月を消した男


冬樹 蛉


 おー、よう来たの。あんたが電話の学生さんか。この暑いのに卒論研究とは感心なことじゃ。わしの若いころのようじゃの、ぬわははは。ま、ま、突っ立っておるのもなんじゃ、そこの石にでも腰かけなされ。渋茶でもどうじゃ。
 で、わしに訊きたいというのはなんじゃ? なに、月じゃと? ふむ、むかしはこのアスペルギルスにも月があったという民話があるらしいと聞いたじゃと? 年寄りならそのへんのことは知ってるにちがいないと思ったじゃと?
 ううむ、年寄りだけ余計じゃが、なかなかよく勉強している学生さんじゃ。驚いたの。ますます感心じゃ。
 いや、じつはな、たしかにわしの若いころには月があった。というか、なにを隠そう、その月を消したのは、このわしじゃ。
 なに? 超能力で壊したのかじゃと? そりゃ、マンガの読みすぎじゃ。いやしくも連邦随一の科学力を誇るアスペルギルスの学生たる者が、“超能力”などという非科学的な言葉をおいそれと口にしてはならんぞ。“超能力”なんてものがもしあったら、それはただの“能力”じゃとヤッシャ・ツッチーニも言うておろうが。
 まあ、よかろう。ちゃんと話してやるから、耳の穴かっぽじって、よっく聞くがよいぞ。
 わしの若いころには、アスペルギルスの空には鬱陶しい月がのさばっておった。そりゃもう、見るからに影の薄い月での。なに? 月に影があるかって? まあ、黙って聴きなさい。
 たいていの惑星では、月というのはなかなか風情のあるもので、月にまつわる伝説や民話が多く残っておるものじゃ。が、アスペルギルスの月ときたら、存在感がないというのかなんというのか、美しくもなく醜くもない、じいっと眺めておっても、なあんの感慨も湧いてこない代物じゃった。そのせいか、アスペルギルスには、月ネタのむかし話というやつがほとんどない。いや、ほとんどどころか、じつのところ、おまえさんがあると聞いたとかいう民話が、アスペルギルス唯一の月にまつわる民話じゃろうな。むかしからよっぽど想像力を刺激せん月じゃったんじゃろう。ひとことで言えば、毒にも薬にもならない月というか、箸にも棒にもかからない月というか、ミもフタもない月というか――なに? ちっともひとことじゃない? こりゃ、妙な突っ込みを入れるでないわ。
 ま、そういう月じゃった。若く覇気に燃えておったわしはじゃな、ある夜、ぼさーっと空に浮かんでおる月を見て、突如、激しい怒りに駆られた。ほれ、なんとも存在感が希薄で、顔を見ておるだけでいらいらしてくる人間というのがたまにおるじゃろう? アスペルギルスの月がまさにそういう感じじゃった。ひとことで言えば、むかつくというか、悪寒が走るというか、じれったいというか――なに? やっぱりひとことじゃない? 人の話は黙って聴くものじゃ。
 わしはそのとき決意した。月を消してやろう。恵みをもたらすでもない。害をなすでもない。ただただ、いけしゃあしゃあと、うすらぼんやりと浮かんでおるだけの月など、わしがこの手で消してやる!
 さっそく次の日から、わしは月を消す作業にとりかかった。といっても、当座はそれまで以上にただ勉学に励んだだけじゃ。なにごとも基礎が肝腎じゃからの。
 わしの成績はめきめきと上がっての。教授たちにも一目置かれるようになった。ま、勉学に励めば成績がよくなるのはあたりまえじゃ。癪なことに頭がよくなるわけではないのじゃがの、ぬわはははは。わしの場合は、頭はもとからよかったわけじゃから、あとは勉強するだけだったのじゃ。
 抜群の成績で大学を卒業したわしは、計画どおり電力会社に就職した。さあ、ここからが、わしの血沸き肉躍る大活躍じゃ。ひとことで言えば――なに? ほんとにひとことか? 黙って聴けと言うに!
 みるみるうちに出世したわしは、それまで顧みられなかった潮力発電を実用化し、新事業として軌道に乗せた。入社後わずか五年で、わしは潮力発電事業の最高責任者におさまっておった。
 わしは、職権を濫用して、潮力発電で起こした電気エネルギーの大部分を横流しし、マイクロ波に乗せて宇宙の彼方に垂れ流した。なんに役立てたわけでもない。まさに、ただただ垂れ流したのじゃ――なに? ひどいことをする? べつにひどくはない。なにもわしは、アスペルギルスのエネルギー問題を解決しようなどと考えて電力会社に入ったわけではないわ。月を消すのがわしの目的なのじゃから、エネルギー問題などという瑣末事はどうでもよいのじゃ。
 やがて、わしの思惑どおり、月は痩せはじめた。どうしてかって? わからんやつじゃな、これじゃから文科系のやつは苦手じゃ。
 潮力発電というのは、潮の満ち干を利用して電気を起こすわけじゃな、これはよいな? 潮の満ち干はどうして起こるかというと、これはアスペルギルスが、月の重力場の重力勾配による潮汐力を受けるからじゃ。これもよいな? では、月の重力はどうして存在するかというと、月に質量があるからじゃ。じゃから、潮力発電で電気を起こせば起こすほど、月の質量は減ってゆくということになるわけじゃ。エネルギー保存の法則くらいは知っておろうな? ふむ、よろしい。どうじゃ、なにかおかしいところがあるか?
 ところがじゃ。若いころには、自分の能力を過信するがあまり、必ずどこかでつまずいたりするものじゃ。青春の蹉跌というやつじゃな――なに? 公園の砂場でよく集めた? ばかもの、ベタベタのギャグをかますでないわい!
 ひとときの成功に酔っておったわしは、ある夜ふと、この調子で月が痩せてゆけば、いつごろ消えてしまうかを計算してみたのじゃ。
 わしはわれとわが目を疑った。会社のスーパーコンピュータで表計算ソフトを動かしてみると、なんと、このままでは月が消えるのに三百年以上かかると出てくるではないか! 数式にまちがいはない。これでは、月が消えるのを見るのは、わしの曾々孫ということになってしまう。
 これはどえらいことじゃ。わしが生きているうちに消せなければ、ちっとも面白くないではないか――なに? 面白いかどうかという問題かじゃと? 面白くないものは、やったって意味がないではないか。若い者がそんな説教じみたことを言うてどうする。
 そこでわしは、月の減量を加速するプロジェクトにとりかかった――なに? いくらなんでもそんなことばかりしておっては会社をクビになるだろうじゃと? ああ、言い忘れておったな。わしはそのころすでに社長になっておった。
 月の質量が減るプロセスはさきほど説明したの。では、どうすればこのプロセスが加速できるかじゃが、これはもう、じつに単純なことじゃ。潮力発電ができるのは、月に重力があるのに加えて、月がアスペルギルスの周りを回っておるからじゃ。これはよいな? じゃから、月の公転速度を大きくしてやれば、起こせる電気も増える。したがって、月も速く痩せる、とまあ、こういうわけじゃな。
 わしは、アスペルギルスの北極と南極に巨大な棒を立てた。それはもう巨大な棒で、衛星写真で見ると、まるでアスペルギルスが独楽のように見えたくらいの棒じゃ。
 次に、その二本の棒にそれぞれ超硬鋼索を固定して、二本の鋼索の端には惑星ボーリング用のレーザー掘削ロケットを繋いだ。でもって、ロケットを月の北極と南極に打ち込み両側から掘り進ませ、月の中心部で鋼索をしっかりと結び合わせた。これで月はアスペルギルスと二本の鋼索で繋がったわけじゃ。鋼索が切れる心配などせんでもよいぞ。なにしろこいつは、あのリングワールドの床物質を引き伸ばして作った鋼索じゃからして、ちょっとやそっとでは切れんのじゃ――なに? その鋼索の伸線工程で使ったダイスはなんでできていたのかじゃと? 文科系のわりには妙なことを知っておるな。さあて、それはわしの専門ではない。建設会社のほうにでも訊いてくれ。
 さて、あとはほうっておくだけじゃ。月の公転速度はみるみる増しはじめ、とうとう――なに? よくわからん? ああ、じれったいやつじゃな。
 月が公転するとじゃな、アスペルギルスの両極に立てた棒に鋼線が巻きついてゆくわけじゃろう? したがって、月は次第にアスペルギルスに手繰り寄せられてくるわけじゃ。すると、角運動量の保存則によってじゃな――これは、説明せんでもよいじゃろうな? 白衣を来た科学者がいきなり出てきては、場ちがいなフィギュア・スケーターの話をするのにはいいかげんうんざりじゃ――月の公転速度が増すというわけじゃ。
 なに? 月の公転周期がアスペルギルスの自転周期とまったく同じだったらどうするのか、じゃと? とぼけたことばかり言うておるわりには、鋭い質問じゃの。じゃが、実際、周期はちがったのじゃから、細かいことは気にせんでよろしい。工学というのはの、結果がすべてなのじゃ。
 とまあ、計画は見事に図に当たり、まもなく月は消滅してしまったのじゃ――なに? 完全に消えてしまったはずはない? そもそも、打ち込んだロケットはどうなったのかじゃと? おやおや、俄然、鋭くなってきおったな。わしの話を聴いておるうちに、科学する目が養われてきたのじゃろうな。
 じゃが、なにも不思議なことではない。ロケットにだって質量があるわけじゃから、月と一緒に痩せ細っていったに決まっておろうが。
 ああ、いま思い出しても痛快な眺めじゃったのう! アスペルギルスの大気圏にまで手繰り寄せられた月は、真っ赤に燃えながらものすごいスピードで公転しておったものじゃわ。
 わしは頃合いを見はからって自宅の縁側に出ると、酒を飲みながら待った。やがて、あのいまいましい月は、わしの目の前で庭先にぼてっと落ちおった――なに? あまりにも話がうますぎる?
 そんなもの、最初から計算しておったに決まっておるじゃろうが! 極地に立てた棒の直径と鋼索の長さは、月が最後にはわしの庭に落ちるように計算して決めてあったのじゃ。
 ん? で、その月はどうしたのかじゃと?
 ぬわははは、まだ気づかんのか?
 ほれ、それじゃ、おまえさんがいま腰かけている石――そいつがアスペルギルスの月じゃよ、どわははははははは!
 これこれ、どこへゆく? なに? どうも眉唾だから、隣の婆さんにも話を聴きにいく?
 やれやれ、疑り深いやつじゃの。ま、よかろ。どのみち、どの年寄りに訊いても、月を消したのは自分じゃと言い張るじゃろうがな、どわははははははは、どわぁっはっはっはっはっはっは!

(了)

['95年 7月]



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