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'01.12.10作成 '01.XX.XX更新
去る7月28日〜8月5日にデンマークで行われたオープンヨーロッパ選手権に若輩ながらエスコートスタッフ(荷物持ち)として同行させていただきました。射撃暦は1年と少し、英会話も日常会話程度、華奢な体格、と、何を見込まれて連れていってもらったのか知りませんが、大変触発されて貴重な体験ができたと思います。
事の起こりは4月ごろ、京ラ普及委員会で行っているビームライフル教室でのこと、先輩のまだら熊こと廣田武司さんから、デンマーク行かへん?と言われたのが始まりでした。
櫛風沐雨注:「ブルズアイの鉄則、海外遠征にいかない? という軽い誘いに,かろやかに、いいよ、とこたえてはいけない」
「ヨーロッパ選手権?荷物持ちが足りない?お金ありませんよ…、え?出してくれる?そうですか、えーと…と、空いてますよ、人手が足りないならいつでも言ってください。パスポート持ってないのでひと月以上前に知らせてくださいね。」と、積極的でない返事をしました。
このときはまだ冗談だと思っていましたし、よくても交代要員の上から5番目くらいだろうとタカをくくっていたのです。それから6月初頭、その件を忘れかけていたころに山口の田中辰美先輩から電話、「廣田君から聞いたけど、デンマーク行ってくれる?」とのこと、あれは本気だったのか!と思いつつもすでにOKしてるし、ということでこれまたやる気なさそうに承諾したのでした。
初めての海外…、と戸惑っているうちに話は進み、最終メンバーの6人が確定。私も腹をくくらないと。
選手は廣田さん、神戸の木下裕季子さん、高知の武樋いずみさん,(岡留さんは辞退)、スタッフは田中辰美さん、木下寛さん(裕季子さんの弟さん)、そして私高橋。この間辰美さんはエントリー、航空チケット手配、銃の輸出許可申請、海外旅行保険加入など、精力的に活動なさっていました。私はメーリングリストの経過報告を見ていただけですが。
ただ、荷物は一人20kg以内、それ以上では超過料金を取られるので選手は無理だろうがスタッフはなるべく荷物を減らすように、という指導がありました。ISSFのワールドカップでは予定よりかなりの高額のエクストラチャージがあって問題になったそうです。今回どうだったかは後で書きますが射撃のスタッフとしてなら荷物はほとんどいらないと思います。私の場合は8kgちょっとでした(服、洗面用具のみ)。
櫛風沐雨さんに連絡してない!辰美さんか廣田さんから話は通っているだろうと思って出発数日前にメールしたところ、初耳だということです。「トラブルは必至ですが、日の丸つけてがんばってください。」は〜い、行ってきます!
7月27日早朝に京都出発、伊丹空港で全員集合。京都-伊丹間タクシーの荷物超過料金が人間三人より高かったということで一悶着。手間をいとわないのなら事前にタクシー会社に聞いておいたほうがよいかもしれません。
伊丹で荷物を預けるのですが、銃器類の持込に関するトラブルはありませんでした。国内線で伊丹から成田へ(人生初フライト)。
荷物を成田ですべて下ろして(銃も含む)成田からの持ち込み手続きです。銃に関しては税関で輸出許可証にはんこを押されてから特に問題なかったのですが(輸出許可証と所持許可証と銃本体の間に相違がないか、ガンケースを空けてチェックされますけどね)、医療用酸素ボンベの持込に関してもめたようです。出発前に確認はとってあったのですが係官との間で交渉が行われること約20分、原則酸素ボンベの持ち込みは不可で機内で使う分は用意してあるが行った先では現地調達、なのですが、医療用の特例として航空会社の対応マニュアルにあったようで一安心。なお飛行機の乗り降りで車いすの一行の乗り降りは一番最初か一番後になるようです。
成田からコペンハーゲンへ。廣田さん,もうスチュワーデスさんにブルズアイのピンバッチあげてますね。コペンハーゲンで飛行機を乗り換えてビルンまで。銃は特に手続きなしで成田からビルンまでついてきます。ビルン着は午後6時過ぎなのにまだ日が高い。
さすが北欧。空港からはデンマーク役員の迎えの車で試合会場ヴィングステッドまで。空港の近くにはおもちゃのレゴの本社と遊園地レゴランドがあります。ヴィングステッドまでは車で30分弱ですが、すいた道を時速100km位で飛ばすので距離はかなりあったのかも。
会場のヴィングステッドセンターは自然に囲まれた、射撃に限らず宿泊施設つきスポーツセンターです。体育館×2(10m射場60射座を設営)、25m射場30(?)射座、50m射場50射座、200m射場40射座、300m射場20射座、クレー射場のほか室内プール、陸上用トラック、バスケットコート、ビーチバレーコートなどがあります。実際行ってはいないのですが銃砲店もあるようです(ただし土日休み、平日も午後2時まで)。
今回の参加人数は選手約230名、スタッフをこめて約300名でパラリンピックより多いとのこと。40ヶ国近くの国々が参加しており、アジアからは日本のほかに韓国、台北、香港が参加です。
各試合の前日には公式練習があります。種目によっては午後10時までスケジュールが組んであるのには恐れ入ります。10時でも日本の感覚ではまだ夕方くらいの明るさなのですが。
日本からは参加しませんけれども上記種目のほかにSFR3P120, SSR3P60, English match(SH1), English match(SH2), ARS60(SH3(視覚障害)), ARP60(SH3), APL40, SP, FPがあります。
写真がアクシデントのためないので,見てわかるような説明ができないのが残念です。筆者が未熟なせいというのもあります。
今回の大会はパラリンピックの翌年で選手もいろいろな方法を試す冒険の時期であるということもあり、全体的に点数も低かったようです。それでもファイナリスト級の選手が技術レベルを高いまま維持しているのはさすがです。
一番見る機会の多かった種目です。ほかの種目についてもいえることですが身障の競技は健常に比べて個性的で面白いと思います。同じ位の点数でもかなり異なったフォームをとっていることがよくあります。障害の部位、度合いは選手ごとに違うので、フォームも用具も多様になるのは自然なことでしょう。技術だけでなくアイディアの勝負かもしれません。
例えば、車椅子を取ってみると、SH1b, c クラス、SH2b, c クラスでは背もたれを使うことが許されています。
どの程度そこに体重を委託するかというのは選手によって様々であり、当然背もたれの角度も選手が見つけた重力のバランスの均衡点によって変わってきます。プローンでは全く背もたれを使わない人もちらほら。
さらに、射撃でベストな車椅子が日常生活では体に負担をかけるということもあるわけで、射撃用の車椅子を別にしている人もいます。また、折りたたみ式と固定式の人も混在していました。折りたたみのほうが安定は悪いそうです。
SBの際に影響が出るのでしょうか。SH2の銃を支えるアームも車椅子につけてある人、専用のスタンドに据え付けてある人、と様々です。
SH3 は別の競技を見ているようでした。音で照準を判断しているので標的方向に顔を向ける必要がなく、チークピースにあごから下唇を委託している人が主流でした。なかには胸の高さで据銃している人もいます。その選手は射撃ズボンなし、靴もなく裸足で撃っていて、最初に見たときまさかその姿勢で撃っているとは思いませんでした。
プローンにいたっては立ったまま高い机に両肘をついている人もいます。
ちなみにSH3はAPの標的を使います。装置の精度と人の集中力の関係でARの8点圏、つまりAPの10点圏が適正な10点圏のようです。これも標的のライティングテクニックで大きく点数が変わってくるとのこと。コーチの働きも重要です。
SH2は特に、「既成の射撃観念を捨てて新しく自分のスタイルを作るべき」とは辰美さんの言ですが、それくらいいろいろな射撃スタイルがあります。自分の体格や身体特性をにあったよりよいフォームを目指す、という射撃の分析的な心構えを実行している姿を目の当たりにしたと思います。いまだ初級者の域にいる筆者にとって、自分自身の課題を突きつけられたようでした。
日本選手の成果について、失礼ながら今回はあまり振るわなかったようです。一番ファイナルに近かったのが,木下さんでARS60混合は590点10位(ファイナル出場ラインが591点)、ARP60混合が596点10位(ファイナル出場ラインが596点)で最終シリーズ差でファイナル出場ならずといったところです。
日本ではあまり見られないピストル種目。観戦は初めてで、予想以上に撃発の音が大きくイヤーガードなどが必須です。
SPの速射でカタッと回転する標的を見ていると自分でもやってみたくなりますね。ところでAPでもそうでしたが、ピストルに関しては身障と健常の差があまりないように思います。ライフルのように骨盤や胴体のボーンサポートをあまり使わない分、健常者が椅子に座っているのと同じなのでしょうか(実際どうなのかはわかりません)。
日本で見られないといえば200m大口径ライフルを撃っているところを見られました(試合の競技ではありません)。真後ろからでは大きなSBくらいにしか思わなかったのですが、射座のある建物から少し離れたところにいるとあたりに響く「ドッパーン」という音が印象的でした。ちょっと監的壕に入る機会があり(というより、射場を使っていないときに勝手に入った)、全的電子標的完備です。なんて豪華な!
この試合を見てSBやりたいな〜という気持ちが大きくなりました。
English matchは最終日でゆっくり見ることができました。SH1クラスの本選では車椅子を使用する人6〜7割近くを占めていました(残りは健常のプローンのように伏せて撃つ)が、ファイナルでは車椅子射手は2人だけでした。ただし優勝者は車椅子使用です。
3x40を時間の関係で見られなかった分3x20をじっくりと観戦しました。こちらはほぼ全員車椅子です。
車椅子のニーリングってどうやるんだろう?と思っていたのですが、片肘だけついてやるようです。ところで、3x20は参加者11名と少なくファイナル出場ラインが530点と、今なら狙い目です。それだけに日本から出る人がいなかったのは残念です。もっとも優勝レベルは高く、韓国のKim Im-Yeon選手572点で、2位に23点差とダントツ。
余談ですが、筆者はニーリングが優雅でうまい人(特に女性)に憧れるクチです。Kimさんのニーリングには惚れ込んでしまいました。
木下さんは練習で普通に600点が出せる事が(SH2のARは600点がざらに出る)、廣田さんはライフルとピストルどちらかに絞ることが(本人は嫌がるでしょうが)、それぞれ必要なようです。
日本の身障者の試合はまだ数か少なくて行われたとしてもISCD(身障の国際射撃連盟)ルールに完全にのっとったものではない、という組織的な課題も垣間見ました。例えば韓国は強豪ですが、小さな試合で参加者が少なくても国際試合さながらに銃検やファイナル(緊張感を高め、拍手やブーイングに慣れる)を行うそうです。
8月5日(ほんとは公式出発日なのですが飛行機チケットの都合でもう1日滞在することになったのでこの日は丸々空いていた)にレゴランドへ。
レゴ(でこぼこが付いていてそれでつなげることができるプラスチック積み木)のテーマパークで普通の遊園地にある乗り物のほかに、レゴで作った動物、港、空港、都市(日本もありましたが、富士山をバックに東京と田舎町が隣り合っていて、隅のほうに奈良の大仏と金閣、手前に宮島があるという代物)があります。廣田さんと木下寛さんが4日に韓国チーム、台北チームといっしょに遊びに行っていたので2人に案内してもらえました。障害者割引はないのですが、全ての乗り物に障害者(と一行)は優先的に乗れます。昼まで雨だったのが残念。
8月6日に出発です。荷物超過のエキストラチャージが1kgにつき4000円かかるという話を日本で聞いていたのですが、往路は何事もなく安心していたところ、先に帰国した武樋さんが復路で引っ掛かったという話が入ってきました。武樋さんの荷物は58kg、超過は38kgでしたが、それは気の毒とほぼ半分の20kg超過まで下げてくれたそうです。我々は5人で169kgで、69kgの超過。どうなるかとヒヤヒヤものでしたが幸い何もなく通過できました。
どうやら規定の倍以上あったときに止められるみたいです。(確証ではありませんのでこれから行くという人は注意してください)
行きとは逆のルートでコペンハーゲンまで行った後、3時間くらいでしたがコペンハーゲン市内観光。
涼しくて天気もすばらしく、時間が少ないのが惜しいところでした。ところが飛行機が2時間遅れて待たされることに。成田からのJR指定席券がパァになってしまうと、日本は夜11時でしたが辰美さんが櫛風沐雨さんと連絡を取り合っていました。
櫛風沐雨注:「留守番の鉄則、出かけた奴等は無茶な時間に無茶な要求を留守番にいう」
飛行機に乗った後も木下さんの酸素ボンベ(機内備え付け)を用意してくれる人がいない!と、おおあわて。航空会社と乗務員との間で連絡の行き違いがあったようで、結局木下さん自前のボンベと、行きのときに使った備え付けボンベの操作方法を覚えていたおかげで難を逃れたのでした。
と、行きも帰りもトラブル多発でしたけれど、無事に7日の昼に帰ってこられたのでした。
最後ですが、田中辰美さん、廣田武司さん、武樋いずみさん、木下裕季子さん、木下寛さん、ほか出発前日本で手続き等サポートしてくださった皆さん、ありがとうございました。
(櫛風沐雨注)
本文中にもありますように、廣田武司君がパーティーで女の子と食事と酒に夢中になってデジカメをなくしてしまったり、武樋いずみさんに送っていただいた写真をコーチの田中辰美君が抱きしめて離さなかったりして、遠征中の写真がありません。ホームページのアップも3ヶ月遅れました。
男、高橋友則が寂しさに震えながら、能勢射場で立射している写真でご辛抱下さい