ミャンマー、サイクロンから1年 吉田 隆

 民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが、米国人を無断で自宅に滞在させた として国家防御法違反の罪に問われた裁判の判決公判が、最大都市ヤンゴン郊外の特別法 廷であり、労働を伴う3年の実刑判決が言い渡された。直後に入廷した軍事政権の内相が 判決を1年6か月に減刑し、自宅軟禁にするとの政権の決定を伝えた。
 スー・チーさんは約3か月ぶりに自宅に戻されが、これまで通算で14 年近くに及ぶ拘束・軟禁状態がさら に続くことになった。
 来年予定される総選挙からスー・チーさんを排除する意図があるのは明らかで、国際社会からは批判が 相次いでいる。



 さて、そのミャンマーをサイクロン・ナルギスが襲ったのが、2008年5月のこと。死者は7万7千人以上、行方不 明者は5万6千人に及ぶ大きな災害となった。被災人口は、なんと約240万人に及ぶと言われる。阪神淡路大震災 の10倍におよぶ被害となった。
 それから、1年が経過したミャンマーを訪ねた。「アジアをキリストへ」53号でご紹介した、カン・ゴン村に遣わ された二人の婦人伝道者の記事には、大きな反響をいただいた。

イラワジ川流域の水郷の村

 サイクロンの被害が最も大きかったのは、イラワジ川流域、デルタ地帯の水郷の村であった。小さな村が点在して おり、その数は100余り。それぞれの村をつなぐ主な交通手段は、水深の浅い川を進むことのできる、小さなボート だけである。
 村は、概ね100件ほどの戸数で、人口は500人くらいのところが多い。人々は、漁か農業で生計をたてている。サイ クロンで家や田畑は押し流され、商売道具である釣り船や漁の網を失った。
 アジア・アウトリーチを通して送られた献金は、主にボートと網を購入するために用いられた。

カン・ゴン村のこと

 デルタ地帯のある村では、救援物資を持って訪れたキリスト教の伝道者を歓迎し、伝道者はその村から土地を提供 されて、住み着いたケースがある。
 ところが、カン・ゴンという村に送られた二人の婦人伝道師たちは、大いに歓迎されたわけではなかった。学校の 教師として、村に仕え、子供たちを教えることによって、村での存在意義を保っていた。歓迎もされることなく、優 遇もされなかった。
 そのような霊的な戦いの中で、神様は特別にイエスのみ名による癒しを通して、み業を現されたのである。ドー・ チャン・タンさんという女性が奇蹟的な癒しを経験したのである。ドー・チャン・タンさんは、下腹部のあまりの痛 みのため、都市の総合病院に行き、MRIの検査の結果、卵管破裂寸前、手術を受けるべしとの診断を受けた。しか し、高額の手術代を払うことは不可能と思い断念せざるを得なかったのだ。それが、イエスのみ名によって癒され た。やがて再び、同じ総合病院でMRIの検査を受けたところ、完全に癒されているとの診断を受けた。
 この奇蹟が発端となって、肺がんだったエ・エ・モーさんなどが重い病気から超自然的に癒されることが相次いで 起こった。
 けれどもこの村は、特に仏教の影響力が強く、そうした出来事が即村のリバイバルに発展することはなかった。こ の村で、イエスに従うことは、並大抵のことではない。

カン・ゴン村その後

 ドー・チャン・タンさんや、エ・エ・モーさんの癒しのために用いられた、二人の婦人伝道者たちは、今年に入っ てから、村の小学校の教員の職を解雇された。より優れた教員が派遣されたからという理由ではない。ただ、この村 でイエスを信じる人々が起こされはじめたからである。圧力がかかったのである。

 イエスは、山上の垂訓の中で語られた。「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだか らです。」(マタイの福音書5章10〜12・新改訳聖書訳)

 伝道者たちは、この村の子どもたちの教育のことを考え、プライベートな塾を創めることにした。反対があっても、 迫害があっても、退くことはできない。二人にとっての、新たな挑戦である。
 この村に腰を据えて戦っている二人の伝道者にとって、嬉しいことがあった。チャン・タンさんが水のバプテスマ (洗礼)を受けたのである。チャン・タンさんは、あの奇蹟的な癒しを経験した時に、イエスを信じたのであるが、 洗礼というステップを踏むためには、一大決心が必要だったのだ。
 戦いなくして、勝利はない。




「アジアをキリストへ」 ニュースレター第56号 December 2009.

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