コンプレックス



日本ほど「コンプレックス」を感じている人たちが多い国は他にないのではないでしょうか。
スタイルであったり顔であったり・・・、
自分自身にたいするコンプレックスというものが、もっもと代表的なものです。
自分のことがなさけないとさえ思っています。
それも、他の人と比べて・・・。
いや、正確に言えば。
それが備わっていない人間は、標準を満たしていないのではないかとさえ思えてくるのです。
自分の個性を欠点だと思い込んでいるわけです。

日本では何事であっても、まずスタンダードが示されます。
それも自然にできたものではなく、人の意志によって形作られた枠組みなのです。
それがトレンドとなり、憧れに仕立てあげられ、多くの人たちの心を悩ますものになります。
また、それが経済を支える活力にさえなってしまうのです。
古くは「3C」であったり、「寄せて上げて」であったり、「アンチエージング」であったりします。
それらはすべて、外側から見えるものです。
人の目を意識するといいますか、外から見えるものに気をつかっているわけです。

日本には、日本の社会独特のもの、「世間体」という言葉があります。
外国にはない日本特有のものです。
皆が互いに足首を結わえあわせて、横並びに一定の方向にいっせいに歩き出します。
その枠からはみ出すことを許しませんし、
その枠の中でしか存在を認めない流れがそこに作りだされて行きます。
ですから人の個性さえ欠点として映ってしまうのです。

スリムなボディにメリハリのきいたメイク、
そうすることによって、心にあるコンプレックスから解放されると信じ、
あくなき努力を重ねることになります。
気になっているところをはっきりさせて、
どうしたら気にならないようになるのか、それが問題なのです。
ダイエットであれ、エステであれ、メイクであれ、欠点と思われているところを、
つまり、外側をおぎない整えることさえすれば、
精神的にも自信がつき素直になれると信じられています。

ここでキリスト教の考えを見てみましょう。
聖書の価値観は、それとはまったく異なります。

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」

(新約聖書・コリント人への第2の手紙・4章18節・新改訳聖書)

聖書は、ダイエットやエステを否定しているのではありません。
ただ、それが目的ではなく、結果として現われてくるものであると語っているのです。
内なる喜びが外側に表わされた結果、その喜びの表現行為としてあらわれてくるものなのです。

コンプレックスを感じている人は、
ありのままの自分自身を愛してはいないことになります。

しかし、その自分を、何よりも愛してくださっている方がおられて、
その愛によって、喜びのなかに生きて行けるとしたら、
その方への感謝と喜びが、内から輝きを放つことになるでしょう。
神さまが「良きものとして」造ってくださったのだから、もっと美しく!
わたしの感謝と喜びの表現としてより美しくなることを、神さまも喜んでくださるはずです。
大切なものはなにひとつとして失ってはいないのですから。

自分自身の個性を欠点と思い込み、そして苦しみ、心を痛めているのなら。
心は暗く、輝くこともないでしょう。
いくら外側を整えても、それは一時的なもののはずです。

一時的なものではなく、朽ちることのない喜びがいつまでも続くなら。
その輝きも絶えることなく続くはずです。

あくまで世間の視線や評価を気にするのなら。
際限無くコンプレックスは続くものと考えなければならないでしょう。

それよりも、内面から磨かれ輝いたものになるため、
あなたを愛してくださっている方と共に生きる、
喜びに満たされた人生を見いだすことのほうが大切ではないでしょうか。


北白川 スー

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Wrote up on September 09, 2006.