『たにし亭』へデビュー


お茶割りを作るおばさん、亀甲宮の焼酎を一升瓶からついでいるところ


ほうじ茶を大きなやかんから焼酎に注いでいるところ(正面今さんの定位置)


お茶割りをお願いすると、おばさんは寸胴コップに氷を入れ一升瓶から焼酎(亀甲宮)、10リッタ以上も入るような大きなアルミの丸やかんからほうじ茶入れて僕らの前に置いてくれました。そして、お通しもカウンターのお茶割りの横に出して貰いました。たしか、記憶ではその日のお通しはおばさんの美味しい塩辛だったと思います。ぼくはこの塩辛が大好きで柚の香りのする、あまり塩の強くないピンクの色をしていたのが印象的でした。おばさんに後になってから聞くと、烏賊のわたから墨袋を破らずに丁寧に取ることで、色がきれいになるとのこと、また、塩を強くしないので日持ちは短いけど塩辛くなくて食べやすいとのこと。その日以来、お品書きにあるものはあまり注文できずに、サービスのお通しだけで90円のお茶割りを何杯も飲んでいました。


佐藤さんが飲んでいるのはお茶割り、お通しの塩からがテーブルの上


そのころ飲んでいたアルコール類はビール、日本酒、ウイスキーで焼酎は滅多に飲むことがなかったぼくには焼酎をお番茶で割った味が新鮮でした。

店の中は10人で一杯のカウンターと6畳の座敷が1つ、3畳の座敷が2つほとんど満員。カウンターの中にはおばさんが入り、台所にはアルバイトの若い人が裏方を任されていました。白熱電球で照らされた店の中は古いながらもとてもきれいに掃除されていてどことなく品があり、とても落ち着いた感じの店でした。



お客さんは常連がほとんどで、それでいてカウンターにいる全員が宴会のように同時に同じ話をしているわけではなく席のそばの客同士でそれぞれ相撲、野球、将棋の話などたわいもない話題を酒(お茶割り)の肴にしていた。それまで経験していた呑み屋では考えられないことで、大抵は誰かが大声を出したり、酔って議論をしたり、泥酔するものが必ずいるものでしたが、『たにし』にはそんな客は皆無、時たま大声では無いが遠くの客と話す程度。普通常連が多いの呑み屋だと、もさの様に店をとり仕切っているものがいたり、全員が同じ地域の野球のチームであったりと初めての人間が入り込めない雰囲気ですが、ここではそれがなかった。

話の雰囲気で、店の客たちはある地域の同じ団体に属している人たちでないことも薄々感じてはいたが、何で昼間はバラバラの職業の人たちがそれぞれに名前も覚えているのかこの酔客たちと『たにし』が不思議だった。

何度か通うとだんだんとおばさんにも何人かの常連たちにも顔を覚えて貰い、ぼくも席の隣の客と話すようになりましたが、ただこの時点では自己紹介もなく、特に紹介もしてもらえない。その人と話している時の話題、誰かがその人を呼ぶ名前と話の中の小さな事からだんだんと常連たちの大まかな職業がわかり、彼らを名前で呼べるようになったと思います。数ヶ月後におばさんから名前で呼ばれる頃にはすっかりとみなさんの仲間入りができ、席に座るだけでおばさんはお茶割りを出してくれました。また、席が一杯だと入れなかった店も、裏から入って台所のピンク電話の横でお茶割りを立ち呑みで席が空くのを待てるまでなり、当時学生だったぼくを最年少の常連として受け入れて貰いました。


カウンターが満員の時に玄関の木戸から入り台所の電話で待つ、たって飲んでいるとお座敷のお客さんにお店の人と間違えられて注文されることがある。座敷に来るお客は常連以外のお客が多い



台所の電話の所でお茶割りを飲みながら順番を待つ渡辺さん


馬場とお茶割りで乾杯


この頃になって、初めは不思議だった『たにし』の常連のことがやっと判ってきました。この店では大きな声は出さない、人に迷惑をかけないなどは全ておばさんの影響、みんなおばさんに怒られたら店に来られない故におばさんに怒られることはしない。おばさんの逆鱗に触れ二度と来られなくなった客は淘汰され、良く言えば、いわゆる酔客のサラブレッドたちが残ったんだろう。

2000年1月   作井 正人


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