猫の”お軽”


あさひ荘の中村さんの部屋唐紙手前はいつも破れ、お軽が出入り。テレビの上に腰掛けているトラ猫が”お軽”            

撮影 中村 譲 1977年頃 自宅 あさひ荘にて



中村さんは、相撲、野球、などなど色々ある得意のジャンルの中で特に”お軽”の話が多かった。(義太夫の”お軽”勘平と猫の”お軽”両方)あさひ荘に住み着いた雌猫を”お軽”と名付け、独身で寂しい身よりの本人の申すところによると同棲をしていたとの事。いつも、お茶割りがすすむに従い、そんな冗談の様な本当のような事を言っていた。そして『たにし』では”お軽”は美人(美猫?)で気性の激しい女と、本人の強調かなりあるが、彼女の自慢ばなしは尽きない。またまた、お客さんの中で猫好きがいるとさらに話は進展、彼女の前にいた”コケット”という名前の猫、さらにはおばさんの猫まで登場する。

おばさんはの猫は”ジロー”という名前で、時折カウンター席を厨房から仕切っている壁と天井の隙間に陣取り、カウンターの酔っぱらいの様を上から見おろしていたものだった。中村さんに対してはいつも小言を言っているおばさんも、猫の事では妙にうまが合っていた。



『たにし』が看板になり最後に僕らが帰るとき、おばさんは『中村さん、これお軽にあげて』と店の残りものを中村さんにビニール袋に入れて手渡していた。散らかった、あさひ荘のアパートで”お軽”に貰ったはずのものを少し失敬して、酒のつまみに摘んでいた独身暮らしだった。

夜遅く帰りの電車も無くなり、あさひ荘に泊めて貰うことたびたび、寒い冬に暖房も無い部屋で煎餅布団にくるまって寝ていると夜中に悪い夢を見たのかとても胸が苦しい、目を開けると”お軽”が僕の胸の上に座っている、そんなことがよくあった。”お軽”が胸に乗ってくるのは寒い冬だけで、夏には決してそばには寄りつきもしない、彼女も寒いので単に暖を取っていたのだった。

ある朝、気楽な学生の僕は『行ってらっしゃい』とご挨拶、それを後目に悔しそうに出勤する中村さん、次に目が覚めたのは10時頃。授業に出ようと着替えていると”お軽”が妙に足にからみついて興奮している。これは何か捕らえてきたなと直感。この前も朝起きると、入り口のドアに獲物のネズミが死んでいた。お互い二人酔って気がつかなかったけど、『踏まないで良かった』と話していたばかりだった。どうせまた…と見てびっくり。黒くて赤いくちばし、カラスじゃない高価な鳥だ…ひょっとして九官鳥?。いつものネズミや鳩などとは別の始末が必要、新聞紙に九官鳥の死骸を包み、犯行がばれないように処分。殺しはしておりませんが、死体遺棄事件の主犯となってしまった。


おばさんの”ジロー”(イベット・ジローからとのこと)


同じくあさひ荘での”お軽”、今度はプレーヤの上に寝そべる。

撮影 中村 譲 1977年頃 自宅 あさひ荘にて


2000年2月  作井 正人


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