御霊に導かれて生きるなら


 私たち人間は、さまざまな問題を抱えて生きています。

 それが人間の歴史だと言ってしまえば、

 それで終わりですが・・・。

 私たち人間を造られた創造主なる神は、

 そのようには考えてはおられないのです。

 作品にたいする作者の愛というものがあります。

 それが創造主なる神の究極の選択と態度の決定という出来事、

 すなわち、イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事・・。

 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事なのです。


 「 キリスト・イエスのものとなった人たちは、

 肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。」

 (新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・5章24節・新共同訳聖書)


 今日、私たち人間をとりまく状況は、

 神に背き、神から離れてしまった人間たちは・・・。

 それはさまざまな問題を抱えることとなったのです。

 それには原因があることは確かです。


 「 思い違いをしてはいけません。

 神は侮られるような方ではありません。

 人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

 自分の肉のために蒔く者は、

 肉から滅びを刈り取り、

 御霊のために蒔く者は、

 御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」

 (新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・6章7〜8節・新改訳聖書)

 だからこそ、

 「 もし私たちが御霊によって生きるのなら、

 御霊に導かれて、進もうではありませんか。」

 (新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・5章25節・新改訳聖書)


 ということになります。

 それが信仰なのです。

 しかしながら私たち人間は、

 私たち人間を造られた創造主なる神の語りかけに耳を傾けようとはしません。


北白川 スー

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Wrote up on 08 December 2011.