade と称して、他の生物と遺伝情報を交換し、混血を行ってゆくことでしか種族を維持できない。他者の遺伝情報の収集欲は、彼らの性欲そのものとして描かれている。したがって、彼らは、他者とのちがいを恐れる人類とは対照的に、差異を愛でる考え方をすべての基礎に置いている。なんでも、オアンカリに言わせると、地球人というものはきわめて興味深い致命的矛盾をはらんだ存在なのだそうだ。遺伝情報の中に、高度な知性と原始的なヒエラルキー性向が混在しているからである。“なんとかに刃物”という日本語をバトラーが知っていたかどうかはさだかでない。
さて、オアンカリたちとの生活にも慣れたリリスは、新生人類の第一歩を踏み出すべき何人かの人間を、休眠状態から目覚めさせ教育する役割を負わされる。次々と人間を覚醒させるリリス。不条理な状況下で、次第に錯綜してくる人間関係。暴力的な性向の者たちと冷静な者たちとの確執。不気味な触手に覆われたオアンカリの姿に、ほとんどの者は嫌悪をあらわにする。やがて、一日の長もあってオアンカリ文化に適応しているかに見えるリリスを、悪魔の手先呼ばわりして反感を持つ者たちが出てくる。リリスは、オアンカリの遺伝情報操作で、宇宙船の施設利用のための化学物質の分泌能力や、言語学習のための直観像記憶などを与えられており、なおさら他の人間たちから疎外される。リリスの身に危険が迫っていると判断したオアンカリたちは、彼女に常人をはるかに超える効率のよい筋力と、負傷からの回復力を与えるが、リリスに“差異”を与えることは一向に状況の改善には繋がらず、いまや警察力となったリリスはますます反感を買うばかりである。リリスの唯一の理解者である理知的なジョゼフ Joseph も反感を集め、オアンカリたちは彼にもリリスと同等の能力を与える。
最終戦争からはすでに何世紀も経っており、地球はすでにオアンカリの手により原始の自然が再生され、失われた生物たちは新たな種で補完されている。時満ちたと判断したオアンカリは、人間たちを宇宙船内の“訓練所”に移す。新しい地球上で暮すノウハウを身につけさせるため、地球の環境を模した巨大な特設区域だ。人間たちはそこでも小競り合いを繰返し、とうとうジョゼフは集団リンチの犠牲となって惨殺されてしまう。特にオアンカリを嫌うゲイブリエル Gabriel は、事実上の妻テイト Tate を伴ってあくまでオアンカリに反抗を続け、リリスと完全に袂を分かつ。
傷心のリリスに、ウーロイのニカンジ Nikanj は衝撃的な事実を告げる。リリスの胎内には、リリス・ジョゼフ・ニカンジの遺伝子を基に作られた彼らの子供がいるというのだ。すっかり動転し、ニカンジを憎みさえするリリスであったが、やがて運命を受け入れ、ゲイブリエルたちと別々に地球へ送られる道を選ぶ。
第二部「成年の儀式 Adulthood Rites 」は、舞台変わって地球上。アレクセイ・パンシンの名作を連想する方もおられよう。はたして、こちらも分離・過渡・再統合のパターンをきちんと踏んでいる点では、きわめてオーソドックスな展開となる。
人類は、オアンカリと共同生活をし混血を進めてゆく者たちと、あくまでオアンカリを拒否する“反抗者 resisters ”とに分かれていた。反抗者たちは、ウーロイなしでは生殖できないように遺伝子を改変されているため、ときおりオアンカリたちの集落を襲っては子供を奪い、なんとか成員を維持していた。
リリスの息子の一人・アキーン Akin (ヨルバ語で“英雄”の意)は、まだ赤ん坊だというのに、すでに大人と同じレベルにまで知的発達を遂げている。混血児たちは、変態を迎えるまでほぼ人間と同じ外見であるが、オアンカリとしての能力は持っていた。彼は、混血児たちの中で初めての男児であり、高い知能とオアンカリの触手のような舌を除いては、まったくふつうの赤ん坊に見える。
ある日、子供を拉致しに来た反抗者の若者ティーノ Tino は、リリスに諭されオアンカリの集落で暮し始める。彼は、あのゲイブリエルの集落からやって来たのだった。ティーノは、オアンカリと人間たちの集落が、自分が聞かされていたような悪魔的なものではなく、またリリスが反抗者たちの憎しみを引き受ける役割を従容として受け入れていると知り、リリスとニカンジと結ばれることで徐々に集落に溶け込んでいった。アキーンもティーノを慕っているようだ。
すっかりリリスたちの仲間になったティーノが、ある日アキーンを連れて野に出ていると、反抗者たちのグループが彼らを襲った。致命傷を負って倒れているティーノを尻目に、襲撃者たちはアキーンを連れ去る。どうやら彼らは、アキーンをどこかの反抗者の集落に高く売ろうとしているらしい。冒険行の末、彼らは反抗者の集落のひとつにたどり着き、アキーンはそこに身を落ち着けることとなる。偶然にも、彼は、ゲイブリエルとテイトの夫婦に引き取られる。テイトは反抗者にこそなった人間だが、かつてはリリスの人格に信頼を置いていた潜在的理解者のひとりであった。
そこで暮すうち、アキーンは、繁殖できずともあえてオアンカリを受け入れない、反抗者たちの高潔なプライドのような心情を、次第に理解するようになってくる。オアンカリと人間の狭間に立って苦悩するアキーン。
やがて、リリスたちの集落へ戻った青年アキーンは、地球の軌道上を回る母船のオアンカリのもとへと赴き、人類にもうひとつの選択肢を与えるように説得する。反抗者たちには、テラフォームした火星で独立して暮す権利を与えようというのだ。人類が持つ遺伝的矛盾、“高い知性とヒエラルキー性向”は、どこへ行こうと遅かれ早かれ自身を滅ぼしてしまうだろう。しかし、アキーンは、火星の過酷な環境による突然変異の積み重ねが、万にひとつも人類を変える可能性に賭けるのだった。
ゲイブリエルたちの集落へ戻ったアキーンは、そこで変態の時を迎える。あちこちに点在する反抗者たちは、もはや手のつけられないほどの自暴自棄に陥っており、互いに略奪や虐殺を繰り返していた。ゲイブリエルたちの集落にも、アキーンの命を狙う者たちが徘徊し、変態が迫り動くも思うにまかせない彼は気が気ではない。アキーンは火星への移住計画をゲイブリエルたちに打ち明けるが、彼らは半信半疑で逡巡するばかりだ。ゲイブリエル夫婦の身体を張った保護のおかげで、アキーンはほぼ変態を終える。そんな矢先、とうとうゲイブリエルの家に火がかけられる。アキーンを助け出したゲイブリエルは、協力者たちと合流し、火星へと向うべくリリスたちの集落へと旅立つ。
この第二部は、三作中で最もヴォリュームのある読ませどころであり、異文化間で苦悩する少年の成長物語として楽しめる。以前私は、「メルサスの少年」を、菅浩江版「都市と星」だなどと周囲にわめいていたことがあるのだが、これはバトラー版「都市と星」ということにしてしまおう。ああ、安易なやつ……。
第三部「イマーゴ Imago 」は、前二作と較べて妙に抽象的なタイトルだ。“理想像”では釈然としないので、基本にかえって調べてみると、精神分析用語で「コドモのときに愛した人の理想像」(岩波心理学小辞典・宮城音弥編)とある。ふむふむ。「生物学では変態を終えたのちの成虫を示す」(同書)ふむふむ……やっぱりよくわからないが、読み終えてみれば、このタイトルの重層性がとてもしっくり来る仕掛けになっているのだった。
リリスたちの集落の後日譚である。新種創成の過程が順調に進行しているリリスたちの集落に、一人の混血児がいた。名をジョダース Jodahs という。男性に“なる”であろうと思われており、アキーンの弟予備軍(?)のひとりにあたる。
ところが、ジョダースが長ずるに従って、周囲も彼自身も愕然とする。なんと、彼はウーロイに育とうとしていたのだ。混血児のウーロイの出現は時機尚早であり、慎重に避けられていたのだが、ウーロイ親のニカンジを慕いすぎたジョダースは、われ知らずそのように育っていたのだった。遺伝情報を自在に操作できるウーロイは両刃の剣である。自分の能力をコントロールする術を身につけ損なうと、まさに“歩くバイオハザード”になってしまいかねないのだ。早くも、彼の触れるところ、生物である住居はたちまち“炎症”を起こすようになる。
ジョダースを母船へと追放すべきかどうかが議論されるが、ジョダースのウーロイ親・ニカンジは、彼をかばって追放を免れさせる。ニカンジはジョダースにウーロイとしての特訓を施して、かろうじてコントロール能力を身に付けさせる。だが、接触した相手に無意識に遺伝子改変を施したりしてしまうジョダースは、まだまだニカンジの監督下を離れるわけにはいかない。また、遅かれ早かれジョダースには人間の配偶者が必要になる。リリス、ティーノ、ニカンジを含むジョダースの近親者十一人は、ついに住み慣れた集落をあとにする。家族が旅を続けるうち、やがてジョダースの妹アアオア Aaor までもがウーロイに育ちつつあることが判明する。
ある日、ジョダースは、ジェズーサ Jesusa とトマース Thomas(a は′アクサン・テギュ付き)という人間の兄妹を見つけ、彼らを配偶者としようと、単身あとを追い接触する。彼らは驚くべきことに、存在しないはずの繁殖力を持った人間だったのだ。しかし、彼らの集落では、近親婚による奇形を負った者があたりまえとなっており、長ずるまで命を永らえる者すら稀というありさまだった。警戒心からジョダースを殺そうとまでした彼らだったが、ジョダースは彼らの遺伝的疾患を治療し、醜い腫瘍を一夜にして治してしまう。
ジョダースと性的関係を結んだ彼らは、自分の集落の者たちの運命の悲惨さを悟るが、彼らに生きる道を与えるというジョダースの申し出には躊躇する。彼らは、いまや裏切り者なのだ。ジョダースを慕ってはいるが、クリスチャン的倫理感からオアンカリたちと暮すことに嫌悪を感じるジェズーサは(なにしろ、異星人との混血児が、近親相姦の3Pで子供を作ろうと言ってるのだ)、トマースを強引に従わせ、筏で旅に出ようとする。折り悪しく、ジョダースは変態の時期を迎え、ほとんど動けなくなってしまう。ジョダースを連れた彼らは、川下りの途中ほかの反抗者に襲われ、ジェズーサは撃たれて重傷を追う。彼らはジョダースの家族のもとへと引き返し、ジェズーサの命は救われる。
一方、変態の時期を迎えても配偶者がいないアアオアは、ウーロイとしてのコントロール能力が不安定になり、巨大なナメクジのような生れもつかぬ水棲生物に変身してしまう。ジョダースの介助でなんとか半魚人様の比較的まともな姿になったアアオアだが、このまま人間の配偶者を見つけられなければ、コントロールを失って遠からず死んでしまうだろう。アアオアの苦境を見たトマースたちは、ジョダースに恩義を感じていることもあり、自分たちの集落からアアオアの配偶者を見つけるべく、ジョダースと共に危険を冒して故郷の集落へ向うことにする。
アアオアは、無事、配偶者となるべき人間の説得に成功したものの、トマースたちは案の定捕えられてしまう。トマースたちの救出に向ったジョダースは、銃を持った警備の者たちといさかいになるが、あやまって銃弾を受けた人間を必死で治療するジョダースの姿に、反抗者たちは気を削がれてしまう。ひとまずジョダースたちは幽閉されるが、彼のところへ次々と反抗者たちがやってきては、奇形を治してもらい帰って行くようになる。いつしか頑なな者たちも心を開き、オアンカリとの共存を認めるようになってゆく。
やがて、彼らのところにリリスたちを乗せたオアンカリのシャトルがやってくる。ジョダースに救われた人間たちは、ある者はアキーンが開拓した火星の植民地へ、またある者はオアンカリたちとの共同生活へと、それぞれの道を歩んで行く。母船からの情報によると、ジョダースやアアオアのような混血児のウーロイの出現は、単なる過失ではなく、他のオアンカリ集落でも確認され始めているようだ。オアンカリの思惑をも超えた、新しい種族の夜明けであろうか。
ジョダースは、成人の証にニカンジから継承した遺伝情報の貯えを使って、新しい町の種子を“植える”。いつの日か、小さな町は宇宙船へと成長し、地球を飛び立つだろう。ジョダースは、人間とオアンカリが平和に共存する――いや、ひとつの新たな種族が栄える、新たな世界へと思いをはせるのだった。
作家のバックグラウンドから興味を持つという不純な動機で読み始めはしたが、すぐにそんなことはどうでもよくなってしまった。優れたSFに、ただぐいぐい引き込まれて行ったのだ。たしかに、その気で深読みをすれば、バトラーの社会的立場が反映されていると解釈できる部分はいくらでもあるだろう。だが、少なくともこの三部作では、彼女が社会的弱者の側の論理を声高に叫んで、「強者よ、悔い改めよ!」と迫ってくることはない。ときにそう見える場合にも、必ず返す刀を逆方向にも突きつけることを、忘れてはいないのだ。被抑圧者側の論理には、ときとしてただ符合を変えただけの抑圧者に成りうせる陥穽が潜んでいることを見すえた上で、そうした軋轢を生む人間性そのものの哀しさへ向けて、彼女は自分の語りをぶつけている。つまり、オクテイヴィア・バトラーが何者であろうとも、彼女はSFで語っているのではなく、SFを語っているのだ。そのことが妙に嬉しかった、にわかバトラーファンなのであった。
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