『輝くもの天より墜ち』 Brightness Falls from the Air (Tor, 1984)
   ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア James Tiptree Jr.



 後期ティプトリーを代表する長編である。作品集『たったひとつの冴えたやりかた The Starry Rift 』(浅倉久志訳・ハヤカワ文庫)の狂言回しの図書館シーンで、実在する記録として言及されており、また、同書の解説でも浅倉氏が簡単な紹介をなさっているので、未訳とはいえファンにはおなじみのタイトルだろう。この作品も、時代こそちがえど、『たったひとつ……』と同じ連邦宇宙が舞台となっている。

 辺境の惑星ダミエムに、不揃いな顔ぶれの観光客がやってくる。《殺された星》と称される惑星の爆発前線の最後の波が通過するというので、その荷電粒子によるオーロラショーを見物しにきたのだ。おなじみの芸能惑星・グリッド・ワールドからのロケ隊に、光彫刻師、妹は植物人間状態で寝たきりの貴婦人姉妹、水棲人の学者に学生、一国一星の王子様に、美人の軍人女性とくれば、何かが起こらないほうが不思議である。これらの曲者を歓迎するのは、連邦に任命されダミエムに常駐する守護官夫妻のコリーとキップに、異星人医学のドクター・バラムジ。奥さんのコリーのほうが上官という設定である、などとことさら書いてしまっては、ティプトリーに哀れみの目で見られてしまうだろうか。
 この惑星に彼ら守護官が置かれたのにはわけがある。ダミエムには、美しい翼を持つ大きな妖精のような知的昆虫人がいまは平和に暮らしているが、彼らが苦痛を受けたときに分泌する体液はヒューマンにとって至福の美味であり、これを原料とする《星ぼしの涙》という飲料をめぐって、金の亡者や快楽の奴隷どもが、彼らを文字どおり“搾取”した時代があったのだった。連邦の実力行使でダミエムには平和が戻ったが、いまも《星ぼしの涙》で一獲千金を狙う悪党どもは、厳しい来訪者のスクリーニングをかいくぐって潜入せんと、虎視眈々と連邦の隙をうかがっているのである。
 そんな受難の星が観光名所となっているのも皮肉だが、そもそも《殺された星》の爆発自体も、じつはヒューマンの仕業なのだった。連邦の巡洋艦デネブが、辺境の惑星・ヴリラコーチャ上に異常に大きなエネルギーの存在を確認、超兵器を開発していると思い込み、惑星破壊砲で吹き飛ばしたのである。ところが、これは勘ちがい。謎の原因で滅亡しようとしていたヴリラコーチャ人は、みずからの文化のすべてを結集した記念碑を建造中で、異常なエネルギーはそのためのものだったのだ。つまり、件の観光客たちは、ヒューマンが悪逆のかぎりを尽くした惑星の上で、これもまたヒューマンの愚行が滅ぼした星の残骸が繰り広げる光の饗宴を、「きれーやねー」と見ているわけである。アウシュビッツの収容所跡にゴザを広げて、ビールに枝豆で広島の閃光を見物しているようなものだ。ドライな口当たりかと思うと、なかなかに苦みも利いているのである。
 こうした背景や登場人物の経歴などが、オーソドックスな孤島ミステリー風の語りで徐々に明らかにされ、さまざまな人生を乗せた運命の糸は、いよいよ事件の起こるオーロラ見物のパーティーへ向けて一本に撚り合わされてゆく。ダミエム人の体液を手に入れようと悪辣な陰謀を巡らす観光客を装った悪党と、それに立ち向かう人間たちの知恵と勇気の大活劇……なんて筋書きは、以上の設定が出揃ったところでわかってしまうから、いつの日か日本語で読めることを期待して、詳しくはふれないでおこう。アイディアやプロットに驚きはないが、肩に力を入れず安心して楽しめる娯楽作品となっている。おーやおや、ティプトリーにこんな言葉を使えるようになろうとは、眉間に皺をよせて読んでいた昔の私に教えてやりたいものだぞ……。
 でも、やっぱりひと味ちがうのがティプトリー。どきどきわくわく、楽しくページを繰ってきたはずなのに、気がつくと何やら重苦しいものが胃のあたりにわだかまっている。随所に仕掛けられた、ひとつひとつは小さなささくれが、やがて棘となり五寸釘となり、最後には杭になってどてっ腹に突き刺さってくる感じである。あたかも、少しずつ楽しんでいるつもりのパソコン通信の課金が、月末にずしーんと……こっ、このたとえはやめておこう。
 もちろん、悪党どもは残らず退治されてしまうが、すかっとさやわかなカタルシスは得られない。なんというか、物語全体が緩慢に死んでゆくように終わるのだ。最後まで火玉が落ちずに燃え尽きた線香花火のようである。快活で聡明で若さにあふれた女性として印象深い守護官のコリーも、あることが原因で最後に“老衰死”してしまう。たしかに、老いと死のイメージに満ちあふれた陰鬱な話というまとめも可能だが、私には、むしろ乾いた平安のような読後感があった。日本人には、これが一種のハッピーエンドだと感じる人も多いにちがいない。ティプトリーがそんな心境であの引き金を引いたのだと、私は思いたい。
 ひとりひとりの登場人物のドラマを簡潔かつ強烈に描きながら、時間の縦糸と空間の横糸とで織り合わせてゆくティプトリーの手腕はすばらしい。さながら、ラヴェルのボレロのようだ。登場人物ひとりにつき一本の長編が書けてしまいそうなほど、読者の想像をかき立ててくる。SFを知り尽くしたすれっからしがなにげなく小出しにするアイディアやガジェット、御都合主義をものともしない計算されたあざとさ、語られることでなおさら膨らんでくる魅力的な人物たちの“語られざるドラマ”――どうも、晩年のティプトリーには、梶尾真治を彷彿とさせるものがある。ひょっとして、彼女は、ほんとうはずっとこういうものが書きたかったんじゃないかとすら思うのだ。
 この連邦宇宙の未来史シリーズ、中断してしまったのはまことに残念だ。いずれ私があの世に行ったら、このシリーズと手塚治虫の『火の鳥』と、どちらの続きを先に読もうか、たいへん迷っているのである。

[NOVA MONTHLY 22・23合併号, AUGUST/SEPTEMBER 1993]




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