スイス・オランダ 身体障害者 ライフル射撃 遠征
 平成11年('99)5月3日〜11日

Sorry! Japanese Only
'00.02.27作成

櫛風沐雨、初の遠征でえたもの

先に結論を......

海外遠征は面白い、楽しい、勉強になる。

海外遠征は一流を目指す向上心ある者が行くと、急速に伸びる。
むしろ、完成された一流の者よりも2軍が行く方がコスト効果が高い。

提言:日本ライフル射撃協会はナショナルチームを海外に出すばかりでなく、
   3段以上の全日本選手権クラスの社会人が自費で行くように様々なクラスの選手権の
   情報提供と選手団代表者がライフル協会の交渉窓口と渡航手続きをする
   権限の委任を行うべきである。
   そうすれば、日本の射手の技術は幅広い層で飛躍的に伸びる。
   派遣選手は若ければ伸びるというのは間違いだ。
   今は、海外遠征に1年に1回飛び出すくらいの収入と時間を作ることが射手は出来て、
   英語力だって各都道府県一人くらいは人材がいる時代です。
   =仙台の菅野利雄さん(大学生射手をドイツ射撃学校へ派遣)や
    茨城の多田尚克さん(カナダのクロスマンエアガンチャンピオンシップへ高校生を引率)
    は正しい強化活動をしておられます

ご参考に身体障害者パラリンピック予選スイスの成績など(英語、ドイツ語)
    身体障害者パラリンピック予選オランダの案内(オランダ語。一部英語)


プロローグ'98.12のブルズアイ忘年会(at 消防音羽寮)

忘年会後の記念撮影忘年会後の記念撮影。後列左端が小生,後列の白Tシャツの巨体がまだら熊こと廣田武司君(独身。同じく独身の妹は若くて美人だし,遠征のための身体障害者射撃の椅子入れ用の大きな袋を縫ってくれた)
いつものように酒も飲まずに酔っぱらい、気が大きくなった私は、まだら熊こと廣田武司君に

櫛風沐雨「いよいよ、来年はパラリンピック予選やな〜、海外旅行くらい行ったことあるよなぁ」
まだら熊「ありません。飛行機にも乗ったことがありません。その時はよろしゅうお願いします。」
 注:京都は修学旅行以外は京都盆地を出たのは山科までが限界、という人がいても当たり前の土地柄です。
櫛風沐雨「よし、ブルズアイの名誉のためにもお前を絶対パラリンピックにいかせてやるぅ。コーチの務めやぁ。でも、最低ファイナルには残りや。得意の555点はあかん、570点を超えなくては。 そのためにも、慣れるために最低2回は海外遠征に行かなくては。一緒に行く奴がいぃひんかったら、妻子と仕事を置いて自腹でもワシが行くからなぁ、とにかくエントリーしぃ。」
まだら熊「本当ですか。頑張ります。」(ヤケに目がキラキラしていたな、そういえば)
櫛風沐雨「おぉ、男の約束や〜〜。英語と車の運転なら任せぇ。
       あっ○×さん、そういえば、△□の件.......」

で、きれいに忘れていました。この会話。


障射連により勝手に海外出役決定?!
しかも、費用は全額自弁、いわゆる「怪我と弁当は自分持ち」

正月は、妻子を連れて年末から携帯電話も通じない670年を超える我が家のルーツの地で、神社の清掃、注連縄ない、大晦日と正月のご奉仕と神主業にいそしむウチに、携帯電話を紛失。重いノートブックパソコンも持っていかなかった。そんな生活を7日間。

やれやれと普段の家に帰り、ヤケに沢山の留守番電話が入っているな〜、とフラッシュする電話を片目にパソコンにスイッチを入れてメールを読み込ませると、なんだか未読の山。よく見ると、ほとんどがブルズアイの田中辰美君と廣田武司君だ。 う〜ん、何かあったのかなぁ、と順に開いていると、「12月31日が締めきりだから、オランダの身体障害者選手権に廣田君と車椅子の身体障害者で唯一(当時)エアピストル射手の埼玉県/西野均さんをエントリーして、その引率は小生にしたのでよろしく、なんで連絡がつかないんだ! でも自費で行ってね」 という内容ばっかり。さては、と思って留守番電話を聞くと両名の声でその話しばっか。さすがに頭がクラクラっとしました。

で、電話。

櫛風沐雨「俺、そんなことゆうたかなぁ?」
まだら熊「な〜にゆうてんですか。男の約束やゆうたやないですか。なんやったら、高居さんと中村さん連れてきましょか」
櫛風沐雨「わかった。行く。」

電話を切って、嫁に
櫛風沐雨「ということで、オランダに行かなあかんみたいやから、家族揃っていくか。双子も2才でタダで飛行機に乗って行ける最後の年や」
「この子らを連れていくのは、しんどそうやからイヤやなぁ。直前の双子の成長を見て決めよか」(結局、この直後に妊娠して三男は9月に産まれるので行かなかった。小生の陰謀ではない。)

それから、世界地図でアッペルドゥールンを探すとアムステルダムの東100kmほどの、遠すぎた橋の舞台となったアーンヘムの近くの大きな町であることが分かりました。

ところで、私は廣田君が同じクラブにいるし京ラでの役員の職掌上、身体障害者射撃に人よりも詳しいつもりだが、日本身体障害者ライフル射撃連盟の会員ですらない。

戦陣訓その1:酒の上でも、35万円(嫁への土産代含む)



準備は順調に進む

スケジュール作成

まず、ISCD(国際身障者射撃委員会)のスケジュールを取り寄せると、オランダとほぼ同じ時期にスイスでも選手権を開いています。 飛行機代は4レッグまでタダだから、オランダ・スキポールとスイス・チューリッヒとの往復はタダ。 西野さんは日程的にスイスでピストルの試合に参加することは出来ないけど障射連の将来を担う幹部だから2カ国は世界選手権を見なくてはいけないだろう、 これは行けるわと勝手に決め込んだ。結局、西野さんと障射連事務局長の宮本謙三さんには事後承諾を頂きました。また、障射連からは社長宛に出役要請書を頂きました。
スイスは2次締切も過ぎていたけど、遠いアジアから行くんだから仲間に入れてよ、とメールを書いて割り込む。

アッペルドゥールン郊外のDVSクラブ射場をインターネットで見つけて、調整射場として貸してくれ! と電子メールで頼み込み、なんとタダで貸してくれることになった。


オランダ+スイス計画

5月3日 オランダへ10:40関空発 15:00スキポール着 レンタカーでアペルドゥールンへ

5月4日〜5日 午前は観光(4日はアッペルドゥールンのオランダ王室離宮,
        5日はゴッホの絵で有名なクローラーミューラー美術館。元ミューラー氏邸だが
        門から美術館入り口まで車で30分!)、
        午後は軽くDVSのクラブ射場で練習(+ファイナルトレーニング)

5月6日 スイスへ10:05スキポール発 11:30チューリヒ着 電車で移動50分ほどでファフィコンへ
    15:00ガンコントロール(銃検)17:00〜22:00試射
    18:00コーチミーティング

5月7日 8:00伏射(廣田)12:00ファイナル
    14:00立射(廣田)18:30ファイナル
    立射は18:30がチューリヒ最終発スキポール行きの飛行機ですので、14:00分だけを撃って
    オランダに帰るか、ファイナルに残ってしまったら廣田君は7日は泊まって
    午前中にオランダに一人で戻る。そのときはオランダの7日の伏射はキャンセル。
    オランダへ 18:30チューリッッヒ発,20:00スキポール着(実際には20:30着)
    高速を160km/hで吹っ飛んだらしく23時にホテル着

5月8日 10:00伏射(廣田) 13:45エアピストル(西野)

5月9日 9:00立射(廣田)日本人身障者史上初のファイナル(決勝)進出8位入賞

5月10日 午前は観光(アンネの家?)のはずだったが、トラブルで出発遅れる。日本へ14:35スキポール発

5月11日 8:50関空着(なんと西野さんの車椅子の片輪がKLM機内で壊された! しかも賠償なし!)


渡航準備

さっそく、HISに出かけてディスカウントチケットを予約。あとで一苦労することになるのだが、アッペルドゥールンの町の大きさを過大視して、レンタカーは予約しなかった。 まぁ、案内にはバスがあるって書いてあるし。パスポートはあと1年ちょっと有効だったので、国際免許を取得。
ここまでは、普通の旅行となんにもかわらない。小生はパックツアーなるモノはしたことがないのが自慢。

さて問題は銃の輸出許可だ。日本から銃を持ちだして持ち帰るためには通産省の証明書として確かに日本から輸出して持ち帰ったという珍妙な輸出許可証という書類をもらわなくてはいけない。 怪体(ケッタイ)な事に銃番号、サイズ、口径を書いた警察の所持許可証はなんの証明にもならない。通関や入関は大蔵省だから係官は「通産の書類では.....所持許可証はお持ちですか?」なんて呟く。君らなぁ、ワシラから見たら同じ日本政府とちゃうんか!?という変な世界。凄い縦割り行政だ。ちなみに帰国時は所持許可証を見せながら、これはこの銃で、銃番号はここに書いてあって銃のこれで....、苦労して取った輸出許可証と出国時の裏書を少しは見てよ!所持許可証と照合して同一性を確認できるし、現場ではそうしているんだから所持許可証、火薬類譲受許可証と携帯出国証明で充分じゃないか!
所持許可証を発行した地方公安委員会及び地方警察は地方自治体の所轄で警察庁の傘下、輸出入を所管するのは通産省(戦前は、警察庁と通産省は同じ内務省だったのに )で、税関は大蔵省、だから、税関は同じ国家機関の通産の書類は信用するという理屈はあるかもしれない。

でも、結局、税関職員がチェックするのは、所持許可証の写しを添えて記入した、銃番号、口径、全長、銃身長である。しかも、年1回、これらは警察署に我々が持っていって変わっていないことを証明している。でも、地方警察の発行したモノは信じていない。 ならば、税関職員は地方公安委員会発行の自動車運転免許証を転記して運輸省発行の免許証を発行して所持していない税関職員を逮捕して処分する防衛庁傘下の警察と裁判所と刑務所を作ればいいのに、そうはしていない。

そのうえ、弾薬の輸出許可証はくれないから持ち出した貴重な弾薬は、(1)全量消費するか、(2)帰国時に放棄するか、(3)面倒な通関書類を書いて後日引き取りに空港の税関まで行かなくてはならない上に手数料と関税を払って更に弾の購入許可証の貴重な許可弾数に2重計上されてしまう、のいずれかの道を辿る。

今時、ブルガリの何百万円もする時計を持ち出すのだって、官民ともに面倒でムダなことはしない。空港で携帯出国証明を書くだけだ。日本からの無闇な持ち出しは出国先でのチェックもあるからできない。持ち出した銃の同一性や所持の正当性のチェックは警察の仕事で所持許可証と火薬類譲受許可証でできるが、通産省もこの銃の国外への持ち出しと持ち帰りという一大イベントに参加したいらしい。それなら、弾薬の余りの持ち帰りにも参加してよね。半端者は一番困る。 それにしては、違法所持ピストルの発砲事件がその筋の方々によって繰り返されるのは通産省の責任ではないらしい。正規に購入した弾薬の財産権をどう考えているんだろうか。

そこで、まずドイツに射撃留学したブルズアイの村瀬巧君に書類の記入要領を貰う。大体分かったが、細かいところがよく分からない。彼の時は旅行代理店が代行したそうである。ちなみにJTB大阪に今回の旅行の手配をあげるから輸出許可も代行してよ、といったらあっさり断られました。 茨城の多田さんにも西野さん経由で聞くと軍用銃とは違い銃剣等の着剣装置がないこと! を証明する写真を行政手続の簡素化で出さなくても良くなった、ということがわかった。でもなぁ、勝負をしに行く我々がそんないらん邪魔なモノ持っているわけないんだから、当たり前すぎてちっとも有り難くない。大体、そんな銃はライフル協会から推薦が出ないし、警察が所持許可を下ろすわけがない。嫁は結婚前は日本有数の商社(子会社で銃を輸入している)で輸出入事務を「大学を出て10年間」もしていたはずだが、銃関係の書類を見せてもこんなの書いたことがないとのことで役に立たない。(それでも諦めの悪い私は嫁の元同僚に色々聞いたけどさっぱり分からないとのこと)

ここで、塚田三麿先生が「鉄砲で困ったときは築地恵に聞け」とおっしゃっていたのを思いだしてメールでお聞きしました。築地恵氏のお返事の名調子に元気づけられて、勤務先の昼休みに電車に乗って大阪の通産局に行きました。

係のアルバイト姉ちゃん「なにか御用ですか」
(それにしても国家公務員のところにいるアルバイト姉ちゃんはどうして美人が多いんだろう?楽なんだろうな。仕事)
櫛風沐雨「射撃のパラリンピック予選に行くのでライフル銃とピストルの輸出許可を頂きに参りました」
(私は仕事中だから眼鏡にスーツで髪はボサボサのサラリーマンスタイルである。すぐに窓際のスタッフの席へ通される)
スタッフ「ご自分で書かれたのですか?書類の記入要領は分かっていますか?」
櫛風沐雨「はい、3人に聞きましたから大丈夫です」
スタッフ(係員に)射撃競技の輸出許可証だそうだ。よろしく。(私に)不備があれば連絡します。あぁ、名刺がありますね」
で、1週間くらいかかると聞いていたので(あげくに訂正を要求されて、人数分の訂正印を集めて歩くこともあるという)、1週間後に電車に乗って見にいったら、申請の翌日には許可証がおりて済の箱に入っていました。


諸先輩にアドバイスを頂く

選手は海外旅行自体が初めてだし、コーチの小生は海外遠征なんて初めてだ。ここは諸先輩に聞くのが一番だと、アドレスを知っていた日ラの香西俊輔コーチと日本のエアライフル射手No.1の柳田勝選手にお聞きしましたら、思いもかけず丁寧なご助言を頂き、感謝感激してしまいました。
全文を載せたいところですが、私信も混じりますので我慢して、要約だけを書きます。
前掲のスケジュールや練習メニューは、お二人の意見を元にして作成しました。

香西俊輔コーチ

・オランダには射撃で行ったことが無いので正確には返答できません。

・一般にヨーロッパでは22LRの弾薬は所属クラブで買うのです。ワールドカップなどの試合会場のRWSのブースなどでもホイともらえます。た だ街中では一般にR-50やテネックスは手に入りませんので手配は必要です。オラン ダはドイツほど射撃は盛んではないので事前に大会組織に申し入れておいたほうが 良いでしょう。一番良いのは日本から必要数持参することですが……。ワールド カップ大会などでは不安要素が大きく現地調達は考えられません。

・ヨーロッパ方面への行きの時差ぼけは完全にとるには時差分の日数が必要とされま すが現実的には通常4-5日とるようにしています。経済的に一番良いのはプロがよ く採用するように試合の前日に到着することですが(時差ぼけでなく疲労した状態 で参加する)、一般人には心配で仕方ないでしょう。5月3 日か4日に出発するのは妥当な線です。
時差対策では食事のサイクルを旅行時から現地にあわせることも必要です(ホルモ ン分泌に関しては睡眠と共に食事によるリズムつくりも大切だそうです)。たとえ ば機内食も7時間遅れの朝昼晩を想定した食べ方をするとか、現地の真夜中の時間 帯にはカフェインなどは摂取しないとか,飛行機の到着時刻に合わせて機内で行動 するとか、機内では湿度が数%しかないので多めに水分を摂取するとか言った事柄 です。

・現地に到着したら1‐2日は昼間寝ないように観光などにあて、射撃の技術的なこ と(実射が代表される)は行わないことでしょう。つまりそこで練習したら下手に なるぞということです。現地で試合まで4日間あるとすると、その4日の間に実射 するとすれば、銃器の作動を確認する程度でしょう。それ以上の目的で実射するの は技術的にかえって危険です。(精神的に落ち着かない場合は実射しますが、その 際こまかな課題を課さないことです)選手の障害の程度によるでしょうがエアロ ビック的に若干の負荷がかかる程度の運動で(たとえば見物にひきまわすとかと いった負荷が低くて時間が長い運動=活動)疲労・回復の体内リズムを現地時間に あわせます。

・いずれにせよ極東からヨーロッパに遠征して、身体的にベストコンディションを望 むのは不合理なことで、むしろ精神的な余裕に時差調整の焦点を当てるべきだと思 われます。

・日本でも週1‐2回しか実射できないので現地でなんとかという気持ちが選手に あったとするならば、その考えを捨ててもらうことが一番の時差調整活動の目的か も知れません。

・オランダはEUのなかでは比較的銃器にはうるさいと聞いていますので、空港で 税関・警察に渡せるようにインビテーションや銃器リストのコピーを作っておいた ほうが無難でしょう。(←このことは懸念して出かけたが、実際には、ノートラブルだった。ただ、オランダ入国時に税関が挑発的な言葉を吐いたが、無視した)

柳田勝選手

・オランダでは22口径ロングライフル弾は自由に買えるかは、残念ですが行ったことがないので解りません。主催者に問い合わせてみて下さい。   

・ドーピングの対策はできていますか。市販の漢方薬や栄養ドリンク、鼻炎薬でも陽性反応が出る場合がありま す。もし、日本ライフル射撃協会かJOCにアトランタの時に配られた五輪書という小冊子の 在庫があれば、もらっておいた方が良いと思います。いろいろ参考になります。

・私は海外遠征歴約10年なので、初めて行かれる方とは時差ボケに対しては少し違うと思い ます。ただ言えるのは、あまり早く行くと食事その他で疲れてしまうし、練習もままならないので3、4日前位に入るのがちょうど良いかも知れ ません。それまで、日本で合宿調整しておけばベストです。
酒は飲まない、食事は野菜(生には注意)を摂りつつ、あちらではご飯はでませんから パンやパスタ類に日本にいるうちから慣れておいた方がよいでしょう。 ご飯でなければという方には、「さとうのご飯」などを携帯したらよいと思います。
宿舎は一般のホテルになるのでしょうか。もしそうであれば、食事はレ ストランを利用しますから ホテル内か、その近くにあるおいしいレストランを物色しておくと良い です。

・チームとしては、雰囲気の良い、楽しい遠征を心がけてください。それぞれが競技者であり、応援団だと思って、本番は皆で応援してくだ さい。

・それから、普段と一緒の事をやってください。いつも走っていないのに、急に走ったらおかしくなりますよね。 国際大会だからといって変に気負わないこと。

・自分が射座にいる様子をイメージトレーニングしておいてくださ い。初めてだと、あがってしまうと思いますから。

・オランダとの時差を調べておきましょう。また5月頃の気候を調査して 下さい。(大使館、旅行会社に問い合わせるかインターネットを使うなど) 出発前からそのデータを元に生活を調整した方が良いです。


ここまでの準備だけで諸先輩や友人の助けやご厚意を山ほど頂いてしまった。また、スイスとオランダの開催者には身に余る便宜を図っていただいた。 この場を借りて御礼申し上げます。日本ライフル射撃協会も立派な人材が数多く揃っています。頼りにもならずよくわからないのは日本のお役所だけだ。


身体障害者の国際選手権

今回の遠征で強く感じたのは、スイスとオランダの大会の性格の違いと、ドイツ 射撃チームの研究成果の結実です。

スイス/ドイツ射手達の統制された熟達のフォーム統制がとれたドイツ射撃チームの完成された伏射フォーム。スイスやフランスも同様の姿勢をとります。あぁ、こうやって障害者の伏射は撃つのかと目からウロコが落ちました。合理的で考え抜かれた姿勢です。
立射も非常に良く考え抜かれた姿勢でした。
カメラを向けた私を睨んでいるのはフランスチームの女性コーチ。あんたかて、廣田を撮ってたやないの!

お会いできた多くの方の中でも、スイスのゲリー・ウェバー氏(スイスの主催者で車椅子のピストルシューターで アイアンイーグル「鉄のワシ」と呼ぶのが相応しい)とベルギーのワルター氏 (車椅子のライフルシューター)、フランスのエリック・ラカズ氏(SH2で 598点を撃った燃える目をした男)が印象的でした。

スイス/フランス/SH2クラス練習風景/闘志が目と全身に溢れる小柄な男このSH2(上肢障害)クラスのフランス人、エリック・ラカズ氏は小柄なオッサンです。我々と練習もホテルのフロアも一緒でした。でも、目が凄い。勝つ気で溢れている。全身から闘志が溢れています。翌日の本戦では同点で2位になりました。悔しそうでしたが満足げでした。
この小学校の体育館兼エアライフル射場は電子標的が設置されています。しかも、左の南側の壁はアクリルです。撃っているところが前からよく見える! ここの外の廊下には長椅子とテーブルがあり、お昼に我々はミートスパゲッティ定食を横の食堂で買って皆が撃っているを前から見ながら食べました。

1.大会の性格

スイスの選手権は個人の成績を上げるために電子標的を採用し、団体表彰もなく、実質本意。 集まる射手もレベルが上。(ドイツ、フランス、スイスの強豪国で大部分。オース トリアは射撃を知らない人がコーチを勤めるなどレベルは低い。少数国は日本と スロベニア)

スイス/廣田武司/西野均/練習風景スイスの射場での練習。伏射のテーブルを借りようとしたらなかったので、会場である小学校の跳び箱を借りた。勝ち目がある立射に全力を注ぎ込み、順位がロシアンルーレットの伏射は捨てていました。とはいっても、スイスで立射だけでなく、伏射でも最終予選出場権を獲得。この後、戦訓を元にテーブルを注文作成し、シドニー最終予選では代表の座をほぼ手中にする成績を挙げました。
背景は西野さんのエアピストルの練習。

スイス/SH2(上肢障害)クラススイスでのSH2(上肢障害)クラス。銃の下にスプリング式の支えで撃つ。日本で言う自由姿勢

オランダの選手権はメダルを乱発して(ピストル選手は出場者が4人でも3位までメダルが 出て、1チームでも団体表彰まであってまさにメダルがカウベル状態)楽しさと ショーアップを全面に出しています。日本のメダル大好きな新聞受けするから、 組織としてはオランダ・ベルギーなどの、強豪国以外開催の大会に出るべきで しょう。

でも、私としては、今度一つだけ行くならスイスの大会ですね。宿は高いけど、景色の 美しさや観光の名所の数が違う。オランダと日本は、鎖国時代にも日本は 数多い西欧の国からオランダだけを選んで交易を保っていたくらいですから、 勤勉で良心的な人達の集まりで、個人の庭や家、インテリアも美しいです (カーテンも閉めず、人に見せるために家はあるという考えのようです)が、 地理を覚えるのが大変でした。

それと、レベルが高い射手を研究できるのでスイスの方が面白かったです。 彼らは研究熱心で、伏射と立射の2回とも廣田君の後ろにもついて研究していました。 失中を連発してからは引きましたけど。射手も選手権の成績に年金や賞金が かかっているので真剣です。レベル2のフランス人(小人症とも思えるが 不明。手が短い)の燃えるような目が忘れられません。普段はシャイな人 なんですけど。

2.身体障害者の射手の外的姿勢について

2−1.車椅子が常識

西欧人は車椅子に抵抗がないらしく、結構歩ける人でも車椅子で射撃します。
付き添いかコーチの人が車椅子を押しているなぁと思ったら射手だったりします。 空港でも、歩ける人がヒョイと車椅子に乗って搭乗するのを見ました。
普通の椅子を使っているのは、日本とスロベニア(上手),英国(下手) くらいです。

地続きでみんな車で来ますから、車椅子の輸送に頭を悩ませないで済むのも 大きいと思います。

2−2.車椅子の使い方

軽度障害のSH1aでも背もたれを実に巧妙に使っています。(ルール違反スレスレの行為です)

自分が上半身を傾けたい方向に真っ直ぐ背もたれを持ってきています。背骨と 背もたれの軸線が一緒です。足を縛って開かないようにしている人が多かった。
これはピストル射手でも同様。

スイス/身体障害者のスポーツピストル(自動CP25m)練習中スイス・ファフィコン村射場での身体障害者25mスポーツピストルの練習風景。自動式のセンターファイヤピストルを使います。左端の射手の車椅子が見えますか? この人は抜群に上手い。
スイスは国民皆兵だから一村一射場。FAL の自動小銃は成人男子に1丁。ただし、この銃で犯罪を犯せば即決軍法裁判で同じ村の上官によって銃殺。良心的兵役拒否者は衛生兵や社会福祉事業のボランティアをします。大きな公営博物館に行くと戦闘服の兄ちゃんが車椅子を押してくれます。
ファフィコン村の射場は村の外れにあり、1階はレストランと10m屋内ターゲットキャリア式エアライフル/ピストル射場で,2階は50m電子標的射場、3階は25mピストル射場でバックストップは薪! と300m紙標的射場になっています。羨ましい....

全ての射手の椅子の座面が高い! なるべく高さを稼ごうとしています。

おそらく軽度の障害だと思いますが、板を打ち付けてお尻を高く膝を低くしている ピストル射手もオランダの選手権にはいました。背もたれは使っていません。

ドイツチームは背筋が比較的直角に近くなっていますが背もたれを使っています。

椅子の座面は、足が太い(軽度歩行障害)人ほど高くて腿の下面が車輪の上側に 出るくらいです。
足が細い(脊椎損傷など高度歩行障害)人ほど低くて腿の上面が車輪の上側と 同じ高さになるくらいでした。

2−3.伏射のテーブルの高さは胸元以上

これは、廣田君がスイスの跳び箱(胸元の高さ)とオランダの机(腰の高さ)で証明してくれました。

ドイツチームは極端に高く車椅子に取り付けており、腕は伏射、目の高さは立射 で頭の傾きも立射そのもので首は直立と良く研究しています。理に適っています。

テーブルは車椅子に付けることは皆がやっています。これは勝利への1ステッ プです。

2−4.ピストル射手の射線は交換機の操作位置にあわせる

ライフル射手は標的に対して直角に取ります(交換機が操作しずらいなら アシスタントを付ける)が、ピストル射手は銃を手放さないで標的交換でき るように射線を取るようです。

2−5.射撃コートなどの装備

向こうの車椅子の連中は、コートは座ったときに邪魔にならないように丈を短くして おり、射撃ズボンは履いていません。また、コートは特注ですが、色んなメーカーの モノがありました。クルトは見かけませんでした。

エアライフルは圧倒的にバウのP70が多かったです。アンシュッツの CA2002 は、 ドイツの射手が使っていましたが少数です。

3.ファイナル(決勝戦)進出のレベル

今回は、強豪国が、ドイツ・フランス・スイスはスイスへ、フィンランド・ デンマーク・ベルギーはオランダと別れていたので、我々にとってはラッキー でした。

強豪国が揃ったとして、
SH1の男子立射で575点で余裕,570点でOK,560点台は 苦しいでしょう。女子立射は360点前後。伏射は585点以上と予想します。

ですが、パラリンピックはヨーロッパだけで無くアジアなどからも来ますから、 ファイナルレベルは高いでしょう。でもSH1伏射でも595点以上なら ファイナルにはいけるでしょう。


ハプニング

今回の遠征は、毎日事件がありました。主なモノだけでも...

1.初日

関西空港で私が携帯品チェックにかかっている間に、西野均さんと奥さん、廣田武司君の三人に先に行って貰ったら(私は 税関の通過と輸出証明証のチェックは常識なので二人ともそうすると思い込んでいた).......
税関にて私がチェックを受けているときに雑談のつもりで

櫛風沐雨「先に二人通ったでしょ?」
関税係官「いや、貴方が初めてですよ」

このとき、血が引きました。慌ててKLMに連絡を頼むも税関の末端とKLMの末端は直接話をしない(面白い形式主義でしょ?)ので、時間が経つばかり。
やっと税関を飛び出したところにいたKLMのグランドホステスに頼んで機内と連絡をとりました。

やはり、通関していない! 日本に銃を持ち帰れない!

500mをダッシュして搭乗口に駆けつけ、二人の輸出証明証を受け取り、カカカカッとヒールで突っ走るグランドホステスと一緒にさっきの(北) 税関に戻ったら、もう店じまいして係員がいなくて!、200m離れた(南)税関までまた走り、搭乗口まで走って帰りま した。この間で紺のジャケットにつけた胸の日の丸がモノを言いました。有りガタや。日の丸!

ちなみに、私は機内はTシャツに裸足でしたが、どの国の入出国時にも髭を剃り白ワイシャツにレジメンタルタイ、チャコールグレーのスラックス、 胸に日の丸を付けた紺のジャケット、紺の靴下、黒の革靴を着て、戦闘服と称しておりました。

2.電車の乗り換え

スイスの帰り、フォークリフトに乗せられてチューリッヒ中央駅の雑踏の中を 西野さんの頭が移動するのには笑えました。

アッペルドゥールンからスキポールへの帰国する復路の電車で女性の車掌さんが言ったアメルスフルトでの乗り換えを アムステルダムでの乗り換えと聞き間違えました。アメルスフルトで注意されて飛び降りて荷物と西野さんを降ろ して「スーツケースが1つない」と廣田君が叫んだときは、頭の中で何処に置いたかと走馬燈のように乗ったときの情景が走りました。車内に飛び込み、 スーツケースを引っ張り出して戻った直後に発車 したときは......「うえ〜,飛行機だけでなく電車まで遅らせてしまった....」

3.レンタカー

オランダでの移動はレンタカーが正解でした。でも、スキポール空港まで主催者の お迎えが来ていてそれに乗ってしまったのが失敗の元。最終日に、時間が自由で電車より楽な レンタカーをスキポール空港まで利用としたのですが、失敗。

帰国前日の土曜日は午前中に下見したバジェットが昼までで終わってしまいエイビスも 見つからず、オペルアストラからトヨタカリーナに車が大きくなっただけ。帰る日に 行ったらハーツは大きい車がなくてバジェットは空港までの乗り捨ては 大きい車は数が少ないからダメと言うことで、急遽地元のレンタカー会社で 運転手と9人乗りのフォードエクスプローラーを借りてホテルから駅まで送って貰いました。

待っている方からすると、段々車が大きくなって、最後は運転手を連れて帰って きたのですからどう見えたでしょう?

フォードエクスプローラーのレンタカーの運転手とは「日本とオランダの付き合いは400年もあるんだ。 ドクター・シーボルトは200年前のオランダ人だが、日本に西欧の科学を 教えてくれたので日本で有名だ。オランダはヨーロッパで一番良い国だ (どこの国の人はみんな自分の国の感想を聞きます)。オランダの家と庭は 素晴らしい。美しい。日本の家はウサギ小屋だ(ここで頭に手を載せて縮こまる フリをすると受けました)。オランダ人は親切でいい人ばかりだ。ドイツ人は こんなんだからな(鼻に両手で握り拳を作ってピノキオのマネをすると、 大受け!)」というイラン話をしました。

お世話になったレンタカー屋の親父 さんに「貴方はよく働く。働くことは大事なことだ。怠け者のバジェット はカットオフされなくてはいけない」というと、親父さんは真面目な顔で 「オランダでは、働きすぎて死んだ奴はいない」と言うんだと大威張りしました。

レンタカーでは安全運転が第一です。夜遅くて眠いからといって アムステルダムからアッペルドゥールンまで雨の中を160km/hも出して 行きの半分の時間で帰るようなマネをしてはいけません。

4.最後のハプニング

車椅子をアムステルダムから帰る飛行機に持ち込もうとしたら、「荷物室に入れま す」とのこと。今までは機内でOKだったのになぁ〜、と思いながらもフラフラと そのまま機内へ。

すると、関西空港でなかなか車椅子が来ない。おかしいなぁ、と思ったら、沢山の人が いるカウンターに連れて行かれて、車椅子の車軸が折れているのを発見。

1万円までしか車椅子は免責品なのでKLMは面倒みないそうです。それにして も、1便の飛行機であんなにスーツケースが壊れたり無くなったりするのだとは 思いませんでした。

車椅子は、なんと言われても機内へ持ち込みましょう。


コーチの観戦記

今回の遠征では、廣田武司君は力の限りを尽くして戦いました。誉めて上げて下さい。
西野さんは「上がり」があって、不断の練習の力を出すことが出来なかったのは 残念でした。後半は尻上がりに良くなったのですが。

1.スイス

スイスでのエアライフルとエアピストルは、ファフィコン小学校の体育館で電子標的でした。 左側の壁は普通の2重ガラスの仕切で、前から射手の顔を撮影することが出来ました。
別に危険はないので、当たり前といえば当たり前のことですが。キッチンもあり、スパゲッティ定食がありました。

装薬ライフルと装薬ピストルは、ファフィコン村の射場でした。村の射場と言っても、国民皆兵 のスイス(良心的兵役拒否者には衛生隊や銃後での心身障害者支援ボランティア活動 があります)では,壮青年に一人一丁家庭保管してある軍用銃(HKの308Win/ 223Rem,この銃で犯罪を起こせば軍事裁判なので指揮官の即決で死刑となる)の訓練 が月1回義務づけられていますから,300m/50m/25m/10m(全て装薬銃可)の各8射座は ある立派な射場です。50m射場は常設の電子標的でした。テーブルの射座です。昔はターゲットキャリア式 でそのワイヤは残っていました。軽食堂もあって、ビールやワイン、サンドイッチ、 簡単な夕食を摂ることが出来ます。

スイスでの伏射は、会場の小学校の体育館にあった跳び箱を使ったのですが、これが頑丈で高さも 良くて(胸元くらいで高い)廣田君の標準装備品にしたいくらいでした。
もし後述する注意事項さえ守れていたら、立射も伏射も10点は上がったと思います。 もっとも、この注意事項も日本にいる間に廣田君に仕込めなかった我々の責任ですが。
しかし、今回の遠征の目的であったシドニー最終予選に伏射で出場する資格をスイスで取ることが出来ました。

立射は中盤苦しんだのですが、555点で思ったよりも成績が良かったと思います。もし、ファイナルに 確実に残れるようなら廣田君だけはスイス残留で我々は先に帰り,翌朝にスイスからオランダまで一人で帰るはずで色々準備して いたんです。
しかし、1シリーズ目の結果が出た時点で廣田君は6位で2シリーズ目に伏射で廣田君を抜いた人が4人は撃つので 我々は諦めて帰ったのですが、最終結果は私の読み通り10位でした。この廣田武司ヨーロッパ一人旅計画は猿岩石 ならぬ「熊岩石」と呼んで廣田君をからかう良いネタになっていました。
立射でも、今回の遠征の目的であったシドニー最終予選に出場する資格をスイスで取ることが出来ました。

2.オランダ

アッペルドゥールンは,装薬ピストルはDVSのクラブ射場(市北部郊外)で エアライフルとエアピストルは市内南部の公園内体育館でした。

DVSのクラブ射場は、半地下式の覆道射場で50/25/10mです。全てターゲット キャリア式で、テーブル式の射座です。
公園内体育館もDVSのクラブ射場も、軽食堂もあって、ビールやワイン、サンド イッチを摂ることが出来ます。

基地にしたホテルは市南部郊外でしたので、レンタカーは必須でした。

アッペルドゥールンでは普通の(伏射には低すぎる)机しかなくて、1時間5分の 練習時間どころかプレパレーションタイムでも調整時間が足りず試射の時まで、スリング長や スリング止めを調整したときはどうなるかと思いました。

立射は、1シリーズ目は良かったのですが、連戦の疲れか力尽きて酷い点を撃つどころか、7点や 8点の標的をジーッと見つめているのに気付いたときは頭に来ました。

一戦毎に私は怒っていたという噂もあります。

オランダ/廣田武司/本戦中/疲労のためか絶不調日の丸を背負って撃つ廣田武司。はるばる来たオランダで日の丸を見ると感激ひとしお

立射のファイナルは、アッペルドゥールンのDVSクラブ射場での猛特訓の成果があって、 91点台を出しました(練習のベストは98点台)。この遠征時の廣田君のレベルでのミスショットである7点を一発も撃たなかったのは、 立派です。日本ではファイナルにも残ったことがなかったのですから。

廣田君は左利きなので、外国人射手全員と顔をお見合いしてもミスなく撃てたのは望外の 収穫でした。英語が分からないのが良かったのかもしれません。

オランダ/廣田武司/日本障射連史上初の決勝戦進出/見よ、この勇姿廣田武司。オランダで日本障射連史上初の決勝戦進出。(最右端)
左利き射手の彼は8位なので一番端で他の射手とお見合いしながら撃つ。
背中を見せて並んでいる赤いジャケットの審判は各射手が発射したことを確認する。後ろのモニターは観客席に向かって一発ごとの弾痕を映し出すテレビ。
一斉にスタートさせ点数は0.1点刻みで発表し、10点以上は観客一同は拍手喝采、未満は重苦しい沈黙。生涯初の75秒限秒射撃10発勝負のファイナルをミスなく撃ち尽くす。私はこのとき、彼を見直した。こいつの金玉は凄い!鉄で出来ている!

西野さんのエアピストルは,プレパレーションタイムが始まったときの姿勢が アッペルドゥールンでの練習や本番1時間前の公式練習と全く異なり、後ろに 反り返った姿勢となっていたのに慌てました。帽子のシェードを掛けている関係 で後ろにいた私の方を見る機会もなく,西野さんとの信頼関係に絶対の自信が なかったので射場長を通じて呼び出すことも出来ず、残念な結果となったこと に悔いが残ります。尻上がりに点数は良くはなりましたが。

オランダ/西野均/本戦中/あぁ姿勢が練習と違うあぁ、西野さん、練習と姿勢が違う。反り返っている。でも試合は始まってしまった....矢は放たれた
国旗は開催国が用意しました。正しいものか、大会前に確認されました。そうだわな、間違えたら、国際問題だもんな。
[TSG],[CCT]とか[CMV]というのは、スポンサーである地元の建設会社や銀行の宣伝です。
赤地に王冠の旗はオランダ王室傘下の身体障害者スポーツ連盟です。


コーチの目から見た遠征当時の廣田武司君の射撃

下記に廣田君の試合ぶりを見ていて与えた注意をご参考までに列記します。
ちなみに、あれから6ヶ月経った時点では、なんであんな事をしていたのか?と彼自信が不思議に思うほど、レベルが上がっています。

1.体力

最低、5kmは息を切らせずに歩き続けられること。海外遠征は、最後は体力 勝負です。根性、気力、技術では何ともなりません。2日目の朝の散歩で体力の無さに気づき、愕然 としてしまいしました。必要な運動としては、散歩だけです。

2.練習射場の確保,ファイナルの練習

プロでない我々には最後の調整や海外の雰囲気に慣れることが必要です。 現地到着後2日目の午後は射場で遊ぶ、3日目の午後にファイナルの練習を最低3セット こなす、4日目以降は流して撃つのとファイナルの練習を日に2回でよいと思います。

ファイナルは、身障者の方は日本国内ではなかなか機会がないので、英語や ドイツ語(スイスはドイツ語でした)で選手紹介や拍手や「ブーッ」も入れて プレッシャーをかけなくてはなりません。

3.練習と試合の反省

今回、ファイナルの詰めが甘かったと思いました。試合後、反省点をメモにして 次に繰り返さないことが勝利への道です。

4.試合の時はいつもと同じ外的姿勢で、練習と同じ得点を狙う。

直前の練習の時よりいい点を狙おうとして外的姿勢を思いつきで変えるのは いけません。同じ外的姿勢と同じ10点のフィーリングを狙って下さい。

射撃には、スーパーショットがなく10点や10.9点が上限です。9点以上 を平均点としている皆さんが練習よりいい点を撃つはずがないのです。

5.朝早く起きて規則正しい生活をする。出来れば、朝の散歩をする。

6.忘れ物をしないこと。

7.日本の税関は必ず通って輸出許可書に裏書きを貰って出国して下さい。

私だから、重い手荷物を持って関空の往復2kmをダッシュできました。

8.プローン(廣田君は左利きなので、右利きの人は左右が逆です)

・プローンでは左肩が上がる癖があることに注意。左肘を置く位置に注意。
 ←これが右手の銃を支える腕の二の腕に力が入る原因となっている

・スリング長とスリング止めの位置で肩付けの強さや支える腕の脱力を調整する。

・バットプレートで上下を調整する。

・右肘は、銃の直下より少しだけ右側。右上腕部と地面との角度が見たところ、  右へ90度以下であること。

・銃の傾きが常に一定であること。(左右へ弾着が散る)

9.重要な注意事項

・本番で撃つときには、10点ど真ん中をサイトで狙うではなく10点を撃ち抜いたときの フィーリングを再現しながら撃つ。

・9点や8点の標的は着弾点の情報が頭に 入ったら残像が目に残らないウチにすぐに替える。10点の標的は長く見てフィーリングを再度味わい、 再現しやすくする。

・タオル/工具を含む小道具類を確認していつでも取れるところに置いておく。

・照準時間が10秒以上にならないように、銃を必ず置く。

・構えていて、銃が大きくガクッと動いた時、動かした時は、必ず銃を置いて 構え直す。

10.失中したとき

どんな名人でも程度の差はあれ失中はあります。その時の対処が明暗を分けます。

・深呼吸はせず、いつものリズムで呼吸し,心臓の鼓動を聞き落ち着くのを待つ。 深呼吸は逆効果。
 (スイスの立射の時、廣田君の大きい深呼吸が始まったときの皆の苦笑いが忘れられない)

・声を出すな。(集中力が落ちる)

・首をふるな。(三半規管が乱れて、平衡感覚が乱れる)
   ←以上の2点は、人に見られていることを意識しての過剰演技の可能性もあり、
    集中力を欠いていることを示している。

・ファイナルで銃が震えるのは、どんな名人でもある。その時は、10点に放り込む気持ちで撃発する。結果は神のみぞ知る。自分の責任ではない。
 なお、立射のファイナルは3回は軽く構え直す時間はある。伏射も同じく3回は構え直せる。


遠征の疲れ

帰ってきて我ながら驚いたのは、蓄積された疲労です。

・帰国翌日に昼寝しただけで風邪を引き、治るのに1ヶ月もかかりました。
・数週間のあいだ、夜中の寝言は全て英語だったそうです。

私一人で、様々な人と英語で話しをし協力を求め、スイスではドイツ語とチャンポンのコーチミーティングにも出ましたし、試合中のトラブルも英語を介しての解決です。このストレス。
それと、健常者よりも元気とはいえ身体障害者二名の銃や装備を含む思い荷物を抱えての時間に追われた移動は、体力も消耗しました。一人であちらこちら、文字通り走り回りました。通関、両替、切符の購入、レンタカー屋巡り。 西野さんの奥さんも凄い力を出して頑張って荷物を運んでおられました。

日本身体障害者ライフル射撃連盟の海外派遣には、全日本クラスの射撃ができて、英語力で一名、体力で一名の添乗が必須です。しかも、その両名はマニュアルのトラックでも右側通行を乗りこなせなくてはいけない、と痛感しました。 私は障射連の人間ではありませんが、障射連の中にはそういう人材がいます。また、障射連の上部団体である日本ライフル射撃協会の豊富な人材の中にもいます。
まちがっても、英語も出来ず体力もなく射撃を知らない人間を添乗させてはいけません。その人も出来もしないことをさせられては気の毒です。


暮らし易さについて

ヨーロッパは階級社会です。悪い言葉に換えれば差別社会です。今回の遠征でも、昼間は入れた綺麗な高級レストランが別の機会には空席があっても満席になりました。また、入国時には、税関係官が人を小馬鹿にした言葉を吐きました。

アメリカ合衆国だって人種差別と学歴差別の社会です。私がいた職種には、アメリカでは、女性、黒人、アジア人に会うことはまずありません。新卒者の給与はどのクラスの大学を出たかで決まります。だから、いい大学に入ったら必死で勉強します。

日本は世界でも一番平等な社会だと思います。言葉狩りもある。

では、日本と欧米とどちらが身体障害者には暮らしやすいか。私には欧米のように感じました。ただし、車を日常の足として使うことが条件です。

スイスのトヨタ,マツダ、ニッサンやワーゲン、フォードワゴンは、車椅子の人が乗り込んで、車椅子を自分で座席に引き揚げるドアの仕組みが上手くできていました。 だから、気軽に健常者の私が身体障害者の方が運転する車に荷物を積んで貰って!助手席に乗せられて、英語で雑談しながら宿に行ったりする。

駅では、大荷物があっても、頼めば駅の係員がホイホイとリフトを持ってきて積み込んでくれます。 次に乗るときには必ず声を掛けてくれ、また運ぶから、とも言います。車椅子に人を載せたまま専用のフォークリフトで雑踏の中を運んでいってもくれる。見ていて面白かったけど、とても助かりました。日本なら、乗る2・3日前から駅に申し込めと言われます。 もっとも、ベルギー遠征では、辛いことが多かったようですから、国による格差はあります。

日本では障害者を見たら助けましょうなんて言われていますが、欧米では、一般の人が助ける必要がないし、下手に手助けしたら手を払われてしまうと思います。

欧米の階級社会において、身体障害者が自由に一人で、或いは身体障害者同士で、車を運転して国境を越えて集まり、或いは、車椅子に荷物を載せる台車を連結して、 ひょいひょいと飛行機に乗ったり電車に乗ったりしているのを見かけました。また、3000mクラスのスイスの山でも車椅子にのってゴンドラリフト、ケーブルカーや電車で上って、散歩しながら山道をガタガタと降りています。収容所みたいな○×センターばっかりつくって身体障害者も閉じこもっている日本の福祉環境ってやっぱり変、と思いました。


その後の障射連ベルギー遠征での岡留晴文の勇姿廣田武司の健闘は、後に続く射手の道標となった。ベルギー戦の岡留晴文の姿。彼は強烈に頭がいい。独身なんてもったいない

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