キリスト教的価値観・キリスト教のものの考え方



 キリスト教を考えてみるとき、

 ルターの宗教改革であったり、

 創造主なる神と、

 その言葉(聖書の文言)の中にある信仰から出る精神と知恵によって、

 経済大国というアメリカ国家を築いてきた歴史であったり・・・。

 現在のアメリカは、聖書的な建国の精神からはるかに離れていますが。

 キリスト教はどういう価値を認め、

 意義を見出しているのかと見れば、

 キリスト教の考えは、

 チャレンジとアグレッシブに満ちていると言っていいかもしれません。

 それらに比べて、この日本ではどうだろうかと・・・。

 どうも日本のキリスト教は、

 どちらかと言えば、能動的でも積極的でもないようです。

 あきらめではないようですが、妥協的であり、

 かなりの尻込みであり、後ずさりなのです。

 キリストの福音は、言い方を変えれば、

 神の言葉は生きていて、力があり、

 もろ刃のつるぎよりも鋭いと例えられるほど、

 決定的に人を攻撃するからです。

 日本のキリスト教の教会では、

 教会に救済を求めてやってくる人たちは、

 まず自分の義が立つことを願っています。

 自分の生き方が肯定されることを願っているからです。

 現代社会の中にあって、

 また複雑な人間関係の中にあって、

 自分の人格や生き方が危機に瀕しているからこそ教会にやってくるからです。

 しかし、キリスト教は、

 神の義を求めるところであって人の義を追求するところではないのです。

 神の作品としての人間は、

 神に栄光を返すことによって、

 神の前で正しい者として認められるのです。

 日本の教会では、キリストの福音が語られることが稀なのは、

 人を根本からひっくり返すほど、

 ときには傷つかせ、つまづかせるほど、

 福音は決定的に人を攻撃するからです。

 自己の義に危機感を抱き救済を教会に求めてきた人にたいして、

 あなたは罪人なのだから、

 悔い改めて回心しなさいとは言えないのです。

 聖書・バイブルの原則は、

 ”神が人を求めているのであって、

 人が神を探すのではないのです。”

 自分の意に合った神を探すのでありません。

 自分の意に合った神は、偶像崇拝に他ありません。

 キリスト教は、神のための人生であって、

 人生のための神ではないからです。

 神が主であり、人間は従う存在なのです。

 自分のための神なら、

 それは、偶像崇拝であり御利益信仰です。


 「 わたしにつながっていなさい。

 わたしもあなたがたにつながっている。

 ぶどうの枝が、木につながっていなければ、

 自分では実を結ぶことができないように、

 あなたがたも、わたしにつながっていなければ、

 実を結ぶことができない。

 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。

 人がわたしにつながっており、

 わたしもその人につながっていれば、

 その人は豊かに実を結ぶ。

 わたしを離れては、

 あなたがたは何もできないからである。

 わたしにつながっていない人がいれば、

 枝のように外に投げ捨てられて枯れる。

 そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。」

 (新約聖書・ヨハネによる福音書・15章4〜6節・新共同訳聖書)


 キリストの福音そのものである、

 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、

 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、

 このイエスの十字架の出来事は何を意味しているのでしょうか。

 自分の義を立てることが目的なら、

 キリストの十字架による死は意味を失ってしまいます。


 「 わたしは、神の恵みを無にはしない。

 もし、義が律法によって得られるとすれば、

 キリストの死はむだであったことになる。」

 (新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・2章21節・口語訳聖書)


 キリストを自分の主とし、

 キリストと共に生きる、

 神との約束に信頼して生きる、

 それが信仰ではないでしょうか。


 「 聖書にも、

 ・・主を信じる者は、だれも失望することがない・・と書いてあります。

 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、

 すべての人に同じ主がおられ、

 御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。

 ・・主の名を呼び求める者はだれでも救われる・・のです。」

 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章11〜13節・新共同訳聖書)


 しかし、欧米によって、

 聖書的な価値観が日本に持ち込まれたとしても、

 日本人に委ねられれば、

 鋭利な両刃の剣も、

 人を傷つけない日本的な竹刀に化してしまう。

 それが現実なのかもしれない。

 依然として、日本の伝統的な姿勢は改められる様子はない。


北白川 スー

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Wrote up on October 04 , 2012.